第4話 主夫の卵たち

 人事を尽くして天命を待つとは、このことを言うんだろうか。


 放課後、一人で教室に残った僕は、主夫部入部希望の生徒を待っている。

 妹の花園と二人で作った「主夫部、部員受付中」の幟旗のぼりばたを自分の席に立てたし、コピーした入部申込用紙五十部も用意してあって、受け入れ準備は万端だ(五十部は多すぎたかもしれない)。


 教師側からのネガティブな反応は、今のところない。

 今日は担任のヨハンナ先生に呼び出されることもなく、こうして入部希望者を待つことができた。


 一時間過ぎて、未だ入部希望者は現れない。

 物見高いクラスメートが、しばらく主夫部の入部希望者とはどんな人物かと、興味を持って残っていたけど、それも飽きて帰ってしまった。

 押すな押すなの大盛況になるとは思っていない。

 でも、ここまで反応がないと、少し不安になる。


 あらためて生徒会の規約を確認したところ、部活動を新設するには最低三名の部員が必要だと分かった。僕の他に二人来てくれないと「主夫部」は成立しない。


 タイムリミットもある。


 新設の部活の申請は、新年度が始まって四月二十日までに受理されないと締め切られてしまう。次の申請には一年間待たなければならない。

 今日が四月十七日。

 突然、思いついたから、締め切りまでぎりぎりになってしまった。

 我が校、千人弱の生徒のうち、男子生徒は六百人強。その中で主夫になりたい生徒、主夫部に興味を持ってくれた生徒がどれだけいるかは、未知数だ。

 期限に間に合わせて部員を確保できるだろうか。


 ココン


 考えを巡らせている僕の耳に、教室のドアをノックする軽い音が聞こえた。

「はい」

 と、少し裏返った声を出してしまう。

「主夫部、入部希望でなんですけど、ここでいいですか?」

 ドアを開けて入ってきたのは一年生のようだ。

 一年生がしている黄色いストライプのネクタイを絞めているし、制服のブレザーが新しく、着慣れていないのが分かった。何より、中学校から上がって来たばかりの初々しさが感じられる。


御厨淳之介みくりやじゅんのすけといいます。よろしくお願いします」

 一年生は折り目正しく頭を下げた。

 百六十前後の身長。年齢よりも幼く見える中性的な顔。頭を下げてサラサラの髪が軽やかに揺れる。

「うん、よろしく」

 なぜか先輩風を吹かせて、押さえた口調で言ってしまった。

 本当は初めての部員候補が現れて、飛び上がって喜びたい気分だったのに。

 ハグでもしたい気分だった。


「まさか、こんな部活があるなんて思いませんでした」

 御厨と名乗る一年生は少し上気していて、ほっぺたを赤くしている。

 無防備なくらい、自分の興味を隠していない。

「僕、料理が得意なんです。料理をするのが好きです。将来、主夫になって、お嫁さんになる人を、毎日毎日、美味しい料理で迎えてあげたいんです」

 御厨は言った。

 なんとも趣味の良い、見込みがある一年生だ。

「たくさん、たくさん食べてもらって、ぽっちゃりにしたいんです。今の女の子達は痩せすぎです。妻になる人だけじゃなく、世界中の全ての女子をぽっちゃりにしたいです。それが僕の夢です」

 前言撤回。

 一年生ながら、なんて果てしない野望の持ち主だ。


 コンコン


 盛り上がる僕達の会話を遮って、再びドアがノックされる。

「主夫部の受け付けは、ここでいいのかな?」

 続けて来た二人目の入部希望者は三年生だった。

 母木幹彦ははきみきひこ先輩。

 先輩は校内で一、二を争う有名人だから、相手が名乗るまでもなく、すぐに分かった。

 身長は百九十に届きそうなくらい高い。北欧の夜が長い国で育ったような透明感溢れる肌で、茶色い瞳に茶色い髪、全体的に色素が薄そう。

 そのイケメンぶりは校内どころか、周辺の高校も併せて、地域で三本の指に入る程で、他校の生徒が男女問わず先輩を見に来るくらいだ。


「あの、先輩、入部希望されるんですか?」

 思わず訊いてしまった。

「ここ、主夫部なんですが」

 そんな風に卑下してしまう。

「ああ、入部したいと思う」

 先輩は透き通った声で答える。発する声までイケメンだ。

 

 でも、あの母木先輩が主夫部?


 草サッカーチームのメンバーを募集したら、野球の現役メジャーリーガーが応募してきた、みたいな感覚だ。よく分からないけれど、分野が違う、という気がする。

 僕の横にいる御厨など、先輩を見上げて幻を見るようにぼおっとしていた。


「僕は将来、主夫として生きていきたいと考えている」

 先輩は、はっきり言った。

 ふざけているふうでも、僕をからかっているふうでもない。

「おかしいかな?」

「いえ」

 僕は首を振る。

 こんな人が自分と同じ夢を持ってくれている、同じ志を持っているというのは心強いばかりだ。


「上級生だけれど、僕は部長としてみんなを引っ張る、みたいなことはできないから、普通の部員として加わる立場で構わない」

 母木先輩が言った。

 僕だって、みんなを引っ張るようなことはできない。

 ただの発案者だ(発案したのは妹の花園だけれども)。


「よろしくお願いします」

 思わず熱くなって、僕は先輩に握手のための右手を差し出していた。

 僕の手を見た先輩が、握手しようと差し出した手を、一瞬ためらったように引っ込めた。

「すまない、どうも」

 母木先輩は引っ込めた自分の手を見詰める。

「潔癖症というか。気にしてしまうんだ。君の手が汚いとかそういうことではなく、雑菌が移ってしまうんじゃないかとか、そんなことを想像してしまうんだ。想像して血の気が引いてしまうんだ」

 確かに、ただでさえ色白の先輩の顔色が病的に青白くなっている。

「悪気はない、許して欲しい」

 先輩はそう言って、振り切るように自分から僕の手を握った。強く強く握った。

 先輩が頭を下げるから、慌てて僕は頭を上げてください、とお願いする。

「本当に悪気はないんだ。全てが清潔でないと気が済まない。全てがきちんと整理整頓されて、あるべき位置にないと気が済まない。そんな性格なんだ。だから部屋の掃除は毎日しているし、家中をアルコールで除菌している。部屋に埃一つ見つけただけで、空気清浄機を全開で何時間も回してしまう」

 本当に悪気はなかったんだと、先輩は呟く。


「先輩は掃除のプロなんですね」

 御厨が言って、なんとか場を和ませようとした。

 良い気遣いができる一年生だ。

「プロではないけれど、掃除するのは苦ではないよ。休みの日なんかずっと掃除していられる。親から貰う小遣いはホームセンターの掃除用具売り場で殆ど使ってしまう。この前は貯めたお年玉で強力な掃除機を買ったんだ。三台目の」

 いや、それはもうプロと言っていいんじゃないでしょうか、先輩。


 とにかくこれで、三人。三人揃った。

 主夫部が部活動として認められる最低人数は揃ったのだ。

 どうにか主夫部を立ち上げる見通しが立った。


 安心していると、突然、教室の外の廊下が騒がしくなった。

 誰かがこの教室に向かって歩いて来る。

 数人の女子の声と、その女子達を相手している男の声が聞こえた。

 女子達は無邪気に笑っていて、なんだかとても楽しそうだ。

 やがてその声は僕達の教室の前で止まった。

 じゃーね、バイバイと女子達の声。

 じゃーね、と答える一人の男のチャラい声。

 女子の声が去って、ドアが開かれた。


「まだ受け付けてる? 主夫部?」

 軽い調子で言って入ってきたのは僕と同じ、二年生の錦織隆史にしきおりたかしだった。クラスは違うけれど、何度か話したことのある男だ。


 それほどイケメンというわけではない。派手でもないし、勉強ができるわけでもない、運動神経がいいわけでもない。背も僕と同じくらいで高いわけでもないし、スタイルがいいわけでもない。それなのにいつも周りに女子がいて、錦織はその中心にいる。いつも女子をはべらせている羨ましい奴だ。

 何か特別な魅力を持っているのかと、僕はいつも錦織を見るたびに不思議に思っていた。


「僕も主夫部に入りたい。いいかな?」

 僕達一同を見渡したあとで錦織が訊く。

 母木先輩がメンバーにいるのは、錦織も少し驚いたようだった。

 もちろん、大歓迎だ。部員の数は多いに越したことはない。

「主夫部募集なんて張り紙を見て、改めて将来のことを考えてみたら、僕にはそれが合っているんじゃないかって思ったんだ。それで、ここに来た」

 錦織は言う。

 僕の行動が他人の行動を促したのは、良かったのか、悪かったのか。


「先輩は、なんか得意な分野とかあるんですか?」

 御厨が訊く。そして、母木先輩が掃除のプロで、自分が料理自慢だと説明する。

「得意とかそういうんじゃないけど、裁縫なら少しだけ自信がある。いつも裁縫道具を持ち歩いてるから、ボタンが外れたり、服の裾がほつれたりしたのは簡単になおしちゃうし、それに……」

 そう言うと、錦織は着ていたブレザーを脱いで、中に着ているシャツを見せた。

「このシャツは型紙から自分で作った」

 確かに、よく見ると錦織のシャツは僕が着ている学校指定の既製品とは違う。

 ステッチやボタンが妙に凝っている。

 錦織の体のラインにぴったり合っていて、格好いい。

「ここ一、二年、店で服を買ったことはないよ。全部自分で作っちゃうから」

「すごい!」

 御厨が目を丸くする。

「裁縫が好きなんだ。自分の服だけじゃなくて、将来、パートナーになる人の服も僕が作ってあげたいと思ってる。今練習で、クラスの女子に服を作ってあげたり、コーディネイトしてあげたりしてるんだ。自慢するわけじゃないけど、中々評判いいよ」

 錦織は洋服の流行をチェックするために毎月複数の女性誌を買い込んだり、街の洋服屋を回ったりしているという。おかげで男といるときよりも、女子と話が合うようになったらしい。

 なるほど、それでいつも周りに女子がいるのかと、納得した。

 なんにせよ、主夫部としては心強い人材だ。



 そうこうしているうちに午後五時を回る。

 これ以上待っても、入部希望者は来ないか。


「でもまあ、四人も集まったんだからすごいんじゃないの」

 錦織が言う。男子生徒六百人の中の四人が多いか少ないかは正直、分からない。でも、集まった四人は皆、主夫になりたいと真剣に考えている精鋭だ。

「じゃあ、今日はここで締め切ろう」

 僕は、部員募集の幟旗を下ろす。


 発起人として、挨拶をしなければならないような雰囲気になった。

 僕はこういう挨拶なんて得意じゃないけど、昨日、枝折に言われてその言葉を用意しておいたから、なんとか話すことができた。


「皆さんは本気で主夫になりたいと思っていますか?」

「はい」と、御厨。

「もちろん」と、錦織。

「ああ」母木先輩。

「この部活は将来主夫になりたい者が集まって、主夫になるための腕を磨いたり、情報交換をしたりする場所です。なにぶん、初めて出来る部活ですし、前例がないから、活動も当面手探りでやっていくことになりますが、部員一人一人が主役となって、盛り上げていきましょう。これから、よろしくお願いします」

 僕が頭を下げると、三人の部員候補は拍手で答えてくれた。

 放課後の教室に景気の良い拍手が響く。


 僕達は四人で手を重ねた。

 母木先輩は一番最後に怖々手を出す。


 生徒会への申請は、設立メンバーの名前を書いて申請書を仕上げ、明日提出することになった。

 主夫部設立に向かって一歩前進だ。



 そんな僕達の様子を、監視している視線があった。


 並び立つ別校舎の窓から、こちらの教室を双眼鏡で覗く、嫌らしい複数の視線だった。けれどそのとき僕は、部員が集まった興奮の中にいて、その邪悪な視線に気付かなかった。

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