第121話 荷造り
「そっちの、ボタンダウンのシャツの方がいいと思うけど」
花園が言った。
「そうか? じゃあ、そっちにするよ」
僕はスーツケースに入れたシャツを出して、花園が示したシャツと入れ替える。
「それに、やっぱりハーフパンツはいらないよ。この時期の北海道だし」
花園はこんな調子で、僕がスーツケースに入れる物を、一々吟味してきた。
ピンクのパジャマで、手にスマートフォンを握っている花園。
花園は、僕のベッドに寝っ転がっている。
ベッドから、荷造りする僕に偉そうに指示を出した。
お風呂から上がって、花園はずっと僕の部屋に入り浸っている。
そろそろ反抗期で、「お兄ちゃんウザい」とか言うこともあるのに、今日はなんだか、執拗にまとわりついてきた。
僕が明日から修学旅行に行くから、花園も少し寂しいんだろうか。
そう思うと、こうして偉そうに指示を出すのも可愛い。
コンコンと、半分開いている僕の部屋のドアがノックされた。
ドアから、今度は枝折が顔を出す。
「お兄ちゃん。これ、持っていけば」
枝折がそう言って、僕に一冊の文庫本を差し出した。
「飛行機とか、電車の移動で読むといいよ」
僕は枝折から本を受け取る。
「これ、昨日発売された『
兎鍋とは、森園リゥイチロウのライトノベル「兎として鍋に入れて食べられる前に」シリーズのことだ。
「いいよ。面白いから一晩で読んじゃったし」
枝折は言う。
このシリーズは、枝折から借りて僕もずっと読んでいた。
枝折は、この作家、森園リゥイチロウの大ファンで、著作は全部持っている。
「ありがとう」
「うん」
本を渡したあとも、枝折が立ったままドアのところでモジモジしてるから、
「枝折も座れば」
と言って、花園が寝っ転がっているベッドを勧めた。
「うん」
枝折が部屋に入ってくる。
花園が場所を空けて、枝折がベッドに座った。
枝折も、少なからず僕が旅行に出るのを寂しく思っているんだろうか。
「修学旅行に本を持ってくなんて。修学旅行の電車とか飛行機の移動の時間は、みんなでガヤガヤ騒ぐんじゃないの?」
花園が言った。
「でも、同じ班の人がよく知らない人なんでしょ? 相手が話をしたくないとか言ってきたら、手持ちぶさたかと思って」
枝折が言う。
「その、同じ班の『新巻ないる』さんって、どんな人なの?」
花園が訊いた。
「どんな人って?」
「だって、私達の大切なお兄ちゃんを二日間独り占めするんだもん。どんな人か知りたいでしょ? ねー、枝折ちゃん」
花園が枝折に同意を求める。
枝折は花園が訊くのに答えなかった。
「独り占めするって、ただ一緒に班行動するだけだけどな」
修学旅行の二日目、三日目を一緒に過ごす、同じ班の新巻ないるさん。
正直言って、僕だってどんな人なのか分からない。
クラスでも大人しくて目立たない存在だし、今までまともに話したこともなかった。
どこの部活にも入ってなくて、学校が終わるとすぐに家に帰るみたいだし、親しい友達がいるようでもない。
「綺麗な人?」
枝折が訊いた。
「どっちかっていうと、綺麗かな」
僕は咄嗟に、嘘をついてしまう。
どっちかっていうと綺麗じゃなくて、かなり綺麗だ。
今まで、目立たなかったけど、修学旅行の同じ班になったことで、ここ数日、目で追いかけるようになって、実は彼女が整った容姿をしているのに気付いた。
「写真送ってよ。修学旅行だと、写真撮るのも普通でしょ」
花園が言う。
「どこまで物見高いんだよ。まあ、一枚くらい送ってもいいけど」
「お願いだよ。私達が、お兄ちゃんの彼女にふさわしいか、判断してあげるから」
「彼女って……」
「修学旅行で、二人っきりで、恋が芽生えるかもしれないでしょ? 私と枝折ちゃんは、お兄ちゃんが変な人に引っかからないように、厳しく審査するから」
花園が言った。
僕と付き合ってくれるという人がいたら、それだけで合格だと思うけど。
「いい加減にしろ」
「は~い」
花園が言って、頬を膨らませる。
花園に、枝折も加わって、三人で修学旅行に持っていくスーツケースを仕上げた。
これで、旅行の準備は万端だ。
「よし、今日はこのまま三人で寝ようか」
花園が言った。
「このベッドじゃ、三人も寝られないよ」
僕のベッドは、一応セミダブルだけど、二人寝るのも辛いくらいだ。
「あっ、ってことは、スペースさえ許せば、お兄ちゃんは私達と一緒に寝るの、まんざらでもないってことなの?」
花園が訊く。
「言葉尻を捕まえて変なこと言うな。変なこと言う子には……」
僕はそう言って、二人が座っているベッドに襲いかかる。
座っている二人を倒して、三人で川の字になった。
「ちょっと、お兄ちゃん、もう!」
三人、セミダブルのベッドの上だと、仰向けで寝られない。
横を向いて寝ないと三人が収まらなかった。
まだ、二人が小さい頃は、こうして三人で寝ても、一つの布団で余裕だったのに。
母や父がいなくて、寂しがる花園と枝折と、三人で寝ていたのに。
「潰れる、潰れる!」
狭いベッドの上で、花園がふざけて声を出す。
「もう、お兄ちゃん、痛いってば!」
枝折は抗議するけど、口の端が数ミリ上がって、笑っていた。
ピンポーン。
僕達が兄妹でじゃれ合っていたら、階下で玄関のチャイムが鳴る。
もう、時刻は十時過ぎだ。
こんな夜に誰だろう。
一階に下りて、リビングのインターフォンの画面で確認する。
「あっ! ヨハンナ先生だ!」
僕の横から画面を覗いた花園が言って、玄関に飛び出していった。
花園はドアを開けて、立っていた先生に飛びつく。
「あらあら」
と、ヨハンナ先生は花園を受け止めた。
先生は、昼間教室で見た服のままだ。
マスタードイエローのカーディガンに、黒のスキニージーンズ。
先生の金色の髪は重たくなっていて、化粧もとれかかっていた。
遅くまで、仕事をしてきた先生だ。
騒ぎを聞いて、枝折も玄関に出て来る。
枝折は先生に会釈した。
「先生、こんな夜にどうしたんですか?」
僕が訊く。
「ゴメンね。修学旅行の最後の打ち合わせで遅くなっちゃったの。それで、これからみんなで寄宿舎に行くから、あなた達、荷物をまとめなさい」
先生が言った。
「えっ、どういうことですか?」
僕が訊く。
「枝折ちゃんと花園ちゃんは、塞君が修学旅行に行ってる間、寄宿舎で過ごします。寄宿舎から中学校に通うの。文化祭の時みたいにね」
先生が言った。
「私達、お兄ちゃんがいなくても、大丈夫ですけど」
枝折が言う。
「そうだよ。お兄ちゃんがいなくても、家事とか二人で分担して出来るし。枝折ちゃんも私も、料理は下手だけどね」
花園が先生に抱きついたまま言った(平気で先生に抱きつける花園が羨ましい)。
「一日二日だったら、それでもいいけど、三泊四日だからね。家事だけじゃなくて、安全面でも、こんな可愛い子が二人だけでいるのは心配だよ。それに、留守番の二人のことが気掛かりで、お兄ちゃんが旅行を楽しめないと困るでしょ?」
ヨハンナ先生がそう言って、抱きついている花園の目を覗き込んだ。
「寄宿舎なら、お姉さん達がいるよ。鬼胡桃さんなんか、妹達が来るって楽しみにしてるし、弩さんも、一緒に遊べるって喜んでたよ」
先生が言う。
弩……
一緒に遊べるって喜んでたのか。
「でも、いいんですか?」
文化祭のときもそうだったけど、学校の施設である寄宿舎に、生徒じゃない二人を泊めるのは、色々と面倒なことがあるはずだ。
「まあ、問題はあるんだろうけど、管理人は私だしね。あなた達が黙ってる限り、外に漏れることはないし」
ヨハンナ先生はそう言って、ウインクする。
「それなら、お願いするか」
僕が二人に問うと、枝折も花園も頷いた。
「じゃあ、ほら、荷物まとめて車に積んで。忘れ物しないようにね」
ヨハンナ先生が言う。
「はーい」
と、二人が素直に返事をして、二階に上がって行った。
この辺の指示は、さすがに本職の教師だ。
「なんか、すみません」
明日から修学旅行だし、打ち合わせで忙しいのに、ヨハンナ先生は僕達のことを気に掛けていて、車を飛ばして来てくれた。
「いいって、いいって。これは外堀を埋めてるんだから」
ヨハンナ先生が言う。
「外堀、ですか?」
「塞君を私のお婿さんにするために、結婚したら小姑になる枝折ちゃんと花園ちゃんから
どこまで本気か分からないけど、ヨハンナ先生がそう言った。
きっと、僕に気を使わせないように、わざとそんなこと言ってるんだと思う。
「ほら、塞君も、早く荷物まとめてきなさい。あなたも今晩、寄宿舎に泊まって、明日はそこから立つんだよ。それなら修学旅行に寝坊して遅刻、なんてこともないでしょ」
修学旅行に寝坊とか、そんなベタな遅刻は嫌だ。
「ところで先生、先生は修学旅行の荷造り、済んでるんですか?」
僕が訊いた。
僕の指摘を聞いた先生が一瞬、先固まる。
「えっ、まあ、あはははは……」
先生は笑って誤魔化した。
荷造り、済んでないのか。
「分かりました。寄宿舎に行ったら手伝います。一緒に荷造りしましょう」
僕が言って、先生が「はい」と頷く。
きっと、先生の衣類とか、先生より僕のほうが詳しいし。
「半分、それを期待してたりして」
先生が言う。
これはもう、本当に、僕が先生のお婿さんならないといけないのかもしれない。
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