エピローグ



 

 世界を救えたはずの少年、黒川 幸人が普通の高校生のままでいることになってから一年が過ぎた。

 西暦2257年6月。

 ジメジメした梅雨のせいで蒸し暑い中、彼が世話になっていた恩人の家に白猫が住み着いた。

 ニャーと鳴き、心臓が鼓動する猫だ。

 ただ、気難しいのかエサは食べない。

 懐いていないわけではないが、飯時になるといつの間にか消えている。

「……お前、どっかで見た顔なんだけどなぁ」

「ニャー」

「まぁ、いいか。お前が何であれ今年の俺は受験勉強で忙しいのだ」 

 黒川 幸人十八歳。

 高校三年生の彼は、普通の高校生らしく適当な大学を受けて公務員にでもなろうかと考えていた。受かれば恩人の家を出て実家に戻り、そうして恐らくはもう二度とこの町には帰ってこないだろう。もうこの田舎町に拘り続ける理由がないのだから。

『――えー、ここで番組を中断してドクターRからの新たな声明を発表します』

 緊張した面持ちのニュースでは、届けられただろう動画を使って報道した。

 今、世界から通常の兵器が失われようとしている。

 制宙権を完全に握ったドクターRは、高高度からの対地レーザー衛星網まで用意した。その上で通信衛星を全て破壊し、自らが新しい情報インフラと月からのエネルギーラインを整え、人類を地球に閉じ込めている。

 無駄に抵抗するゲリラなどもいるが、マルクトでの直接攻撃と空間転移による攻撃で確実に反抗勢力は支持母体ごと力を失っていた。

 事実上、残っている武装勢力は火星ぐらいだろう。

 そこまでして、ようやく地球人類から戦うという言葉の意義が薄れ始めていた。

 闘おうとすれば、ドクターRのロボットが介入してくる。

 相も変わらず反物質を搭載したその機体たちは、戦争の意義さえも吹き飛ばす。

 もはや、武力を背景とした戦争という外交行為が通用する時代ではなくなった。

 そしてその時代の幕開けのために、彼は前々から世界に対して発信していた。

 完全に、ロボットになるのだと。

 勉強の手を止め、ニュースを見ていた幸人は、その狂人の報告を複雑な様子で見届けた。

「……はぁ。結局、世界もあいつも救い損ねたんだなぁ俺は」

『やっぱり美夏に未練たらたらなのね』

「そりゃお前、私以外の女を探せとかいわれていきなり縁切りされたら誰だって簡単に吹っ切れるわけが……んん?」

 膝の上に居た白猫が、感応制御システムを介して直接脳内に声を届けてきていた。

 ギョッとした幸人は、つぶらな瞳の癖してシニカルに笑うその白猫のひげを引っ張った。

『ちょっ、止めなさい。痛いじゃないのこら』

「この、この! 猫畜生めがっ!」

『イメチェンというのをしてみたのよ。でも誰も気づいてくれなかったから黙ってたら存外に楽しくって。ほら、切っ掛けがなかったのよ』

「気づけるか馬鹿っ。俺に猫畜生の顔の見分けなんかつかねーんだよ!」

 ヒゲから手を放すと、首根っこを引っ掴んでテーブルの上にチョコンと乗せる。

「相変わらずデリカシーのない男ね。で、どうする?」

「どうするってなんだよ。俺はもう普通の高校生として生きるんだよ」

「そう。まぁ貴方がそれでいいなら良いのだけれど……この生活もすぐに崩壊するかもしれないわよ」

「はぁ?」

 幸人には分からない。

 確かに、世界はたった一人のエゴで通常兵器を奪われるという異常事態に陥っている。

 あまつさえ宇宙から監視され、逐一争いの根が刈り取られている。

 だが、大量破壊兵器や危険物は御久﨑によって処分され続けているし、貧困の地には食料が。砂漠化する場所には、派遣されたロボットによる緑化などが続いている。

 少なくとも、ドクターRの台頭以前よりはもはや平和だ。

「御久﨑はやりすぎたのよ」

「やり、過ぎた?」

「――ロボット化したことで、人の未来の変わらなさを演算してしまったの」

「……今度はミコトか」

 あの日と変わらない人工少女のスペアボディが、光学迷彩を解いて現れる。

 遠隔操作で動いていたらしく、少女は替えのボディで御久﨑からの労いの言葉を伝えに来てそれっきり顔も見せていなかった。

「つまり、なんだ。御久﨑がまた何かするっていうのか」

「違う。地球人類が反抗を諦めていないの。彼らは延々と戦いを繰り返す。そ

れに彼は頭を悩ませ続けている」

「この状況で戦うってなんなんだよ。人類は阿呆なのか?」

「水面下で技術開発が進んでいるのよ。多分、忘れた頃に大きな戦争を起こすわ」

「ふーん」

 気のない返事を返すと、白猫を膝の上に戻す。

 その頃にはもう、感応制御システムは切断されていた。

「食い止めるならもう、科学技術を制限したディストピアでも作るしかない」

「けど、それをしたらもっと早く不満が爆発するか。ジレンマって奴だな」

「ええ」

「まぁ、アレだ。俺から言えることは精々頑張ってくれってことだけだ」

「あら、それだけなの?」

「好き好んで人類なんて厄介な生き物を管理監督しようとしているのは御久﨑だぜ? なんで俺がそんな糞どうでもいいことに手を貸す必要がある。俺はな、受験勉強で忙しいんだよ。世界平和なんて宇宙船地球号の乗組員全員にでも考えさせとけばいいんだ」

「爆弾の処理を手伝ってくれたら報酬として薬を出す」

「どうする? 私、人間は嫌いだけど貴方や折原は好きよ」

「きったねぇ! お前ら今さらそりゃないだろうがっ!」

 見上げてくる白猫は、今度は自分の意思だけで力を貸すと言っている。

 幸人は返答として、そのシニカルに歪んだ頬を引っ張った。

「ニャにするのよ」

「お前はもう普通の猫で、俺は普通の振られ学生。もうそれで良いんだよ」

 ただの学生が世界を救うなんて幻想も、最強のロボット兵器も、もう黒川 幸人の人生には関係が無い。

 これから続く普通の日常は、彼が笑顔を取り戻したかった少女の願いだ。

 だから、幸人にはもう男のプライドにかけてそれを逸脱することはできない。

「まぁ、未練はある。というかありすぎるけどもう終わった話さ」

「――残念、賭けは貴女の勝ちみたいよ折原 美夏」

「当然よ。私以上に幸人を理解している女はいないのだから」

「……は?」

 声がした廊下の方を見れば、そこにはマスクを外した美夏が居た。

 頬の傷はなく、彼が知っている頃よりも更に可愛らしい小顔が晒されていた。

 意図的にボサボサにされていた黒髪は艶を取り戻し、幸人と同じ学校の制服に身を包んでいる。

「これは夢か……」

「現実よ。だから近づかないでったら。吐くでしょうが」

「ふざけんなっ!?」

 幸人は膝上の白猫をテーブルに投げ捨てるや、美夏に近寄った。

 だが美香はそれを許さない。

 一片の呵責もなく幸人の右頬にビンタを見舞う。

「近づかないで頂戴。私がいくら可愛らしいからといって、もう彼氏でもない男に抱き付かれる趣味は無いの……って聞いてる?」

「痛い、痛いぞっ!? てことはこれは現実か!?」

 幸人は泣いた。

 泣いて、喜んで、真っ赤な頬のまま美夏に抱き着こうと詰め寄る。

 瞬間、今度は左頬から乾いた音が鳴ったが幸人は気にもしなかった。

「うぷっ。無理、やめて。我慢できないから本当に」

「知るもんか。それよりヨリを戻そう。俺がお前を幸せにする!」

「馬鹿――」

 それ以上の拒否の言葉は、幸人のキスで塞がれた。

 目を白黒させた美夏は、次の瞬間には幸人を突き飛ばして流し台で虹を吐く。

「――帰るわ。二度と顔を見せないで頂戴。無理矢理なんて私の彼氏失格だわ――」

 突き飛ばされていた幸人は、テーブルの角でぶつけた後頭部を押せえながら蹲る。

「……大丈夫ですか?」

 声をかけたミコトに、幸人は痛みを堪えながらも噛みしめるように言った。

「ゲロの味がしたけどやわっこかった」

 少年の突き上げた右手は強く握られていて、その達成感の大きさを力いっぱい表現している。当然、それを見て流し台から戻ってきた少女は、倒れたままの幸人へと近寄っていく。

「忘れなさい」

 美夏は、真っ赤な顔のままソックスに包まれた右足を幸人に振り下ろした。








「――はぁ。甘いアルねぇあの二人は」

「酸っぱくて苦そうだけど?」

 リンリーの呟きをソフィアが否定する。

「事後処理をさせられる私の苦労も考えて欲しいネ」

「まっ、収穫はあった。そうでしょ?」

 ディスペアこそ手に入らなかったが、その代わりに放置されたミコトの残骸が手に入った。それだけではなく、内部監査官であるリンリーは秘匿された事件を暴き出して出世していた。

「まぁ、見逃されているだけのような気もしないでもないけどネ」

「分かっているなら気を付けなさいチャイニーズ。アレも爆発するから」

「……今、喋ったのはソフィアかナ?」

「分かってて言ってるでしょ貴女」

 呆れたソフィアは宿題に手を付ける。

 二人は、自衛軍が抑えた家を借りてWDFからの監視要員としての任務についている。

 ソフィアは民間出向者ではあるものの、しばらくはリンリーが共同で監視することで手を回したことせいで一緒に住んでいた。

「怖い怖い。世界最強の機動兵器と、兵器管理者が目をかけているカップルなんて厄しかないネ。怒らせたら今度こそ暴発じゃ済まないヨ」

 火薬庫であるのは間違いない。

 だが、ドクターRに敗北した人類にとっては容易に手を出せる相手ではない。

 そもそも幸人も美夏も結局はただの学生だ。

 軍と政府で一悶着があったが、結局は全て無かったことになった。

 何も無かったのだから、今はそれでいい。

「はぁ、月から追い出されたのはアレだけどさ。あの少女ロボットの解析に付き合いたかったわ」

「一人だけ楽はさせないヨ。しばらくは二人で高校生活を満喫するネ。どうかナ? 就職先はWDFなんておすすめよ」

「冗談よしてよ。私は絶対に民間企業に就職するわ。もうWDFなんてこりごりなの――」






「――やぁ。残念だったね」

「ウィザードか」

 艦橋で、脳さえも捨てた男Rがセンサーアイをきらめかせる。

 何故かメイド服を着ているウィザードの恰好には言及せず、彼は心中を吐露した。

「ああ、本当に残念だった」

 三度目の正直さえ失われ、結局はけじめさえ付けられずに終わってしまった。

 残ったのは未練と、厄介な地球人類の監視だけ。

「しかも人は争いを止めない。止めた振りはしても、いつでもどこかで機会を模索している。平和さえも次の戦争のための準備期間でしかないというなら、なんと悲しい生き物だろうか」

 演算する度に、戦いの未来が浮き上がる。

 馬鹿々々しい理由もあれば、切実なモノもある。

 止められない、止められない戦いへの欲求。

 スポーツでさえ、ルールの下で争うという姿勢が変わらないのと同じぐらいに人は争いが好きなのだろうか。

 湧き上がってくる疑念は、高度な演算装置の演算力をもってしても解き明かせない難題で、御久﨑のメモリを酷使させ続ける。

「闘争本能は人の弱さの裏返しだからね。淘汰しなければ淘汰される。動物としての本能が残っているのさ」

「本当にそれだけなのだろうか?」

「それはこれから先の未来で君が見届けることだよ。興味深いデータとなるだろうね。いやはや、これだからウォッチャーとコミケ通いは止められない」

「コ、コミケ?」

「礼儀正しく並んで待って、熱気の中を同士たちと練り歩く一種の祭りさ。この衣装も良いだろう? ちょっと気合いを入れてみたんだ」

「それも夢……なのかね」

「夢だよ。夢の切れ端だねこれは。遊び心の発露といってもいいね」

 ウィザードはスカートの端を持ち上げて挨拶すると、楽し気に笑って消えた。

 理解できない世界があるのだろうと、ドクターRは機械の体を持ち上げる。

 そうして、艦橋から冥王星を見た。

「やれやれ。桜の花びらよりも氷の火山でしばらくは一杯やる日々が続きそうだ。なぁ、折原よ――」

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マイノリティ・エクソダス T・S @torasu

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