第116話 芋とロケット
「先輩、もう焼けましたか?」
切り株の椅子に座っている弩が訊く。
「まだだな」
僕が答えた。
弩と僕は、寄宿舎の庭に火床を作って、焚き火をしている。
放課後、二人で周囲の林から枯れ枝の薪を拾ってきて、焚き火にした。
弩は、深緑色のチェックのフレアスカートに、クリーム色のニットを合わせている。
切り株で作った椅子に前屈みに座って、両肘を膝の上に置いて、顎にやっていた。
弩が覗き込むから、黒目に焚き火の炎が映っている。
焚き火の炎は、ちょろちょろとした、おき火になっていた。
うっすらと立ち上る煙が、秋の高い空に吸い込まれて行く。
僕は弩の隣に座って、火箸で薪を弄って、火力を調整した。
のんびりとした、秋の午後だ。
「先輩、もう焼けましたか?」
弩が訊いた。
「まだだな」
僕が答える。
焚き火の中には、アルミホイルに包んだサツマイモがくべてあった。
このサツマイモは、種子島産の
なんでも、木星の衛星、エウロパ探査機「シロッコ」を積んだロケットの打ち上げを視察をするために、種子島に立ち寄って、そこから送ってくれたらしい(ロケットの製造を担当したのが、大弓重工だ)。
御厨はそれを、大学いもや、スイートポテトにした。
弩が焚き火をやったことないって言うから、僕達は、それで焼き芋を作っている。
「先輩、もう焼けましたか?」
弩が訊いた。
「まだだな」
僕が答える。
「おっ、焼き芋? いいねぇ」
匂いを嗅ぎつけたのか、ヨハンナ先生が庭に顔を出した。
「あれ、先生、職員会議じゃないんですか?」
僕が訊く。
「うん、ちょっとね。忘れた書類、取りに来ただけ」
先生は紺のジャケットに白シャツ、カーキ色のパンツを穿いていた。
金色の髪を、今日はポニーテールにしている。
「ちゃんと、先生の分も、残しておきます」
先生が物欲しげに見ているから、僕が約束した。
「お願いよ」
約束を取り付けてようやく、職員室に戻ろうとするヨハンナ先生。
去り際に、
「そうだ、塞君、あなた修学旅行の班、まだ決めてないでしょ」
ヨハンナ先生が言った。
「あっ、すみません。忘れてました」
そうだ。
すっかり忘れていた。
一週間くらい前のホームルームで、先生に言われてたんだ。
普段の主夫部の活動に加えて、ここのところ鬼胡桃会長の告白とか、錦織の衣装とかで、騒がしかったから、完全に忘れていた。
「早く決めて、届け出しなさいよ」
先生は、そう言い残して去っていった。
ポニーテールを揺らしながら、林の獣道に消える。
「先輩、もう焼けましたか?」
弩が訊いた。
「まだだな」
僕が答える。
「先輩、先輩達、もうすぐ修学旅行に行っちゃうんですね」
「ああ」
我が校は、二年生の秋に修学旅行のスケジュールが組まれている。
「先輩と、錦織先輩と、ヨハンナ先生がいなくなっちゃうんですね」
「二年だから、そうなるな」
「あのあの、質問ですけど、その間、誰が私達のパンツ、洗うんですか?」
弩が訊く。
「それはあれだ、母木先輩か、御厨が代わりにやるんだろう」
「そうですよね」
「案ずるな、弩。母木先輩だって御厨だって洗濯は上手いぞ。御厨なんて、母親のために毎日料理以外の家事もしてるしな」
主夫部部員は、それぞれに得意分野があるけど、全員、すべての家事を一通りこなせるのだ。
「それは、そうですけど」
それでも弩は、なにか、不満そうだ。
「でも、先輩くらい、私達のパンツを上手に扱う人はいないから、ちょっと残念だなって、思っただけです」
弩が言う。
「先輩くらい、私達のパンツや、セーラー服に愛情を注いでくれる人はいません。先輩くらい、私達のパンツやセーラー服が好きな人はいないんです」
弩が力説した。
「弩、分かった。分かったから、それをあんまり大声で言うのはやめような」
パンツやセーラー服が好きって、何も知らない人が聞いたら、誤解しそうだ。
いや、嫌いじゃないけど。
「母木先輩と御厨に、洗濯物のたたみ方とか、弩が好きな柔軟剤とか説明して、よくお願いしておくから、いつもと変わらず過ごせるよ」
僕が寄宿生全員の好みを調べ上げて書いたノートを、後でコピーして残しておこう。
「べつに私は、洗濯物を心配してるんじゃないです」
弩が言った。
「ただ、先輩がいなくてちょと寂し」
パチン!
弩の言葉の途中で、焚き火の薪が突然はぜた。
はぜて焚き火から外れた薪が火事になるといけないから、回収して、水が入ったバケツに入れておく。
「弩、なんか言い掛けたみたいだっだけど」
「なんでもないです」
弩は顔を真っ赤にして言った。
「そうか?」
「はい、忘れてください」
へんな弩だ。
芋を包むアルミホイルが虹色に焼けて、芋の香りが甘くなってきた。
「先輩、もう焼けましたか?」
弩が訊いた。
「まだだな」
僕が答える。
火箸で突っついてみるけど、まだ芋は硬かった。
焚き火の火力が落ちているみたいだ。
「弩、もうちょっと薪を拾ってきてくれないか?」
僕が頼んだ。
「はい、分かりました」
弩は切り株の椅子から立ち上がって、林の中に入って行った。
「ふええ」
林の中から、弩の声が聞こえる。
たぶん、蜘蛛の巣が顔にかかったとか、茨に引っかかったとか、したんだろう。
「ふええー!」
弩の鬼気迫る声が聞こえた。
今度は蛇の抜け殻を踏んづけたとか、カマキリの卵を見付けたのかもしれない。
しばらくして、両手に薪を抱えて弩が戻ってきた。
だけど、弩のニットには、オナモミとかイノコヅチとかが、たくさん付いている。
「ああ、もう。ほら、じっとしてろよ。取ってやるから」
僕はそう言って、弩のニットに絡み付いたオナモミを取った。
「先輩、あの、くすぐったいです」
弩が体をよじらせて暴れる。
「丁寧に取らないと、ニットがケバケバになっちゃうだろ。我慢しろって」
「はい、分かりました」
「手を少し体から離して、じっとしてて」
「はい」
僕は、弩の前にしゃがみ込んで、絡み付いたオナモミを外した。
「あっ、そこ、駄目です!」
弩が言う。
「弩、変な声を出すな」
「すみません。でもくすぐったくて」
「あっ、先輩、駄目!」
「ほらっ」
「そこは、そこは駄目です!」
弩は、おへその辺りが弱いらしい。
「君達は何をしているんだ」
寄宿舎の外壁の修理をしていた母木先輩が、僕達を見て眉をひそめた。
先輩は、しゃがみ込んで弩のおへその辺りを弄る僕を見て、若干、引いている。
オナモミを取っているだけだと丁寧に説明して、どうにか、事なきを得た。
「先輩、もう焼けましたか?」
弩が訊く。
「うん、もう焼けたな」
僕が答えた。
芋にすっと、火箸が入る。
ちょうどいい、焼き加減だ。
母木先輩に休憩をとってもらって、台所の御厨と、ミシンで縫い物をしていた錦織を呼んで、みんなで、おやつに焼き上がった芋を食べる。
主夫部の焼き芋パーティーだ。
焼き上がった芋は、皮が破れたところから、蜜が出ていた。
ラグビーボールみたいに丸々と太ったのを半分に割ると、中は濃い黄金色だ。
じっくりと焼いたから、中まで火が通っていて、ねっとりと、甘い。
焼いただけなのに、裏ごしして砂糖を加えた「きんとん」みたいな食感と甘さだ。
「おいしいですね」
熱々を頬張って、弩がほっぺたを真っ赤にしながら言った。
「素材がいいから、もう、料理とかいりませんね」
御厨がそう言って笑う。
生徒会の仕事をしていた鬼胡桃会長や、運動部に頼まれて写真を撮っていた萌花ちゃんが帰って来た。
部活の途中でタオルの換えを取りに来た縦走先輩と、レッスンを終えた「Party Make」の三人も出てくる。
「なによ、主夫部だけでおいしそうなもの食べちゃって」
鬼胡桃会長が言った。
「皆さんの分もあります。一緒に食べましょう」
僕が言う。
みんなで焼き芋を頬張る、のんびりとした、秋の午後だ。
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