第28話 告白

 連休明けの授業をどうにか昼まで乗り切った。

 昼休みの教室は、クラスメートも似たり寄ったりの状態で、みんな休み癖が抜けずにぐだぐだしている。


 僕は大きく伸びをして、窓の外を見た。

 グラウンドには誰もいない。

 普段ならボールを蹴ってサッカーの真似事で遊んでいる生徒や、熱心な野球部員が何人か素振りをしてるのに、今日はそれが一人も見られなかった。


 いや、訂正。

 一人だけグラウンドの外周を走っている人物がいる。

 縦走先輩だ。

 寄宿生の、縦走美和先輩。


 縦走先輩はいつも走っている。

 寄宿舎以外で先輩を見かけるとき、走っていない先輩を見ることがないと、断言していい。


 連休明けで、まだみんな調子が出てない状況でも、先輩はだけ違う。


 トライアスロン部の緑のランニングに短パンで、下にスパッツを履いた縦走先輩。

 走る先輩のフォームは綺麗だった。

 どこにも余計な力が入っていない。

 前を見据えて、上下動が殆どなく、滑るように走っていく。

 上下に揺れないから、先輩の短い髪は、吹き流しみたいに綺麗に後ろに流れた。

 足が出る正確なピッチを見ていると、このまま眠りに誘われそうだ。


 あんなふうに走れたらいいと思う。

 あんなふうに走れるから、縦走先輩は走るのだろうか。

 それとも、毎日走っているから、あんなふうに走れるようになったのか。


 目で追っていると、グラウンドの外周を走り続けた縦走先輩が、グラウンドの端のナイター照明の支柱に向かって走っていった。

 コンクリートの支柱に、全然、速度を緩めることなく突進していく。


 あれ、変だ。


 僕が思わず「あっ!」と、声を発したときにはもう、先輩はそのまま支柱にぶつかっていた。


 距離が離れているのに、ごつんと骨に響く音が伝わって来る気がした。

 こっちまで、痛くなる。


 支柱で頭を打った縦走先輩が、仰向けに倒れた。

 縦走先輩の近くには誰もいない。

 グラウンドには誰もいないのだ。

 僕は閃光の速さで教室を飛び出して、階段を降りた。

 靴も履かず、上履きのままグラウンドに降りて、縦走先輩に駆け寄る。


「先輩! 縦走先輩! 大丈夫ですか?」

 僕が肩を抱いて呼びかけると、先輩は、「うーん」と唸った。

 意識はあるみたいだ。


「先輩、縦走先輩!」

「ああ、篠岡か、私は、どうしたんだ?」

 良かった、先輩が目を開く。

 そして、上半身を起こした。

 僕は先輩の背中を支える。


「先輩は走っていて、この支柱にぶつかったんです。覚えてないですか?」

 僕はコンクリートの支柱を指した。

「ああ、そうか」

 答えたけど、先輩はぼーっとしている。

 いつもみたいに覇気がある目じゃない。

 支柱にぶつかった先輩のおでこのところが、赤く腫れていた。

 

「保健室行きましょう」

 僕の腕力だと、体の大きな先輩をお姫様抱っこ出来なかったから、おんぶして保健室に運んだ。

 先輩はぼーっとしていて、僕のなすがままにされる。


 使っているシャンプーか、ボディローションか分からないけど、先輩はココナツミルクの良い香りがした。



 縦走先輩が倒れたという噂は、あっという間に校内に広がって、クラスメートやら、トライアスロン部の部員やらが集まってきて、保健室がいっぱいになる。

 先輩はこれだけ慕われているのかと、感心した。

 保険の先生の見立てでは、おでこに打撲のあとが出来ただけとのことだけど、当たり所が当たり所だけに、万全を期して、先輩は先生に付き添われ病院へ行く。



 幸い、検査の結果なにも異常は見られず、先輩は病院から直接、寄宿舎に帰ってきた。帰りの車の中でこれから部活に出ると言い張ったそうで、保険の先生に諭されて強制的に帰されたらしい。



 自室の101号室で、ベッドに横たわる縦走先輩。

 額に大きな絆創膏が貼ってある。


 先輩の部屋はベッドと机と、チェストが一つ置いてあるだけの、シンプルな部屋だった。ポスターが貼ってあるとか、花が置いてあるとか、装飾の要素がまるでない。

 余計な肉が全く付いてない先輩の体のように、余分な物を削ぎ落とした部屋だ。


「縦走、掛け布団、暑くはないか?」

 母木先輩が縦走先輩に訊く。

「先輩、枕、高くないですか?」

 錦織が訊く。

「先輩、何か飲み物をお持ちしましょうか?」

 僕が訊く。

「先輩、何か食べたいものはありますか?」

 御厨が訊く。


「お肉とか? ステーキ食べたいな」

 僕達に囲まれて、縦走先輩が少し戸惑いながら答えた。

「今月の寄宿舎の食費使い切ってでも、最高のお肉を用意します!」

 御厨が言う。

「そうだよ、牛一頭買ってきてもいい」

 錦織が言った。


「もう、みなさん、落ち着いてください!」

 弩が大声を出す。


「これじゃ、先輩が休めません!」

 僕達を部屋の外へ押し出そうとする弩。


 確かにその通りだ。

 情けない主夫部の男達は、縦走先輩を弩に任せて部屋を出る。


 部屋を出たものの何をすればいいのか分からなくて、僕たちは廊下をうろうろしていた。

 今度は廊下がうるさいと弩に怒られる。


「弩君の言う通りだな。妻が倒れて、こんなに動揺して、あたふたするようでは、僕達は立派な主夫にはなれない。もっと冷静に対応しないと……」

 母木先輩が言った。


「心配してあたふたする夫も見るのも、妻にとってはいい薬なのかもしれないよ」

 職員会議を抜け出して、ヨハンナ先生が縦走先輩の様子を見に来る。

「まあ、私は独身なんだけどさ」

 先生が軽口を言っても、誰もクスリともしなかった。


 しばらくして、「先輩は眠りました」と、弩が縦走先輩の部屋から出て来る。

 安心した御厨がその場にへたり込んでしまった。


「さあ、僕たちは夕飯の準備に掛かろう。起きてくる縦走を美味しい食事で迎えようじゃないか」

 母木先輩が言った。

 そうだ、何か作業をしていれば、この気持ちも紛れるかもしれない。

 僕は縦走先輩のランニングとか、スパッツとか、洗濯しよう。



 夕食になって、一眠りした縦走先輩が起きてきた。

 食堂には寄宿生全員と、主夫部部員と、ヨハンナ先生が揃っている。

 いつも少し遅れて食堂に来る鬼胡桃会長も、今日は真っ先に来ていた。


「夕食前に、ちょっとその辺を走ってこようと思うんだけど」

 よかった、いつもの縦走先輩だ。

 僕達は本当に走りに行こうとする縦走先輩を全力で止めて、どうにか食堂の椅子に座らせた。


 本日のメニュー。


 ゆず胡椒ソースのステーキ

 里芋のチーズグラタン

 ニラの卵とじ

 ほうれん草の白和え

 ひよこ豆のサラダ

 マッシュルームのコンソメスープ


「おかわりー!」

 と、縦走先輩が御厨にご飯茶碗を出す。

 何もなかったようで安心した。

 御厨は茶碗に山とご飯を盛って先輩に渡す。



「一体、どうした。ぼーっとして柱にぶつかるなんて、縦走らしくないぞ」

 縦走先輩がご飯三杯を平らげたところで、母木先輩が訊いた。


「ああ、すまない。ちょっと、考え事をしていた」

 縦走先輩が照れ笑いをする。


「なにがあった?」

 母木先輩が訊いて、そこにいる全員の視線が縦走先輩に集まった。


「悩み事があるなら話してみろ。僕達主夫部は君の夫だ。そして寄宿舎のメンバーは家族だ」


 母木先輩にそう言われても、縦走先輩はしばらく言いにくそうにしていた。

 そして、水を一口、飲んでから、

「実は……」

 縦走先輩が重い口を開いた。


「実は、告白されたんだ。私のことを好きだという人物が現れた」

 先輩が言う。

 その言葉を理解するのに、そこにいる全員、しばらく時間がかかった。


「連休明けで突然、同じ部の下級生の男子が、私に告白してきたんだ。前から好きでした、と。付き合ってください、と」

 縦走先輩は続ける。


「この私を好きになるなんて、どう考えてもおかしいだろう。私は可愛くない。勉強が出来るわけでもない。リーダーシップがあるわけでもない。体を動かす事しか能がない人間だ。だから、その裏に何があるかと、考えていたんだ。彼はオリンピックを目指す私のライバルが放った工作員ではないのか。恋愛などにうつつを抜かして、私を骨抜きにする魂胆ではないか。或いは、悪い仲間同士で賭をして、罰ゲームで私に告白しろという命令を受けた人物ではないか。或いは、私の両親の財産を狙う不届き者ではないか……まあ、私の両親は普通のサラリーマンで、これといった財産などないのだが」

 先輩はそう言って、皿に残っていたステーキの一切れを口に放り込んだ。


「それを考えていて、ぼーっとしてしまった。あのような醜態を晒した。みんなにも迷惑をかけてしまったようだ。本当にすまない」

 縦走先輩が言う。

 縦走先輩はそう言って食事を続けるけど、他の皆の箸は止まったままだ。


「縦走、お前を好きな人物が現れても、それは少しもおかしなことではない。僕はその彼を知らないが、彼はライバルの工作員ではないし、罰ゲームをやっているわけでもない。ましてや、財産を狙っているわけでもないと思うぞ」

 母木先輩が言う。


「君に惚れる人物が現れるのは至極、当然のことだ」

 母木先輩が、力強く言った。


 別の意味で、縦走先輩は重傷のようだ。

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