第6話 廊下は走らない
「すまない。僕のせいで、迷惑をかけたかもしれない」
階段を下りながら、眉間に皺を寄せた母木先輩が謝る。
「いえ、先輩の責任じゃないです」
生徒会が規約の変更で僕達を邪魔した裏にはたぶん、教師陣がいる。
主夫部設立を妨害する黒幕は、先生達だ。
先輩と鬼胡桃会長との確執は、その一因でしかないと思う。
妨害は僕が進路アンケートに回答したときから始まった。
生徒会と先生達の間にどのようなやり取りがったのかは分からないけど、先輩のことが主たる理由ではない。
「それより、新しい規定に合わせるために顧問と部員を集めるの、急ぎましょう!」
まるで枝折のような前向きな言葉が、僕の口から出ていた。
高校に入ってから今まで、事なかれ主義で適当に過ごしていた僕は、主夫部に対する自分の積極性に、半分驚いている。
でも、タイムリミットもあるし、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
僕達は役割を分担し、僕と母木先輩は職員室で顧問になってくれる先生を探して、錦織と御厨は残り一人の部員を勧誘することになった。
さっそく、校内に散る。
僕と母木先輩は、職員室にいる先生の中で、どの部活の顧問にもなっていない先生に、片っ端から声をかけた。
「主夫部なんて、悪ふざけでもしてるのか?」
「先生、忙しいんだ。部活の顧問まで手が回らないよ」
異口同音で、大体こんな感じで断られた。
中にはスマートフォンを耳にかざして、電話がかかってきたふりをして逃げる先生もいた。ひどい先生になると、野良犬でも追い払うみたいに、シッシっと手を振って邪魔者扱いする。
「主夫部って、面白いこと考えるねぇ」
などと、好意的な反応をしてくれる定年間近の老先生が一人いたけど、結局返事はNOだった。老獪に上手くはぐらかされる。
そんなふうに十数人に声をかけて、もう声をかける先生がいなくなった。
途方に暮れていると、ちょうど僕の担任のヨハンナ先生が、職員室に入って来る。
プリントの束を抱えているから、印刷室でコピーでも済ませて戻って来たのかもしれない。
僕と目が合った途端、ヨハンナ先生は
そうか! ヨハンナ先生も、どこの部活の顧問にもなっていない!
母木先輩と僕は目が合って頷き、二人でヨハンナ先生を追いかける。
僕達が廊下に出たとき、先生はすでに三十メートル先を行っていた。
逃げるために廊下を全力で走っている。
金色の髪をなびかせて走る先生。
走りにくいパンプスを脱いで手に持っていた。
廊下を走るなと注意する立場の先生がこれだ。
僕達も廊下をほぼ全速力で走って、ようやく女子更衣室の直前で先生を捕まえた。
先輩と二人で廊下の壁に追い詰めて、ヨハンナ先生を囲む。
両側から僕と先輩で壁に手をついて、逃げられないようにした。
「私は無理、絶対に無理。他を当たって!」
僕達が口を開く前に断られる。
「ホントに無理、無理だから!」
全力で走って逃げたヨハンナ先生は肩で息をしていた。
息を切らせながらも、きっぱりと拒絶する。
無理、無理、の一点張りだ。
「なぜですか? 顧問になるの、なんで無理なんですか?」
僕が訊く。
「それはまあ、なんていうか……忙しいし、担任になったクラスのことで精一杯だし」
先生の青い目が泳いでいた。
職員室で何度も聞いたテンプレのような回答だ。
「生徒会に働きかけて部活動の規約を変えさせたのは先生達ですか?」
今度は母木先輩が訊いた。
「それについてはノーコメント」
ここでノーコメントって、認めたも同然じゃないか。
やっぱり生徒会と教師陣が組んで、主夫部設立を潰しにかかってるのか。
「あっ! あんなところに○ュウツーが!」
突然、ヨハンナ先生が大声で言って、僕達の背後を指した。
古い手だけど、僕達は勢いに釣られて反射的に先生の指す方を見てしまう。
その隙を突いて先生はするっと僕と先輩の脇を抜け、女子更衣室のドアに逃げ込んだ。
僕達が入ることができない聖域に逃げ込んで、もう出てこない。
「先生! 出てきてください!」
「逃げられませんよ! 開けて下さい!」
先輩と二人で女子更衣室のドアを叩いていたら、着替えに来た四、五人の女子のグループから白い目で見られた。軽蔑の視線が痛い。たとえイケメンの母木先輩でも、女子更衣室のドアをバンバン叩いていると、気持ち悪く見えるらしい(当たり前か)。
仕方なく、僕達は退散する。
でも、あまりヨハンナ先生を責める気持ちにはなれなかった。
職員室で若手のヨハンナ先生には、他の老教師達から相当の圧力がかかったと思われる。
僕達との板挟みになって、辛いところなのかもしれない。
他の先生を探すしかないと、もう一度職員室に戻ったら、入り口のドアに職員会議中の札がかかっていて、入れなくなっていた。
今度は完全にシャットアウトだ。
部員を探していた錦織、御厨と下駄箱前のホールで合流する。
「ダメでした」
御厨が言った。
聞く前にその表情から分かってはいたけど。
「入部してくれるどころか、ほとんど話も聞いてもらえない。本当はこんなことしたくなかったんだけど、帰宅部の奴に、すぐにやめてもいいから、形だけ部員になってくれって頼んでも、断られた」
錦織が首を振った。
「それについて、みんなに声をかけてるあいだに、こんな噂を聞いたんですけど……」
御厨が話す。
教師陣は僕達四人を除いた男子生徒に対して、主夫部に入らないよう「指導」しているというのだ。
「関わりあうと、内申書に響く、なんて言ってるみたいなんです。主夫部に入った場合、進学のとき推薦が取れなくなる、なんて言ってるそうです」
僕達は要注意人物認定されているらしい。
主夫部が設立が駄目なら駄目と、僕達にはっきり言えばいい。
面と向かってそれを言わずに、自分から断念させる方向へ持って行くという、いやらしいやり方は卑怯だ。
直接言えないのは、主夫部に反対するまともな理由がないからだろう。
言い返されたら、答に困るからだ。
下駄箱の前で話し込んでいた僕達の前を、帰宅する一人の一年生男子が通り過ぎて行った。通り過ぎるとき目を伏せて僕らを見ないようにしていたから、声をかけても無駄だろうとスルーするしかなかった。
「最初から無理だったのかな」
母木先輩が言って、腕組みをする。
「面白い部活が出来るんじゃないかって、十分楽しませてもらったよ。楽しかった」
錦織が言った。もう終わってしまうみたいに。
「篠岡先輩、勧誘続けますか?」
御厨の質問に、僕は答えられない。
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