第27話 ボリビアみやげ
トイレの個室で見付けたヨハンナ先生は、蓋をした洋式便器に座って、チャーハンを食べていた。
口にたくさん頬張りすぎて、ほっぺたがドングリを溜め込んだリスの頬袋みたいになっている。
竹刀を振り上げている僕を見て、先生のスプーンを持つ手が止まった。
「ほんひちは」
ヨハンナ先生が言う。
たぶん「こんにちは」って言ったんだと思う。
場所が場所だから先生をとりあえず食堂へ連行した。
大人しく従った先生を、食卓の椅子に座らせる。
ヨハンナ先生が、
「ごめん、食べちゃった」
と言って、半分食べたチャーハンを僕に返そうとするから「全部食べていいです」と渡した。
「先生、どうしたんですか? 海外旅行に行ったんじゃないんですか?」
僕は確かに、スーツケースを引きずりながら寄宿舎を出る先生を見ている。
先生が廊下でスーツケースを転がしていて、母木先輩に床板に傷が付くと怒られていた。
「えっとね、リア充装って連休は海外旅行とか言っちゃったけど、ホントはそんな予定ないっす。見栄張っただけです。ウユニ塩湖とか嘘。ごめんなさい」
先生が頭を下げる。
「えっ? でも、真っ青な空をバックにしたヨハンナ先生の写真が送られて来ましたけど?」
容量食って迷惑なくらい、たくさんの写真が送られて来た。
「ああ、あれ、アプリアプリ。最近の写真アプリってすごいよね」
いや、先生のほうがすごい。
「それで、旅行に出かけたふりをして、ここに戻って部屋に隠れてたんですか?」
「うん、ボリビア雑貨を扱う店で、おみやげ買った後でね」
アリバイ工作までしているとは。
「連休終わるまで、ずっと部屋に隠れているつもりだったとか?」
僕が訊くと、先生が頷いた。
管理人としてここに住むヨハンナ先生の部屋は、106号室だ。
弩の部屋とは離れてるから、大きな音を立てなければバレないこともない。
でも、部屋に篭って、ずっと息を殺してるつもりだったのか。
「先生、ホントに綺麗!」
ヨハンナ先生の実物を初めて見る花園が、先生の顔を穴の開くほど見詰める。
金色の髪を触って、頬にすりすりした。
「ホントに、お兄ちゃんが言ってた通り、美人なのに女子力ゼロで、四十代の中年男性みたい」
花園が無邪気に言った。
花園は無邪気過ぎるんだ。
「篠岡君、後でお話があります」
ヨハンナ先生が言う。
まずい。すごくまずい。
「先生、ご飯とかはどうしてたんですか?」
僕は話を逸らす。
あんなにガツガツチャーハンを食べていたから、推して知るべしだけど。
「カップラーメンとか、お菓子とかでなんとかしのいでた」
悲しい、悲しすぎるぞヨハンナ先生。
二十七歳のゴールデンウイークは一度しかないんだぞ。
「夕飯も作りましょうか?」
僕が提案すると、
「是非、お願いします。最近ずっとあなた達の作るご飯食べてたから、舌が肥えちゃってインスタントとか、物足りないんだよね」
先生が手を合わせて懇願する。
「そうだ、どうせなら、バーベキューにしましょうか?」
せっかくだし、みんなでわいわいやったほうが楽しそうだ。
裏庭の片付けはまだ終わってないけど、四人でバーベキュー出来るくらいのスペースはある。
「それいい、ゴールデンウイークみたい!」
花園が弩の手を取って喜んだ。
弩と花園と僕とで、近くのスーパーに買い出しに行く。
費用は全部、ヨハンナ先生が出してくれた。
「ウユニ塩湖に行ったと思えば、安いものよ」
先生はそう言うけど、太っ腹なのか、ケチなのか分からない。
僕達が買い出しに行っている間に、先生が炭や金網、ドラム缶を半分に切ったバーベキューコンロを用意していた。
裏庭に折りたたみのテーブルやベンチも広げてある。
氷を入れたクーラーボックスに、飲み物も用意していた。
先生は野球部の合宿所から借りてきたって言うけど、たぶん黙って持ってきたんだと思う。
みんなで、買ってきた野菜を切って、肉に下味を付けた。
ガスコンロで炭を熱して、火を起こす。
辺りは林だし、洋館の裏手だし、避暑地で優雅なバーベキューをしてるみたいだ。
日が傾いて、テーブルに置いたランタンに火を点すと、さらに雰囲気が出て来た。
ヨハンナ先生はビールを飲んでいる。
クーラーボックスで冷やした分がなくなって、箱から取り出したのをそのまま飲んでいた(僕にも一本くださいと頼んだけど、未成年はダメと、拒否された。先生も、そこは先生だ)。
花園は焼き肉奉行をやっていて、バーベキューコンロに付きっきりになって、仕切っている。
なぜか、花園は肉の焼き加減に抜群の才能を発揮して、焼き上がった美味しい肉を食べろ食べろと、次々に持ってくる。
同じテーブルに着いている僕と弩。
「弩は、なんで連休中に実家に帰らないの?」
僕は訊いた。
こんな場所なら、訊きにくいことも訊けるような気がしたから。
実家を離れて一ヶ月、弩はホームシックになったりしないのだろうか。
この連休を利用して帰れば良かったのに。
五月のこの連休は、そのためにあるんだろう。
「家に帰っても、両親は仕事でいないから意味はないです。私、一人っ子だし。篠岡先輩みたいに、妹でもいれば、帰るんでしょうけど」
ゴールデンウイークも両親が働いていて家にいないのは、うちと同じだ。
「弩がこの学校を選んだのはなんで?」
自分の学校を卑下するわけではないけど、弩のように他県から入学してくるような魅力があるとは思えない。
特別な学科とか、特色がある教育をしているわけでもない。
スポーツが盛んでも、縦走先輩のトライアスロン部以外、強い部活はないし。
「私がこの学校に入ったのは、この寄宿舎に入るためです」
弩の言葉に、最初、驚いた。
けれど、すぐに納得した。
そうか、この学校にあって他校にないもの、それはこの寄宿舎だ。
「実は、私の母も、祖母も、そして曾祖母もこの寄宿舎のOGなんです」
弩が寄宿舎の建物を見上げて言う。
「四代に渡ってか。すごいな」
この寄宿舎も今ではこんな状態だけど、昔は良家の子女が通ったと聞く。
弩のひいお婆さんとかお婆さんの頃には、まだこの寄宿舎も威光を放っていた。
もしかしたら、弩は旧家のお嬢様だったりするんだろうか。
寄宿舎を見上げる弩のほっぺたに、万能ネギの切れ端が付いている。
お嬢様とか、僕の考えすぎのようだ。
「それに部屋も同じなんです。母も、祖母も、曾祖母も112号室で三年間過ごしました。だから他の部屋も空いてたんですけど、私も112号室を選んで入りました」
床が傾いても、弩が112号室にこだわって他の部屋に移らなかったのはそういうわけかと、納得した。
ほう、ほう、と林のどこかでフクロウが鳴いている。
本当にここは、外の喧騒から隔離された、陸の孤島みたいだ。
「そういえば、篠岡先輩のお母様は護衛艦『あかぎ』の艦長さんですよね」
弩が訊いてきた。
「ああ」
母が護衛艦の艦長であることは、部員や寄宿生に話したことがある。
「電話でうちの母が立派な方だって言っていました。仕事で篠岡先輩のお母様に会ったのだそうです」
母と弩の母親は知り合いだったのか。
世間は狭い。
今度帰ってきたら、母に聞いてみよう。
夜十時を回って、花園はヨハンナ先生の膝ですやすやと眠ってしまった。
完全に安心しきっている。
ヨハンナ先生の膝の上で、母の膝枕でも思い出しているのかもしれない。
「帰るの面倒でしょ? あなた達もここに泊まっていっちゃいなよ」
酔っぱらっているヨハンナ先生が言った。
「私はお酒飲んじゃったから車で送って行けないよ。今から夜道を帰るのも大変でしょ? ほら、花園ちゃんも気持ちよさそうに寝てるし」
先生はそう言って、花園の頭を優しく撫でる。
「あとで泊まってたのがばれたら、鬼胡桃会長に何されるか分かりません」
花園はともかく、男子である僕が泊まったなると、鬼胡桃会長が黙ってないだろう。例のあの短刀で、切り刻まれるかもしれない。
「大丈夫、大丈夫。私、口硬いから」
あまり信用できない言葉だ。
お酒も入ってるし。
それでも結局、僕と花園は寄宿舎に泊まっていくことになった。
花園は弩の部屋で一緒に寝て、僕は107号室に布団を敷いて寝た。
僕は歴史上、初めてこの「失乙女館」に泊まった男になった。
嘗ての乙女達の園で、寝ながら僕は考える。
ゴールデンウイークにウユニ塩湖に行く予定など、最初からなかったと言うヨハンナ先生。
見栄を張っただけと言う先生。
本当は一人で寄宿舎に残る弩が心配で戻ってきた、なんてことは………
まあ、ないか。
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