第35話 忙しい受験生

「もしかしたら、お兄ちゃんは私が受験生だっていうことを理解してないのかな?」

 部屋に飛び込んできた僕に対して、枝折が冷たく言った。

「お兄ちゃんはそんなことも忘れちゃったのかな」

 枝折は参考書に落とした目を、こっちに向けてくれない。


 部屋の中でTシャツにショートパンツ姿の枝折(Tシャツは黒地に白のKnife PartyのTシャツ)。

 椅子に片足を乗せて、左手で勉強机に頬杖をついている。


「いや、理解してるし、忘れてないよ。でも、枝折ちゃんは高校受験の受験勉強はもう、全部終わらせてるんだろう? 今やってるのは公認会計士試験の勉強だから、いいと思って……」


 そうなのだ。

 枝折は高校受験の勉強は中一の時点で早々と終わらせていて、今は公認会計士試験の受験勉強をしている。

 公認会計士試験の二つある試験のうち、枝折は短答式試験の方にはもう受かっていて、後は十一月に合格発表がある論文式試験に受かるだけだ。


 今現在、公認会計士試験の最年少合格者は十六歳とのことだけど、今年枝折が合格すれば、記録を更新して十五歳での合格となる。


 だから、枝折が机の上に開いている参考書も、学校の教科の参考書ではなく、企業法や租税法のものだった。



「いいと思ってって、よくはないよ。だって、今年合格して公認会計士試験の勉強が終われば、次の勉強に移れるんだから。また新しい勉強に挑めるんだから」

 枝折が言う。

 この上、次は何を目指そうというんだ。

 我が妹ながら、枝折は果てしない。


「で、どうしたの?」

 枝折はそう言うと、参考書を閉じた。


「話、聞いてくれるの?」

「聞いてあげるよ。だって、聞いてあげて、早くこの一件を解決すれば、もうお兄ちゃんに邪魔されずに勉強できるでしょ?」

 枝折は容赦ない。


 す、すまない枝折、情けないお兄ちゃんで。


「じゃあ、ちょっと待ってて、お茶とお菓子、持ってくる」

 急いでお湯を沸かして緑茶を入れ、冷蔵庫に作ってあった牛乳寒天を切って盛りつけ、枝折の部屋へ戻った。


 鬼胡桃会長が無実の罪で会長職を追われ、意気消沈しているところへ父親が来て、今週末までに真犯人を見つけないと、会長が寄宿舎から実家へ連れ戻されるという話をする。

 鬼胡桃会長のキャラクターや、寄宿舎の住人、建物のことについては、普段から夕食などで話しているから、枝折も知っていて、改めて説明する必要がなかった。


 僕がする話を、枝折は缶詰みかん入りの牛乳寒天を食べながら聞いている。

 我が家では牛乳寒天の隠し味にシナモンパウダーを入れるから、そこはかとなく、シナモンの爽やかな香りが部屋の中に広がった。

 この牛乳寒天は枝折の好物で、ふと思いついて作っておいた昨日の自分に感謝する。

 枝折に気を使うあまり、切り分け方で枝折の分が花園のおやつの倍の大きさになってしまったけど、枝折が食べて証拠隠滅してしまえば分からない。



「それで、犯人は誰なんだ? 枝折ちゃん。鬼胡桃会長を陥れて生徒会長の座から引きずり下ろした犯人は?」

 鬼胡桃会長の一件を全て話し終えて、枝折に訊いた。

 枝折は牛乳寒天を食べていたスプーンを置く。


「犯人は分からないよ」


 しかし、枝折はきっぱりと言った。


「犯人を特定するには情報が足りないもん」


 そんな……

 枝折のことだから僕が今までしゃべった内容から、すでに犯人を特定していて、ずばりその名前を挙げてくれるとか、そうでなくても、その特徴を挙げてくれると思ったのに。


「鬼胡桃さんを逆恨みするような出来事のあった人物のリストとか、生徒会に送られた匿名の投書とか、犯人を特定するにはまだまだたくさんの情報が必要だよ」

 枝折が言う。

 言われてみれば当たり前だけど、主夫部や、寄宿生、ヨハンナ先生の前で、堂々と啖呵を切ってしまった。

 鬼胡桃会長を陥れた犯人を見付けると言ってしまったけど、どうしよう。


「でも、犯人は分からないけど、犯人がどうやって寄宿舎に侵入して、生徒会の備品を鬼胡桃さんの部屋に置いたかは分かるよ」

 枝折はそう言って口直しに緑茶を一口飲む。


「分かるの!」

「分かるよ。だって侵入口については、お兄ちゃんが今まで何度も口にしてるし。今までお兄ちゃんが夕飯のときにしてくれた寄宿舎の話に、何度も出て来たよ」

 枝折にそう言われても、僕には全然、見当もつかない。

 僕は枝折と違って、寄宿舎の現場に毎日のように足を運んでいるにも関わらずだ。


 さすがは安楽椅子探偵。


 枝折の椅子は、普通の学習机の椅子だけど。


「犯人は分からないけど、侵入経路と侵入方法が分かってるんだから、そこに網を張って待っていれば、犯人を捕まえられると思うよ」

 スマホのゲームの攻略法を教えるみたいな手軽さで、枝折が言う。


「そうだな、網を張ってゆっくり待てばいいんだけど、今回は週末までっていうタイムリミットがあるから、餌をまけばいいよ。犯人が食いつきそうな餌でおびき寄せれば、早く終わると思う」

 枝折はそう言うと、鞄を漁って学校の授業のプリントを引っ張り出した。

 すると、その裏に、犯人が寄宿舎に入った侵入口と、網を張る場所と、おびき出す作戦を書いて僕に渡してくれる。


 「このプリントいいの?」と僕が訊くと、しおりは「いらないプリントだからいい」と言った。

 プリントには、「テストに出ます!」とか、「重要!」とか、先生が書いてくれてあるけど、いいのか。


 いいらしい。


 そして緑茶の残りを飲み干すと、枝折はまた、勉強に戻った。


「どうも、お騒がせしました」

 入ってきた時とは逆に、僕は静かに、プリントを持って枝折の部屋を出る。


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