第五話「監査官」
慣れないなと、大佐は思った。
報告の時間。戦況報告までのそれは、いつも彼の身を焦がす。
彼の乗る大型輸送空母『清流』は、高高度から海上へと落下してくるマルクト部隊の回収用に作られた側面を持つ。勿論、有事の際には海にも適正を持つマルクトを展開するためにも利用されるが、今現在そのような心配をする余裕は自衛軍にはない。
彼が任務について数年。
無事なマルクトを回収できた数はあまりにも少なかった。
そして今日も、呆気なく若い命が祖国の土を踏むこともなく散ったことを彼は知る。
『――全滅だ。生き残りは居ない』
受話器越しに語るその男の重い声が、その言葉をさらにやるせなくした。
『奴は戦術を変えた』
「それは、いったいどのような?」
大佐は目頭を揉みながら言葉を待つ。
『投入された戦力の全てがシェキナだ。レーザー衛星も、ミサイル衛星も無傷で突破した。それだけならまだ諦めがつく。だが、今回はテレポーテーションも再び併用してきた。開戦時以外、降下部隊の回収ぐらいにしか使用しなかったアレをだ。迎え撃とうと空に上がった空自の部隊は、後ろからいきなり現れた別部隊に全て叩き落とされた。同時に、奴は攻撃した衛星も全て撃墜した』
それはもう、勝負でさえなかったという。
これまでの全てが遊びであると思わせるような攻撃。本腰を入れたらどうなるかなど、大佐はもはや考えたくもなかった。
『最悪だな。この敵は二時間で終わる異星人の侵略映画とはわけが違う。都合よく自爆などしてくれない』
細菌にやられず、兵器の制御ユニットを地表に下ろしたりもしない。食料不足で栄養失調なわけでもなければ、人類の手が届く箇所にやってきてくれもしない。
宇宙空間から延々と下僕を地上に下ろして攻撃してくるだけ。
ただ、それだけでもこの様だった。
『本当に異星人が存在し、地球に攻めて来ていないことだけがせめてもの救いだ』
無力感とやるせなさが、冗談の中に込められていただろうか。
本当に異星人であったなら、もっと悲惨なことになっていた可能性はある。
だがそれはIFだ。
今現在攻撃を仕掛けてきているのは地球人の男で、独善を他者に強要しようとしているただのテロリスト。
その行動の結果に大量破壊兵器の抹消が含まれようとも、それはただの我儘でしかない。
「ところで立花中将」
『なにかね』
「我が部隊の成り立ちを考えれば、貴方達空自と海自が頻繁に連携を取るのは大変結構なことだとは思うのですが、WDFの干渉はどうにもならなかったのでしょうか?」
『これは政府が外圧に負けた結果だ。ディスペアが一度落とされた時点で、自衛軍だけには任せられないと考えたのだろう』
「勝手に動き、捜査妨害をするような者も居ますが?」
『それは向こうの失態だ。政府が外交カードにでもするだろうさ。問題はリミットとやらだ。それまでに我が自衛軍のパイロットがディスペアを手に入れなければ……』
軍事的、政治的にもディスペアの価値は大きい。
どういう視点で考えてもそうではある。
そうではあるが、大佐にはどうにも納得がいかなかった。
「しかし、相手が志願したとはいえあのような作戦を」
『大佐』
「はっ」
『一人の少女が命を張って、馬鹿をやろうとしているボーイフレンドを止めようと言ってくれたのだ。その勇気を買ってやるぐらいの人情は軍にも在って良いだろう』
「はぁ……」
『話は以上だ。くれぐれもWDFと少年。そしてドクターRの手先らしい誘拐犯には気を付けてくれ』
それで、通信は終わった。
(人情か。自分の娘を使っている時点で、殊更に胡散臭いだけだが……)
受話器を下ろした大佐は、デスクから立ち上がって冷めたコーヒーを一口飲んだ。
「……苦いな」
まるで現実のように。
香しい香りの後には、酸味と苦さが必ずある。
だが、どうしてか。
それ以外にもブレンドの配合を間違えたような、噛み合わなさがあるような気がした。
「ナンセンスだ。たった一機の機動兵器に誰も彼もが群がって――」
有効性も、優位性も理解はできる。
だが、それを手に入れたところで勝てるかなど誰にもわかりはしない。
禄に解析もできない機体。
たった一人に全てを押し付け、量産の目処さえもない機体。
いつから、軍はそんなあやふやで訳の分からない物に頼らなければならないようになったのか。
「全てはドクターRのせい……か」
彼が学んだ全てをSGが台無しにした。
ナンセンス兵器はナンセンスではなくなり、おおよそ信じられないような現実が到来した。だが、だからどうしたというのだろうか。
(お前が何をしようと、結局は何も変わっていないぞ)
人の在り方は変わっていない。
変わるはずもない。
ただ一人で世界に喧嘩を売って、それで変えられると信じるなど愚かを通り越して哀れでさえある。
けれど――。
(それとも私が鈍いだけなのだろうか。個人の望み通りになる世界などありえないと。欠片も思えないこの私には)
或いは、その最中でしかないからこそ感じ取れないだけなのか。
コーヒーを飲み干すと、作戦の資料を確認する。
それには、平時の彼ならば絶対に認めない提案がなされていた。
夜である。
既に日は落ち、辺りは暗闇に包まれている。
幸い、月と星の光のおかげで完全な闇には程遠い。
幸人はミコトに言われた通り、パラシュートのロープで両手を前で縛られたソフィアに水をやる。
「ほらよ」
「ねぇ、どうして今回は抵抗しないのよ」
「銃口を突き付けられた状態でどうして逆らえる」
今もライフルを向けて構えているミコトに幸人は視線を向けた。
所詮はブラフだが、誘拐されたという体の幸人にとってはそれは必要な処置だった。今更だが、WDFも自衛軍もミコトが何故誘拐したかなど知らないはずだった。だから演じるのだ。ミコトは、幸人に被害者としての逃げ道を残そうとしてくれているのだから。
「その女にやる水は少しでいい。どうせ後で捨てていく」
「はいよ」
「捨てていくって、こんな場所においてくつもりなわけっ?!」
「人質は一人で良い。それと、水は貴重だからやりすぎないように」
淡泊に言い捨て、ミコトは銃口で幸人を小突く。
「これでいいか?」
ペットボトルをリュックにしまうと、幸人は地面に転がされたままのソフィアから離れる。
「ご苦労」
無駄に横柄な態度でミコトは言う。妙に似合わないその仰々しさに、思わず笑ってしまいそうだ。
「で、次はどうしろと?」
「早朝に動くから寝ておいて」
「ねぇ、焚火の一つも炊かないわけ?」
「炊く意味が分からない。捕捉されるような行動は一切取らない」
冷たいを通り越して馬鹿にしたような眼だった。
思惑が透けて見えたのだろう。
思わず無駄な努力だなと、幸人は同情した。
制空権はすでにドクターRのシェキナが取った。
この時点で、幸人をパンドラをおびき出すためのエサとするなら一機たりとも撃墜はできない。機動兵器での介入など論外で、かといって歩兵か何かで捜索するにしても今は夜。
旧街道からも外れた今、何の情報も無しに探すのは難しいはずだった。
「黒川 幸人。こっちへ来る」
「んあ?」
ライフルを左手に片手で持つと、ミコトはスカートの中に隠されたふとものから拳銃を抜く。そうして一本の大木を背にしてから幸人の背後に回った。
当然のように顎下には拳銃がある。
慣れない冷たい感触。だが、それを握るのが味方であるというのなら不思議と我慢もできた。ミコトと名乗ったその少女に今、幸人は奇妙な信頼を感じていた。アクション映画の男女のようなノリかと、久しぶりに美夏以外の少女に興味をもったことに内心で驚いた程だ。
(御久﨑の協力者……か。こいつの行動理念の根源を聞いてみたい気もするが……いや、意味はないか。最悪まとめて倒すんだから)
達観した幸人は暗闇の中で目を凝らす。彼には暗黒の森の向こうに何があるのかは分からない。だが、幸人を盾にするということは敵が現れたということに違いない。
「な、なに? 誰か来たの?」
右往左往するソフィアが、すかさず声を張り上げようとしたそのとき。
ミコトが問うた。
「一人だけで何をしに来た」
「ちょっとお話し良いアルか?」
暗闇の中、姿は見せずに追跡者が問いに答えた。
「その声、リンリー!?」
「……誰だそれ?」
「転校生よ。ほら、自称中国人の」
「ああ、あの似非中華か」
「だから似非は止めるネ!」
憤慨しているのは本気か嘘か。
今一掴めないその少女の真意は、まだ誰も知らない。
だが対する少女にはそんなものは無意味だった。
「WDFの内部監査官が何の用」
「はい?」
「なん、だと?」
ミコトは、驚く二人をそのままに言葉を待つ。
一瞬の沈黙。
肯定も否定もない空白の時間が、何よりも相手の驚きを演出した。
「……なんでバレてるアル?」
「それだけ若作りしていたら分かる」
「若作り? いやいやいや、だってあいつは……」
「二十――「ちょっと黙るヨ。そこのSVRっぽい何か!!」」
「構わないけれど、それで貴女が若作りであることの否定にはならない」
「いや、うん。かもしれないが向こうにも世間体とかそういうのが……」
切って捨てられたオブラートに、幸人は黙り込む。
「え、てことは何よ。結局私以外全員が年齢を誤魔化してたってこと?」
「そしてこの監査官が一番年上という事実」
「ひ、秘匿されてるはずなのになんで知ってるネ!!」
「どうでもいいからさっさと要件を言って欲しい。私に答える義理はないが」
堂々と宣言するミコトに、相手のため息が今にも聞こえてきそうだった。
「色々と聞きたいことはあるけど、まずこれをはっきりさせたいネ。誘拐犯。お前は本当にドクターRの手先あるか?」
「……酷い妄想ね」
「貴女、頭は大丈夫なわけ?」
「妄想であれば良いアル。残念ながら少し前にそういうタレコミがあったそうネ」
(馬鹿な! いったい誰がそんなことを!?)
そもそも、知っている人間など居るはずがないのだ。
幸人だって打ち明けられるまで知らなかった。
「シェキナの動きが変わったというのも考えると、考えられなくもないネ。否定もしないし、どうやら当たりカ。となると……これは不味いような気もするアルね?」
「不味いなんてもんじゃないでしょう!」
「いや、私としてはこれはこれで或る意味ではありがたいヨ」
その時、ミコトがライフルの銃口を動かした。
幸人には暗すぎて分からない。
だが、この超人のような少女には見えたらしい。
微動だにしない銃口。それは闇夜の一点を捉えて揺るがない。
「待つアルね。いやまぁ、例えそうだったとしても、今の私にはどうしようもないアル。さすがに幸人を人質に取られると一人じゃ動きようがないヨ。上には今もシェキナが飛んでる以上、ここはもうドクターRの勢力圏。バカなことはしないから、このままいくつか質問をさせて欲しいヨ。正直、向こう側の人間とまともに会話できるっていうのは貴重アル――」
その時、周囲でシェキナのスラスター音が微かに響いてきた。
ギョッとして空を見上げたソフィアをそのままに、幸人はただ銃口の先を見続ける。
すると、確かに木々に隠れて人影のようなものがこちらを覗いているのが見えた。
「次の質問ヨ。最初のディスペアのパイロットのことが知りたいアル。これはソフィアも知りたいことだたかナ?」
「どうしてそんなことを聞く」
「無いアル。他のそれらしいパイロットのことは全て調べ上げられたネ。でも、最初の一人だけはどうしても見つからないアル。捕縛作戦が行われたはずなのに記録から完全に抹消されているヨ」
「……どういうこと? だって、WDFは知らないって」
「一般将校が知るはずないし、民間人のソフィアにこんな重要情報が開示される訳ないヨ。かく言う私も、この立場を得て調べるまで知らなかったアル。で、ふと疑問を持ったネ」
「疑問だって? はっ、一体何が可笑しいんだかな」
馬鹿にしたように幸人が吐き捨てるが、リンリーは肯定するだけだった。
「そう、疑問アルよ幸人。私は多分、ソフィア以上にディスペアについて知ってるアルよ。だって、私の親戚の従兄がパイロット……いや、ドライバーだったアルからネ。サブシートに乗せてもらったこともあるしあの猫、パンドラも知ってるヨ」
そうして、リンリーはそのパイロットのことを語り始めた。
「彼は所謂、チャイニーズマフィアだったアル」
「イタリアのマフィアも逃げ出すっていう、あの?」
「そうアル。で、その彼は抗争相手をディスペアで潰してたアルよ」
「クズね」
ソフィアが言い切る。
ディスペアという機体に思い入れがある彼女にとって、それは容認できるような行為ではなかった。
「――そう、クズだったアル。でも身内には優しかったネ」
懐かしむような声で、リンリーは言った。
「でもそのクズな男は五回も乗れなかったネ。四回目の搭乗時、ドクターRのシェキナに襲われて周辺一帯吹き飛ばした挙句に死んだヨ。まぁ、これは別にどうでもいいアル」
「どうでもいいって貴女……」
「いつ死ぬかなんて誰にも分からないネ。職業柄、皆覚悟だけはしてるアル」
死生観が既に違っていた。
任侠ともまた違う、それは非常で非情な裏世界の常識か。
「話が見えない」
「まぁまぁ、時間稼ぎでもないから聞くね誘拐犯。で、家の方針でまぁ、もう一度ディスペアが欲しいらしく私に話が回ってきたヨ。幸人を誑し込んで婿にして来いってネ。ただ、プライベートでは違うネ」
個人的に調べるために必要だったから、家のコネを利用してWDFに乗り込んでいた。それがリンリーの今の始まり。
「不思議だったアルよ。ディスペアとは何か。何故、パンドラとかいうあの喋る猫はあの機体を何処とも知れぬ場所から呼び出せるのか……」
そも、撃墜された時点でパイロットと一緒にパンドラも死んでいてもおかしくはない。
なのに搭乗者の傍に必ず黒猫が居た記録が残っている。
「これまでに八人搭乗者が居るネ。機体を解体、研究しようとしたドイツ人。避難中の家族のために乗ったアメリカ人、乗らずに軍に売りつけようとした韓国人。イタリア人に、中国人の従兄に、カナダ人の学生。そしてこの前の自衛軍人。この七人は従兄も含めてしっかりと記録に残っていたのに、最初の一人だけは残ってないヨ。これじゃ、異常だと誰だって思うアル。私も想像力旺盛だったから、WDFの陰謀か何かかと疑ったヨ。例えば……そうネ。最初の一人は、もしかしたらドクターRの情報をリークした科学者かその縁者ではないかと」
であれば、色々と説明は付く。
最も長く乗れたのは訓練していたから。
オーバーテクノロジーの機体を持ち出せたのも、ドクターRと似たような研究者だったから。
彼女の想像は飛躍した。
それは妄想と断じれるような妄言だったかもしれない。
けれど簡単に辻褄を合わせただけにしても、それらしい筋がそれには合った。
「――と、ここまで考えるとWDFの動きが腑に落ちなくなるアルよ。どうしてあそこまで厳重に秘匿する必要があるのか、とネ。失敗したことにして、ドクターRと戦う術を研究させているとかなら分かるアル。でも実際にシェキナに対抗できるような機体や技術が生まれたとも聞かないし、今もそんな革命的な計画は動いていない。失敗なら失敗で、もっと堂々としていれば良かたネ。でも彼だけは違う。ここまで秘匿する意味は何アルか?」
「……」
「――」
「幸人でも誘拐犯でもどっちでもいいアル。知ってたら教えてほしいネ。WDFは自衛軍と共謀して何をしたアル?」
最も長くディスペアに乗り、宇宙に出て闘い、月に密かにジャンクと新型の操縦方法を提案し、その方式をまとめた資料を提示した存在を必要以上に隠す意味とは?
彼女でなくても好奇心をそそられる題材だ。
現に、話を聞かされているソフィアは食いついている。
そして幸人も。
この目の前の女性の肩書に興味を惹かれていた。
「もうドライバーの検討は付いてはいるヨ。でも私は、私たちは確証が欲しいアル」
「本当なの? 本当に……貴女たちは彼の正体を……」
「嘘じゃないネ。あからさま過ぎてむしろ誘われているのかと判断に困ったぐらい露骨だったアル。きっかけは自衛軍の不審な動きヨ。具体的に言えば、立花姉ネ」
現在、表向きには幸人が最重要人物だ。
だが、パンドラが会いに来るかもしれないという相手がもう一人いた。
そもそもその情報がWDFやその他諜報機関に洩れた末での今である。結局は目を着けられるのが遅いか早いかの違いでしかなかったのだろう。
けれど幸人は自衛軍の内状など知らない。
結果として怒りは、見知った相手に向けられた。
(やっぱり疫病神だあの姉妹は!)
そこまで言われたらもう、答えは出ているようなものだった。
そこから浮かび上がってくる人物は一人しかいない。
「――折原 卓也。VRゲームの開祖にして行方不明者。そして、幸人を今の家に下宿させたという彼が一人目で間違いないアルね?」
確信的なリンリーの言葉に、幸人は少なからず葛藤した。
迷ったと言っても良かった。
だが、顎下から無言で突き上げられた銃口がそれを許さない。
「……今更真実を掘り返しても誰も得などはしない」
「ふむ?」
「けれど知りたいというなら教えてあげる。貴女に何かができるとは思えないけれど、いい加減邪魔。話す条件はそこのアメリカ人と一緒に消えること。それでどう?」
「良いアルよ。その条件なら問題ないネ」
「リンリー!?」
「無傷で捕虜を奪還できるヨ。人質は少ない方がいいネ」
「早くしましょう。陸自が動き始めた」
「なん、だと!?」
「……この山にアルか?」
「民間人を装って登山中。連中、人の足だけで山狩りする気みたい」
「正気じゃないヨ」
「この国の人間は精神論が好きだから」
無感情に言うと、呆れるリンリーにミコトは語る。
それは人知れず戦っていた男の、最後の戦闘記録だった。
「彼は戦闘後、いつもディスペアで海に降下していた」
「その移動痕跡を集計し、WDFは特定したヨ」
「そう。だからいくつか彼が用意していた帰投ポイントに待ち伏せされた。ディスペアがいくら強力な機体でも、降りてしまえば彼は生身の人間でしかない。体は鍛えていても、銃の一丁も携帯していなかった彼は、鍛え上げられた軍人に抗う術が無かった」
そもそも彼の戦う相手はドクターRであって軍人ではなかった。
彼なりの方法で欺瞞工作はしていたが、素人のそれでは限界がある。所詮一人の彼と、軍隊では物量も情報網も比べものにならなかった。
「自衛軍に捕まった彼は尋問を受けたわ」
「まぁ、当然の成り行きネ」
「でも彼は何も喋らなかった。その作戦に自衛軍……当時の日本政府は、各国の圧力を受けて彼に自白剤まで使用させた。けれど、それにも彼は耐え切った」
「……桁外れの精神力ネ」
「仮ではあってもディスペアのパイロットだったことが幸いしたのよ。アレの感応制御システムを応用して肉体のそれを完全に切り離した。そうでもしなければ、彼はああなる前にきっと舌を嚙み切って死んでいたわ」
だが、肉体の感覚を切り離したとしても確実に摩耗する。
いつ終わるかもしれぬそれに、精神が持つはずもない。
「そうして、業を煮やした自衛官の少将は別の手を打った」
「……孫娘の折原 美夏ネ?」
「そう。まず、最初の段階でディスペアで抵抗されることを恐れていた彼らは一人の少女を誘拐。供物に捧げた」
二人の失踪はほぼ同日。
抵抗さえ許されなかった折原 卓也にできたことは、ただ口を紡ぐことだけ。
ただ、結局はそれさえも無に帰した。
「発案者は当時空自の自衛官だったとある少将。少女の誘拐はWDFが受け持ち、最悪露見しても外国人の犯罪で誤魔化すように調整され実行された」
「国を守るための軍人が自国民を売ったっていうの!?」
ソフィアが語気を強めて問う。
「世界平和と秩序のための崇高な犠牲だそうよ。おかげで当時の日本政府と自衛軍は体面を保つことができた。でも、WDFの人選は最悪だった。実行犯がただの脅しではすまさなかったのよ」
折原 卓也は尋問にかろうじて耐え、何も喋らない。
そんな状況に業を煮やした誘拐犯。折原に見せられたモニターの向こうで、少女の頬に銃口を突き付けていた男は暴走した。
「……どこまでやったアル」
「祖父の前で性的暴行。タダの脅しだと考えていた彼は絶望したわ。そこに、止めとばかりに目の前で少女の頬を銃で打ち抜いて言ったの。『今度は腕か、それとも足か。さぁ、ジャップ。さっさと吐け。それともお前は地球の敵か! 俺の故郷を吹っ飛ばしたクソ野郎と同じ糞ったれか!』」
ソフィアもリンリーも、言葉を紡ぐ思考さえ忘れるほどに眩暈を感じていた。
唯一違うのは幸人だ。
彼だけは、両手の拳を握りしめて怒りを堪えていた。
きっと、目の前に犯人が居たら銃を構えられても殴りかかるだろう。
それぐらい、誰にも分かる程に自制していた。
「だから彼女、マスクをしていたでしょう?」
「治せなかったアルか……」
「杜撰な処置だけされて放置されたせいよ。そう、まるで見せしめのように。何も知らなかった彼女からすれば、さぞ恐ろしかったでしょうね。彼女、遠くの街に眠らされて捨てられた所をパトロール中の警察に発見されたわ」
「ポ、ポリスは? 訴えれば……」
「訴えれば家族を殺す。そう自国の軍人に最後は脅された少女が、祖父を目の前で自殺に追い込まれた少女が、助けを求められるかしら?」
全ては国の面子と現場の暴走と、何から何までが狂った結果の事象なのかもしれない。
けれどその光景をパンドラから終わった後で折原視点で見せられた幸人にとっては、それは到底許せるものではなかった。
走り回って探したけれど、結局見つけられもしなかった。
ただの普通の一般人には、それさえも許されなかったのだ。
だからその時に理解した。
世界平和のためなら、何も知らない少女を犠牲しても許されるのだ、と。
そんな職業に、自分は憧れのようなものを抱いていたのだと。
その日を境に幸人は、マルクトのパイロットを目指すのを止めた。
「結局、折原 卓也は自殺したわ。隠れていたパンドラを呼び、自分を殺せと命じてディスペアで殺させた。彼女は当時ほとんど何も知らなかったから問うても意味がない。そして自分が死ねば真実は闇の中。もうそれしか打つ手がなかった」
折原 美夏は別の場所に監禁されていて捜索のあてはない。
このままでは何も知らない息子夫婦にも危害が加わるかもしれない。
だから、もうそれぐらいしか彼にできることはなかった。
(きっと、その決断には幸人の存在もあった。幸人は彼にとっての希望だった。勝率五割。当時の時点でパンドラが試算した結果、成長込みではじき出した最高の数値)
知りうる限り少年だけが唯一ドクターRに勝利できる可能性を持っていた。それは、折原 卓也では届かなかった及第点の先にある唯一の希望でもあった。
パンドラとの仮契約は破棄できない。
破棄するためには死ななければならず、自分が死ぬことでようやく次へと後を託せる。
それは、絶望に暮れた彼に許された最後の逃げ道でもあったのかもしれない。
そしてその願いは、当然のように御久﨑にも通じていた。
『今ではもう、六割を超えた彼が乗らずしていったい誰をディスペアに乗せるべきだろうか? ましてや彼が見出したあの少年だ。それをどうして私が認めずにいられるだろう』
ミコトには嬉しそうにその結果を見て喜ぶ御久﨑の神経が分からなかった。
いや、分かってはいても分かりたくもなかった。
しかし彼が嬉しそうにしているのが好きだったからこそ、幸人を代理として認めた彼の判断に否はない。
だから守るのだ。
最強の機動兵器に乗った折原が後を託した最良のドライバーと、ロボット信仰者である彼が最後に生み出した傑作機が衝突する日のために。
「……ちなみにその最悪の人間はどうなったアルか?」
「もう死んでるわ。ただ、生き残りは居る。関係者は全てを隠蔽し、作戦失敗以外の事実を無かったことにした。当時参加した軍人なら口封じの意味も込めて階級が上がったし、今となっては限られた者しか知らない」
醜聞であり、結果が出せていないWDFの存続のためにも明るみにすることはできないことだった。
日本政府も、自衛軍もそうだ。
全員が全力で隠蔽し、無かったことにした。残ったのは少女の傷と少年の怒りだけ。
「なるほど参考になったアル。最後にもう一つ」
「なに?」
「幸人をどうするつもりアル」
「ディスペアに乗ってもらうわ」
「……意味が分からないヨ」
「ロボットが好きな彼だから、万全の態勢の敵を自分の機体で叩き潰したいのよ」
「……解析したいとかではないのかネ」
「まさか」
ミコトは鼻で笑った。
「彼、敵は強大な方が燃えるタイプよ――」
「さて、興味深い話も聞けたしさっさととんずらするネ」
「……ええ」
解放されたソフィアは、何かを言いたそうな顔を一瞬幸人に向けたが、結局は無言で下山した。
「俺は被害者だってことで通すんじゃなかったのか?」
不機嫌そうな顔で幸人は言った。
「タレコミがあるなら同じことよ。むしろ、貴方が乗ろうとする理由を知らせておいた方が向こうの同情を引けるでしょ。情状酌量の余地とかいう奴」
「はっ。連中がそんな殊勝な精神を持っているものか」
言いながら幸人は暗い表情で嗤った。
元々、バレたら行方を眩ませるつもりだった。
そのための用意があることはパンドラを通して確認できている。
だから後は、勝つことだけを考えれば良くなった。
だが、ミコトはそんな彼に言うのだ。
「連中に無くても、監査官は糾弾材料として利用するわ。最悪それが乗れなかったときの保険になる。当分は監視がつくかもしれないけどね」
「……そんな可能性なんてあるものかよ」
「ある。例えば、今ここでシェキナを撃墜されたら貴方は死ぬ」
「おい、それは本末転倒だろう」
「陸自を動かしたということはそういうことよ。多分、相手は折原の件に噛んでいる人物。でなければ、軍人をドクターRの勢力圏に突入させるとは思えない」
当時の件を隠したい人物はそれなりに居た。
動きの速さを考えてもそう考えた方が辻褄は合う。
特に折原 美夏に会いに行った立花姉妹がそれを決定づけている。
秘匿されているなら、それを知っている人物の介入が無ければそもそも折原 美夏が明るみになることはない。
「狙いはディスペアだけじゃないってことか?」
「明るみに出るのを阻止したい連中が動いていると考える方が妥当」
たった一度の失敗が生み出した、救いようのない悪意の連鎖。
世界平和だの、国の面子だのと、そう言った大きな話は途端にありふれた保身話に堕とされた。
「ふざけるなっ! どうしてそんな下らない奴らのために爺さんや美夏が苦しめられなきゃならない!!」
「だって、そういうことを平気でやるのが人間という生き物でしょう」
無感情に少女は言った。
諦観ではなく、ただの事実を口にするかのように。
その瞳の、なんと冷たいことか。
薄暗い中でもはっきりと分かるその怜悧さが、幸人の激情を急激に冷めさせる。
「お前……」
「御久﨑はそんな下らない人間だけではないと言っていた。けれど、それだって彼がまだ人間であるからそう思いたいだけかもしれない。知ってる? 火星では今、人工知性体<思考型AI>による人間の学習が行われているわ。そこのAI達の中に、人類を生物のバグだと捉えている個体が生まれ始めているの」
「バグ? 俺たちが?」
「他の動物と明らかに違うでしょう? 彼らにとって人類は突然変異<ミュータント>なのよ。行動は矛盾だらけ。一貫性はなく、本能ではなく知性で動くはずなのに感情なんてものでコロコロと意見を変える。合理的に動くかと思えば、非合理に動きもする。こんな訳の分からない生き物は、生物界のバグとしか判断のしようがない」
ミコトはそう言って、右手の拳銃をスカートの中にしまい込む。
そうしてフリーになった右手は、幸人の左手を自然と取った。
冷たい手だった。
けれど力強く、不思議な頼もしさがその手にはある。
「お前も、そう思うのか?」
「彼らの結論はある種の極論で、個人の捉え方のバリエーションの一つに過ぎないからから興味が無いわ。第一、そんな大仰な答えなんて必要ないもの。だって、もっと人間に当てはめるべき言葉がある」
「それは、いったいどんな?」
「人間には良い奴と悪い奴が居る。私にはそのシンプルな答えで充分よ――」
「――そう、人間には良い奴と悪い奴が居るのだよ」
御久﨑――ドクターRは艦橋で呟いた。
それは、生前の声を模倣した人口音声。
彼の技術力を持ってすれば人そのものの声と変わらない。
人間サイズのロボットの中に納まった彼の脳髄は、ミコトの呟きに満足げに、そして寂しげに頷くだけだった。
「そして、更に善悪以外にも少数派<マイノリティ>と多数派<マジョリティ>という区分が存在する。マジョリティの力は強大だ。彼らは耳触りの良いオンリーワンという言葉を使いながら、その一方で少数派を数の暴力で押さえつける。そう、あたかも自分たちが正しいかのように。多数決主義の最大の欠点だ。正しい意見が必ずしも採用されるわけではない所がね。ははっ、実に人間が作ったらしい発明だ」
多数派と少数派は何処にでもいる。
例えば彼自身と地球勢力。
圧倒的少数派である彼は、本来なら多数派である地球勢力に敗北しなければならない。
だが、彼はそれを覆す力を持っていた。
ネットワーク。
マイノリティたちの夢から生まれたデータベース。
御久﨑は幸運だった。
それがなければ、二足歩行の人型ロボット兵器などまだ当分は生まれなかったのだから。
「――でも遥か昔、地球のとある宗教においては数の大小ではなく正しさでもって判断する裁定者が居たというよ。もっとも、その人物は裏切られて死んだそうだけどね」
ふと、彼しかいない艦橋に少年が居た。
年は十代前半か。
何故か水着姿の彼は、パーカーを羽織ってそこに居た。
少年は珍しいのか、艦橋の奥の強化ガラスから宇宙を見ている。
御久﨑は彼を知っていた。
「ウィザード……」
「ボールは友達。ロボットも友達。魔物も悪魔も妖怪も化け物も、みーんんな理解し合えば嫁にも友達にもなれる。いやはや、地球の極東文化が生み出す想像力と和の感性、僕は好きだよ。君もそうだろう? 我らが同士たるドリームメイカー。御久﨑 海斗」
「ああ。好きだ。大好きだとも。だから私はあの国に帰化したんだ。そうして、気が付けば皆でマルクトなんてものを作ってしまった程に好きだ」
「マルクトか。アレは良い。良いロボットだ。モノアイってのも通好みでセンスがある」
少年は振り返る。
楽しそうだった。
今回のプランに満足しているのだろう。
少年はネットワークでも古株の存在だった。御久﨑とはまったく別次元の技術を持ち、顔も広い。
年齢は不明。
いつからネットワークに関わっているかも不明。
得体は知れないが、しかし。彼が夢を追う者の力になってきたことだけは確かで、皆はそれで十分だった。御久﨑もその一人で、ロボットに理解があるその少年が嫌いにはなれない。どれだけその性格がひん曲がっていようとも、彼は同士であり理解者だったから。
「それに地球ってさ、僕ら界隈だとある意味では手が出しにくい場所なんだよね。だから、人型機動兵器が地球のこの時代で実用化された場合のデータなんてあまりなかった。けど、もう一つのプランと合わせて中々いい感じだよ」
「そうか。火星は順調なのか」
「そのようだよ。君たちが作った人工知性体たちは、自分たちが人間の仲間入りをしたことに気づいてない。けれど、どうせ気づくさ。アレだけ人間のデータを収集しているんだ。同じ知性体として進化させられたことにもさ」
「……彼らは、人間をどう結論付けるだろうか」
「この実験、僕としても興味深いよ」
敵か、味方か、奴隷か友人か。
知性を与えたのだから、当然彼らは彼らなりの解釈で人間を理解する。
どういう判定を下すかは、それこそ彼らの個性がそれを決めることになるだろう。
そうなれば、自分たちも同じだということにやがて気づく。
そこからだ。
人工知性体と地球人類の本物の交流が始まるのは。
ロボットを道具のままでは終わらせたくないと夢想した人の夢が、現実に具現化する可能性が太陽系に生まれるのだから、二人の感慨も一入だ。
「未来から来た狸型ロボット系になればいいね。夢とロマンと優しさと、ただの純粋な願いだけがそこにある。僕はね、そんな世界が一つぐらい在ってもいいと思うんだよ」
ロボットを友人にできるか?
人間を友人にできるか?
これは人間、ロボット双方に対しての実験としても面白い。
そして手に入ったデータは、また別の誰かが参考にして望む未来を作るための礎となる。
無ければ作ればいいのだと、彼らは知っていた。
ただ口を開けているだけでは、求めた夢は手に入らない。
だから彼らは望む物に手を伸ばすのだ。
それがマイノリティのためだけの夢だったとしても、マジョリティの輪の中で完結するのを良しとせず、その輪から抜け出して創造する。
――故にこれは、少数派の脱却劇<マイノリティ・エクソダス>。
そのための知識はネットワークにあり、同じ夢を見た仲間もそこに居る。
だからネットワークに選ばれたという幸福を共有したくなって、彼は折原 卓也にゲストアカウントを発行した。
最後の最後まで、いつものように夢を語り合える同志だと信じて。
だが、彼はここまでは付いてはこれなかった。
一度目も、そして二度目も。
けれど彼が後を託していた幸人が地球には居た。
「――で、考えは変わらないのかい?」
「私の体は、おそらくは長くはないからね」
「だから、かな」
「ああ。だからこの最後の勝負を終えれば、正真正銘のロボットになる」
脳髄だけでは足りない。
ロボットそのものに彼はなるのだ。
Rの名は、そのための決意の証でもある。
だが、その前にやり残したことが彼にはあった。
――折原 卓也。
唯一無二の、彼の故郷である地球での友。
「脳すらも捨て去り、完全にロボットに人格を移植<コンバート>する。そこまでしてロボットを愛そうとするとはね。本当、君のような素敵な人の夢は叶うべきだよ」
「フフッ。ウィザードにそう言って貰えるとは光栄だ」
「いや、君だけではないよ。夢に殉じる全ての人を。君たち夢の創造者<ドリームメイカー>を、僕は心の底から尊敬し、羨ましく思っているよ」
大きな夢も、小さな夢も。
数限りなくあるのに、願う自由さえ時に許されないことがある。
どこの世界にもドリームキラーは居て、生まれようとする夢を容赦なく踏みにじる。
時間を、金を、資源を、人生を捧げての彼らの一勝負はしかし、現実が常に壁となって立ちふさがり続けてきた。
この現実は非情な程に仲間が多い。
現実はマジョリティなのだ。
今のままであり続けたい重みで、その先へ行きたい者の足を引っ張り続ける冷酷無情な夢殺し<デッドウェイト>。
それに追われ続けたマイノリティ仲間に、ウィザードは言った。
「ドクターR。この先、どのような結果になったとしても君のもたらしたデータは君と同じ願いを持つ者たちに共有される。そこだけはこの僕が保証しよう」
「貴方にそう言われるのなら私も安心して戦えるよ。バックアップしてくれている仲間たちも報われるだろう。皆には随分とリソースを割いてもらったからね」
いつかの昔、孤児だった一人の少年がロボットのアニメに夢を見た。
そして思ったのだ。
あんなロボットを自分の手で作りたいと。
だが、思い描くそれと現実は悲しいほどに乖離していた。
それどころか、ナンセンスだと言われる程に馬鹿にされていた程だ。
災害救助や、遠隔操作の無人機はともかく、有人の人型機動兵器となると様々な障害がある。けれど、ようやくナンセンスだと言われ続けた兵器は日の目を見た。
それもまた、ある意味では折原 卓也のおかげである。
――サイエンス・ガジェット。
彼のリークが無ければ、地球人類はそれを対抗手段として用いることなく既存の兵器で抗おうとしただろう。
だが、御久﨑の襲撃とそれがかみ合い、結果として爆発的に普及した。
おかげでナンセンス兵器だなどとロボットを嘲笑える者はいなくなった。
そういう意味では、既に彼の目的の一つは達成できている。
あとは兵器を限定することで、どれだけ戦争や殺し合いを抑止できるかだった。
核兵器を代表とする大量破壊兵器の破棄もそう。
どうせやるならば、今よりも良い世界に変えたいというただの願いが根底にある。
希代のテロリストでありながら、同時に人の世を憂いた一人の人間として御久﨑は地球人類に挑戦していた。
例えマジョリティに理解されなくても、もはや関係はない。
地球に住んでいる一人として、彼は変革を求めているだけなのだ。
だがその前に、どうしてもやらなければならないことがある。
「勝てるかい? 君が乗るはずだった最強最後の傑作機<ディスペア>に」
「勿論だとも。こちらも同じく、皆で作った最高の傑作機だ」
「なるほど。なら後はパイロットの問題かな」
「必然としてそうなるだろう。そしてパイロットはパンドラと違って替えが効かない。一度だけのこの茶番、それが終われば彼女は自由になるからね。彼女とは元々そういう契約だ」
だからこそ、この勝負は一度限り。
パンドラには戦う理由などない。あれはただ、生み出されて無理矢理やらされているだけでしかないからだ。
けれど幸人には戦う理由がある。
そしてドクターRにも彼なりの理由がある。
だからこんなにも長く地球侵攻を待っていた。
彼の意思を継ぐ、代理人たる幸人が育つまでずっと。
「彼に止めて欲しいという気持ちを振り切るために必要な戦い、か。きっと余人にや理解できないことだろうね」
「だろうね。けれど、私に残っている人間性を斬り捨てるためには必要な通過儀礼なのだ。私が真の意味でRとなるためのね。だからこれは戦争ではない。ただのけじめだ。だからこそ私は、正々堂々とあの少年と戦いたい」
そのために、段階的に敵を鍛え上げるためのワンオフ機があり、ディスペアに仕込まれたリミッターが存在するのだ。
故に折原 卓也の時のように、部外者に邪魔されることが不快でならない。
地球と彼は戦っている。
けれど、折原 卓也とその代理の黒川 幸人と彼は戦ってなどいないのだ。
「つくづくマイノリティだね。けど、だからこそなんだ。そういう独自の美学を持つ君たちが、ユニークな君たちが僕は大好きでたまらないんだ」
ウィザードは彼に近寄ると、そっと右手を差し出した。
「健闘を祈るよ創造者<クリエイター>」
「ありがとう観察者<ウォッチャー>」
鋼鉄の手ではもはや、少年の手の温もりなど分からない。
だが冷たいだけの鋼に変わろうとも、手から伝わるモノは感じ取れた。それだけでドクターRは満足だった。
「じゃ、そろそろ僕は帰るよ。くれぐれも気を付けなよ。勝負ってのはさ、何がどうなるかなんて終わるまで分からないものだ。僕からの忠告だよ――」
「ふぅ。山道は堪えるネ」
ずっと無言で手を引かれるままだったソフィアに、リンリーが声をかけた。
二人は駐車場へと戻っていた。
麗華は軽自動車でWDF3の移送を行っていない。
元々ソフィアの捜索のために出ていたリンリーにとっては、幸人との出会いは完全な偶然だ。だが知りたいことは知れた。今回の訪日は、それだけでも収穫である。
「WDFに裏切られた気分アルか?」
「……ええ」
「まっ、現実なんてそんなものネ。綺麗ごとだけで回る社会なんて悲しいほどにありえないヨ。人が愚かな証明ネ」
「……」
「納得できないのは若い証拠ヨ。まぁ、誰だって納得した訳じゃないから、そこは勘違いしないことアル」
納得したのではない。
ただ、納得するしかない程に現実が非情なだけなのだ。
「貴女は余裕そうね」
「所詮は他人事アルからね」
それは、あまりにも明け透けな物言いだった。
「そう、他人事アル。私の従兄をクズと言った貴女と同じヨ」
「……怒ってるの?」
「身内を悪く言う奴を好く奴なんていないネ」
「それは、ごめん。でも、私には許せないわ。だってあの機体は私にとってはトナカイなんだもの」
「まぁ、一人目と話してみたかったという気持ちは私も分かるネ。ただ問題があるヨ」
折原 卓也の死亡は確定した。
となると、リンリーとしても困ることがある。
「問題って?」
「ディスペアのオーバーテクノロジーの出所ネ。幸人は多分知らないよ。成績は普通だし、工学や情報にも詳しそうじゃないネ。そして一人目の正体が判明していたとなれば、隠蔽する前に自衛軍とWDFは家探しでもしてるはず。でも何も出てきていないヨ。となると……これは更に困った展開ヨ。ハハ、笑うしかないネ」
そしてミコトは、解析を否定した。
まるであの異質な機体の解析など必要ではないかのように。
こうなると、リンリーとしては最悪を考えざるを得ない。
「最悪の最悪。ディスペアはドクターRが作ったのかもしれないネ」
「冗談は止めてよ。だったら、地球に勝ち目なんてないじゃない」
「だからこれは最悪の場合の話ヨ」
駐車場に無事に残っていた赤いスポーツカーに乗り込み、鍵穴に差し込まれたナイフをリンリーは捻る。
盗難されたそれは、果たしてきちんとエンジンを動かした。
呆れるソフィアを横目に、バックで出すと車を東に向かって発進させる。
とにかく、今は船に帰還するべきだった。
会話は当然のように録音した。一応、裏付けの証拠にはなる。後はそれをどう使って国と自分の利益に還元するかが問題だ。
けれどリンリーには少しだけ迷いが生まれた。
「ソフィア、貴女はベイルアウトして迷っていたところを私に拾われた――ということでいいネ?」
「え? ええ。まだ死にたくはないもの」
「懸命な判断よ。私もそういう方向で船で報告するから黙っておくネ」
「その、ユキヒトはどうなると思う?」
「まだディスペアを手に入れてないから何とも言えないヨ。ただ、最悪なのは乗った後に敵対することヨ。自衛軍辺りが無神経な説得でもしたら、アレは多分暴発するネ」
その時には、ドクターRと同じく手に負えない機動兵器が敵に回ることになる。
もっと最悪な想像もある。
ドクターRと幸人がそれを切っ掛けに手を組むという場合だ。
これをやられると、ディスペアに縋ろうとしている者たちへの最悪の復讐になる。
(今、間違いなく幸人が世界の命運を握っているネ。ただの一個人がそんな大役を与えられるなんて馬鹿げたことヨ。そんなのは映画の中だけで十分アルのに)
だが同時に、分の悪い賭けがチラリと脳裏を掠めるのも事実だった。
ディスペアに乗せた幸人と、自分の作った機体でドクターRは戦う。
そう、彼女は言った。
もしそれが事実だとしたら、誰も攻撃ができなかったドクターRを幸人なら直接攻撃できるということでもある。
(もし、幸人が乗るために訓練していたのだとしたら?)
日々のランニングなどのトレーニング。
そして、ロボットゲームが好きだという彼が使うバーチャルダイバーと同じく、感応制御システムが積んであるディスペア。
初代搭乗者はVRゲームの生みの親だ。
その時の交戦データを元にシミュレーターとして組み、延々と訓練してきたならば、及第点を超えているという事実が凶悪な武器に代わるかもしれない。
「――それこそ、アニメみたいな話カ」
「え?」
「ああいや、独り言ヨ」
その昔、FPS系のゲーマーを軍人にして訓練したが、使い物にならなかったという冗談のような実話があるのをリンリーは思い出していた。
だが、それは現代では当てはまらない。
何故ならVRゲームは体感系だ。
コントローラーで操作する昔のそれと、あたかも自分の体を動かすようにプレイするフルダイブ型のVRゲームとではまったく訓練の次元が違う。
二十三世紀現在において、現実に軍人たちは安価で高度な訓練ができる訓練シミュレーターとして利用している。
それには演習の場所も、弾代も必要ない。
必要なのは現実に限りなく近づけたソフトだけ。
ならば、操縦訓練についてはクリアできる。あと必要なのはそのVRのように機体を操れる肉体だ。
最低でもこの二つが揃えばディスペアを動かすことはできる。
正規の訓練を受けていないソフィアのように。
(んん? となるとこれは幸人が乗った方がいいアルか?)
単純にシミュレーターでの訓練期間だけで考えれば、ディスペアに限れば誰も幸人には搭乗時間では及ばない。追いつけない。
そして今、右側の助手席には同じように実戦が初めてだったにも拘わらず生き残っている少女がそこに居る。
「リンリー、救急キットってどこにあるの?」
「後ろに乗ってるネ」
「使わせてもらうわよ。幸人がちょっとハンカチで抑えててくれてたんだけど、瞼の上の傷がどうしても気になるよね」
「好きにするアル。明りは必要カ?」
「ん、お願い」
リンリーは想像をひとまず置いて、ルームライトのスイッチに手を伸ばした。
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