第36話 餌

「餌は僕達二人か?」

 母木先輩が訊く。

「はい、最高の餌です」

 僕は母木先輩に向けて親指を立てた。


 昼休みの文化部部室棟、主夫部部室。

 部員に囲まれて、母木先輩と鬼胡桃会長が並んで立っている。

 ジャケットを脱いで腕まくりのシャツに、ネクタイを緩く巻いた母木先輩と、僕が洗濯したセーラー服の鬼胡桃会長。

 鬼胡桃会長の服を洗濯するとき、僕は柔軟剤に会長の好きなランドリンのフラワーテラスを使ったから、会長からは品のある爽やかな花の香りがした。


「いいですか、今から二人は恋人同士です。さっき説明した通りに、恋人みたいに振る舞ってください」

 僕が言うと、

「ああ」と低い声で母木先輩。

「ええ」とつぶやくような小さな声で鬼胡桃会長。

 お互いに、視線を明後日の方向に向けながら答えた。


 これでは先が思いやられる。


 母木先輩が左腕を体から少し浮かすと、その腕に鬼胡桃会長が手を入れて掴まった。形だけは恋人同士の体勢になったのに、なんかぎこちない。


 しっくりこない。


 母木先輩は両手の拳を、これから誰か殴るみたいに硬く握ってるし、鬼胡桃会長はさっきから瞬きをしてなかった。


「もっとこう、ラブラブ感を出してください」

 御厨が注文をつける。

「僕はラブラブ感、全開のつもりなんだが」

 母木先輩は言うけど、二人の様子は喧嘩した小学生が担任の先生に無理矢理仲直りさせられたようにしか見えなかった。


「鬼胡桃会長も、もう少し頭を母木先輩側に倒すとか、すればいいんじゃないですか?」

 錦織がアドバイスすると、会長はマネキンがポーズを付けられたみたいに不自然な角度で頭を倒す。


 未だ、瞬きをせずに。


「腕を掴むんじゃなくて、鬼胡桃会長が母木先輩の服の裾を摘むみたいな感じが、初々しくていいんじゃないでしょうか」

 珍しく弩も先輩達に意見した。

 意見した後で、鬼胡桃会長に睨み付けられて「ふええ、ごめんなさい」と言う。


「よし、それじゃあ恋人同士の二人の呼び方を決めましょう」

 二人が中々打ち解けないから、僕が提案した。

「母木先輩の名前、幹彦からミッキー、鬼胡桃会長の苗字から、くるくる。ミッキーとくるくるでどうでしょう?」


「絶対にない!」

 僕の提案は二人に食い気味に却下される。


「普通に幹彦とトーコでいい。小さい時はそう呼び合っていたんだ」

 母木先輩が照れながら言うと、鬼胡桃会長が下を向いてしまった。

 そうか、そういえば昨日の話によると、二人は幼なじみだった。


「なんで、こんなことしなきゃいけないの?」

 鬼胡桃会長が頬を真っ赤にして僕に訊く。

 以前の会長なら、そんなことを訊く前に、僕に対して怒鳴り散らしていただろう。

 言葉より前に、短刀を突きつけられたかもしれない。


「今、犯人に鬼胡桃会長の幸せな姿を見せつけることが大切なんです」

 僕は言った。

 本当は枝折の受け売りなんだけど。


「あの犯人が会長を逆恨みした人物なら、会長の幸せそうな様子を見れば、また反応するはずです。せっかく会長を陥れて会長の座から引きずり下ろしたのに、不幸になるどころか幸せそうに歩いていたら、犯人も怒り心頭に発するでしょう。会長職を辞して、逆に清々したとばかりに母木先輩とラブラブしていたら、放っておかないでしょう。また会長の部屋に忍び込んで、何かするかもしれません。そこを捕まえるんです。すでに犯人の侵入経路は分かっています。そこに僕達主夫部が張っていて、捕まえます。そのために二人には餌になってもらうんです。恋人同士を演じてもらうんです」

 僕が説明すると、会長は顔を赤らめたまま「分かったわ」と言う。


「でっ、でも、犯人を捕まえる為に仲良くするだけなんだからね!」

 鬼胡桃会長は、ツンデレのテンプレみたいな反応をした。



 その後、一時間練習して、ようやく二人が恋人同士に見えるようになった。

 ぎこちなさが取れてリラックスしている。

 元々、二人は幼なじみだったっていうけれど、その頃の感覚が戻って来たんだろうか?

 そもそも、幼なじみだった二人なのに、なぜ、母木先輩は鬼胡桃会長の告白を断って、いがみ合うようになったんだろう。


 こうして改めて見ると、母木先輩は噂が校外にまで伝わるようなイケメンだし、鬼胡桃会長は美少女にジョブチェンジしたし、二人並ぶと、本当に理想のカップルだ。


 誰もが羨ましがるようなカップルが今ここに誕生した。


「それじゃあ、このまま校内を闊歩かっぽしてきてください」

 僕の言葉に、二人は苦笑いした。

 でも、引きつった笑いではなく、笑顔が自然になっている。

「二人の仲を存分に見せつけてきてください」

 二人はお互いを見て、数秒間だけ見つめ合って、すぐに視線を外した。

 もうなんか、演技とは思えない、ラブラブな感じだ。



 部室を出て、校舎へ向かう二人。

 二人が歩くだけで、トニックウォーターの香りがしてきそうな爽やかさを纏っていた。それを周囲にまき散らす。


 渡り廊下ですれ違った女子生徒が、二人のことを二度見して、そのままずっと見とれていた。

 階段の踊場でスマホを弄っていた男子生徒が、ゲームを中断して、思わず誘われたように二人の微笑ましい様子を写真に撮る。

 教室で生徒を叱っていた先生が、ぽかんと口を開けたまま固まって、自分が何を怒っていたのか、忘れた。


 二人は、校舎内を特に目的もなく、談笑しながら歩いて回る。

 その姿を全校生徒に見せつけた。

 犯人をおびき寄せる餌になる。


 昼休みの終わりを待たずして、大型カップル誕生の噂は、校内の話題を席巻した。

 鬼胡桃会長が生徒会長を解任されたことなんて吹き飛んでしまって、誰も話題にしなくなる。


 放課後になると、二人の様子を見に来るギャラリーが、母木先輩や鬼胡桃会長の教室の外に人垣を作った。


 もし、会長を陥れようとした犯人がこの現状を見ていれば、相当苛々していることだろう。

 はらわた煮えくり返っているだろう。




 そして、その犯人が寄宿舎に現れたのは、二日後、金曜日の夜だった。

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