第101話 ワサビみかん抹茶

「お久しぶりです」

 早朝、約束の六時少し前に、母木先輩が、我が家にやってきた。

 VネックのTシャツにカーゴパンツの先輩。

 母木先輩は、すっかり日に焼けて、褐色の肌になっている。腕に治りかけの傷があったり、絆創膏が貼ってあって、先輩はこの夏、相当ハードなボランティア活動をしてきたみたいだ。

 なんか、歴戦の勇者みたいで逞しい。


「統子、久しぶり」

 母木先輩が、玄関に出て来た鬼胡桃会長に声をかけた。

 真夏の太陽を跳ね返すような白いシャツに、ギンガムチェックのミニスカートの会長。

「ちょっと、なに見てるのよ」

 鬼胡桃会長が言った。

 母木先輩が、上から下まで、会長をじっくりと見ている。

「いや、統子、ちょっと見ない間に、また綺麗になってるなと思って」

「ば、ば、ば、ば、馬鹿なこと言って……」

 真っ赤になって倒れそうになる鬼胡桃会長を、縦走先輩が支えた。

 母木先輩、会って早々、飛ばしてるな。

 でも、今日はまだ先が長いから、これ以上ここで鬼胡桃会長のHPを削らないでほしい。


「みなさん、お久しぶりです」

 時間に少し遅れて、御厨が歩いて玄関先に来た。

 ボタンダウンのシャツにハーフパンツの御厨。

 御厨は大きなリュックサックを背負って、バスケットを持っていた。

 その中身は、訊かなくても想像がつく。

 サンドイッチかおにぎりか、お弁当の類が入っているに違いない。


「これで、みんな揃ったわね」

 ヨハンナ先生がそう言って、僕達は家を出て玄関先に集まった。

 鬼胡桃会長に縦走先輩、弩に萌花ちゃん、花園に枝折、母木先輩に御厨、そして僕。

 先生が点呼をして、全員いるか確かめた。

 ヨハンナ先生はホワイトデニムにTシャツという何気ない格好をしている。

 サングラスを掛けていて、それがすごく似合っていた。

 ヨットハーバーにでもいそうな、避暑地のセレブ、という雰囲気だ。


「で、塞君。交通手段はどうするの? みんなで乗れる、魔法の乗り物ってなに?」

 先生が訊いた。

「はい、もうすぐ来ますよ」

 僕が答えてまもなく、道路の向こうから、白いハイエースが走って来る。

 六時半、時間通りだ。

 ハイエースは、我が家の前に停まった。

 普通のハイエースではない。普通免許では運転できない、十五人乗りのハイエースコミューターだ。


 そう、これは萌花ちゃんの母親、河東先生の車だ。


「こ、これで行くの?」

 鬼胡桃会長が聞いた。

「そうです。これならみんなで乗れて、楽しくフェス会場まで行けるでしょ? 河東先生にお願いしたら、運転も含めて、快く、引き受けてくださいました」

 僕が言う。


「塞君、あなた、どえらいモノを召還してくれたわね」

 ヨハンナ先生が僕だけに聞こえるよう、小声で言った。

 そして、運転席の河東先生に挨拶に行く。

 ヨハンナ先生は運転席の河東先生にぺこぺこと頭を下げた。

 若手教師の辛いところだ。



「さあ、みんな、乗りなさい」

 運転席から、河東先生が言った。

「わーい」

 花園が枝折と手を繋いで、ハイエースに乗り込む。

 レースのブラウスにキュロットパンツの花園と、デニムシャツにショートパンツの枝折。

 二人に続いて、みんなが次々に車に乗り込んだ。


 萌花ちゃんも後席に乗ろうとしたから、

「萌花ちゃんは、助手席で、フェス会場まで、河東先生のナビをして」

 僕がそう言って止めた。

 萌花ちゃんは夏らしいボーダーのシャツにショートパンツを履いている。

「えっ、だって私、母とは喧嘩して……」

 萌花ちゃんが何か言おうとするから、半ば強引に助手席に押し込んだ。

 そしてドアを閉める。

 萌花ちゃんは不安そうな顔をしていたけど、それ以上、抵抗しなかった。


 ハイエースの後席は、二人掛けの席と一人席が通路で別れていて、最後尾が四人掛けになっている。

 一番前の二人掛けの席に、鬼胡桃会長と、母木先輩が座った。

 その後ろに、縦走先輩と御厨が座る。

 さらにその後ろに花園と枝折が仲良く姉妹で座って、最後尾に並んだ四人席に、僕と弩とヨハンナ先生が座った。

「ほら、塞君は真ん中に座りなさい。私と弩さん、美女に挟まれて光栄でしょ?」

 ヨハンナ先生が言う。


「それでは、出発します」

 河東先生が言って、車が走り出した。

 無理矢理座らせておいてなんだけど、助手席の萌花ちゃんは居心地が悪そうだ。


「なるほど。親子喧嘩してる萌花ちゃんと河東先生を仲直りさせようって魂胆ね。夏休み、家族旅行もしない二人を、一緒に過ごさせようってこと?」

 僕の右隣に座っているヨハンナ先生が、小声で言った。

「ええ、まあ、でもそれだけじゃないですけど」

 交通費も節約できるし、快適に移動できるし。


「河東先生っていえば、主夫部反対の急先鋒なのに、その人まで取り込んじゃうなんて。まったく、あなたって子は……」

 先生が、呆れたような、感心したような顔で僕を見る。

 河東先生にフェス会場までの送迎を頼むのは賭だったけど、僕には先生が車を出してくれる予感があった。

 先生も萌花ちゃんのことを大切に思ってるんだろうし。

 夏の想い出作りたいだろうし。


「でも塞君の、そういうところ、好きだよ」

 先生が言った。

「私も、篠岡先輩のそういうところ、大好きです」

 僕の左隣に座っている弩が言う。

「あ、ありがとう」

 なんか、照れる。

 弩は、セーラーカラーでサックスブルーのワンピースを着ていた。

 夏の少女という感じで可愛い。



 間もなく、僕達のハイエースは、高速道路に乗った。

 まだ、朝早いせいか、道路は空いている。

 視界が晴れて、これから出かけるんだという、わくわくが増してきた。


「ちょっと、あなた、何その待ち受け!」

 前の席で、鬼胡桃会長の声がする。

 鬼胡桃会長が、母木先輩のスマートフォンを見て何か言っていた。

 見ると、母木先輩は、この前、萌花ちゃんが我が家で撮った鬼胡桃会長の水着写真を、自分のスマートフォンの待ち受けにしている。

「萌花ちゃんから送ってもらったんだ。綺麗だし、これを見てるとやる気が出てくる。ボランティアで清掃してる間も、これを見て、元気をもらったんだ」

 母木先輩が平然と言った。

「な、な、な、な、な、な、何を言って……」

 鬼胡桃会長が泡を噴きそうだ。

 まったく、母木先輩は、鬼胡桃会長をどうする気なんだ。


 その後ろの席では、御厨が縦走先輩におにぎりを食べさせていた。

 おかずに、卵焼きとウインナーも用意してある。

 縦走先輩は、古着の僕が知らないメタルバンドのTシャツにショートパンツで、完全なロックフェス仕様だ。

 先輩は二個三個と立て続けにおにぎりを頬張る。

「みなさんも食べますか?」

 御厨が訊いて、みんな首を振った。

 家で朝ご飯を食べてきたばかりだし(もちろん、縦走先輩も食べた)。


 縦走先輩がおにぎりを食べるその後ろでは、花園と枝折が、どのステージを回ろうか、タイムテーブルを見ながら相談していた。

 確か、枝折が好きなスリーピースバンドも出るから、そこを中心に回るんだろう。


「弩は、夏フェスとか、初めてか?」

 僕が訊く。

「はい、初めてです。日本のフェスは」

 弩が言った。

 そうだった。弩はとんでもないお嬢様だった。



 一時間半程走って、休憩にサービスエリアに立ち寄る。


 みんな車から降りて縮こまっていた体を伸ばした。

 空は雲一つない晴天で、今日は暑くなりそうだ。

 トイレを済まして、フードコートを見て回る。


「よし、ソフトクリーム食べようよ。先生おごるよ」

 ヨハンナ先生が言って、みんなにソフトクリームを買ってくれた。

「花園は苺ソフト!」

「私は、ブルーベリー」

 枝折が言う。

 僕は、プレーンなソフトクリームを選んだ。

 みんなで、ベンチに座って味わう。

 さっぱりとした甘さで、美味しい。

「やっぱり、サービスエリアに来たら、ソフトクリームだよね」

 ヨハンナ先生が言った。

 河東先生も、ソフトクリームを食べている。

 白いワイドパンツに紺のブラウスの河東先生。

 当たり前だけど、河東先生もソフトクリーム食べるんだな、なんて考えてしまった。僕の視線に気付いた先生に睨まれる。

「でも、なんでサービスエリアだとソフトクリーム食べたくなるんですかね?」

 萌花ちゃんが訊いた。

「ソフトクリームだけじゃなく、食べまくってる人もいるけどな」

 縦走先輩が、フードコートで買ったフランクフルトとアメリカンドック、肉巻きおにぎりを頬張っている。


 一人だけ、ワサビみかん抹茶という、チャレンジングなフレーバーのご当地ソフトクリームを頼んでいて遅くなった弩が、小走りでこっちに向かってきた。


 と、通路の継ぎ目に躓いて、転びそうになる。


 照明の支柱を掴んで何とか耐えたけれど、持っていたソフトクリームの、アイスクリーム部分が下に落ちた。

 アイスは、排水路のグレーチングの上に落ちて、流れて消える。

「ふええ」

 弩が言った。

 弩はコーン部分だけになったソフトクリームを手に持っている。


「もう、弩さんたら」

 鬼胡桃会長が言った。

「大丈夫? 怪我しなかった?」

「はい、大丈夫です」


 なんか、ドジっ子のテンプレみたいだ。


「ほら、食べかけで良かったら」

 弩が怨めしそうに見ていたから、僕は自分のソフトクリームを差し出す。

「えっ、でも」

「そうだよな、食べかけなんて、いらないよな」

 まだ半分くらい残ってたけど、僕の食べかけなんて受け取るはずないか。

「いえ、頂きます」

 しかし、弩はそう言って、僕の手からソフトクリームを受け取った。

 舌でぺろっとアイスを舐める。

「おいしいです」

 弩が笑顔で言った。

「そうか、良かった。全部食べていいよ」

 ソフトクリームくらいで、そんなふうに弾けるような笑顔を見せるから、弩のこと、構いたくなるし、ときに悪戯して、ちょっかい出してしまうんだ。


「塞君、先生トイレに行って来るから、これ持ってて。溶けるから、食べちゃっていいよ」

 ヨハンナ先生がそう言って、自分が食べていたソフトクリームを僕に渡した。

 まだ、半分以上、残っている。

 コーンの端に、先生の口紅の赤が少し付いていた。

「漏れちゃう、漏れちゃう」

 先生はそう言って小走りでトイレに行った。


 先生……


 ありがたく、先生のソフトクリームをもらう。

 さっきと同じプレーンのソフトクリームなのに、甘さが増したような気がする。

 たぶん、僕が今まで食べた中で、一番美味しいソフトクリームだったと思う。



 車に戻って、一時間走って、高速を降りた。

 フェスの会場まで、さらに一時間ほど、下道を行く。


 ハイエースの中で、鬼胡桃会長と母木先輩は仲良く喧嘩してるし、縦走先輩は御厨のサンドイッチを食べている。花園は枝折から、バンドの講釈を受けていた。

 萌花ちゃんと河東先生に会話はないけれど、萌花ちゃんが先生にペットボトルの水を渡したり、口寂しそうな先生にあめ玉を渡したりしている。

 仲直りするのも、時間の問題だろう。


 僕はといえば、眠ってしまったヨハンナ先生と弩に、両側から寄りかかられている。

 二人とも、僕の腕を掴んで、頭をもたれかけていた。

 二人を起こさないように、僕はじっとしている。

 こんなに窮屈な体勢だけど、全然、辛くない。


 そんなふうに、賑やかなハイエースは走った。


 フェス会場に着くと、駐車場で、「ぱあてぃめいく」のスタッフTシャツを着た錦織が、僕達を見つけて手を振る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る