第67話 後夜祭

 校庭の真ん中で、丸太で組んだき火の炎が、真っ黒な空に向かって伸びている。

 パチパチと火の粉が舞って、オレンジ色の紙吹雪を散らしたみたいだ。


 文化祭に参加した生徒達が、焚き火を囲むようにブルーシートの上に座っている。

 校庭に大きな輪を作っていた。


 炎を見詰めながら、そこにはゆったりとした空気が流れている。

 みんなそれぞれ、何かを成し遂げた満足感でいっぱいだった。

 二週間、徹夜に徹夜を重ねてきたような生徒も、なんとか生き延びている。

 ブルーシートの上で横になって、半分夢の中だけど。


 新設の部活である主夫部も、この輪の中に加わった。

 野球部やサッカー部など、名立たる部活や団体に交じって、控えめに座っている。

 結局、売上の入った袋は、御厨の母親、天方リタが預かってくれるということで、弩も安心して後夜祭に参加した。


 輪になって座った僕達の反対側に、二匹の黒ウサギが座っている。

 あのウサギは文化祭の準備期間に何度か見掛けたけど、どこの部のウサギなんだろう?



 しばらくして、校庭の朝礼台のステージに、文化祭実行委員が上った。

「それでは、これより、後夜祭を始めます」

 この後夜祭の司会をする、実行委員の三年生女子だ。


「まずは今回の文化祭の、最優秀展示賞を発表します」

 最優秀展示賞は、入場時に配られるアンケート用紙の集計結果によって決まる。

 賞金とかはないけど、それまでの部活動の成果や、二週間の努力が認められるという、名誉をもらえるのだ。


「アンケートを集計した結果、今年の最優秀展示賞は、ぶっちぎりで主夫部の『寄宿舎アミューズメントパーク』です!」

 司会の女子生徒が声を張り上げる。


 一拍置いて、輪の中から、拍手が沸き起こった。


 文化祭前には事件もあったし、忙しすぎて、賞がどうとか、そこまで考えが及んでなかった。それは、僕以外の部員も同じようで、喜んでいいのか、どう反応したらいいのか、分からなくて戸惑う。


 みんなが温かい拍手を僕達に向けてくれているのがなんだか照れくさいし、申し訳なくて、複雑な気持ちだ。


「それでは、主夫部の代表者はステージに上がってください」

 司会に促された。


「弩、君が行け」

 母木先輩が言う。

「でも、母木先輩が……」

「責任者をとして仕切ったのは君だ。代表者として、君が賞を受け取るのがふさわしい」

 母木先輩が言って、弩が立ち上がる。

 カフェの制服のベストが、今の弩にはとても似合っていた。


 弩がステージ上で、トロフィーと賞状を受け取る。

 ぺこりと頭を下げて、逃げるように僕達の元に戻って来た。


 アミューズメントパークのマネージャーとして、あれだけ堂々と仕切ってたのに、今はみんなからの視線を恥ずかしがって、小さくなっているのが面白い。


 とにかく、このトロフィーと賞状は、主夫部の勲章として、部室に堂々と飾られるだろう。



「それでは、只今から、皆さんお待ちかね、大演芸大会を始めます!」

 司会が声高に宣言した。

 さっきまでと声のトーンが全然違う。


 そこからはもう、芸とは呼べないような生徒達の出し物が延々と続いた。

 普段なら悪ふざけとしか思えないような一発芸が、妙に面白く感じる。

 筋のない演劇に、妙に見入ってしまう。

 眠っていないせいもあるんだろう。

 炎の周りに集まってるせいもあるんだろう。


 僕達はただのカラオケ大会みたいな下手な歌に、みんなで手拍子をして、みんなで声を揃えて歌った。


 今はそれが楽しくてたまらなかった。


 ゆるいカラオケ大会がしばらく続いたあと、

「僕、告白します!」

 一人の生徒が輪の中から手を挙げた。

 丸刈りの一年生の男子生徒だから、サッカー部員かもしれない。


 盛り上がって来た。


 これを待っていたとばかりに、みんなが歓声を上げる。

 盛り上がりも最高潮に達した。

 心なしか、炎の勢いも強くなったような気がする。


 一年生は勢いよく朝礼台のステージに上がって、司会からマイクを奪った。

 何を言い出すのかと思ったら、

「鬼胡桃会長、好きです! 付き合ってください!」

 なんという、命知らずな奴だろう。

 高度三万メートルから、パラシュートなしで飛び降りるような奴だ。

 あるいは、米軍の第七艦隊にゴムボートで挑むような奴だ。


 この暴挙には、盛り上がっていた生徒達も、一瞬凍り付いた。


 指名された鬼胡桃会長が、ゆっくりとステージに上がる。

 ステージの上で腕組みで構えた。

 告白した者とされた者、両者が狭いステージの上で対峙する。

 おおお、と歓声が上がった。

 焚き火のオレンジに照らされるボルドーのワンピースは、妖しく赤い。


 告白した本人は真面目かもしれないけれど、端から見れば、大魔女の前に差し出された子羊のようにしか見えない。


「私に告白するなんて、百万年早いわ」

 マイクを持つなり、鬼胡桃会長は蔑むような視線でそう言った。

 それだけで勇気ある青年は、一瞬で石になった。


「私と付き合いたいなら、最低でも掃除、洗濯、料理が出来ないと話にならないわね。それが完璧に出来て初めて、私と付き合うことを妄想するのを許可してあげるわ。それが出来て初めて、私との未来を想像の中で思い描いてもいいわ。それが出来ない人は、私と付き合うどころか、恋愛対象としてはロボットのペッパー君くらいの立場でしかないわ」

 酷い、人間として見てくれないのか。


 でも、掃除、洗濯、料理が出来ることって条件なら、もしかして、主夫部部員にはワンチャンあるってことか。



「出直してきます……」

 命知らずの若者は、か細い声でどうにか言葉を発して、すごすごとステージを降りた。

「まあ、せいぜい、がんばることね」

 鬼胡桃会長の最後のその言葉で、少しだけ救われたかもしれない。

 一ミクロンくらいだけど。



 その後も、ゆるい後夜祭は続いた。

 例年、焚き火の炎が消えて、真っ暗になっても続くそうだから、このままでは朝まで終わらないかもしれない。

 後夜祭には教師がタッチしないだけに、どこまでも自由だ。


 その自由も、もう少しで終わってしまうけど。



 僕達主夫部は、午前零時を回ったところで、切り上げた。

 寄宿舎に帰ると、食堂でヨハンナ先生が酔いつぶれて、床の上で倒れている。

 ヨハンナ先生に付き合っていた天方リタも、テーブルに突っ伏していた。

 ビールの缶が無数に散乱していて、ワインの瓶が六本、空いている。


「先生、先生!」

 声を掛けたら、「う~ん」と悩ましげな声が聞こえたから、生きてはいるみたいだ。


 先生はものすごく酒臭い。

 ヨハンナ先生がこんなふうに正体をなくす姿を見るのは初めてだけど、不快な感じはなかった。

 職員室で闘ってきたヨハンナ先生には、相当なストレスがかかってたんだろう。

 むしろ、この寄宿舎=家で、こんなふうに無防備に全てを晒してくれることが、嬉しかった。


「将来、僕達はこうして酒に酔って帰ってくる妻を介抱することもあるだろう。ここは先生を介抱して、練習させてもらおうじゃないか」

 母木先輩が言う。


 先輩は、学ぶことにどこまで貪欲なんだ。


 天方リタは、息子である御厨が肩を抱いて、間借りする部屋に戻って行った。

 ヨハンナ先生は、母木先輩と僕で両側から肩を貸して、先生の部屋のベッドまで運ぶ。


 僕が先生を寝かせてベッドから離れようとすると、

「行かないで」

 と言って先生に抱きしめられた。

 酔ってるからだろうけれど、息ができないほど強く抱きしめられる。

「先生、安心してください。僕はどこにも行きません」

 どうにか先生の腕を解いて、抱かれていた胸から逃れた。

 錦織が水を入れたポットとコップを持ってくる。

 ヨハンナ先生はごくごくと喉を鳴らして水を飲んだ。


 そういえば、先生に恋人はいるんだろうか(いないと思うけど)。

 先生の恋愛事情はどうなっているんだろう。


 ヨハンナ先生がおもむろに服を脱ごうとするから、弩に部屋を追い出された。

「見ちゃダメです!」

 着替えは弩に任せよう。

 実際の夫婦なら、妻の服を脱がせて着替えさせるんだから、その実習もしたかったけど。




 翌朝、天方リタは御厨と共に、マンションに帰った。

 学校がある花園と枝折は、ここから通学して、帰りはそのまま家に帰る。

 「ぱあてぃめいく」は打ち合わせがあるとかで、朝早くマネージャーが迎えに来て行ってしまった。


 寄宿舎はいつもの寄宿舎に戻った。

 文化祭が、祭が終わってしまったんだと実感する。

 林の中にひっそりと建っている寄宿舎だから、寂しさもひとしおだ。



 二日酔いのヨハンナ先生は、昨日のことを全く覚えていなかった。

 僕を胸に抱いて、もう少しで窒息死させるところだったことも。


「頭痛いー、もう絶対お酒飲まない」

 先生は絶対に無理なことを言っている。

 そして、自分と同い年で、とっておきのワインを、いつの間にか空けていたことに気付いて、落ち込んでいた。


 パタパタとはたきの音が聞こえて、母木先輩は朝からさっそく掃除にとりかかっている。

 もう、日常に戻っていた。

 いや、先輩は無理に日常に戻して、お祭り気分から抜け出そうとしてるのかもしれない。



 僕は自然とランドリールームに行く。

 そこには、ここ二日間の洗濯物や、カフェの制服など、洗濯物が山のように積み上げてあった。

 ランドリールームは、洗濯物が発するむせ返るほどの女子達の香りで満ちている。


 腕が鳴るというものだ。


 この振り替え休日、僕は何回洗濯機を回すことになるんだろう。

 一日中、洗濯をして過ごせるなんて、僕はなんて幸せなんだろう。


 そして僕は、明日からの日常に向けて、セーラー服にアイロンをかけるのだ。

 彼女達の戦闘服ともいうべき制服を、パリパリに仕上げるのだ。




 僕達主夫部の初めての文化祭は、こんなふうに終わった。

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