第43話 デートかな
弩とは、駅で待ち合わせた。
駅から電車に乗って、J2の試合がある陸上競技場の最寄り駅まで行く。
白いキャミソールワンピースの上に、水色の半袖カーディガンを合わせた弩は、駅前できょろきょろしていた。
僕が手を振ると、はっと気付いて控えめに手を挙げる。
近づいていくと、弩は伏し目がちに、
「よろしくお願いします」
と言った。
なんだか、今日の弩はよそよそしい。
切符を買おうとして券売機の前に立ったとき、ふと思いついた。
「弩、切符買ってみろ」
僕が言うと、弩は「ふええ」と、教師に予告なしでテストをやると言われたような顔をした。
先日、縦走先輩の応援で横浜に行った時、弩は電車に乗るのが初めてだと言っていた。あの時は母木先輩が人数分まとめて切符を買ってしまったから、弩はまだ切符を買ったことがない筈だ。
高校生になって寄宿舎に入るまで、どこへ行くにも運転手付きの車で出掛けていたお嬢様には、良い勉強になると思ったのだ。
弩がスマホで「切符の買い方」と検索しようとしていたから、僕はそれを止めさせる。
「上の運賃表で行き先までの値段を見て、券売機でその値段の切符を買うだけだ。簡単だろう?」
僕が言うと、弩は五分くらいかけて運賃表を眺めて、ようやく踏ん切りをつけたように券売機のボタンに手を伸ばした。
「あのあの、私は子供ですか?」
弩が訊く。
「いや、大人だ」
体は小さいけど子供ではない。
切符を買ったことがないけれど、子供ではない。
困ると、ふええと言うけれど、子供ではない。
「私も先輩と同じ料金なのですか?」
弩が僕を見上げて言った。
「もちろんそうだ」
僕が言うと、弩はうーんと唸る。
「なんだかすごく理不尽な気がします」
弩はそう言うと何か考え込んだ。
初めて切符を買う弩には、こんな些細なことにも疑問が湧いてくるんだろうか。
普通ならどうってことない話だけど、弩が大弓グループの後継者だけに、将来、何かが起きそうで怖い。
このことが、この国の未来を変える引き金になったりしないといいけど。
行き先の駅を降りると、陸上競技場までの道は、案内も、スマホのナビもなしで、すぐに分かった。
サポーターらしき同じオレンジのジャージの人達が、何人も同じ方角に歩いている。
あの後に付いていけば間違いないのだろう。
直樹君は、午後のキックオフ前に、競技場近くの公園で、桃子ちゃんとのランチをする予定だと言っていた。
僕達は見つからないよう、目立たないように公園の中を歩いて二人を探す。
目立たないようカップルを装うためか、弩は僕の腕に掴まって体を寄せてきた。
うつむいて、少し顔を赤くしていて、本当に初々しい彼女みたいだ。
すごく愛らしくて、これが妹の花園か枝折だったら、間違いなく抱きしめているところだ。
僕達は初めてデートをするカップルに見えるかもしれない。
弩は、本当に演技が上手い。
カップルを装って歩いていると、桃子ちゃんと直樹君は間もなく見つかった。
公園の、ツツジに囲まれたベンチにお弁当を広げて、二人が並んで座っている。
二人はお揃いのオレンジのサッカージャージを着ていた。
桃子ちゃんは頬っぺたにフェイスペインティングまでして、直樹君がひいきのチームを応援する気、満々だ。
僕達は公園の藤棚の影に隠れて、二人を見守った。
おかずを摘もうとする桃子ちゃんに、直樹君が横から顔を近づけて何か言っている。
たぶん、おかずの説明をしているんだろう。
作るときこだわったところとか、苦労したところを説明しているのかもしれない。
桃子ちゃんはそれを嬉しそうに聞いている。
嬉しそうに相槌を打った。
そして、一口で何千円もするようなキャビアを食べるみたいに、直樹君が作ったお弁当を、大事そうに口に運んだ。
「なっ、成功だろう。男子が弁当を作って持って行くのもいいもんだろう?」
僕が言うと、弩は二人を見たままコクリと頷いた。
この二人を見れば、弩も文句がないだろう。
桃子ちゃんのデートは大成功で、月曜、登校した弩は、桃子ちゃんに感謝されるに違いない。
「じゃあ、僕達も弁当食べようか」
僕が言うと、弩が「えっ」と驚く。
僕が背中に負ったボディバッグには、作ってきた弁当が入っている。
急なことで時間もなかったし、パパッとサンドイッチを作って来ただけだけど、僕の卵サンドは作るたびに妹達にも大好評な、自慢の一品だ。
粗挽きコショウのピリッとした辛みが、きっと癖になる。
桃子ちゃんと直樹君を邪魔しないよう、二人から遠いベンチまで移動して、僕達はそこにサンドイッチのランチを広げた。
「いただきます」
弩が手を合わせる。
「召し上がれ」
僕はステンレスボトルのコーヒーを、カップに注いだ。
弩は卵がパンからこぼれ落ちそうなところを、小さな口でガブリとかぶりつく。
それだから弩のほっぺたには、卵の欠片がくっついてしまった。
危ない。
またいつもの癖で、妹達にしているように、ほっぺの卵を摘んで取ろうとしてしまった。自然に手が出そうになった。
断っておくけれど、僕は別に誰彼構わずそんなことをするわけではない。
弩は、なぜか僕にそんなことをさせようとする謎の力を持っている。
「先輩、一緒にお出かけして、一緒にお弁当を食べる。今、桃子ちゃんと直樹君がしているあれはデートですよね」
弩が訊く。
「当たり前だろう。あれがデートじゃなければ、何がデートなんだ」
まったく、弩は変なことを言う。
「それじゃあ、今、私達がしているのもデートですか?」
弩が訊いた。
「えっ?」
確かに、僕達は一緒に出かけて、一緒に弁当を食べている。
「デートですか?」
弩に訊かれて、僕は返答に困った。
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