第34話 押し入れの中の猫

 鬼胡桃会長の父親だという男性が玄関に立っている。


 僕達主夫部部員が玄関ホールで男性を出迎えた。


 男子禁制の寄宿舎にいる僕達を、男性は怪訝な目で見ている。

 高そうな三つ揃いのスーツに、臙脂色のネクタイの男性。

 襟元に金色の何かのバッジを付けている。

 身長は百七十センチくらいで、お腹が少し出ていた。

 白髪の多いグレーの頭髪で、言われてみれば確かに、目元が鬼胡桃会長に似ている気がする。


「娘を出してくれないかな」

 男性の言葉を受けて、御厨が裏庭にいる鬼胡桃会長を呼びに行った。

 会長はすぐに玄関ホールに駆けつける。


「統子、今すぐ荷物をまとめなさい。家に帰るぞ!」

 会長の父親という男性は、会長に対する一言目でそう言った。

「いやです」

 鬼胡桃会長が首を振る。


「聞いたぞ。生徒会長を下ろされたそうだな。とんだ恥さらしだ! こんなところで自由気ままに暮らしていたからだろう。帰るぞ! 私の元でしっかりと躾けないといけない。甘やかしたのが間違いだった。小遣いも与えているというのに、生徒会の備品を盗むとは何事だ!」

 父親はそう言って右手を大きく振りかぶった。


「いや!」

 と、会長が怯えた声を出す。


 恐らく、父親は会長の頬に張り手を喰らわせようとしたんだろう。

 しかし、目の前に僕達がいるのを思い出して、ぎりぎりのところで思い止まった。

 振りかぶった手を、ばつが悪そうに下ろす。


「彼女は横領などしていません」

 庇うように会長の前に立って、母木先輩が言った。

「なんだ君は? 関係ないだろう」

 父親は先輩を押しのけようとする。


「お父さん、僕のこと分かりませんか? 母木といいます。お宅の隣に住んでいた、統子さんの幼なじみです。中学生の頃まではお宅にも何度も伺っていました。お父さんにも何度もご挨拶しています」

 母木先輩が言った。


 父親は驚いたような顔をして先輩を見る。

 でも、先輩のことは思い出せないみたいだ。


 かつて鬼胡桃会長が母木先輩に告白して振られたという噂は聞いたことがあるけど、先輩と会長が幼なじみだったというのは初耳だ。


 二人は一体、どういう関係なのだろう。


「娘さんの幼なじみの顔も分かりませんか? 娘さんのことには関心がないのですか?」

「うるさい、これは親子の問題だ。部外者は黙っていてくれ!」

 父親は顔を真っ赤にして言った。

 頭に血が上って湯気が出そうだ。


「部外者ではありません。僕達は鬼胡桃会長の夫です!」

 僕が言う。思わず口に出てしまった。


「なんだと?」

 夫と聞いて、父親は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。

 もしかしたら、話をややこしくしてしまったかもしれない。

「なんでもいい、帰るぞ統子!」


「彼女は生徒会の備品を盗むようなことはしません。彼女はそんな人間ではありません。それはお父さんが一番ご存知でしょう。それに、彼女はここで自由気ままに過ごしているわけでもありません。解任されるまで、毎日、生徒会の仕事で夕方まで一生懸命働いていました。彼女が帰りたいというなら別ですが、無理矢理連れて帰ることには反対です」

 母木先輩が感情を押し殺した声で言った。

 なんとか父親を落ち着かせようとする。


「先生方から連絡があった。生徒会の備品がなくなったのは事実なんだろう? それが娘の部屋から出てきたのも」


「統子さんはやっていないと言っています。自分の娘さんを信じてあげないのですか?」

 母木先輩が問う。


「会長は嵌められたんです! 無実です! 僕達が鬼胡桃会長を陥れようとした犯人を捕まえます!」

 勢いで僕が高らかに宣言した。


「うるさい、もう黙っていろ!」

 父親が問答無用で僕達を押しのけて、鬼胡桃会長の手を取る。

 会長を無理矢理に連れ出そうとした。


「これはこれは、鬼胡桃議長さん」

 そこに現れたのは、ヨハンナ先生だ。

 ヨハンナ先生を見て、父親の動きが止まる。

「えーと、あなたは?」

 青い瞳、金色の髪の先生に、父親は一瞬、戸惑いを見せた。


「高校教師で、この寄宿舎の管理人をしております、霧島ヨハンナと申します」

 ヨハンナ先生はそう言って深々と頭を下げる。

「この度は大切なお嬢様を深刻な事態に巻き込んでしまい、管理人として行き届かなかった自分を恥じると共に、大変申し訳なく思っております」

 そう言って先生はもう一度深く頭を下げた。

 ともすると慇懃無礼いんぎんぶれいにも見えるくらいに。


「いえ、そんな……」

 父親はヨハンナ先生の丁寧な態度に勢いを失った。

 そして、掴んでいた鬼胡桃会長の手を放す。


「お忙しいところおいでいただいて申し訳ありませんが、今日のところは、ひとまず、お引き取り願えませんでしょうか?」

「いや、これ以上、娘をここに置いておくわけには……」

「しかしこれ以上、騒ぎが大きくなりますと、人を呼ばなければならなくなります。そうしますと、市議会議長をしておられる鬼胡桃様のご名声に傷が付きかねません」

 先生が言う。


 市議会議長という役職名を出されて、父親の威勢がさらに萎んだ。

 それにしても、鬼胡桃会長の父親は、市議会議長だったのか。


「どうでしょうか? 今日はまだ平日の火曜日、お嬢様がこの寄宿舎を去るにしても、荷物をまとめたりと、準備が必要でしょう。週末までお待ちいただくことは出来ませんでしょうか? それまでは私が責任をもって、嬢様を大切にお預かり致します」

 ヨハンナ先生はここで、三度目の深いお辞儀をした。

 深くて長いお辞儀だ。


 うーん、と父親は唸る。


「先生がそうおっしゃるのなら……そうだな、今日のところは引き下がりましょう」

 そしてとうとう折れた。

 この場を繕うには折れるしかない。


「統子、週末に迎えに来る」

 会長の父親はそう言い残して、寄宿舎を去っていった。


 その後姿が林の獣道を進んで見えなくなるところまで、背筋を伸ばして凛とした態度をとっていたヨハンナ先生が、膝から崩れる。


「ふぅ、どうにか週末まで時間作ったよ。篠岡君、鬼胡桃さんを陥れようとした犯人を捕まえるって大見得おおみえを切ってたけど、本当に大丈夫なんでしょうね?」

 ヨハンナ先生が僕に訊く。


「はい、任せてください!」

 僕は胸を張った。





枝折しおりちゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

 帰宅した僕が、鞄も置かずに枝折の部屋に飛び込むと、枝折は机の上に参考書を開いて、受験勉強の真っ最中だった。


「お兄ちゃん、私は某国民的アニメーションの主人公の部屋の押し入れに住むという、猫型ロボットじゃないから」

 枝折はそう言って、こっちも見てくれない。

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