第122話 男前な魔法
「これ、今日着るセーラー服な。アイロンでパリパリに仕上げてあるから」
僕が手渡すと、弩はそれを受け取って壁のハンガーに掛けた。
「それから、これ、腹巻き。お腹冷やしちゃうから、寝る前にちゃんとお腹に巻くんだぞ」
僕はそう言って、弩に黒地にピンクドットの腹巻きを渡す。
「弩は寝相悪くて、すぐ布団蹴っちゃうから、絶対な」
なんだか、花園とか、枝折に言い付けてるみたいだ。
「分かってます。私のことはもういいですから。先輩、もう時間ですよ」
弩が言う。
朝、洗濯物を干して、朝食を食べて、時間ギリギリまで寄宿舎で家事をしていた。
しばらくここを空けるから、最後まで出来ることをしておきたかったのだ。
「そうだな。じゃあ、そろそろ出るか」
僕が部屋を出ようとしたら、弩が僕のジャケットの袖を引っ張って引き留めた。
「先輩、これ、持って行ってください」
弩は自分の首にかけていたネックレスみたいなものを外して、僕に渡した。
旅立ちにネックレス渡されるって、僕はア○タカか。
そのネックレスには、チェーンにラミネート加工されたカードみたいなものが付いている。
「それは母の名刺です。困ったときこれを見せれば、大抵の事は解決するからって、母が私に持たせてくれたものです」
弩が言った。
カードみたいなものは、確かに、名刺だった。
大弓ホールディングス代表取締役会長兼CEO
弩 あゆみ
とある、シンプルな名刺だ。
大弓グループ、トップの名刺。
確かに、これを見せれば、大抵の事は解決しちゃうんだろう。
ア○タカがもらった首飾りより、こっちの方が効力がありそうだ。
「いいのか? こんな、大切なもの」
僕が訊く。
「はい、お守り代わりに持っていてください。先輩には、無事に帰って来て欲しいので」
弩は、ほっぺたを真っ赤にしてそう言った。
ありがたく受け取って、首にかけておく。
弩が外したばかりのネックレスのチェーンには、まだ少しだけ弩の温もりが残っていた。
寄宿舎の玄関で、僕と錦織、ヨハンナ先生の三人を、寄宿生と主夫部、そして枝折と花園が見送ってくれる。
「先生、二人のこと、よろしくお願いします」
母木先輩が、ヨハンナ先生に言った。
もちろん、その横には鬼胡桃会長がぴったりと寄り添っている。
「おみやげ、期待してるぞ」
縦走先輩が僕達に言った。
「枝折、花園、お姉さん達の言うこと、よく聞くんだぞ。困らせるなよ」
僕が二人に言った。
花園は、古品さんと萌花ちゃんになついていて、二人の間から顔を出している。
「分かってるって。お兄ちゃんこそ、先生に迷惑かけないでよね」
花園が生意気なことを言った。
枝折は、何も言わずにバイバイと手だけ振る。
二人が学校関係者の目に付くといけないから、僕達はここで別れた。
「行ってきます!」
獣道を抜けて、校舎の裏に出る。
午前六時、学校の駐車場には、七台のバスが停まっていた。
僕達二年生は、これで空港まで移動する。
生徒や見送りの保護者の車で、早朝にも関わらず、駐車場の周りはごった返していた。朝練の運動部が、同じ部活の二年生を見送っている場面もあった。
ヨハンナ先生は一旦、職員室に行く。
駐車場で錦織とも別れて、僕は自分のクラスのバスに乗った。
バスの座席は班ごとに座るから、僕の隣は、新巻さんだ。
新巻さんはもう先に来ていて、バスの前寄り、窓側の座席に座っている。
「おはよう」
僕が声を掛けると、
「おはよう」
新巻さんが返してくれた。
新巻さんは制服のセーラー服で、上に一枚、薄いグレーのコートを羽織っている。
ハーフアップの髪を留めるリボンが、今日は深緑だ。
「今日からしばらく、よろしく」
僕はそう挨拶した。
「ええ、よろしく」
新巻さんは答えてくれたけど、如何にも社交辞令って感じで、心がこもってないのが分かる。
赤ワイン色の眼鏡の奥の目が笑ってなかった。
とりあえず答えた、という感じだ。
出発時刻十分前になって、他の先生と打ち合わせをしていたヨハンナ先生が、バスに乗り込んで来た。
「はい、皆さんおはよう。では、点呼をとります」
先生は、すっかり教師モードだ。
今日の先生は、タートルネックのネイビーのニットに、ベージュのパンツで、大人っぽい服装だった。
時間通り、六時半にバスが出発する。
駐車場を出るバスを、他の学年の先生や保護者が、手を振って見送った。
走り出した途端、バスの中は賑やかだ。
これから修学旅行でみんな浮かれてるし、仲間同士、班になって集まってるから、余計に騒がしい。
そんな中で、僕と新巻さんの席だけ、会話もなく、静かだ。
新巻さんは車窓を流れる風景をぼんやりと見ている。
僕はそんな新巻さんを横目で見ていた。
この場合、僕の方から何か話題を振らないといけないんだろうか。
でも、何を話したらいいんだろう。
天気のこととか話しても、会話はすぐに終わってしまう。
会話の糸口になるようなことはないかと探して、一つ、思いついた。
「新巻さんって、柔軟剤、レノア、オードリュクスの、センシュアルのほう使ってるんだね。これ、良い香りだよね」
僕は言ってみる。
先日、ヨハンナ先生に二人で呼び出されたとき、新巻さんから金木犀のような、南国のフルーツみたいな甘い香りが漂って来たから、たぶん、オードリュクスのセンシュアルの方だと思って、訊いてみた。
「何で知ってるの?」
新巻さんが、眉をひそめて言う。
「もしかして、あなたストーカー? 私のこと、監視してるの?」
新巻さんは、そう言って、体を窓の方に寄せて、僕から遠ざかった。
「違う違う、香りで分かったし」
家や寄宿舎で、数々の柔軟剤を使ってきた僕からすれば、当たり前の話だ。
「そんなわけないじゃない」
「本当だよ。香りで分かる。たとえば、このクラスでいえば、菊池さんからはファーファのファインフレグランスボーテの香りがするし、長谷川さんは、ダウニーのインフュージョンハニーフラワー使ってると思うし、秋本さんはランドリンのクラシックフローラルの香りだし、小野田さんはミューラグジャスの……」
僕は、口に出してから失敗したと思った。
僕が言えば言うほど、新巻さんが引いていく。
信じられない、というような顔をしていた。
それはそうだろう。僕に対する予備知識なしで、クラスの女子が使ってる柔軟剤をすべて嗅ぎ分けてたとか言ったら、僕だって引いたかもしれない。
とにかく、新巻さんに完全に変な奴と思われた。
修学旅行初日の朝一番で、最悪の印象を持たれた。
もちろん、それから新巻さんは、僕の話に応じてくれなくなる。
狭いバスの座席なのに、新巻さんは拳二つ分くらい、僕から体を離して座った。
空港までは、まだ一時間近くある。
気まずい。
最高に気まずい。
仕方なく、僕は本を読むことにした。
昨晩、枝折に貸してもらった「兎として鍋に入れて食べられる前に」シリーズの最新刊、「兎として鍋に入れて食べられる前に魔王討伐」だ。
もしかして、枝折はこうなることを予想して、僕にこの本を渡したんだろうか。
そういえば枝折は、飛行機とか電車の移動で、手持無沙汰のとき読めばいいと渡してくれた。
安楽椅子探偵の枝折だけに、ここまで推理していたのか。
まさか、そんなことはないと思うけど。
枝折に貸してもらた「兎鍋」シリーズは、異世界に兎として転生した主人公が、猟師に捕まって、兎鍋にされて食べられそうになるところから始まる物語だ。
一冊目の「兎として鍋に入れて食べられる前に王都奪還」から、今まで十二冊のシリーズが出ている。
僕が大人しくページを繰っていたら、
「篠岡君、
新巻さんが、そんなふうに訊いてきた。
表紙を見て、新巻さんのほうから話し掛けてくれる。
彼女が会話を持ちかけてくるなんて、これが初めてだ。
兎鍋って、略して言うってことは、このシリーズを知ってるのか?
「あ、うん。妹が森園リゥイチロウのファンで、薦められて読んでるうちに好きになって、『兎鍋シリーズ』は最初から全部読んでるよ」
僕は答えた。
「ふうん」
新巻さんは、俄然、興味が湧いたみたいで、眼鏡の奥の目を大きく見開く。
「なんか、おかしいかな?」
「ううん、それ出たばかっりの新刊でしょ? 面白い?」
どん引きして窓の方に体を寄せてた新巻さんが、僕の方にすり寄って訊いた。
もう、お互いの腕が当たる距離だ。
近づいて来ると、やっぱり、新巻さんからは、金木犀の甘い香りがする。
柔軟剤が、オードリュクスのセンシュアルであることは間違いない。
「うん、まだ読み始めたとこだけど、面白いよ」
「ふうん、どんなところが?」
「やっぱり、森園リゥイチロウは、会話の掛け合いが面白いよね。何度読み返しても笑う」
「やっぱり、そう」
新巻さんは頷いて納得する。
「新巻さんも好きなの?」
「えっ、あ、うん、まあ。ラノベ関係とか、たくさん読んでるかな」
新巻さんが言った。
「新巻さんは、どんなの読んでるの?」
僕が訊く。
「えーとねえ……」
枝折が持たせてくれたこの本のおかげで、会話が広げられた。
枝折、GJだ。
修学旅行から帰ったら、枝折を抱きしめてほっぺたスリスリしてあげよう。
「新巻さん、読書家なんだね」
バスの座席で隣同士、僕達は話した。
新巻さん、今まで、どんなキャラか分からなかったけど、本のことになると目をキラキラさせて積極的に話してくるし、知識も豊富だ。
僕なんかより、ずっと詳しくて、色々と教えてくれる。
そして、話ながら少し興奮して、顔を上気させるのが可愛い。
白い肌が、ほんのりとピンクになっている。
空港で飛行機に乗り換えて隣の席になっても、新巻さんは読んだ方がいい本とか、アニメ化の情報とか、たくさん教えてくれた。
北海道まで二時間強のフライトが、すごく短く感じる。
これなら、二人の班で過ごす時間も、楽しくなりそうだ。
飛行機の中で一度トイレに立ったら、離れた後ろの席に座っていたヨハンナ先生が、横を通るとき、僕の腕を捕まえた。
「塞君、どんな魔法使ったの?」
先生がそんなふうに訊いてくる。
「魔法? ですか?」
「うん。だって、新巻さんがあんなふうに楽しそうにしゃべってるの、私、初めて見た。担任教師として、心配してたの。それをあんな笑顔でしゃべらせるなんて、どんな魔法使ったのかなと思って」
先生が僕の耳に口を寄せて言った。
「別に魔法とかありません。普通にしてたら、話が弾んで……」
「なにその男前な台詞。普通にしてたら、女子の方から積極的に話してくれるって」
先生が言って、僕をからかう。
でも、本当にそうなんだから、仕方がない。
自分の席に戻ってすぐ、着陸に入るアナウンスが流れた。
まもなく、僕達が乗った飛行機は、旭川空港に着陸する。
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