第66話 精算
主夫部のアミューズメントパーク、二日目の営業が終わった。
僕が担当するヘッドスパの、最後のお客さんは古品さんだ。
ステージを終えた「ぱあてぃめいく」がお忍びで寄宿舎に戻ってきて、お風呂で汗を流したあと、ほしみか、な~なの順でシャンプー台について、最後に古品さんが座った。
バスローブの古品さんは、シャンプー台で目を瞑って、僕に身を任せている。
いや、頭を任せている、というべきか。
「とうとう、言っちゃいましたね」
髪を洗いながら僕が言うと、古品さんは目を瞑ったまま微笑んだ。
アイドルらしい、こっちまで幸せになる笑顔だ。
「うん、すっきりしたよ。これで退学とかになっても、もう、しょうがない。留年してるし、学校にはたっぷり通ったしね」
古品さんは、さっぱりとした様子で言った。
「これから『ぱあてぃめいく』の活動一本でいくんですか?」
「そうだね。メジャーデビューは来年の春だから、それまでは今までの活動とか、デビューに向けたレッスンとか、あとはバイトでもしようかな。メジャーデビューしても、すぐに食べられるようになるか分からないし」
古品さんはそう言って、目を瞑ったまま、あくびをする。
「痒いところありますか?」
僕が訊くと、
「太股のあたりが痒いかな」
古品さんが言った。
古品さんのバスローブから、生足が覗いている。
「太股ですね、ホントに
「あはは、下級生の男子からかうと面白い」
酷い、
僕は仕返しに古品さんをこのまま眠らせてしまおうと、指先まで神経を研ぎ澄ませてマッサージする。
すると、古品さんから、すっと力が抜けた。
文化祭が終わった脱力感と喪失感で、寄宿舎にはまったりとした空気が流れている。
食堂の方から、チャリンチャリンと、硬貨の音が聞こえてきた。
弩がお金の精算をしているようだ。
台所からは御厨と錦織が、片付けと夕飯の準備をしている音が聞こえる。
さっき縦走先輩が「お腹減った」と言いながら歩いて行ったから、今頃、台所でつまみ食いをしているのかもしれない。
母木先輩は、さっそく廊下のモップ掛けをしていた。
先輩は、この二日間の汚れを落とすために、明日の振り替え休日は全館大掃除だと言っている。
珍しいのは、もう一本のモップを持って、鬼胡桃会長が母木先輩の掃除を手伝ってることだ。
「べ、べつに手伝ってるわけじゃないんだからね! 汚い寄宿舎を歩くのが、嫌なだけだから!」
会長は誰に訊かれたわけではないのに、何度もそう言っている。
花園はさっきから天方リタにまとわりついて甘えていた。
枝折は部屋で参考書でも読んでいるのかもしれない。
まもなく、古品さんは僕の手の中で眠ってしまった。
アイドルらしい、口角を上げたままの可愛らしい口元で、寝息を立てている。
このとき僕は、将来、全世界を叉に掛けることになるアイドルの髪を洗っていたことを、知るよしもなかった………って、なったらいいけど、それはないか。
そして、午後六時を過ぎたところで、この寄宿舎の住人、最後の一人が帰ってきた。
緊急招集された職員会議が終わった、ヨハンナ先生だ。
寄宿生と主夫部、みんなで玄関に先生を迎える。
花園と枝折に、天方リタもいた。
ほしみかと、な~なもいる。
ヨハンナ先生が靴を脱いだ。
みんなで先生の発言を待った。
「控えめに表現して、死ぬほど怒られたよ」
先生が言う。
「寄宿舎の管理人をしているあなたが、古品さんの活動に気付かなかったんですか? って、袋叩きでね」
先生が笑顔で言った。
笑顔の分だけ恐ろしい。
多分、他の教師陣から、拷問の如き追及を受けたんだろう。
ヨハンナ先生は、見るからにぐったりとしていた。
いつもサラサラの金色の髪が、べとついている。
もしかしたら、他の教師達から叱責されて、唾を飛ばされたのかもしれない。
可哀想なヨハンナ先生。
今すぐに髪を洗ってあげたくなる。
「で、どうなったんですか?」
母木先輩が訊いた。
「古品さんの処分どうなりました?」
重ねて鬼胡桃会長が訊く。
「それね。卒業まで、今まで通りに通学していいことになったよ。メジャーデビューするまで、常識の範囲内で『ぱあてぃめいく』の活動も続けていいってさ」
ヨハンナ先生が言った。
「本当ですか?」
僕が訊く。
もし本当だとしたら、全面的勝利じゃないか。
「本当だよ、この霧島ヨハンナ、生徒のために体を張って勝ち取ったよ。まあ、ひたすら謝っただけなんだけど」
「ぱあてぃめいく」の三人が、抱き合って喜ぶ。
目に涙を溜めて、歓喜の声を上げた。
アイドルの歓声だけあって、2オクターブくらい高い。
僕達もみんなでハイタッチした。
主夫部と寄宿生が入り乱れて喜び合う。
僕は思わず隣にいた弩を抱きしめてしまった。
弩は「ふええ」と言う。
疲れ切っている先生を僕達が支えて、玄関から食堂に移動した。
御厨が用意した氷水を、ヨハンナ先生は立て続けに三杯も飲んでしまう。
先生は食堂の椅子の背もたれに、深く体を預けた。
「校則違反の芸能活動だけど、インディーズの活動だから部活なんかと一緒だってことで、学校側も折り合いをつけたみたい。まあ、全校生徒とカメラで撮影されている前であんな発表をして、それで退学処分なんかしたら、学校が悪者になるもの。古品さんがあのスピーチで学校に対する感謝とか、学校のすばらしさとか口にしてたし、私が何か言わなくても、重い処分は科せられなかったのかもしれないけどね」
先生は四杯目の水を断って、ビールを要求した。
普段、寄宿生の前では飲まないようにしている先生も、今日は我慢できないらしい。
「で、古品さん、それと鬼胡桃さんもこの件に一枚噛んでるわね。説明してもらうわよ」
ビールのプルトップを開けて、ヨハンナ先生が言った。
職員室で闘ってきたヨハンナ先生には、当然、訊く権利があると思う。
分かりましたと言って、古品さんが説明を始めた。
バスローブのままの古品さんの髪は、まだ濡れている。
「今朝、楽屋で鬼胡桃さんにメイクをしてもらうところで、所属してる事務所からマネージャーに電話があったんです。私達をメジャーデビューさせることに決まったって、電話がありました。それで、私が鬼胡桃さんにこのままでいいって言ったんです。偽装のメイクをしないで、このままの私でステージに立ちますって。退学になっても、構いませんからって」
古品さんはその時点で覚悟を決めていたのだろう。
「メジャーデビューが決まったっていう発表をするし、別人みたいなメイクでファンの前に立つのは、違うかなって思ったんです。ずっと私達を支えてくれている人達に、嘘はつけないって」
「学校のことを妙に持ち上げるような発言、あれは鬼胡桃さんの入れ知恵ね?」
ヨハンナ先生が、今度は鬼胡桃会長に訊く。
「はい、先生達は何よりも体裁を重んじるものだから、そこを
鬼胡桃会長が言う。
会長は偽装のメイクをする代わりに、古品さんのスピーチに、少し手を加えたらしい。
「でも、みんなに対して言った部分は本心です。ここにいるみんなに支えられて、デビューできる、それは本当です」
古品さんが言った。
そして、ほしみかも、な~なも頷く。
「本当にすみませんでした。そして、ありがとうございました」
三人がヨハンナ先生に頭を下げた。
先生は、まあまあと頭を上げさせて、缶ビールを一息で飲み干す。
「職員会議で私一人、吊し上げにあってたんだけど、途中から吉岡先生が味方してくれて、助かったよ。視聴覚室のぼやを黙っていてくれた件といい、あの先生にも感謝しないと」
ヨハンナ先生が肩をすくめて言った。
「当然だぴょん」
突然、花園が言う。
「どうした? 花園」
僕が訊いた。
「なんでもないぴょ……です。ご免なさい」
なんか変な花園だ。
花園はそのままで十分可愛いんだから、語尾に「ぴょん」とか、変なキャラ付けしなくていいのに。
食堂で僕達が話していると、遠くから校内放送のアナウンスが聞こえた。
「文化祭実行委員会からお知らせします。午後七時から、予定通り、後夜祭のキャンプファイアーを始めます。手の空いた人は、校庭に集まってください」
アナウンスは林の中の寄宿舎まで、かろうじて届いた。
我が校の後夜祭は自由参加で、校庭の真ん中に組んだ丸太の焚火を囲んで、文化祭実行委員の司会で進められる。
文化祭来場者のアンケートから優れた展示やステージの表彰をしたり、有志が出し物をしたりする緩い集まりだ。
毎年、誰かが片思いの相手に告白したりするハプニングも起こるらしい。
去年、僕は参加しなかったから楽しみだ。
「私達は行っちゃダメ?」
花園が訊く。
「生徒だけの行事だから、無理だな」
僕が言うと、花園は「つまんないの」と言って、枝折と手を繋いでどこかへ行ってしまった。
ちょっと可哀想だけど、仕方がない。
「それじゃあ、みんなで行こうか。後片付けのことは忘れて、楽しんでこよう」
母木先輩が言って、みんなが腰を上げた。
「あのあの、私、残ります」
ところが、弩が深刻な顔をして言う。
「どうした弩」
弩が顔面蒼白で言うから、僕は心配になって訊いた。
「はい、ここの二日間の売り上げを確認したら、49万6200円もありました。大金すぎて、心配でここに置いていけません」
弩が言う。
二日間(実質一日半)で五十万近くの売り上げがあったなんて、結構すごい。
でも、御厨が原材料にこだわってるし、バイト代も出さないといけないから、それを引いたら利益は微々たるものだろう。
「こんな大金、見たことありません」
弩がお金の入った集金袋を大事そうに胸に抱えて言った。
いや、君は日本を代表する財閥の令嬢だから。
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