第123話 メモ魔

 ターミナルビルを出ると、少し肌寒かった。


 見渡す大雪山系の山々は、すでに山頂付近に雪を頂いている。

 山腹や麓は、まだ紅葉の赤や黄色、オレンジが鮮やかで、その中に雪の峰々が浮き上がっているように見えた。


 澄んだ空気と、雄大な景色の中にいると、北海道の大自然の中に来たんだと実感する。



 空港に着いたのがお昼過ぎで、僕達はそのままバスで昼食に向かった。

 旭川ラーメンの店舗が集まったフードテーマパークで、醤油ラーメンを食べる。


 その後は、旭山動物園の見学だ。


「ねえ、塞君ちょっといい?」

 バスから降りたら、ヨハンナ先生が僕を呼んで耳打ちした。

「新巻さんのこと、見ていてくれないかな? ちょっと心配だけど、私は全体に目を配らなきゃいけないし」

 先生が言う。

「いいですけど」

「ありがとう。後でお礼はするから」

 ヨハンナ先生はそう言ってウインクする。

 そんな、お礼なんかいいのに。

 新巻さんと話すの、楽しいし。



 園内で自由行動になって、新巻さんが一人できょろきょろしてたから、声を掛ける。

「ねえ、新巻さん、一緒に回らない」

 旅先の開放感からか、ヨハンナ先生に頼まれたからか、普通に声を掛けることが出来た。

 下手なナンパみたいだけど。


「うん、いいよ」

 新巻さんは自分の足下を見て、僕と視線を合わさずに言った。


「どこ行こうか?」

 僕が訊くと、

「あざらしのところ、行きたい」

 新巻さんが言う。

「分かった」

 僕達は園内を歩いて「あざらし館」に向かった。


 僕と新巻さんが二人で歩いてるのを見て、二度見したり、冷やかしたりする奴がいたけど、それは無視だ。



 「あざらし館」に入るとすぐに、有名な円柱型の水槽、マリンウェイがあった。

 僕達が円柱の前に立つと、あざらしは人懐こい様子で、泳ぎながら何度も前を泳いで通る。

 円らな瞳で、時々、「よっ」と声を掛けてくるみたいに、前足を上げた。

 新巻さんは何も言わずに、目であざらしを追いかけている。


「きゃー、カワイイ!」

 女子達の集団が来て、マリンウェイの周囲に人垣が出来た。

 僕達は後ろに追いやられる。


「行こうか?」

「うん」


 その後は「ぺんぎん館」で水中トンネルを潜って、有名な空飛ぶペンギンを見て、「ほっきょくぐま館」で、岩の上で寝ているほっきょくぐまを見た(残念ながら、泳いだり、飛び込みはしてくれなかった)。


 どこを回っても、何を見ても、新巻さんは、大きな声を出したり、「カワイイ」を連発したりしなかった。

 スマホで無闇に写真を撮ったりもしない。

 全体的に、感情を表さない人だ。


 その代わり、新巻さんは文庫本サイズの小さなメモ帳を懐から取り出して、何か書き込んでいた。


 メモ魔なのだろうか。


 新巻さんのメモは、動物や展示を見るときだけではなく、来園者や、飼育員に対しても行われているみたいだった。


 何を書いているのかメモ帳を覗こうとしたら、新巻さんはそのときだけ、「だめ!」と、僕を睨み付けて感情を表す。

「ごめん」

 僕が謝ると、新巻さんは首を振った。

 たぶん、(こっちこそ、急に怒ってごめん)って言いたかったんだと思う。


 新巻さんは何を書いてるんだろう。

 すごく気になる。



 他の団体も来て園内が混雑し始めて、人気の動物や建物には行列が出来るようになった。

 僕達は人混みを避けて、エゾタヌキの展示を眺めて時間まで過ごす。


 灰色と茶色のぶちのエゾタヌキは、実がなくなったトウモロコシの芯を運んだり、噛んだりしていた。

 人気者じゃないけど、愛嬌があって、いつまで見ていても飽きない。


 新巻さんも、珍しく少しだけ口元をほころばせていた。

 そしてやっぱり、メモをとる。


 何を書いているのか、すごく気になる。




 旭山動物園の見学が終わると、バスで移動して、旭川市内のホテルにチェックインした。


 ロビーで一人ずつ部屋のカードキーを受け取る。

 部屋割りは基本、班単位だけど、僕と新巻さんみたいに男女の班もあるから、その場合は、男女別にして、どこかに割り振られるらしい。


 僕の部屋は322号室だ。

 エレベーターが混んでいたから、階段で三階まで上がって部屋に入る。

 もう誰か、先に部屋に入っていて、気配がした。


「あれ?」

 ベッドの上で、スーツケースを整理していたのは、新巻さんだ。

「ごめん、部屋間違えた」

 僕は部屋を出る。

 322号室。

 でも、何回確認しても、僕が受け取ったカードキーは、この部屋のものだ。


「やっぱり、僕もこの部屋みたいなんだけど」

 仕方なく、もう一度部屋に入って、新巻さんに言った。

 彼女が間違ってるのかもしれないし。

 でも、新巻さんが持っているキーも、この322号室のものだった。

「まさか、僕達、一緒の部屋とか……」

「まさか……」

 新巻さんが身構える。


「その、まさかだよ」

 そう言いながら部屋に入ってきたのは、ヨハンナ先生だ。


「基本、班ごとに同じ部屋で、割り振ったんだけど、あなた達一番遅かったからね。こうなっちゃうよね」

 先生が言った。

 こうなっちゃうよね、って、こうなっちゃっていいのか!


「でも、安心して、私もこの部屋に泊まるから。この三人で、同室ね」

 先生が言う。

 先生は部屋の外から自分のスーツケースを引っ張ってきて、中に入れた。


「はっ?」

 僕は素っ頓狂な声を出す。


「当たり前でしょ? いくら安全そうな塞君でも、新巻さんと同じ部屋に二人で置いておくわけにはいかないじゃない。その解決策として、先生がここに泊まるの。まあ、よろしくね。大丈夫、修学旅行らしく、トランプとかやるし、枕投げとかもやるし、好きな異性の告白とかもするから」

 ヨハンナ先生はそう言って、飛び切りの笑顔を見せた。


「よろしくお願いします」

 新巻さんが頭を下げる。

 新巻さんは受け入れたらしい。

 案外、融通が利く人なのか。


「よし、それじゃあ新巻さん、ご飯の前に女子チームは大浴場行って汗流してこよう」

 ヨハンナ先生が、新巻さんを誘った。

 新巻さんが「はい」と頷く。


 先生がスーツケースを開けて中を引っ掻き回そうとするから、僕が代わりに着替えを出した。スーツケースを荷造りしたのは僕で、何がどこにあるかは、全部把握している。先生が引っ掻き回してスーツケースを滅茶苦茶にされたらたまらない。


「はい、これ替えの下着と、タオルです。汚れ物はこのビニールのバッグに入れてきてください」

 僕がそう言って、先生にお風呂セットを渡した。


 そのやり取りを、新巻さんが目を丸くして見ている。


 ああ、そうか。


 新巻さんに、僕が主夫部で、寄宿舎で先生のための家事をしていることを説明する。

「先生のパンツとかブラジャーとか、毎日洗濯してるし、家では妹のパンツとか毎日洗って見慣れてるから、これで性的に興奮したりすることはないから」

 誤解されたらいけないから、新巻さんにちゃんと言っておく。


「まあまあ、塞君、それはいいから」

 先生はそう言って、新巻さんを慌ただしく風呂に連れ出した。


 僕は何かおかしいこと言っただろうか?



 二人が風呂に行ったあとで、散らかされた先生の服や荷物を拾った。

 あれ、なんか、いつもと同じ気がする。

 旅先なのに、寄宿舎でよく見る光景だ。



 二人が風呂から出るのを待っていたら、メッセージアプリの兄妹グループに、花園からメッセージが来ているのに気付いた。


(お兄ちゃん、新巻さんの写真、送れ)

(まだ、撮ってない。彼女はあんまり、写真とか撮らない人)

 僕は返す。

(変な人)

 花園からすぐに返ってきた。


(彼女、兎鍋シリーズ全部読んでるぞ。すごい読書家だ)

 僕がそう送ると、

(お兄ちゃん。兎鍋ファンに悪い人はいないよ)

(その新巻さんは、きっといい人だよ)

 枝折からそんなふうに続けて返信があった。


 枝折……いくら何でも、単純すぎる。



「はい塞君、この部屋ではスマホとか禁止ね。大体、こんな美女二人が前にいて、スマホに夢中ってなによ」

 ヨハンナ先生と新巻さんが、風呂から戻ってきた。

 二人とも上気して、艶々の肌になっている。

 僕と同学年の新巻さんはともかく、生徒の前で堂々とすっぴんになれるヨハンナ先生はすごい。


「スマホいじってた罰として、好きな女子の名前を言いなさい」

 先生が言った。


 なんだか、修学旅行らしくなってきた。

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