第26話 ゴールデンウイーク

 ゴールデンウイークは全般的に晴天に恵まれて、爽やかな風が吹く、過ごしやすい日が続いている。


 僕は久しぶりにリビングのソファーに寝転がってまどろむ、ゆっくりした時間を過ごしていた。

 妹の花園かえんが、僕が寝るソファーに飛び込んで来て、僕の脇腹に膝を入れるまでの、ほんの短い間だったけど。


「お兄ちゃん、どっか連れてって!」

 花園が言う。

 花園の膝は殊の外クリーンヒットしていて、僕は中々起き上がれない。


「連れてって、連れてって、連れてって、連れてって、連れてって、連れてって」

 普段は子供扱いすると怒るくせに、こういうときは無邪気な子供を持ち出す花園だ。


「今年は枝折しおりちゃんが受験だから、どこにも行かないって決めただろ?」

 僕が言った。

 枝折は二階で勉強をしている。

「そんな大人がするみたいな言い訳は、聞きたくない」

「今からじゃ、どこにも行けないよ」

 どこにも予約は取ってないし、連休も後半になって、高速道路ではUターンの渋滞も始まってるらしいし。



「あっ、お母さんだ!」

 突然、花園が言った。

 リビングでつけっぱなしのテレビに、制服姿の母が映っている。


 それは、太平洋上で行われている自衛隊と米軍の共同訓練のニュースだった。


 母が艦長を務める護衛艦「あかぎ」から飛び立った自衛隊の戦闘機F-35Bが、米軍の空母、ロナルド・レーガンに着艦し、そこから飛び立って、また「あかぎ」に戻ってくるという訓練のニュースだ。


 母は護衛艦に同乗した取材のアナウンサーに、インタビューを受けていた。

 相変わらず制服姿の母は凛々しく、とてもこの家にいるときの母と、同一人物だとは思えない。


「お母さん、元気そうだね」

 花園が言った。

 テレビ画面を見詰めるその横顔が、少し寂しそうだ。

 今年もゴールデンウイークに一緒にいられないことを、母は家を出る前に何度も謝っていた。


「よし花園、面白いところ行こうか?」

 僕は、とっておきの場所を思いついた。

「面白いとこ?」

 花園が首を傾げる。


 そうだ、とっておきの面白い場所があった。

 花園もきっと、気に入ると思う。



            ◇



「ここが面白いところ?」

 花園が建物を見上げた。

 蔦が絡まった、下見板張りの洋館だ。


「なんか、お化け屋敷みたい」

 花園が言う。

 これでも主夫部が手を入れて、随分綺麗になったほうだ。

 最初に見たときは、お化け屋敷というより、蔦に覆われた建物自体が、緑のお化けみたいだった。


 ゴールデンウイークの今、この寄宿舎には一人しかいない。


 鬼胡桃会長は、久しぶりに実家に帰って過ごすと言っていた。

 縦走先輩は、トライアスロン部の合宿に行っている。

 古品さんは「ぱあてぃめいく」が地方の小さな音楽フェスに呼ばれたとかで、喜び勇んで出かけて行った。

 管理人のヨハンナ先生は海外旅行で、ボリビアのウユニ塩湖に行くとか言って、連休が始まると早々に出かけてしまった。


 そんなわけで、今、この寄宿舎には弩が一人で残っている。

 一人で残る弩が少し心配だから、ゴールデンウイーク中に一度は顔を出そうと思ってたんだけど、花園の子守りも出来てちょうどいい。


「ここ、面白いの?」

 花園が不満そうに訊く。

「面白いだろ、お化け屋敷みたいで。中に『開かずの間』とかもあるし」

 僕が言っても、花園は納得していないみたいだ。



「弩、生きてるか?」

 112号室のドアを叩くと、弩が出て来た。

 白いブラウスに、グレーのキュロットパンツの弩。

 突然、僕が来たのにびっくりしている。


「カワイイー!」

 弩を一目見るなり、花園が大声を出した。

 弩の周りをぐるぐる回って、カワイイカワイイを連発する。

 カワイイカワイイと言って弩の頭を撫で回した。

 弩より、花園の方が少し背が高い。


「花園、仮にも弩は二つ年上のお姉さんなんだから、頭をなでなでしちゃいけません」

 僕は注意した。

 弩は花園に撫でられながら「ふええ」と言っている。

 部屋で読書の最中だったみたいで、読み止しの本が机の上に伏せてあった。

 邪魔をしたかもしれない。


「弩さん、ちょっとこっち向いて」

 花園が言って、スマホのカメラのレンズを向けた。

 弩が圧倒されているのをいいことに、立て続けに何枚も写真を撮る。

「これ待ち受けにしよう」

 弩をまるで珍獣扱いする花園。


「あー、ホントにお兄ちゃんが言ってた通り、花園よりぺったんこだ」

 花園が無邪気に言って、弩の胸をペタペタ触る。


「篠岡先輩、後でお話があります」

 弩に睨み付けられた。

 まずい。すごくまずい。


「弩ご飯は? どうしてる?」

 僕は話を逸らした。

「毎日、コンビニのお弁当とか食べていますけど」

「そうか、じゃあ昼ご飯に何か簡単に作るよ」

「いえ、せっかくのお休みなんですから、篠岡先輩も休んでください」


 主夫部も連休中は休みになっている。

 御厨は家族旅行だと言っていたし、母木先輩は人間ドックに入るらしい(先輩は毎年この連休を利用して、体の全てをチェックするのだとか)。

 錦織は古品さんのフェスを見に行くと言っていた。

 あれ以来、錦織は「ぱあてぃめいく」の大ファンになっている。


「まあまあ、いいからいいから、お兄ちゃんに任せて任せて」

 花園が言って、弩の頭を撫でる。



 冷蔵庫に残っていた食材で、チャーハンを作った。

 作っている間、花園は弩に館内を案内してもらうと言って、出て行った。

 台所担当の御厨が、ちゃんと余ったご飯を小分けにして冷凍していたから、ご飯を炊かずに済んだ。

 僕は手早く、カニかまを入れて五目チャーハンを作る。

 一品だと寂しいから、わかめスープと、作り置いてある自家製ピクルスを付けた。

 食堂のテーブルを拭いて、ランチョンマットの上に配膳する。


 二階でバタバタと大騒ぎしている二人を呼びに行った。

 弩と花園はもう、以前から仲良しだったようにきゃっきゃと騒いでいた。


 二つ年下の花園ときゃっきゃしている弩も、どうかと思うけど。


 二階から降りて、「ちょっとトイレに行って来ます」という弩と別れて、先に食堂へ戻ると、花園が変な顔をした。

「お兄ちゃん、チャーハン二つしかないけど」

 花園が首を傾げる。


 三つのランチョンマットの上に一つずつ置いたチャーハンの皿が、一つがなくなっていた。

そんな筈はない。

 僕はちゃんと三皿作ったし、三皿配膳した。

 念のために台所を確認したけど、もちろん、台所にはない。


 すると、トイレに行っていた弩が、足音を立てないよう、抜き足差し足でこっちに歩いて来た。


「トイレに誰かいます」

 弩が小声で言う。

「一番奥の個室のドアが少し開いていて、中に誰かいるみたいなんです」

 

 ここには弩も花園も僕もいる。

 この三人以外、寄宿舎に誰かがいるはずはない。


「そういえば、なんかここ数日、この寄宿舎の中に私以外の人がいる気配があるんです。もちろん、誰も見てませんし、声を聞いたとかじゃないんですけど」

 弩が不吉なことを言う。

「それは幽霊的なことか?」

 僕は、あの「開かずの間」のことを思い出した。

 五十年前、女子生徒が消えたという、111号室のことを。


「いえ、そういうのとは違います」

 弩が首を振る。

 だとすると泥棒だろうか。

 あるいは、女子のみだった寄宿舎を狙った、変質者か?



 この中では僕が一番力があるし、体も大きいし、トイレの中を見に行くことになった。

 寄宿舎の事務室にあった竹刀を思い出して、念のため、それを持って行く。


 この竹刀は、かつてこの寄宿舎が、厳格で、しつけと称する体罰もいとわなかった頃、使われたものかもしれない。

 多くの少女達の生き血を吸った竹刀なのかも。

 竹刀を両手で持ちながら、僕はそんな余計なことを考えた。



 静かに、音を立てないよう、トイレに入る。

 一番奥の個室にゆっくりと近づいた。

 確かに、人の気配がある。

 カツカツと金属が擦れる音がした。

 僕は竹刀を振りかぶる。


 少し開いているドアを足で蹴って、一気に開いた。


「ヨハンナ先生!」

 トイレの個室の中で、ヨハンナ先生がチャーハンを食べている。

 蓋をした洋便器に座って、口にいっぱい、僕が作った五目チャーハンを詰め込んでいた。


 なぜ、教師が便所飯?


 ってゆうか、なぜここに?

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