第29話 年下の彼
縦走先輩に告白したトライアスロン部の下級生は、僕や錦織と同学年、二年生の
身長が185㎝はあって、すらっとしたアスリート体型。
色黒の精悍な顔の持ち主で、運動のときに邪魔だからと、頭を丸刈りにしている奴だ。
一年生のときに同じクラスだったけど、裏表のない、気持ちの良い男だった。
もちろん、一矢は縦走先輩のライバルの工作員にはならないし、趣味の悪い罰ゲームに参加しないし、財産狙いで嘘の告白はしない奴だ。
「それでは、彼は本当に私を好きになったというのか!」
縦走先輩はそう言って天を仰いだ。
先輩は、ロスタイムに決勝ゴールを決められたゴールキーパーみたいな顔をしている。
「そうだ、彼は本当に縦走のことが好きなんだ」
母木先輩がとどめを刺した。
縦走先輩が頭を抱える。
大袈裟だけど、先輩は本気でショックを受けてるみたいだ。
すでに食事は終わって、皿を下げたのに、全員が食堂に残っていた。
縦走先輩が告白を受けたというニュースと、それに対する先輩の反応は、寄宿生と主夫部にとって、それほどの関心事だったんだろう。
「もしかして、先輩は今まで一度も告白されたことがないんですか?」
僕が訊いた。
「ああ、告白などされたことがない。きっと私には魅力がないのだろう」
縦走先輩が言う。
でもそれは、先輩が高嶺の花すぎて誰も告白しなかっただけだと思う。
先輩に憧れている者は多数いても、自分が先輩に釣り合う男なのかどうか自問自答したら、結果的に諦めてしまう。
告白しようなどという、大それた事は思わなくなる。
そう考えてみると、先輩に告白をした一矢は、相当な度胸があると言わざるを得ない。
「それで、どうするんだ?」
母木先輩が訊く。
「どうするとは、何をだ?」
「彼への返事だ」
「ああ、そうだな」
縦走先輩は食堂の椅子の上に胡坐をかいた。
禅問答でも解くようなスタイルになる。
「別に彼のことが嫌いとか、そういうわけではない。が、正直言って、私は今、恋愛や、他のことを考えられない。今は部活のことで精一杯だ。夢みたいなことを言うと笑われるかもしれないが、私は本気で、トライアスロンの日本代表として、東京オリンピックに出たいと思っている。その為に毎日練習している。だから彼の気持ちには答えられない」
縦走先輩が言った。
笑うどころか、夢を真正面から語る先輩に惚れ惚れする。
僕達が真剣に主夫を目指すように、先輩は真剣にオリンピックを目指しているのだ。
「そういうことなら、断るしかないだろうな」
「ああ」
「しかし、どのように断ればいいんだ」
縦走先輩は、告白されたのも初めてなら、断るのも初めてだった。
「そのままストレートに言えばいいのよ。何処の馬の骨かも分からない、あなたのような者が私と付き合うなんて、千年早いわ、出直してきなさい! ってね」
鬼胡桃会長が言う。
会長のように物事が単純に片付けば、毎日はもっと幸せに過ごせるだろう。
「彼は部活の後輩でもある。もし、私が断ることで、彼が落ち込んでしまったら困る。もうすぐ大会があるんだ。彼はその大会にエントリーしている」
縦走先輩が言った。
「そんなことで落ち込むような奴なら、どうせ大会でも中途半端な成績しか収めないわよ」
鬼胡桃会長が切り捨てる。
そして、御厨が入れたお茶を一気に飲み干した。
御厨が歯科医院の注水機みたいに、すぐに会長の湯のみをお茶で満たす。
「ちょっと待て、これは、僕達が主夫になったときにも直面する、重大な問題ではないだろうか」
母木先輩がそう言って、僕達、主夫部部員、全員を見た。
「どういうことですか?」
僕が訊く。
「僕達が主夫になるとき、その妻となる人は仕事をしているわけだろう? 会社の同僚、取引先の相手、それから接客業であれば、接する客、彼女の周囲にはたくさんの男性がいるはずだ。そして、僕達の妻となる人は魅力的だ。なにしろ僕達が惚れ抜いて、結婚したわけだからな。そうなると、今回の縦走のように、思わぬ告白を受ける場面もあるということだ」
母木先輩の目は未来を見ていた。
「もちろん、僕達の未来の妻は告白を断るわけだが、その場合、無下に断ることもできないだろう。なにせ相手は同僚や、取引先、それから客なのだ。無下に断ったら、後の仕事に支障が出るかもしれない。そうかといって、その想いを受け入れることはできない。したがって、断る場合には相手を傷つけずに、なおかつ、きっぱりと断る意志を表明しなければならない。この相反することを同時にやり遂げなければならないんだ。今回の縦走の問題は、僕達がやがて直面するであろう問題とも言えるんだ」
「なるほど」
「縦走の問題を協力して、どうにか上手く解決できれば、それは僕達の主夫力も上がるということじゃないだろうか」
母木先輩はそう言って、拳を強く握る。
「くだらない。もう、勝手にやってなさいよ!」
鬼胡桃会長はそう言って、食堂を出て行ってしまった。
「よし、どんなふうに断ったらいいか、アイディアを出してくれ」
母木先輩が言うと、弩がさっそく手を挙げる。
「ほかに好きな人がいます、というのはどうでしょう?」
「相手は誰だと、突っ込まれるだろうな」
縦走先輩が片思いをする相手なんて思い浮かばないから、リアリティがない。
「いっそのこと、もう彼氏がいます。というのはどうですか? 僕が先輩の彼氏の役をやります!」
御厨が言った。
「お、おう……」
そこにいる全員が声を揃えた反応を見て、御厨が提案を引っ込める。
「両親が多額の借金を抱えていて、迷惑をかけるわけにはいかない、というのはどうでしょう?」
錦織が言った。
「一矢なら、僕が働いて返します、とか言いかねないぞ」
クラスメートだった者として断言できる。
彼は翌日からアルバイトを始めそうだ。
「私は一人のものにはならない。私は、みんなのものだから………っていうのはどうかな?」
古品さんが言った。
そんなアイドルみたいなこと言うな、って、古品さんはアイドルか。
「縦走さん、確かもうすぐ大会があるって言ったよね?」
ここまで、黙っていたヨハンナ先生が口を開いた。
先生がここまで黙ってたのは、皆の意見を聞いて議論が深まるのを待っていたわけではなく、食後のデザートである杏仁豆腐を食べていたからだ。
「はい、五月の中旬に横浜で大会があります」
「その一矢君の実力はどのくらいなの?」
「そうですね、彼も実力のある選手だから、十代の年齢区分ではいいところにいけると思います。でも、優勝は難しいかな。私達の部にもう一人強い子がいて、頭一つ抜けてるんで、一矢君は彼に適わないと思います」
「よし、だったら、大会で優勝したら付き合ってあげる、っていうのはどう? それなら、彼のモチベーションを下げずに、そして、確実に断ることが出来るでしょ?」
ヨハンナ先生はそう言ってお茶を啜った。
良いアイディアを出したと、先生は満足げだ。
「もし、彼が優勝してしまったらどうするんですか?」
縦走先輩が訊く。
「その時はその時だね。付き合っちゃいなよ。みんなの話聞いてたら、その相手の子、良い子そうだし。スポーツマンで、正直で、やさしくて、イケメン。断る理由が見当たらないよ」
先生が無責任なことを言った。
「案外、お似合いのカップルになるかもよ」
ヨハンナ先生が言うのを、御厨が憮然とした表情で見ている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます