第42話 勘違い
「皆さん、ありがとうございました!」
寄宿舎に帰ってきた弩は、開口一番そう言って、深く頭を下げた。
寄宿舎の玄関で迎えた僕達は、まあまあと頭を上げさせて、弩を食堂へ通す。
弩から返されたお弁当箱は、米粒一つ残っていない空っぽの状態だった。
ミートボールのソースさえ残っていないくらいに、綺麗に食べられている。
弁当を作った側としては、これ以上に嬉しいことはない。
「お昼はどうだったんだ?」
僕がさり気ない感じで訊いた。
僕達が屋上から見ていたことは、気付いていないようだ。
「はい、三人で食べるお弁当、すごく楽しかったです。それで明日からも、ずっと一緒に食べることになりました」
弩が満面の笑みで言った。
そして三人でおかずを分け合いっこしたことを、嬉しそうに報告する。
何気ないことが、余程嬉しかったらしい。
こんな妻を見られることが、主夫の醍醐味なのだろう。
「それと、一つ皆さんにお願いがあるんですけど」
珍しく、弩が頼みごとをしてきた。
「お弁当を主夫部の男子部員の皆さんに作ってもらったって話したら、一緒に食べた桃子ちゃんに、お弁当の作り方を教えてもらえないかって、頼まれたんです」
「どういうことだ?」
母木先輩が訊く。
「はい。桃子ちゃん、今度の日曜日、彼氏さんとデートをするみたいなんですけど、その時、お昼を手作り弁当にしたいそうなんです。皆さんが作ったお弁当がすごく美味しそうだったので、作り方を教えて欲しいそうです」
「ほう、それは見上げた心がけだ」
母木先輩が膝を打つ。
「もちろん、喜んで教えるよ。弩の友達の頼みだしな。みんな、いいよな」
母木先輩が訊いて、僕達は迷うことなく同意した。
「で、桃子ちゃんの彼氏はどんな人物だ?」
僕が訊く。
「同じ学年の長谷川直樹さんという人らしいです。桃子ちゃんは中学校のときからお付き合いしてるって言ってました」
「彼なら僕のクラスメートですよ」
御厨が言った。
それなら情報も得やすい。
「二人はデートでどこに行くんだ?」
錦織が訊いた。それは弁当の方向性にも関わる。
「はい、サッカーの試合を見に行くって言ってました。彼氏さんが応援しているサッカーJ2のチームの試合を、二人で観戦するのだそうです」
日曜のサッカー観戦と、お弁当。
羨ましい、理想のデートではないだろうか。
「よし、弩、きっちりと教えるから大船に乗ったつもりでいろと伝えてくれ。弩の友達は我々の友達も同然だ。こちらから都合の良い時間を連絡する。責任を持って教える」
母木先輩が言うと弩は「お願いします」ともう一度深く頭を下げた。
その週の日曜日、僕が家で妹の花園と枝折に手伝わせて掃除をしていると、弩から僕のスマホに電話があった。
メールでもメッセージアプリでもなく、わざわざ電話を掛けてくるのだから、何かあったと身構えて通話ボタンを押したのだけれど、
「先輩! 酷いじゃないですか!」
第一声で、弩は怒鳴った。
耳がキーンとする。
「桃子ちゃんから連絡がありました。いくら待っても主夫部から連絡がなくて、お弁当の作り方を習わないまま、今日のデート当日になってしまったそうです」
弩が言う。
見えないけれど、たぶん弩は電話の向こうで口を尖らせている。
ほっぺたを膨らませているのが想像できた。
「桃子ちゃんは私に遠慮して、今日まで言い出せなかったみたいなんですけど、相当困ってました。お願いを取り次いだ者として、私は、断固先輩達に抗議します!」
弩が語気を荒げる。
「いや弩、僕達はちゃんと弁当の作り方を教えたぞ」
僕は答えた。
「えっ?」
「お弁当の作り方はちゃんと教えた。桃子ちゃんの彼氏の長谷川直樹君にちゃんと教えた。ここ数日、集中的に特訓したから、今では彼一人で弁当を作れるようになってる」
「ええーーー!」
弩の声でスマホのスピーカーが割れるかと思った。
「だって、弁当の作り方を教えてくださいって頼んだろ?」
「それは桃子ちゃんに教えてくださいって意味で言ったんです! 作り方を習いたかったのは桃子ちゃんです! 桃子ちゃんは彼氏さんに女子力を見せようとしたんです!」
「なんだ、そうだったのか……僕達はてっきり……」
弁当の作り方を教えてくれと、僕達主夫部に頼むのだから、彼氏のほうに教えてあげてくれと頼んだのかと思った。それで僕達は、同じクラスの御厨を通じて彼と連絡を取り合って、彼の家でみっちり料理の特訓をしたのだ。
それから、一緒に弁当箱やランチョンマットを買いに出かけたりもした。
「もう!」
弩が怒っている。
一瞬、怒る弩もいいな、などと考えてしまった。
大弓グループの最高経営責任者になった未来の弩の姿を垣間見た気がする。
「でも、ちょっと待て弩。なんで一緒にデートするのに、女子がお弁当作らなきゃいけないんだ? いつからそう決まったんだ? なんでそれが女子力を見せることになるんだ?」
僕が訊く。
「はあ?」
弩が面食らった声を出した。
「べつに男子が弁当を作ってもいいだろう? 僕達が弁当の作り方を教えると言うと、直樹君は桃子ちゃんのために美味しい弁当作るんだって、張り切ってたぞ。桃子ちゃんのために色々してあげたいって一生懸命だった。彼の桃子ちゃんに対する気持ちがひしひしと伝わってきた」
教える前、彼は卵焼きを上手く焼くことさえ出来なかったけれど、今では一通りの調理が出来るまでに上達している。
包丁を持つのも慣れてきた。
数日間での、驚くべき進歩だ。
これが恋する男子の力なのかと、感心した程だ。
「弁当を作ることだけじゃなくて、彼が一生懸命作った弁当を美味しそうに食べてあげることも女子力だろう?」
「それは、そうですけど……」
弩は納得しているのか、していないのか、曖昧な返事をした。
「だから桃子ちゃんが弁当の心配をする必要はまったくない。それにデートのとき、お弁当を作るという楽しみを、女子だけに独占させておくのはもったいないじゃないか。男も作るべきなんだ。その楽しみを味わうべきだ。相手のことを想って弁当を作る楽しみを」
「そうです、ね」
「安心しろ。直樹君は今日、二人分の立派な弁当を持って桃子ちゃんとのデートに出かけた。昼にはそれを二人で仲睦まじく食べるだろう」
朝、直樹君が、作った弁当の写真を送って来たから、間違いない。
僕達は盛りつけに関して、二、三アドバイスをした。
弁当は完璧な状態に仕上がっている。
「よし、弩、心配なら二人の様子を見に行こう」
「えっ?」
「今、寄宿舎か? どうせ暇だなんだろう? 二人がちゃんとお弁当を食べているか、見に行こう」
僕が言うと、弩が「はい」と少し戸惑ったような声を返した。
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