第102話 サークルモッシュ
黒いスタッフTシャツを着た錦織は、すっかり、「ぱあてぃめいく」チームの一員になっていた。
前から衣装を作っていたし、一ヶ月近く行動を共にしているんだから、当然だろうか。
「これ、みんなのチケット。マネージャーさんから」
錦織がそう言って、封筒に入ったチケットを渡す。
普段、古品さんを始めとする三人が寄宿舎でお世話になっているからと、「ぱあてぃめいく」のマネージャーさんが、僕達全員の分のチケットを手配してくれたらしい。
ありがたく、頂いておく。
「それから、ちょっと萌花ちゃんに提案があるんだけど」
錦織が言った。
「なんですか?」
萌花ちゃんが不思議そうな顔をする。
「『ぱあてぃめいく』のステージ写真を撮る、カメラマンをやってくれないかな?」
錦織が訊いた。
「『ぱあてぃめいく』のスタッフとして、バックステージの様子から、パフォーマンス中の写真まで撮って欲しいんだ。普段はマネージャーさんとか、スタッフの一人が撮ってるんだけど、人手が足りなくて手が回らないらしい」
錦織が言う。
「私、やりたいです!」
萌花ちゃんが声を弾ませて言った。
そして萌花ちゃんは、探るように、母親である河東先生を見る。
やっていい? と、目で訊いているみたいだ。
河東先生は、萌花ちゃんの目を正面から見て、何も言わず、頷いた。
「私、やります!」
萌花ちゃんが言う。
「じゃあ、行こう。みんなは『ぱあてぃめいく』のステージまで、フェスを楽しんで」
錦織が僕達にそう言って、萌花ちゃんを連れていった。
二人はスタッフ用ゲートの方に消える。
入場ゲートは、駐車場からの観客と、最寄り駅からシャトルバスに乗ってきた観客とで、混雑していた。
四つあるステージでは、もう、早い回のバンドの演奏が始まっていて、ドラムの音が響いてくる。
ゲートで、チケットをリストバンドと交換して、手に巻き付けた。
タイムテーブルによると、古品さんの「ぱあてぃめいく」のステージは、午後五時からで、四つのステージの中で二番目に大きい、シーサイドステージでやるらしい。
それまで、各人が会場内で自由行動することになった。
「よし、フードエリアを目指すぞ! とりあえず肉だ!」
ゲートを潜った途端、縦走先輩が、そう言って突進して行く。
「待ってください。僕も行きます!」
御厨が先輩の後を追った。
「さて、私はヒルトップステージに行こうかしら」
鬼胡桃会長が言った。
独り言のようだけど、誰かに聴かせようとしたのか。
「僕も、ヒルトップステージの『フラクタル・エンジン』が見たかった」
母木先輩が言う。
「何よ、真似しないでよね」
「真似じゃない。大体、フラクタルを統子に紹介したのは僕だろう。昔、CD貸してやって」
「あら、きっかけを作っただけじゃない。今は私の方がファンだし」
幼なじみの二人は、聴いてきた音楽も、好みのバンドも同じなのだろう。
趣味趣向が似ているのだ。
「ほら、付いて来ないでったら!」
「付いていくわけじゃない。統子こそ、付いてきたいのか」
「なんですって!」
二人は言い合いをしながら、同じステージに向けて歩いていった。
なんか分からないけど、微笑ましい。
「花園ちゃん、行くよ」
枝折が、花園の手を引いて、二人も目的のステージを目指した。
「枝折、花園、なんかあったら、すぐに連絡するんだぞ」
僕は二人の背中に呼びかける。
「分かってるって、お兄ちゃん。お兄ちゃんこそ、水分ちゃんと補給して、熱中症とか、気をつけてよ」
花園が生意気に言って、人混みの中に消えた。
会場上空には、雲一つない。
日陰も少ないし、花園が言ったように水分をまめにとらないと、倒れそうだ。
「さて、霧島先生、私達は二人で、会場内のパトロールをしましょう」
河東先生が言った。
「えっ?」
ヨハンナ先生が、裏返った声を出す。
「ここにも我が校の生徒や、同じ年頃の高校生がたくさん来ているでしょう。このような、フェスティバルに、なぜ、生徒達が夢中になるのか、それを調査します。さあ、行きましょう」
「は、はい」
ヨハンナ先生は、河東先生に連れて行かれてしまった。
振り返って僕を見た先生が、涙目だ。
先生……なんか、河東先生を呼んじゃってすみません。
みんながそれぞれの場所に行ってしまって、僕と弩が残される。
「二人で、回ろうか?」
僕が言うと、
「はいっ」
弩が少し緊張した返事をして、頷いた。
「どのバンドか、見たいのとかある?」
「いえ、よく分からないので、先輩の好みのところに連れて行ってください」
弩が言う。
僕たちはとりあえず、一番大きなステージ、「グラスフィールド」を目指した。
ステージに近づくにつれて、人が多くなってきたから、離れ離れにならないよう、弩の手を取る。
僕が手を取ったら、弩は少しびっくりしたみたいだったけど、特に抵抗はしなかった。
「フォレストフィールド」は、収容人数一万人の会場だ。
正面に大きなステージがあって、たくさんの照明やスピーカー、大型モニターが左右両側に付いた、ビルのような櫓が組んである。
人の波に乗って歩いていたら、二人で会場の真ん中あたりに来てしまった。会場は、八割方、人で埋まっている。
見渡す全方位が人だ。
でも、この位置からだと、弩の背丈で、ステージが見えない。
「後ろに行こうか?」
僕は言った。
遠いけど、後ろの土手になったところからなら弩でも見えると思って訊いたら、そのときもう、バンドのステージが始まってしまった。「クリスマス・キラー」というパンクバンドだ。
「大丈夫です」
ギターの音に紛れて弩が言う。
ウーハーから流れるキックの低音が、内蔵に響くくらい重い。
後ろからかかってくる圧力に僕は必死になって耐えた。
ステージが見えない中、弩は僕の隣で跳ねながら、腕を突き上げたり、歓声を上げたりしている。周りの背の高い男たちが押してきても、弩は弾き返した。
さすがは弩、幽霊以外にはめっぽう強い。
三曲目の最中のことだ。
押し合いへし合いしていた観客が、ぐるぐると走り回る、サークルモッシュを始めた。
それが僕達のすぐ近くで起こる。
やがて、モッシュが大きくなって、吸い込まれるように、弩が巻き込まれた。
巻き込まれて弩もぐるぐると走り回る。
前や後ろにいた人が回り始めて、僕も同じように動かないといけないような状態になった。群衆の中で、弩が見えたり、見えなくなったりする。
サークルモッシュは、曲が終わるまで五分くらい続いただろうか。
終わった瞬間に手を引いて、モッシュの中から弩を救い出した。
MCの間に、弩と二人で脇に抜ける。
「大丈夫か?」
髪を乱した弩に訊いた。
「はい、洗濯機の中に放り込まれたみたいでした」
目を回した弩が言う。
「でも、楽しかったです!」
もう嫌だって泣き言を言うかと思ったら、弩は案外、楽しんでいた。
とにかく、弩の初めての日本のフェスが変な想い出にならなくて良かった。
水分補給のために、僕たちは一旦、ステージを離れる。
フードエリアの横の、日よけを張ったベンチで休んだ。
「なにか食べようか?」
「はい」
出店しているお店を回って、弩はタコスを選んで、僕は「焼きハム」を選ぶ。
サイコロ状に切った厚切りのハムを幾つか串に刺してある「焼きハム」は、少し塩気が強いけど、汗をかいた体には丁度いい。
飲み物には、二人で梅ジュースを選んだ。
酸っぱさが疲れをとってくれる。
「少し、もらっていいですか?」
弩が訊くから、「いいよ」と言って、食べかけの串を渡した。
「先輩も、私のタコス、囓っていいですよ」
弩が言って、二人で交換する。
弩はハムの一欠片を頬張って、美味しそうに噛みしめた。
「なんですか?」
僕が弩を見ていたら、弩が訊いてくる。
「いや、だってこんなふうに食べかけを分け合って食べるなんて、彼氏彼女みたいだなと思って」
僕が言うと、弩は「ふええ」と言って、急に汗をかきだした。首に掛けたタオルで覆って、顔を隠してしまう。
僕は何か、変なこと言っただろうか。
最後に、凍らせた苺をそのまま削ってかき氷にした「けずりいちご」を食べて、体を冷やしてから、二人でまた、日なたに飛び出す。
真昼の炎天下を避けて、今度はフォレストステージに向かった。
少し離れた木陰の芝生に座って、ステージを見る。
風が出てきて、弩の髪が揺れていた。
こうして木陰にいてじっとしていると、汗が引いて涼しい。
ステージ上の新人女性ヴォーカルの声が、すっと入ってきた。
芝生の上に足を投げ出して座る弩も、気持ちよさそうだ。
木洩れ日が、弩のサックスブルーのワンピースの上で揺れている。
思わず、スマートフォンのレンズを向けて弩を撮ってしまった。
「なんですか?」
弩が訊いてくる。
「いや、なんでもない」
可愛くて思わず撮ってしまった、とか、母木先輩みたいな台詞は言えない。
女性ヴォーカルのステージが終わって、一転、メタルバンド「脳筋ゴリラ」の演奏が始まった。
観客が入れ替わって、最前付近に厳ついお兄さん達が集まってくるのが面白い。
こうして普段、聴かないジャンルの音楽が聴けるのが、フェスの醍醐味かもしれない。
見ていると、「脳筋ゴリラ」のヴォーカルが、観客を指差して執拗に煽った。
すると興奮した観客が、ヴォーカルの煽りに乗って、数人、柵を乗り越えてステージに上がっていく。
「あれ?」
そのうちの一人が、どこかで見た古着のメタルTに、ショートパンツを穿いていた。
その人物はヴォーカルのマイクを奪って、歌い出そうとして、スタッフに止められ、ステージから引きずり降ろされる。
背の高いショートカットの女性で、縦走先輩そっくりだ。
というか、縦走先輩だ。
見なかったことにしよう。
弩と顔を見合わせて、笑いあう。
きっと縦走先輩は、朝から食べ通しで、エネルギーが有り余っていたんだろう。
その後、三組のアーティストのステージを見て、再びフードエリアに寄って、「ぱあてぃめいく」のステージ前に、僕達はみんなと合流した。
みんな、半日遊んで少し疲れた表情だし、汗もいっぱいかいている。女子達の髪もぺったりとしていて、洗い甲斐がありそうな状態だ。
その中でも特に、ヨハンナ先生が疲れて見えた。
河東先生と歩き回って、かなり気を使ったと思われる。
心なしか、金色の髪もくすんで見えた。
これは家に帰ったら、念入りにマッサージしてあげないといけないかもしれない。
「ぱあてぃめいく」のライブが始まるシーサイドステージは、ステージに向かって、潮の香りがする風が吹いていた。
日が傾いて、照明が綺麗に見える時間帯になってくる。
シーサイドステージには、「ぱあてぃめいく」を見ようと、どんどん人が集まってきた。
「入場規制がかかったみたいですよ」
御厨が言う。
シーサイドステージの収容人数は確か五千人だったはずだ。そんなステージで入場規制がかかるなんて、地下アイドルとして、小さなライブハウスも埋められなかった頃を知るものとして、感慨深い。
「ぱあてぃめいく」の後が有名なロックバンドなことを差し引いても、すごいことだ。
前のアーティストのときから後ろで待機していた僕達は、最前は無理だったけど、下手の、前の方の位置を確保することが出来た。
大勢の人で潰されないように、僕は弩の後ろに立って、スペースを作る。
始まる前のステージを見ていたら、最前列の柵の前に、カメラを持った萌花ちゃんが見えた。
萌花ちゃんはカメラ背面の液晶画面で、設定か何かを確認している。
ステージの写真は一発勝負だし、萌花ちゃんの眼差しは真剣そのものだ。
その姿を、河東先生もちゃんと見ていた。
まもなく、イントロが流れて、客から歓声が上がる。
みんなが手を突き上げた。
「ふっきー!」
僕達も、手を突き上げて大声で歓声を送った。
「ぱあてぃめいく」の三人がステージに飛び出してくる。
久しぶりに見た古品さんは、やっぱり、普段の眠たそうな顔の古品さんじゃなくて、笑顔が弾ける、誰もが恋してしまいそうな、アイドルの「ふっきー」だ。
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