第六話「蜘蛛の糸の先にあるもの」



「あの二人が証言したら、捜索範囲が絞られてしまう。その前に離れましょう」 

「ああ」

 どこに行けば安全かなんて分からない。

 だから少年は、ただ少女に任せて山を歩いた。

 夜の逃避行。

 開けた場所は危険で、だからより木々の深い場所をと彷徨い続ける。

 監視衛星の目から逃れるため、敢えて木々に星光が遮られている場所を通るせいで視界が闇に奪われる。おかげで移動速度は落ち、焦りだけが募っていく。

(そりゃ坂道は上りも下りも負担はでかいさ。でも、こんなに負荷が来るのかよ)

 体を鍛えていたことが功を奏してはいた。

 誤算があったとすれば、ランニングと山歩きとでは足腰への負担が違うということだった。山住まいの連中がどうして軒並み足が速いのかを、ようやく幸人は理解した気分だ。

 普通には使わない箇所の筋肉が悲鳴を上げている。

 アスファルトで舗装されているが故の負荷なら慣れているが、まったく未塗装の山の斜面が容赦なく足腰を苦しめる。

「山歩きなんて、小学校の遠足以来だ」

「これがハイキングなら最低ね。景観もお弁当も楽しめないもの」

「弁当なぁ。真心籠った家庭的なのが是非とも腹いっぱい食いたいぜ」

 思えば、満足に夕食も食べていない。

 若い男の腹は、弁当と聞いて空腹を露骨に訴えていた。

「……止まって」

「どうした」

「クマ」

「……冗談だろ?」

 ぼそりと零すため息は、もはや自身の運の悪さへの諦観さえ含んでいた。

 その間にミコトが銃口を斜面へと向ける。

 その先に、確かにいた。

(猪や鹿は聞いたことがあったけどさ。よりにもよって――)

 珍しいといえば珍しい。

「ツキノワグマ。アレなら進んで人を襲わないはず」

「よく見えるな」

 黒い毛皮のせいで余計に見づらい。

 胸部にあるはずの特徴的な三日月の白い斑紋さえ見えればなんとなく察せられるが、下の斜面にいて輪郭ぐらいしか幸人には見えなかった。

「……あれ、何してるんだ?」

「樹皮を齧ってる。貴方と同じでお腹が空いてるのね」

「邪魔しちゃ悪いな」

「近づいたり背中を見せたら駄目だけど、あの様子なら大丈夫でしょ」

 後づ去って視界から消えると、下には下りずに足場の悪い斜面を木の幹から幹へと抜けていく。

 方角はやや西南。

 歩く。

 ただただ前へ。

 蓄積していく疲労とストレスの中、勝算はあるはずだと幸人は自分に言い聞かせ続ける。

「ハァ、ハァ――痛ッ!?」

「茨ね。注意して」

「やっぱりジャージで山は無い、な」

 手の平に突き刺さったままのトゲがジクジクと痛む。

 中途半端なその痛みがやけに億劫で、ふと悪夢の時間を思い出させた。

(今回は、まだ希望があるだけマシだろうが。やれるさ絶対に)

 あの時は希望も何もなかった。

 目指すべきゴールはなく、ただただ何のあてもなく少女と恩人を探して町を彷徨っただけ。

 だが今はどうだ。

 おぼろげな道筋が、ディスペアという希望に繋がっている。

 届けばそれで円満に解決できるわけではないと少年にはわかっている。けれど、やるだけの価値は確かにあるのだ。

 だって折原 卓也と約束した。

――その時は、頼めるかな。

 御久﨑 海斗と取引した。

――ならば幸人君。私を倒せたなら、美夏君の傷を治す物を渡そう。

 それは、どこまでいっても帳尻を合わせるための闘いでしかなかった。

 そこに余人など入る隙間もありはしない。

 なのに、外部の介入で何かが狂った。

 錆び切った現実という名の歯車は軋んで、ただただ禄でもないままで終わらせようとしている。

 そんなことは少年に許せるはずもない。

 恩人との約束と、その恩人の孫の未来。

 彼のやり残しの完遂と、折原 美夏がマスクを外して外を出られる未来が欲しいと思って何が悪いのか?

 繰り返してきた自問自答は、やがて強固な願いへと変じていた。

 そのためだけに、この数年を走り続けてきたのだ。

(そうだ、せめて取り戻してやらないと)

 全部を彼女に押し付けただけで終わるなんて、そんなふざけた結末だけは絶対に認められない。

 それだけは絶対に。

「いっそのこと、シェキナで俺を回収してくれればいいんじゃないか?」

「アレは完全に無人機なの。コックピットがないから乗れるようにはできてない」

「なら手の平に乗せて飛ぶとかすればいいんじゃ」

「駄目。飛ぶ段階で貴方の体が手のひらから吹き飛ぶ」

 十五メートルサイズの機動兵器を加速させる力が生身にかかる。

 飛翔時に地球の重力干渉を遮断しているから、あっけないほど簡単に吹っ飛んでしまうのだ。

「加えて、空間歪曲バリア稼働下なら歪曲用の高重力に負けて貴方はぺしゃんこ」

「オーケイ。何も聞かなかったことにしてくれ」

「ん。そろそろ休憩にしましょう」

 視線の先には、大きな幹を持つ大木があった。





 リンリーたちを乗せたスポーツカーが港へと帰還する。

 輸送艦『清流』に戻るや、共通の上司に報告。すぐに二人は分かれた。

 出向組とは別に、それぞれの所属の上司への報告がある。

 貴重な新型を二機失ったことについてはかなり絞られたが、相手がドクターRの信奉者だったと知って逆に安堵された。

「そりゃ、相手に渡すよりも撃墜した方が機密保持から考えれば良いでしょうけど」

 意味がどれだけあるのかは、激しく疑問だ。

「……はぁ。憂鬱よ」

 特機の性能はもはや、NSCでさえどうにもできない領域にある。知りたくもないことを知ってしまったこともあり、テンションは落ちに落ちていた。

 途中で待機していたWDFの派遣組に絡まれたが、彼らもジャンヌの裏切りには驚き、そしてよく帰ってきたとソフィアの無事を喜んでくれた。

「レイカ」

「ん? ああ、お前か」

 立花 麗華は格納庫でマルクトの調整をしていた。

 機体を失ったので、変わりの予備機を準備していたのだ。座席や反応速度の調整など、やっておくことはある。

「無事で何よりだ。もう一人は?」

「報告よ。私の方は彼の容態が気になっちゃって」

「彼なら峠は越えたぞ。今頃はゆっくりと寝ているだろう」

「なら良かったわ」

 WDF3は監視者でも、それが向こうの仕事なのだ。

 さすがに重体の相手に鞭を打つような精神はソフィアにはない。

「NSCの残骸の回収。できると思う?」

「いずれはな。この件に方が付けば無人機が居つく理由もなくなるはずだ」

 あの山に何か戦略的な価値があるかと言えば、そんなものはまったくない。

 現状、ドクターRが占拠し続けることに意味はないのだ。

 それこそ幸人が居なくなれば無人機は撤退するだろう。元々大都市でもなく、兵器の生産拠点でもない。

「それとさ、小耳に挟んだんだんだけど陸自が動いているって本当?」

「もう聞いたのか」

「彼、捕まえられるの?」

「分からん。止めてやれればいいのだが……」

「止める……ねぇ」

「複雑そうな顔だな。まぁ、気持ちは分からないでもないが……」

「分かるって、どういうことよ」

「私としてもあんな作戦は好みではないということだ」

「?」

 ソフィアは首を傾げた。

「陸自が動いてるって、山狩りをしてるんじゃないの?」

「まさか。どこに居るのかも分からない奴を闇雲に探す訳がないだろう」

「……探してないの?」

「シェキナに制空権を取られている現状では厳しいからな。誘拐犯がドクターR側なら見つけられても手を出すのは難しい」

 生身でシェキナと戦うなど正気の沙汰ではないのだ。

「ソフィア、ここだったアルか」

 と、そこでリンリーが寄ってくる。

「なに、もう今日は寝るんじゃなかったの?」

「悪い知らせネ。NSCの残骸が敵に回収されたヨ」

「確かに良くはない話ね」

「お、冷静アルね?」

「特機のでたらめな出力をこの目で見ちゃったら、ね。ねぇ、レイカ。アレにディスペアなら勝てると思う? 戦闘記録は見たんでしょ」

「参考にはならんぞ。アレはディスペアよりも更に早い」

「……マジで?」

「だがディスペアはアレで全力ではないとも聞いたからな。正直、どちらもマルクトのパイロットから見れば悪夢だ。互いに全力稼働した場合は想像さえつかん」

 機動性、攻撃力、防御力。

 どれをとっても勝てる見込みがない。

 マルクトがレシプロ機なら、特機はもはやUFOだ。

 比べるのが間違っている。

「ただ一つ言えることは、あの特機――ティファレトの反射レーザーを無視できるのは空間歪曲バリアを持つディスペアと月の新型だけだということだ。が、よしんば近づけたところで生半可な武器では威力が足るまい」

「……核とか?」

「つまり日本近辺じゃ無理ということネ」

「普通はどこの国でもやら……いや、やった所もあるようだがその前に撃墜される。宇宙での軌道迎撃で使用されたことはあるようだが、やはりミサイルは効果が薄かった。大気がない宇宙空間ならなおさら迎撃率は跳ね上がるからな」

 対空レーザーによるミサイル時代の終焉。

 人類が経験したそれを、更に覆したのが相手である。

「となると、ディスペアが現実的かネ。アレのブレードは確か、バリアの出力を超える重力場で歪曲バリアを相殺無効化。ついでにその重力場で物質の原子結合そのものを崩壊させて切るヨ」

「単分子で切ってるんじゃないってこと?」

「分子間の隙間を通すのではなく、接合部を脆くして壊すと考えれば分かりやすいネ」

「……詳しいな」

「ディスペアとパンドラを知っているのは日本だけじゃないヨ」

 片目を閉じ、唇に人差し指を当ててリンリーはそれだけを言い残してソフィアを連れていく。

「ちょ、リンリー?」

「学生は学生らしく一緒に部屋で宿題でもやるネ」

「私は高校なんて本当は卒業してるんだけど?」

「そう言うな。学生の本分は勉強だぞ」

 毒気を抜かれた麗華は、そう言って見送ると作業の続きに戻った。




「――宿題とは言ったが悪いネ。アレは嘘ヨ」

「でしょうね」

 そもそも途中で授業を抜けてきた身だ。

 憮然とした顔でソフィアは四人部屋のベッドに座る。

 元々は転校生組三人に宛がわれた部屋で、残っているジャンヌの私物が彼女のテンションを下げていた。

「明日の朝、麗華の姉の凛華が折原 美夏をこの船に連れて来るアル」

「トナカイの人の孫娘を?」

「彼女に話を聞くつもりがあるならと思って教えておくヨ」

「……貴女、何を企んでいるの」

「正直困ってるヨ。自衛軍は全力で地雷を踏みに行こうとしているアル」

 リンリーは調べ上げた明日の予定をソフィアに話す。けれど、話されたところでソフィアにできることは何もない。

「それを教えて私にどうしろっていうのよ」

「何かを期待している訳じゃないネ。強いていえばどうしようもないから愚痴る仲間が欲しかったというだけヨ」

「気になる分余計に迷惑なんだけど?」

「ハハハ。まぁ、それも明日で終りアル」

 幸人が乗るか、それとも別の誰かが乗るのか。

 リンリーとしてはもはや誰が乗ろうとも構わない。だが、焦燥感のようなものだけが胸中にはあった。

 それは予感だ。

 何の根拠もない、ただの勘だ。

 けれど、悪い予感というのはいつだってよく当たるから心配なのだ。

「ディスペア――絶望の先にあるものは本当に希望かナ?」

「なに、パンドラの箱の中の話でもしたいの」

「アレは中身の災厄が解放されて、箱の中には最後に希望が残ったという話ネ。でも箱の中だけにある希望に、どれだけの価値があるかナ」

 ましてやそれは、どこかの誰かが用意したものだ。

 そんなものにはたして、人類の未来を賭けていいのだろうか?

「従兄の彼はディスペアを結局ただの銃のようにしか扱わなかったヨ。そしてそれは軍も同じアル」

 本質は希望ではなくただの兵器なのだ。

 その属性の違いは、きっと勘違いしてはいけない。

 兵器とは適切に管理、運用されなければならない。

 結局はそれをどう使うかを使い手に委ねてしまう限界からは逃れられないからだ。

――だが、それは通常兵器の話だ。

「でも、だからこそ怖いアル。ふと思ったアルけど」

「何?」

「そこに、あの機体を呼び出す猫の意思はどれだけ反映されるアルかね?」





 パァンと、遠くで銃声が木霊した。

 仮眠をしていた幸人は、もたれていた木の幹でうっすらと目を開ける。

「大丈夫、近くにはいないわ」

「……そう、か」 

 隣で同じく休んでいたミコトの声に安堵しながら、幸人はもう一度目を閉じた。

 まだ真夜中だ。明日のことを考えると休めるうちに休むべきだった。

「連中、動きが妙だわ」 

「どういうことだ?」

「捜索ではなく何かを広域に設置しているみたい」

「……振動感知用のセンサーとかか?」

「少なくとも武器ではないみたいだけど……」

「移動するか」

「このままでいましょう。動かない方が見つからないはず」

「了か――っくしゅん! ああ、さすがに冷えてきたな」

 汗のせいもあってか、山風の肌寒さが気になってきた。

 膝を抱えるようにして耐える幸人の傍でミコトがそっと立ち上がり幸人の右側に座った。

 風上だ。それが細やかな気遣いだと気づかないほど幸人はまだ耄碌はしていない。

 ただ、申し訳なさそうに言った。

「お前、寒くないのか?」

「私は環境変化には強いから」

「……無理はするなよ」

「ええ」

 そうして二人はそのまま夜明けを待った。





「……美夏?」

「人違い」

「ああ悪い。ちょっと昔を思い出してな」

 目覚めたとき、幸人はミコトにもたれかかっていた。

「結局、アレから完全に寝てたのか。すまん。休めなかっただろう」 

「問題ないわ。それよりどうして勘違いをしたの」

「餓鬼の頃にさ。バーチャルダイバーからログアウトした時によく美夏がくっついてたんだよ。あの頃は、まぁ、俺もゲームにばかり夢中だったし」

 ゲームに夢中な幸人によく怒っていたが、いつの間にかそれで溜飲を下げるようになっていた。いたずらをされているわけではなかったので幸人は気にもしなかったが、折原 卓也の家で遊ぶときは大抵そうなっていた。

 それさえももはや過去の思い出だ。

 今はもうそんなことはない。

 だからそれは懐かしくもあり、過去の自分にもっとその時間を大事にしておけと言いたいことの一つだった。

 スマホやメールで四六時中連絡が取れるようになっても、人の温もりまでは届けられない。それが余計に、幸人を寂しくさせる。

(取り戻したい、な)

 全部は無理でも、せめてあの穏やかな時間ぐらいは。

(まぁ、もう無理か)

 乗って倒して薬を届けて、そして迷惑をかける前に地球から消える。

 それしかもう少年にはない。

 してやれることがない。

 だって黒川 幸人はきっと日常には戻れない。

 だから、その未練を斬り捨てて前を向くのだ。

「後半日、よろしく頼むぜ」

「ええ」





「それじゃ、行ってくるから」

「立花さん、娘をお願いします」

「はい」

 用意した軽自動車に乗り込み、美夏と凛華が家を出る。

 ドクターRの動きは山に集中し、距離があるために現在は小康状態である。

 町の住人も、そもそも動きらしい動きを見せないせいですぐに居なくなるだろうと達観の構えだ。

 彼らからすれば近くに軍事施設もない辺鄙な田舎を攻める意味が見出せない。

 一時期は避難警報が出たが、既に解除されて自治体も様子見である。

「危機感が無い町だ」

「だって貴方達が余計なことをしなければ平和だもの」

 助手席で、相変わらずのジャージ姿の少女が皮肉を言う。

「……君はいちいちトゲがあるな」

「私は軍人が嫌いなのよ」

「君も税金泥棒だとか言う口か」

「いいえ? 普通なら十分な自衛戦力は必要よ。災害時なんかの精力的な活動も評価できる。でもドクターRには無意味だから、いい加減に活動内容を変えろとは言いたいわね」

 車は進む。

 目指すべき港はそれなりに大きい。

 日本近海の海底資源メタンハイドレートの採掘のために拡張されたせいだ。ガスタービンエンジンなどで増えた消費を考えれば、それの恩恵は確かにあっただろう。

 だが、結局は田舎よりも交通の便が良い市内方面の港の開発が優先されたせいで町おこしには一歩届かなかった。が、おかげで大型の輸送船である清流の停泊が可能にはなっていた。

「へぇ、さすがに大きいわね」

 駐車場に到着した車から降りた美夏は率直に言う。

「とにかく甲板へ向かうぞ」

「ええ」

 頷くと、ポケットから取り出したアイマスクを美夏は掛けた。

「頑張ってエスコートして頂戴な。船で嘔吐されたくないなら、男が喋るのも禁止しておくのがおすすめ。どうせなら息を止めておいて欲しいけど、そこまで贅沢は言わないわ」

「毒は吐いてもいいがな。頼むから朝食を吐かないでくれよ」

「我慢はするわ。もちろん、私は後片付けなんてしないけど」

「……君は最悪だ」

「貴方達よりはマシよ」





「……なんでアイマスク?」

「男性が駄目になったからアルよ」

「それって」

「そういうことネ。なんでも昔、誘拐されたかららしいヨ」

 他に聞き耳を立てている軍人にも敢えて聞こえるように言い、リンリーはソフィアと一緒に迎えに向かう。

「ハロー」

「こんにちはネ」

「……あら? 随分若い声ね」

「一応、二人とも高校生という設定ヨ」

「年が近い方が安心できるだろうって配慮ね」

「へぇ……これは誰の差し金かしら」

「誰って、艦長らしいけど……」

「その人の名前は?」

「え?」

「須藤 琢磨(すどう たくま)大佐ヨ」

「ありがとう。参考になったわ中国の人」

「それは幸いネ」

「それじゃ、短い付き合いだと思うけどよろしく。ああ、名前はいいわ。どうせお互いに今日限りの付き合いだろうから」




 やがて、清流の甲板から美夏を乗せたヘリが飛び立った。

 その護衛に、遅れて発進した三機のマルクトがグライダー装備で後を追う。

「その、本当にやるのですか?」

「当たり前でしょう。こうでもしないと撃ち落とされて終わりだもの」

 美夏は戸惑う女性隊員を催促する。

 たまらず隊員が凛華に助けを求めるが、彼女は自分でさっさと用意を進めていた。

「任務だ伍長」

「は、はい。ですが万一ということが。せめてパラシュートを……」

「そんなものをつけたらヤラセ感が増すじゃない。ああ、命綱もいらないわ」

「し、しかし……」

「しっかり結んでおいてくれればいい。なに、私も一緒だ」

 良心の呵責に揺さぶられている伍長が渋るが、結局は凛華が階級を盾にして押し切った。

「――立花少尉、そろそろお願いします!」

 ローターの喧しい音にも負けない声が操縦席から響く。

 予定ポイントが近いのだろう。

「覚悟はいいな美夏?」

「ええ。――ああ、そうだわ。一つ聞くのを忘れていたわね。貴女の家は軍人の家系そうだけど父親は立花 正人(たちばな まさと)少将だったかしら?」

「ん? ああそうだが……今は中将だ」

「ふーん。出世したのね」

「知り合い……だったのか?」

「昔とってもお世話になったわ」

 それだけ言うと、少女はマスク越しに嬉しそうに嗤った。

「うふ、うふふふ。それだけ聞ければ十分よ。安心して凛華。私が貴女にディスペアとあの駄猫をくれてあげる。それで恋人とやらの仇でも好きなだけ取ればいいわ」

「あ、ああ……」

「さぁ、行きましょう。女は度胸よ。敵のテクノロジーを信じてやりましょう」





『――レーダーに感有り。海自のヘリと判断。武装確認後撃墜する――』

 空を飛んでいたシェキナの一機がそれを補足。手にしたレーザーライフルで狙いを定めながら味方機と連携の構えを取る。

『――攻撃対象に武装無し。敵機に攻撃の意思はない模様』

『――追加報告。ヘリの護衛が接近中。……訂正。ヘリへのロックオンを確認』

『意図は不明。しかし作戦中につき武装マルクトの排除許可を申請』

『追加報告。ヘリから吊るされた人員を確認。――ディスペア搭乗者の身内を確認』

『例外条件に該当』

『Rに緊急報告。解答あるまで判断を保留。包囲監視へと移行する――』

 無人機のAIは即座に行動。

 移動するそれらの周囲へと飛翔した。





「どうやら賭けは私の勝ちのようね」

「信じられん。民間人を攻撃するようにはできていないとはいうが……」

 ヘリからワイヤーロープで吊るされた二人は、攻撃してこないシェキナを眺める。

「飛翔中は安全のために人間には近づかないって聞いてたけど、どうやら本当みたいね。さすがはロボット。命令さえされていればその通りにしか動けない木偶人形だわ」 

「……だが、この拳銃には何の意味がある?」 

 凛華は美夏を抱いたまま拳銃をこめかみにあてさせられていた。

 無論セーフティーはかけてあるが、こういう説得方法は好きではなく表情は固い。

「こうしておけば、後は私の手足を適当に撃つだけで幸人が根を上げるわ」

「……本当にやれと?」

「ディスペアが欲しいのならやりなさいな。世界の平和がかかっているんでしょう? どこに選択の余地があるのかしらね」

「しかし……」

「第一、私が良いと言っているのだから今更何を戸惑うのよ。いい大人が約束を破るのかしら?」

「君はとんでもない女だ」

「くふふ。愛は女を強くするのよ」

 宙づりのまま風に揺らされて少女は嗤う。

 久しぶりの外が、どうしてか彼女には輝いて見えていた。

 乱暴に肌を撫でる強風も、まぶしい陽光も、今だけは鬱屈した日常からの解放としか感じられない。

 窓ガラス越しにしか浴びていなかった日の光の、この妙な暖かさはなんだろう。

 ここには誰もいない。

 ご近所の目も、人の奇異の目もない。

 家の中にはない自由がそこにはある。

(嗚呼、嗚呼、嗚呼。もうすぐよ。もうすぐなのよ幸人――)

 その山の中に少年が居る。

 彼が自身のためにかけづり回って逃げてくれていると思えば、どうして少女はそれを喜ばずにいられよう。

 どうして、それを悲しまずにいられよう。

 怒りと悲しみだけが心中に渦巻いて、少女は気が狂いそうになっていた。

 感情は既にあの日からそれだけで染まり、自然と今日という日のために思考を巡らせ続けた。

(今日で何もかも終わるわ。御久﨑と駄猫と軍の呪いから、やっと私たちは解放されるのよ。――さぁ、帳尻を合わせましょう。私の取り立ては一等きついわよ――)

 大切な日常も、未来も何もかにもが奪わてしまったけれど。

 少女にもたった一つだけ許せないものがまだ残っていた。

 だから、こうして心にもないことを言うのだ。

「それじゃあ始めましょうか。世界の平和とやらのために――」





『助けて幸人っっっ!!』

 それは、山中に陸自によって設置されたスピーカーから大音量で流された少女の懇願の声だった。

 響き渡るローターの音にも負けない悲鳴。少年の耳朶は当たり前のようにその声に反応した。

「美……夏? なんだこれ……いったい、これは何なんだよ」

『黒川 幸人とその協力者に次ぐ。正午までにお前たちが車を乗り捨てた駐車場に戻ってこい。でなければ、折原 美夏の命はない。もう、なりふり構う余裕などないのだ』

 今度は凛華の声だった。

 その、どうしようもなく硬い声がやけに虚しさを呼ぶ。

「どういうことだそれは!!」

 山に響く声は三度繰り返されて消える。

 反射的に立ち上がっていた幸人は、縋るような眼でミコトを見た。

「……確認した。本物の折原 美夏が今、ヘリで連れられて移動している」

「違うだろっ。そうじゃない……そうじゃないだろうがよぉっ?!」

 幸人は言葉にできない苛立ちのままに、感情任せに木の幹に左拳を叩きつける。

 刺さったトゲの痛みさえも超える痛みさえ、今の彼には生ぬるい。

 それよりも精神的に味わう苦痛だけが精神をただ苦しめた。

 それは、斬り捨てられた者へと感情移入したが故の痛みか。

「また繰り返すのか! また、あいつに押し付けて綺麗ごとをほざくつもりか!? 国民を、国を、世界を狂人から守る? そのためなら何をされてもしょうがない? どいつもこいつもなんで犠牲にされる奴のことを考えない! 自分の身内じゃなきゃ、誰が犠牲になってもどうでもいいって言うのか!!」

 その時、少年の怨嗟の声をあざ笑うようにヘリのローター音が過ぎ去っていった。

 マルクトのグライダー装備の奏でる喧しいジェットエンジンの音と合わさって、ただひたすらに少年の神経を逆撫でする。

「――」

 唇を引き結んだままのミコトは、激情を堪えることも放棄した幸人を痛ましい目で見た。

 やがて、木に八つ当たることにも飽きた幸人は地面に放っておいたリュックを手に取ってふらふらと歩き出す。

「行くのね」

「行って、クソ軍人共から今度こそ美夏を助け出す」

「マルクトがいるわよ」

「だからどうした! 俺がいかなきゃあいつらはやる! しょうがないからって顔をして、適当に大仰な言い訳でも付け足して引き金を引くのさっ! 奴らはそんな連中だ。そんな屑のような奴らなんだよあいつらはっ――」

 初めから彼の中に信頼などない。

 そんなものは既に尽きて久しい。

「……悪い。俺はもう、駄目だ……」

 リュックの中に隠していた自動式拳銃を取り出してスライドさせる。

 初弾を装填された拳銃を手に、幸人はVRゲームで学んだ通りにセーフティを解除する。

「ちくしょう。今なら、爺さんがどうして自殺したか分かる気がするぜ」

 死ぬことでしか終わらせられないというのなら、もはやそれに縋るしかなかったのだ。

 自殺者の気持ちなど、普通の人には分からない。

 それは当然だっただろう。

 そんなところまで追いつめられたことがない人間には、もはや想像さえできない場所であり、むしろそれは、共感したり分かってはいけないことなのだ。

「貴方はそれでいいの」

「……いいわけあるかよ。でも、ほかにどうすることもできないんじゃしょうがないだろ。俺はまだ、まだ普通の高校生なんだ……」

 泣きそうな顔で言い捨て、幸人は来た道を引き返す。

 記憶はおぼろげで、それが正しいかすらも分からない。

 ただ、それでも彼は行かなければならなかった。

 普通ならこんな下らない脅しなど無視してしまえばいい。

 だが彼らには前科があった。

 それがどうしようもなく彼の選択肢を束縛した。

――いやぁ、助けて幸人!!

 思い出したくもない記録と、耳に届いた声が脳裏で重なる。

 ましてや今回もまた、WDFと自衛軍は歩調を合わせていた。

 その後に待つのは悪夢の再来だ。

「待って」

「止めるな。俺は今度こそあいつを――」

 瞬間、振り仰いだ幸人はスタンガンを食らった。

「がっ――」

「意地っ張り」

 崩れ落ちる幸人からミコトは拳銃を奪い去る。

「そこでしばらく寝ていなさい。私がどうにかしてくるわ」

「どう……」

「貴方が殺したら問題だけど、私が殺しても何の問題もない。そうでしょう? だって私は彼の側で、人類の敵なんだから」

 少女は微笑んだ。

 そうして、一人で道無き道へと戻っていった。

 その背がいきなり空気に溶けるように消えたのを見て、幸人は彼女の光学迷彩を思い出す。確かに、それは凶悪な武器になるだろう。

 だが、どうしてか不安だった。

 理屈ではない。

 いつだってそうだった。

 本当に大事な時に、黒川 幸人は蚊帳の外に居る。

 そうやって最後には、結果だけを押し付けられるのだ。

(くそっ。嫌なんだよもう。どうして俺は、俺は――)

 這うようにその後を追おうとするも、痺れた手足は言うことを聞かない。

 一人残された幸人は、この後に及んで気を使われている自分の無力さを呪った。





「パンドラ」

『何?』

「少年をお願い」

『言われるまでもないわ』

 ネットワーク経由の通信を送り、ミコトは走った。

 荷物である幸人さえいなければ、それこそ一時間とかからずに駐車場に戻れる。

 彼女の身体能力<スペック>なら十分に可能だ。

『――ミコト』

「はい」

 御久﨑からの通信だった。

『私から言うことはない。君のしたいようにしてくれ。運命に抗うのもさすがに疲れた……』

 その声に揺らぎはなく、ただただ諦観だけが混ざっていた。

 その、痛ましさのなんと暗いことだろう。

「いいのですか?」

『私は君の意思に任せたのだ。だから、どんな結果になっても受け入れよう。装備や機体は自由に使ってくれて構わない』

「了解しました。父様、必ずや彼とパンドラを届けます」

『……ああ。期待しているよ。我が娘よ』

 通信はそれで途切れる。

 諦めの中にある微かな希望。

 その色が微かに少女に力を与える。

 信頼してくれているのだろうと少女は思う。

 それは当然だ。生まれてからずっと彼女は支え続けてきたのだ。

 だから、その狂った男の悔恨さえも見届ける覚悟は既にある。

 御久﨑は死にたがっている。

 止められたがっている。

 そうして、楽になりたいという誘惑に抗え切れずにいるのだ。

 友への未練だというのもあるだろう。

 きっとそこに嘘はない。

 しかしミコトにはそれが、死に場所を求めているようにしか見えなかった。

 けれどだったら、生みの親のためにできることをしてあげたかった。

「せめて、満足の良く最後を――」

 地球人類は彼を狂人と呼ぶ。

 だが、彼女からすれば御久﨑という男は現実に打ちのめされてもなお夢を追い続ける、どこにでも居る弱さを持った孤独な人間<ヒト>に過ぎなかった。





『――熱感知センサーに感在り!』

『猿? いや……これは人か?』

 護衛の機体に乗るパイロットたちの声に反応し、マルクトに搭乗した麗華はセンサーの設定を切り替える。

 センサーには、異常な熱を持つ人型の物体が木々を跳ねるように飛び交っている。

 もはやそれは人の動きではなかった。

『まるでムササビだ。忍者か何かの末裔かこいつは』

 馬鹿々々しいと思いながら、発言した軍曹の言葉に内心で麗華は同意した。

 だがそんなはずはない。

 それはまっすぐにヘリの降下した駐車場を目指している。

「姉さん、誰かが来る。警戒してくれ」

『分かった。そちらも気を付けろ』

 通信を切ると、麗華は僚機に向かって指示を出す。

「私が下に降りる。二人は引き続き警戒を――」

『立花少尉、シェキナがっ!?』

『――ッ各機、限界まで降下しろ』

 様子を見るかのように彼らの更に外側を旋回していた七機のシェキナが、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 手にしたレーザーライフルをまだ撃っては来ないが、自衛軍機もそれを迎撃できない。

 爆発したら美夏が死ぬ。

 既に爆発圏内で、誘爆したらまとめて周囲が吹き飛ぶのだ。

 機体を減速させ、道路に下ろす間に操縦桿を握る手が汗に濡れた。

 元より、麗華も生きて帰れるとは思っていない。

 ここに居る兵士は、それさえも織り込んでいる。

 だが彼女たちにも意地がある。

『ロックオン警報が止まらない。これは、降下妨害作戦よりスリルがありますね軍曹』

 若いパイロットが茶化し、それにベテランの軍曹が頷く。

『ああ。手が震えていうことを聞かない。盛大に漏らしちまいそうだ』

『帰ったら自慢してやりましょう。ロックオンされて生き残った最長記録を更新ですよ』

『違いない。勲章ものだなこりゃ』

 駐車場の上を、ただただヘリをロックしたまま二機が旋回する。

 所詮はただの脅しだが、それでシェキナが黙るなら他に手はない。

 むしろ、これで人類の希望が回収できるのであれば安いものだった。

 もはやなりふりなど構っている余裕など彼らにはないのだ。

「二人とも、危ないと思ったらいつでもベイルアウトしてくれ」

『冗談は止めてくれ少尉。こういう時は嘘でも『帰ったらデートしましょうね軍曹』って猫なで声で言うもんだぞ』

『……先輩、どさくさに紛れて何口説いてるんすか』

『それぐらいの役得は欲し――おい! 斜面から警戒対象が上がって――』





 けたたましい爆音が一度に三度鳴ったのを美夏は聞いた。

 駐車場を旋回していた二機はレーザーライフルの狙撃を受けて爆発。

 そのまま山へと呆気なく墜落した。

「麗華!?」

 駐車場の向こうの道路で、降下していたマルクトが足を撃ちたれてバランスを崩し、道路の奥の崖へと盛大に突っ込んだ。

 大質量の物体の衝突で削れる山肌。

 やがて動きを止めた機体は、前のめりのままで両手を付き、身を起こそうとする。

 だがそこへ、容赦なくレーザーが降り注ぐ。

 残った左足、右腕、左腕。

 そして最後に頭部を撃ち抜かれて機体が沈黙する。

 そこへ、道路へと着陸したシェキナの一機が悠然と歩を進めていった。

 一歩進むごとに駐車場にも振動が奔る。

 止めを刺そうというのか、振り仰いだ凛華の顔が絶望に染まる。

 そんな中、通信の声を聞いていた美夏の意識は、ガードレールの向こうにある斜面へと向けられていた。

「敵が来たわよ凛華」

「な、に?」

 視線の先に人はいない。

 その代わり、虚空に浮かんだ突撃銃が猛全と近づいてくるのが見えた。

「ふぅん? 光学迷彩って奴かしら」

「馬鹿なっ! あんな違和感のない精度の代物が存在するわけがっ――」

 しかしそれは、所詮は地球人類の認識に過ぎない。

 その代償は銃声で返された。

 構えられた銃口の先には、護衛の伍長が居た。

 それは恐るべき精度で伍長の胴に襲い掛かる。

「ぐっ――」

 防弾チョッキに守られた伍長の体が、着弾の衝撃で仰け反る。

 しかし反復した訓練の賜物か。

 彼女は手にした銃を反射的にミコトに向け、勇敢にも反撃を試みる。

 が、そこへ新たな弾丸が着弾部位にピンポイントで容赦なく突き刺さる。

「がふっ」

「――伍長!?」

 信じられないという顔のまま、撃ち抜かれた伍長の体が不気味に跳ねる。

 銃撃の衝撃は肉を抉り、内臓をかき乱して兵士の体を蹂躙。やがて、当然のように血だまりに伏せる伍長と同時に周囲が静まり返る。

 誰がどう見ても、彼女はもう息絶えていた。

「貴様ぁぁっ!?」

 凛華は激高した。

 美夏へと突き付けていた拳銃を、走り寄ってくる突撃銃に向かって乱射する。

「な、に?」

 だが、放たれた銃弾は不自然に歪んだ空間によって弾き飛ばされ、アスファルトへと着弾した。弾丸は見えずとも、結果を見ればそれはもう明らかだった。

「空間歪曲バリアだと……」

 その向こうで、光学迷彩を解いた学生服姿のミコトが姿を現す。

「でたらめだっ!」

 そのまま凛華が二発ぶち込むも効果はない。

 回避など必要ないミコトはおおよそ十メートル程の距離で止まると、肩にひっかけていた突撃銃のベルトを外す。そして明後日の方向に銃口を向けると、片手で持ち上げた銃を再び発砲した。

「どこを撃って……っ!?」

 彼女が撃ったのは、応援に駆け寄ろうとしたヘリのパイロットだった。

 脳天を撃ち抜かれた男は、ヘリの窓ガラスにもたらえるようにして地面に倒れる。倒れた音で気づいた凛華は、無意識に美夏を連れてジリジリと後退していた。

(詰んだか――)

 撃てば辛うじて当てられるその距離で、しかし相手はバリアを使っている。

 勝機があるとすれば、相手の発砲の瞬間だけ。けれどそれに合わせて銃弾を撃ち込む程の練度を自身が備えているとも思えず、賭けに勝ってもその後にはシェキナが動くだろう未来が待っている。

 左手一本で向けられた銃口を前に、凛華にできることはジリジリと距離を取ることだけだ。

 けれど、そこにはまだもう一人居た。

「――ふぅん。やっぱり、頭がおかしい奴の手駒は洒落にならないわね」

 人質役を買って出た折原 美夏だ。

「止めろ。相手を刺激するな」

 凛華が止めるも、少女は聞かない。

「さすがはドクターRのロボットね。性能はもとよりその見た目。まるで人間そのものじゃない。貴方達のテクノロジーは本当に常軌を逸しているわね」

「ロボ……ット?」

「貴女ロボットでしょ。でなきゃ全身を完全に消せるような光学迷彩なんて使えるわけがない。ましてやエネルギーを食うはずの歪曲バリアを当たり前のように使い続けられる訳もない」

 学生服以外で大仰なバッテリー装置を身に着けている風でもない。

 となれば、外部ではなく内部にあると考えるしかない。

「そして貴女は見た目が華奢すぎる。銃って、普通の女子学生には重いはずよね」

「だとしたらどうだというの」

「どうもしないわ。ただ、気になっただけよ。貴女、助けてくれるんでしょう私を」

「それ以外の選択肢はない。けれど――」

「けれど?」

「貴女を助けるべきか迷っている。貴女、彼を裏切ったわね」

「ええ」

 美夏は隠さなかった。

 顔色一つ変えずに平然と頷き、そしてなおも言ってのける。

「貴女になら分かるでしょう? 奴らに脅されている私にはそうするしかなかったんだって。自衛軍は今も昔も屑よ。その証拠にほら――」

 折原 美夏はマスクを外した。

 撃ち抜かれた傷跡が生々しく残るその肌を。

「後ろに居る女の父親に人質として売られて、WDFのあのクソ兵士に撃ち抜かれたこの傷は未だに醜いままよ」

「美……華?」

 それは呪いのような告白だった。

 両の頬に刻まれたその銃創の無残さよりも、その言葉は凛華の思考を一瞬で破壊した。

「あら、知らなかったの凛華? 口封じの意味も込めて昇進した自分の父親のことを」

「嘘だ」 

「嘘ならこんな傷跡は残っていないし、私が貴女たちのために幸人を裏切るわけがないけどね。おかげで私は両親を守るためにも警察に訴えることさえできなかった」

「嘘だっ! あの真面目な父がそんなことをするわけが……」

「真面目だからみたいよ。私を犠牲にしたら日本が助かるんだって。仕方がない犠牲だとか言ってたわよあの屑野郎は」

 首だけで振り返った少女の黒瞳が、奈落の底のような色で凛華の精神を突き落とす。

 連動して視界に入る消せぬ傷跡が、何よりもその狂気を突き付けて離さない。

「でも貴女が気にすることじゃないわ。屑なのは貴女の父親であって貴女ではないのだから。軍人なんでしょう凛華。貴女は、貴女の成すべきことをやればいいわ。父親と同じようにほら、世界のために私を利用して優位にことを進めなさい。私を人質に、ディスペアの正当所持者であった祖父を自殺に追い込んだあの時のように――」

「折原 美夏。お前はいったい誰の味方だ」

「うふふ。無意味な問いよそれは。私は私と幸人の味方よ。それ以外の何者でもないもの」

 少女は嗤う。

 ただただ哂う。

 笑って嗤って、凛華だけではなくミコトまでも戸惑わせる。

「……人間は、本当に意味不明な生き物ね」

「量産品のロボット風情には分からない生命の神秘って奴よ」

「かもしれない。けど分かろうとすることはできるし、私には感じ取ることができる」

 プログラムされたことしかできない旧来のAIではなく、思考し考える力を与えられている人工知性体として。

 彼女であっても感じ取れるモノがある。

 銃口が動く。

 射線を外していたそれを、ミコトはその時初めて美夏に向けた。

「お前は危険だ。きっと、この星で一番ドクターと幸人に害を成す女だ――」

「――訂正しなさい。私が幸人に害を成すなんて在り得ないわ」

「貴女の目は同じなのよ。貴女の頬を撃ったあの男や、そこの女の父親と」

「――ッ一緒にするな機械人形!!」

 語気を露わにする少女は、そのまま凛華に振り返る。

「ねぇ、そう思うでしょう凛華?」

 見上げる彼女に凛華は答えない。

 ただただ沈黙の後、戸惑いの相槌を打つだけだ。

「私はあんな屑共とは違うし、幸人を殺そうとするお前たちとも違う――ああ、言っても機械人形には分からないか。ごめんなさいね。知的生命体として恥ずべき勘違いをしてしまったわ。人間の振りをした兵器風情に激高するなんて独り言も良い所だったわね」

「……傲慢な女」

「問答はまぁどうでもいいわ。結局どうするのよ」

「取引をする」

「取引?」

「立花 凛華。お前の妹はまだ生きている。その女と交換したい」

「麗華と、交換しろだと?」

「勝敗は決している。武器を捨てて逃げるなら見逃す。これ異常の流血は無意味」

「散々殺してる癖に今更人道主義でも気取るの?」

「お前はもう黙れ」

「はいはい」

 苛立たし気に言うと、ミコトは顎をしゃくる。

 その向こうで、達磨にされた機体のコックピットにレーザーライフルを向けるシェキナの姿が見えた。

「さぁ、どうする?」





「はぁ、はぁ……」

 痺れから解放された手足引きずって、幸人は移動を急ぐ。

 先導するのは、どこからともなく現れたパンドラだ。

「ほら、早くしないと間に合わないわよ」

「煩せぇ。山だからって野生に帰ってんじゃねぇよ」

 猫の身は身軽だ。

 山の斜面も疲れ知らずでひょいひょいと黒猫は進んでいく。

 四足歩行と二足歩行との差はあまりにも大きかった。

「アレだけ走り続けたくせに体力が無いわねぇ」

「ふざけろ。空腹の上に禄に昨日寝てないんだぞ。こっちは気力で持たせてるんだよ」

「精神論じゃさすがに限界があるか……」

 ふと、斜面に出っ張っている石の上で止まると黒猫は幸人を待った。

「駄目ね。このままじゃ間に合わない」

 意を決したパンドラは、木の幹を抑えながら斜面をおっかなびっくりと進む幸人に提案する。

「ルール違反だからあんまりやりたくないけど、ショートカットよ幸人」

「何か手でもあるのか?」

「――感応制御システム接続。M式装備限定駆動開始――」

「おい、これ――」

 その時、ディスペアをゲームで操作するときと同じ感覚に幸人は襲われていた。

「ごほっ。短時間だけよ。レーダーに目的地点があるから、そこへ飛ぶようにイメージしなさいな」

「こ、こうか?」

 イメージするのはあの漆黒の機体だ。

 三対のスラスターが起動するようなそのイメージに従い、幸人の体が淡い光に包まれてゆっくりと空へと浮き上がる。

「飛んでる、生身で俺が……」

「感動してないで急いで頂戴。ペナルティで苦しいのよ」

「ちょ、お前血が!?」

「死ぬほど痛いわ。ごほっ」

 吐血した黒猫は、言うなり幸人の胸元にジャンプする。反射的に彼女を抱いた幸人は、両手で大事そうに抱え、脳裏に浮かぶレーダーに従って飛翔した。





 前提条件はこうだった。

 黒川 幸人のために折原 美夏を五体満足で助け出す。

 彼女は彼のモチベーションである。

 彼女への被害は、黒川 幸人のメンタルに悪影響を及ぼすと考えられる。それでは駄目なのだ。

 だが、その前提を覆すべきだという警鐘は止まない。

 機械にあるまじきその直感。

 しかしミコトはそれを敢えて抑え込む。

(それに折原 美夏の存在は御久﨑にとっても厄介)

 折原 卓也の孫で、一連のドクターRの所業の犠牲者でもある少女。

 マジョリティの生贄として差し出された彼女のことは、彼だとて心を痛めていた。

 改めて見せられた人の邪悪さと業には、人間賛歌を捨てきれない彼をして閉口した程だ。

 だから、それ以後は監視としてミコトを派遣し二人を御久﨑は見張らせていたのだ。

 ただし、それは見張るだけだ。

 よほどのことがない限りは接触せず、約束の日を待っていた。

 何もなければそれで終わるはずだったのに。

(この女、何を考えているか分からない)

 恨んでいると、短絡的な言葉でまとめて鋳型に嵌めて理解した振りはできる。どこか純粋で単純な幸人とは違い、その少女はあの事件より対極にある。

 少女は少年よりも大人になるのが早い。

 少年が少年のままで前に進んでいる間に、少女は部屋に閉じこもり続けてきた。

 外界を遮断し、彼とは楽しそうに話し、そして境遇を呪いながらも前に進み続けた。

 通信教育などがその象徴だ。

 しっかりと、彼女はそれをこなし続けている。誰に言われずとも親に頼み、彼女なりの思考でもって歩んできた。

 走り続けた幸人と同じように。

 だから決して間違ってはいけない。

 折原 美夏はどん底にあってもなお、静かに戦い続けているような女だと。

 決して、意中の男にただ守られるだけのか弱いお姫様ではないのだと。

「さぁ、早く終わらせましょう」

 マルクトのコックピットを抱え上げたシェキナが、駐車場へと機体を下ろす。

 オレンジ色のその機体のモノアイは、相変わらずの怜悧さでもって周囲を睥睨している。

 この状況。

 空に六機のシェキナと、人型ロボットであり人外の性能を誇るオーバーテクノロジーで守られたミコトを前にして打開できる状況ではない。

 誰がどうみても形勢逆転は不可能で、それを飲むしか生き残る術はない。

「……分かった」

 だから立花 凛華がこうして折れたとしても何も不思議ではない。

 折原 美夏を人質にしても同じだ。

(このまま睨み合いをしても、私の優位は変わらない)

 正午がくれば幸人がディスペアに乗る。

 そうなれば、それこそ折原 美夏を助け出す前に負担は減る。

 彼を暴走させる前に決着を付けられればそれはそれでいい。

 だから、あえてミコトは麗華だけは生かした。

「ヘリの傍までそのまま歩いて、そこでシェキナを遠ざける。そのあとに立花 麗華に呼び掛けて外にださせる。そのあとで、貴方は武器を捨てると同時に折原 美夏を解放。私は美夏と合流。貴方は妹と合流して逃げ帰る。これでいいわね?」

 手順としては、射線を美夏の体で塞ぐ形式だ。

 決してこれは公平な取引ではない。

 だが、相手にはそれしか生き残る術は無い。

 自分一人だけなら凛華は抵抗しただろう。

 が、そこに妹の命がかかるとなれば可能性に縋るよりほかにない。

 電脳がはじき出した結論は、普通の人間の習性で考えればかなり譲歩している方だった。

「ああ」

 そうして、すぐさま取引は実行された。

 まず、ヘリの機体を軸に移動して死んだパイロットの傍へと向かう。

 そこで、シェキナがマルクトから銃口を外して後退する。

「麗華、聞こえるか! 出てこい!」

 しばらくして、胸部コックピットから外部の集音マイクで様子を伺っていただろう麗華が出てくる。

「姉さん、私は!」

「言うな! 二人とも殺されるよりはマシだ」

「くっ……」

「銃をこちらに投げると同時に解放。いいわね?」

「――ああ。美夏」

「なに」

「父の話はその、本当なのか?」

「ええ。だから私は貴女の父親の名を知っていたのよ」

「……すまない。無事に終わったら、必ず父に償いをさせる」

「止めて頂戴。貴方達姉妹も含めて二度と顔も見たくないのよ私は」

「……すまん。本当に、すまん」

 勝気な女軍人は、そういってうつむくと意を決したのか銃をミコトの方に向かって投げ放つ。

 黒光りする殺人道具が宙を舞う。

 同時に、立花 凛華はヘリの影へ。

 そして、折原 美夏は前へと走り出した。

「別に走って合流する必要は――」

「あるわよ。だってほら――」

 銃がアスファルトに落ちる。

 拾うために前に歩き出していたミコトは、走り寄ってくる美夏が目の前で前に全力で飛び込んで来るのを見て目を見開いた。

 空間歪曲バリアは高重力を用いて使用する。

 重力を遮断できるシステムを搭載している彼女はともかく、生身の美夏には接触するだけでも悪影響を出しかねないからだ。

 咄嗟にバリアを解いた彼女の眼前で、銃に飛びついた美夏が嗤う。

 その手には、未だに残弾が装填されている拳銃がある。

「――貴女をスクラップにできないでしょ?」

 伸ばされる腕と一緒に、ミコトの眼前に突き付けられる銃口。

 一瞬の迷いさえ、少女には無い。

 銃声。

 発射された弾丸はライフリングを刻まれながら吐き出され、ミコトの左目を撃ち抜いた。瞳を模した光学センサーの一つが破損し、仰け反った彼女の眼前で反撃のために伸ばした銃口が美夏を狙う。だが、寸での所で思いとどまってミコトは発砲を止めた。

 美夏を敵と判断しながらも、幸人のために殺せないというジレンマがミコトを止めたのだ。

「伏せていろ美夏!」

 そこへ、発砲と同時にアスファルトを転がった美夏の後ろから、ヘリのパイロットが落とした小銃を構えた麗華が、拳銃弾よりも威力が高いライフルの弾丸を撃ち放つ。

 一瞬動きを止めてしまったミコトは、その弾丸から逃れられなかった。

 バリアを張ったら足元の美夏が死ぬ。

 結果として人間の少女を模した華奢な体のせいで、薄かった装甲が貫かれる。

「――安全装置稼働。動力炉緊急……閉……」

 倒れ伏した少女ロボットの体から、火花が散る。

 残った右目が、怨嗟のように見上げてくるのを起き上がった美夏は鼻で嗤う。

「本当にロボットって馬鹿ね。私なんて気にしなければ壊れずに済んだのに。臨機応変さにかけてはやっぱり人間以下だわ。言われたことしかできないような奴は人間社会じゃ役立たずって言われるのよ」

 起き上がった美夏は、手にした銃を両手で構え、残った右目のセンサーを狙って引き金を引いた。

 それで終わりだった。

 放たれた二発の弾丸によって機能停止したらしい少女ロボットは、ピクリとも動かずスクラップになった。

「大丈夫か!」

「相手が馬鹿で助かったわ。後は、幸人が来るのを待って私を人質にすれば――」

 斜面を振り返った美夏の顔が、その時確かに強張った。

 そこには、茫然とした顔で空から降下してきている幸人が居た。





「美夏、お前――」

「……元気そうね幸人。ちょっと待って。この顔はあまり見られたくないの。特に貴方にはね」

 ポケットに閉まっておいたマスクを付け直す美夏に、幸人は固い声で問う。

「――ミコトを殺したのか」

「言葉を間違えないで。私は人間に牙を向くロボットを壊しただけよ」

「……」

 駐車場に降り立った幸人は、火花を散らし、配線がむき出しになって見える少女ロボットを複雑そうな顔で見た。

「ごほっ、ああもう。一息つけるかと思ったのに最悪ね」

 盛大に吐血したパンドラが、弱り声で凛華と美夏を見る。

 そこへ、遅れて後ろから麗華も合流した。

 奇妙な構図だなと、幸人は思った。

 どうしてそうなったのかなんてもう、どうでも良かった。

 ただ、その胸中にあるのは戸惑いだ。

 どういう顔をしたらいいのか、少年には分からない。

「……そいつは、ずっと俺を助けてくれてたんだ」

「貴方を利用するためにね」

「……かもな」

 所詮、幸人は代理人。

 それは分かっている。

 けれど。

「たった一日だけどさ。恩義を感じてもいたんだよ」

 そしてもう一つ。

 彼女の役割を考えれば、眩暈の一つも感じるというものだった。

「それに、そいつが景品をくれる手筈になっていたんだ」

「ああ、私の頬の傷を治せるとかいうアレ?」

「そうだ」

「別にいらないわよ。私にはもっと欲しいものがあるから」

「もっと欲しいもの?」

 頷き、美夏は銃を片手に幸人へと近寄っていく。

「うぷっ。ああ、やっぱりキツイわ。なんでかしらね。私は貴方を愛しているはずなのよ。なのに私の体はもう、大人びてきた貴方を拒絶しようとするの」

 少年から青年へと至る幸人の体は、否が応でも少女の古傷を掻き抉る。

 込み上げてくる嘔吐感に堪えかねて口元を抑える少女は、しかしそれでも歩を進めていく。

「そろそろ我慢の限界ね」

 後三歩もあれば触れられる距離で、美夏は静かに涙した。

 震える両足は止まり、握力さえ失ったその手からは拳銃が空しく零れ落ちる。

「美夏……もういい。無理をするのは止めろ」

「嫌よ。ここで私は無理をするの。しなくちゃいけないのよ」

 せっかく醜い傷跡を隠していたマスクを力ない指で剥ぎ取り、嘔吐しながらも少女は張這って進む。

 その先に居る幸人は、どうしようもなく堪らなかった。

 記憶の中の少女は、どのクラスの女子よりも可愛らしかった。

 一緒に登校してクラスメイトにからかわれたこともあったが、それでも苦痛に感じることはなかった自慢の幼馴染だ。

 なのに、どうして。

 こんなにも苦しそうにしているのだろう。

 青ざめた顔は、少しでも昔に近づけようと微笑みを浮かべようとしているのだと幸人には分かる。

 だが現実はどうだ。

 射貫かれた頬の傷が痛々しくて、微笑みさえも正視するのが辛くなる。

 その手を取って抱きしめてやりたくても、それさえももう許されない。

「今、私の大好きな幼馴染が狂人に奪われようとしているわ」

「馬鹿言うな。勝つのは俺だ。そのために訓練してきたんだ」

「嫌よ。その堕猫が言った勝率なんて、机上の空論じゃない。私には我慢ならない。貴方が負ける可能性が四割もあるふざけた確率に委ねて貴方の帰りを待つだなんて」

「美夏……」

「無事でいてくれさえすればいいのよ私は」

 だから、少女は裏切ってでも少年を止めるしかなかったのだ。

「こんな傷なんてどうでもいいわ。貴方が私を軽蔑したり嫌ってもいい。どこの誰とも知らない女と添い遂げてもいいわ。でもね幸人。私のために貴方が死んだとしたら、私はいったいどうすればいいのよ――」

 たった三歩。

 その限りなく遠い距離を、少女は問答の中で踏破する。

 そうして、少年の腕の中でぐったりとしている黒猫に手を伸ばした。

「――パンドラ。私の男を奪うのはお願いだから止めて頂戴。貴方が居る限り幸人は夢に踊らされる。私のために、命を賭けようとする。だからもうやめて。私たちをこれ以上苦しめないで。パイロットになりたい奴は腐るほどいるわ。死にたいって奴は馬鹿な軍にいくらでもいるの。だったら、何も私の幸人じゃなくてもいいじゃない」

 それは懇願であり、ただの切実な願いだった。

 吐血したままの黒猫は、少女の懇願を前にして力なく身を委ねた。

「パンドラ、お前……」

 システムから切断されたせいで幸人の体から光が消える。

「貴方の負けよ。その代わりに美夏、どうなっても知らないわよ」

「かまわないわ。それは斬り捨てられた私が考えることじゃないもの」

 その選択は、地球人類の勝利の可能性を放棄する宣言だった。

 先に斬り捨てられた以上、斬り捨てることに戸惑いなど少女にはない。既に少女は見限っているのだから。

「そう。なら凛華でも麗華でもいいけど、来なさいな。私ももう疲れたから、いい加減終わらせたいの」

 口元を拭い、美夏の手から退いたパンドラは黙ってみていることしかできなかった立花姉妹に向かって歩く。

「さぁ、本契約をしましょう。箱の中にはもう、絶望しかないけどそれでいいんでしょう? 死にたい方に一度だけ夢を見せてあげる。たった一機の機動兵器で世界が救えるかもしれないっていう、馬鹿げたロボット幻想を――」





 それから数分後。

 最強の機体が再び日本の自衛軍パイロットの手に委ねられた。

 パンドラとの本契約によって、人外の力を得た立花 凛華はそのまま飛翔。

 周囲のシェキナを引き連れて単独で空へと上がり、そして。

 ディスペアを遠隔自爆させたドクターRの手によって、満足に戦う機会さえ与えられることなく空に散った。

 当然と言えば当然だった。

 ドクターRは軍人とは戦争をしていた。

 協定も何もないただの戦争で、エゴを通すだけのそれにルールなどありはしない。

 結局それは、軍に渡してはならないという折原 卓也の予言通りの結末でしかない。

 その翌日。

 停滞していたドクターRの攻撃は再開され、三日と持たずに世界中の軍事施設が完全に壊滅。月からも人は追い出され、地球人類はたった一人の男に事実上敗北した。


――当然、自由になった黒猫が地球人類に目撃されることは二度と無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る