第8章
第89話 夏よさらば
主夫部を立ち上げて、初めての夏休みが来る。
去年の、何もなかった退屈な夏休みと違って、今年の僕には主夫部の仲間がいる。
そして、寄宿舎の女子達がいる。
海へ、山へ、みんなで出掛けよう。
主夫部の合宿と称して、田舎の民宿にみんなで泊まる。
昼間は海で泳いだり、山に登ったりする。
夕食はバーベキューだ。
地元の夏祭りや盆踊りにも行きたい。
そのとき、寄宿舎の女子達が着るのは浴衣だ。
もちろん、その浴衣を縫うのは、僕達だ。
祭では、屋台のりんご飴を食べたり、チョコバナナを食べたり、かき氷で頭がキーンとしたり。
射的や金魚すくいもやる。
弩とかが、金魚すくいで隠れた才能を発揮しそうな気がする。
お祭りの後には、もちろん肝試しだ。
女子と男子が一人ずつペアになって、古いお寺の境内を歩く。
突然、草むらがガサガサと動いて、女子が僕達にすがりついてくる。
あるいは、僕達が女子にすがりつくかもしれない。
そして最後は、花火で締める。
打ち上げ花火の導火線の火が途中で消えて、ドキドキしながら見に行ったり、ロケット花火で撃ち合いをしたり、散々騒いだあとは、みんなで線香花火の儚い炎を見詰める。
そうやって、毎日、みんなで全力で遊ぶ。
宿題なんて、ほったらかしにしておけばいい。
最後の二、三日で、みんなで協力して片付ければいいだけの話だ。
リア充の夏休み。
今年こそと、それを夢見ていた。
しかし……
「夏休み? 私は実家に戻るわよ。一応、私も受験生だし、予備校の夏期講習とかにも通うし。まあ、志望大学は余裕のA判定で、私が大学受験に落ちる可能性なんて、万に一つもないのだけれど」
鬼胡桃会長が言った。
「僕は夏休みは今年も、日本中を旅しながら、ボランティアに参加して清掃をするつもりだ。普段出来ないような掃除をやれて、勉強になるし、なにしろ楽しいからな」
母木先輩が寄宿舎の廊下の床掃除をしながら言う。
「私は、夏は合宿だ。この前の大会で良い成績を収めたことで、大学のトライアスロン部の監督に声を掛けてもらったんだ。大学のトライアスロン部の合宿に参加させてもらうことになって、わくわくしている。大学生の皆さんの足を引っ張らないためにも、鍛えておかないとな」
10㎞のランニングの後で、縦走先輩はそう言って、もう一度ランニングに出かけた。
「嬉しいことに、『ぱあてぃめいく』は夏休みの間、週末ごとに夏フェスとか、イベントに呼ばれてるし、その間にライブもあるから、寄宿舎に帰ってる暇はないかな。全国を飛び回ることになりそう」
ほしみかとな~なと一緒に、レッスン中の古品さんが言う。
「僕は、古品さんを追いかけて全国を回るよ。衣装を直したり、洗濯したりしないといけないし、なにしろ、『ぱあてぃめいく』のファンとしては、全部のイベントとかライブとか、見ておきたいからな。これがインディーズ時代の『ぱあてぃめいく』最後の夏だしな」
錦織が新曲の衣装を作りながら言った。
「先輩すみません。僕は毎年、夏のバカンスは母とモルディブのリゾートで過ごしてまして、今年もそっちに行くことになります。海外旅行とか、僕は別にいいんですけど、母が、あのとおりの、僕がいないと何も出来ないような人なので……」
台所でピクルスを漬けるためにガラス瓶を煮沸していた御厨が言う。
「私も家に帰ります。夏休みの間は家事をする時間も取れるし。いえ、別に私は帰らなくてもいいんですけど、家に手伝いに来てくれてるバレー部の人達も、夏休みくらいは母の家事から解放してあげたいし。ホントに、私は別に帰らなくていいんです。母が心配とか、そんなんじゃ全然、ないです」
ブロアーでカメラレンズの掃除をしながら、萌花ちゃんが言った。
みんな、夏休みの間は、寄宿舎からいなくなってしまうようだ。
でも、まあいい。
ヨハンナ先生と弩が残るだろう。
この二人のための家事は、僕がする。
みんながいない分、二人には徹底的に家事をしてやる。
枝折と花園を呼んで、みんなで過ごしたっていい。
寄宿舎は避暑地の別荘みたいだし、連休のときみたいに、みんなでバーベキューすればいいし。
「ヨハンナ先生は、残りますよね。夏休みっていったって、先生達は全部休みになるわけじゃなくて、学校に来るんだし」
僕は訊いた。
「うん、そうだけど、みんなが寄宿舎にいないのに私だけ残ったら、冷房の電気代だとか、お風呂のお湯とか、色々勿体ないし、夏休みの間は他から通おうかなと思って」
ヨハンナ先生が言う。
「他ってどこですか?」
当然、僕は訊いた。
先生は確か、以前住んでいたマンションを引き払ったはずだ。
引き払って、寄宿舎に住居を完全に移している。
「まあ、それはちょっと……ねっ」
ヨハンナ先生はそう言って、ウインクした。
行き先を言わずに誤魔化す。
まさか、男?
そんな、ヨハンナ先生に男の影なんてなかったのに……
それは、ヨハンナ先生は美人だし、スタイルいいし、教師という職も持ってるし、周囲の人が放っておかないだろうけど(中身が中年男性だとしても)。
「弩は? 弩は実家に帰るのか? もちろん、残るんだよな?」
最後の砦、弩に訊いた。
「実家に帰っても、母も父も仕事でいないし、ここにいてもいいんですけど……」
弩は僕に迫られて、少したじろいだ様子で答えた。
「うんうん」
「知り合いの子に、家に来ない? って誘われてて、そっちで過ごそうかなって。ヨハンナ先生が言うとおり、私一人だけ残るのに、寄宿舎を開けておくのは勿体ないし、一人でいるのは寂しいし……」
「なんだったら、夏休みの間は僕がここに来て、一緒に住んでやってもいいぞ。一日中、しつこいってほど、弩の世話をするから。マンツーマンでな」
僕がそう言うと、弩は顔を真っ赤にして、「ふええ」と言いながら、信じられない速さでどこかに走り去ってしまった。
僕は何か、まずいことを言っただろうか?
結局、夏休みの間、寄宿生は全員、寄宿舎からいなくなるし、主夫部部員もみんなどこかに出かけるようだ。
僕一人を除いて。
一学期の終業式が終わって、みんなで寄宿舎の掃除をした。
僕はしばらく使わないみんなのセーラー服を洗って、丁寧にアイロンをかける。
スカートのプリーツ一つ一つに、指が切れるくらいにぴっちりとなるようにアイロンをかけた。
このみんなのセーラー服を、しばらく洗濯出来ないと思うと、少し寂しい。
最後に、合宿に出るという縦走先輩に頼まれて、Tシャツやトレーニングウエア、水着や下着などを見繕って、荷造りを手伝った。
「それじゃあ、また、登校日に」
ヨハンナ先生がそう言って、寄宿舎の玄関に鍵を掛ける。
「みんな、また元気でここに戻って来てね」
先生が言った。
林の獣道を抜けて、僕達は別れる。
なんだ、これじゃあ去年と同じ夏休みじゃないか。
去年みたいに、家で悶々としている夏休みになってしまう。
帰りの電車に揺られながら、僕は考える。
そうだ、こうなったらバイトに明け暮れて、お金を稼ごう。
寂しさを忘れるくらいに働こう。
稼いだお金で、新しい洗濯機とか、アイロンとか、買える。
海外通販で、日本では売っていない洗剤とか買ってやる。
休み明けにレベルアップした僕の洗濯力でみんなを驚かせよう。
みんなが嗅いだことがないような香りの柔軟剤で、差をつけてやる。
つり革に掴まりながら、スマートフォンで近所のアルバイトの求人を探した。
目に留まったクリーニング店のバイト募集の要項を頼りに、実際に店を見に行く。
クリーニング店なら、洗濯の新しいテクニックとか、学べるかもしれない。
汚れがよく落ちるプロ用の洗剤の入手先とか、知ることが出来るかもしれない。
目ぼしい所を数件回って、店員さんや、お客さんの様子を見ておく。
ブラックバイトだけは避けなければならない。
そんなことをしていたら、すっかり夕方になってしまった。
僕は急いで、家に帰る。
枝折と花園が、お腹を空かせているだろう。
僕は主夫部部員である前に、篠岡家の主夫だった。
玄関のドアを開いて、靴を脱いだときだ。
玄関に家人の物ではない靴が、二つあるのに気付いた。
黒いパンプスと、ブラウンのローファーだ。
枝折や花園の友達でも来ているのだろうか。
「ただいま」
僕はそう言って、明かりのついているリビングに入った。
するとリビングのソファーで、ヨハンナ先生が寝ている。
いつも寄宿舎にいるときの、スリップ一枚の格好で、だらしなく大股を開いて、寝っ転がって、スマートフォンをいじっている。
「ああ、お帰り」
僕を見て、ヨハンナ先生が言った。
「ちょっと篠岡君、お腹、すいたんだけど」
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