第6章
第68話 嵐が来る
「篠岡君、この前はありがとう」
「篠岡君、またシャンプーしてね」
「篠岡先輩って、彼女とか、いるんですか?」
文化祭が終わってからというもの、廊下を歩いていると、先輩や同級生、下級生の女子からそんなふうに声を掛けられる。
みんな、あのとき僕のヘッドスパに来てくれた女子達だ。
文化祭期間中は百人に届きそうなくらいの女子をシャンプーしてマッサージしたから、すれ違う女子にこんなふうに声を掛けられるのも当然なんだろうか?
それとも、人生に一度来るというモテ期が、僕にも来たってことか。
でも、思い上がってはいけない。
主夫部なんて立ち上げて、変なことをしている人達と思われてたのが、やっと普通の男子高校生として、見てもらえるようになったってだけのことかもしれないし。
不良少年がちょっと良いことをしただけで、好青年に見えてしまうのと同じことで、僕達は奇人変人の類だったのが、ちょっと女子受けの良いことをしたら、良い奴に見えてしまっただけのことかもしれない。
正直言うと、すごく嬉しいけど。
でも、これだけ主夫部が目立ってしまったのは、少し心配でもある。
僕達主夫部のことをよく思っていない勢力。
特に河東先生達は、忌々しく思っているに違いないのだ。
文化祭の結果を、腹に据えかねているだろう。
この先、何かないといいけれど。
「篠岡君、これから部活? 頑張ってね」
擦れ違いざまに同級生の増岡さんに言われた。
校内でも、一二を争う人気者の彼女だ。
彼女は周囲に笑顔と良い香りを振りまいて歩いていく。
多分、この香りは、レノアハピネスのプリンセスパール&ドリームだ。
って、同級生の制服の柔軟剤を分析してる場合じゃない。
僕は急いで部室に向かう。
「遅れてすみません」
部室には、もうみんな集まっていた。
部員は中央のテーブルに、ヨハンナ先生は壁際のソファーに座っている。
いつものように、御厨のスイーツで、家事の前の優雅なお茶の時間を過ごしていた。
今日のスイーツは、ほうじ茶のパンナコッタだ。
部屋に入った途端、甘く香ばしい匂いが、部室中に広がっていた。
生クリームたっぷりのパンナコッタも、ほうじ茶のおかげでさっぱりと食べられる。
校内でも、ここは相変わらずゆっくりとした時間が流れていた。
変わったことといえば、部室のチェストの上に、後夜祭でもらったトロフィーが、誇らしげに飾ってあることだ。
トロフィーは母木先輩がピカピカに磨いたから、もらったときよりも輝いている。
「おかわり!」
ヨハンナ先生がおやつのおかわりを要求して、御厨が困り顔でその要求に応えた。
ソファーでパンナコッタに
先生がここに逃げ込んでるってことは、職員室での先生への風当たりが、より厳しくなってるってことだろう。
先日の古品さんのことといい、主夫部のことといい、気苦労が絶えないんだろう。
それについては本当に申し訳ない。
だから、先生がパンナコッタの皿をすでに五枚重ねていて、六枚目にスプーンを入れているのも、許してあげようと思う。
「あのあの、ちょっといいですか?」
弩が突然、手を挙げた。
「なんだ? 弩」
母木先輩が訊く。
「同級生の子に相談されたことがあるんですけど、議題に上げていいでしょうか?」
文化祭の責任者を堂々とこなしたからだろうか、なんだか弩は前よりちょっと大人っぽくなったような気がする。ちょっとだけ。
「もちろん。構わないさ」
母木先輩に許可をもらうと、弩は頷いて話し始めた。
「同級生の
弩にも、玲奈ちゃんと桃子ちゃん以外の友達が出来たのか。
それは素晴らしい。
「萌花ちゃんは写真家志望の子で、いつもカメラを持っていて、私達の写真を撮ってくれます。萌花ちゃんの撮った写真はすごく綺麗だし、面白いです」
弩はそう言って、撮ってもらったという、スマートフォンの待ち受けを見せた。
弩が真ん中で、玲奈ちゃんと桃子ちゃん、三人が頬を寄せ合った写真だった。
顔にピントが合っていて、前後が綺麗にぼけているから、ちゃんとした一眼レフカメラで撮ったのかもしれない。
「それで、来週、萌花ちゃんが大好きで尊敬している写真家さんが、この近くでワークショップを開くんだそうです。尊敬する写真家さんが、この街に来てくれるんだって、萌花ちゃんは興奮してました。ワークショップの期間は一週間、放課後の時間にあるそうなんですが、萌花ちゃんはそれにすごく行きたいみたいなんです」
「行けばいいじゃないか。そんなチャンスは滅多にないだろうし」
僕が言う。
「もしかしたら、親が反対してるとか? 写真家になるなんて、夢みたいなこと言うな、って」
錦織が訊いた。
あり得る話だ。
「はい、それもあるんですが、萌花ちゃんは、お母さんと二人暮らしをしてるんです。お母さんが仕事をしているので、平日の家事は萌花ちゃんが担当しています。放課後に、掃除と、洗濯と、夕御飯の支度をするそうです」
なるほど、僕や御厨と同じように、学校に通いながら家事をこなしているのか。
「それで、一週間だけ、自分の代わりに主夫部に家事を頼めないかって、相談されたんです。図々しいお願いだけど、今しかチャンスがないので、頼めないかって。それが終わったら、記念写真でもなんでも、主夫部の皆さんに恩返ししますからって」
「いいじゃないか。僕達は毎日寄宿舎で家事をしているが、寄宿舎は特殊な環境だ。実際の家庭に入って、そこで僕達の家事を試せるなら、そんな良い機会はないと思う。それに、夢を持って進む女子を応援するのは、僕達主夫部の本懐だ。受けようじゃないか」
母木先輩が言って、僕達を見渡す。
男子部員、全員に異論はないから、みんなが頷いた。
主夫部が文化祭で活躍したことで、こんな依頼が舞い込むようになったんだろう。
頼りにされるようになったのかもしれない。
徹夜とか、色々ときついこともあったけど、やっぱり、文化祭を頑張って良かったって、改めて思う。
「でも、あの……本当に受けていいのかどうか………分からなくて……」
自分から話を持ち込んだくせに、なんだか弩が言いにくそうにしている。
なにか問題でもあるのか?
この依頼に、特に問題はないように思えるけど。
「その、その萌花ちゃんの名字、河東っていうんです。河東萌花ちゃんです」
弩が言って、ヨハンナ先生が握っていたスプーンを落とした。
スプーンはテーブルでバウンドして、床に落ちる。
床の上でくるくると回った。
うわんうわんと、スプーンは奇妙な音を発する。
「そうです。その萌花ちゃんは、河東先生の娘さんなんです」
弩が言った。
僕達主夫部を目の
三年生の学年主任で、バレー部顧問の強面。
弩が依頼を受けた萌花ちゃんは、その娘さんらしい。
娘が写真家になることを反対している河東先生の意に背いて、萌花ちゃんをワークショップに行かせ、なおかつ、その家に踏み込んで、僕達が家事をする。
それはもう、嵐の予感しかしなかった。
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