第四話「月の実験機」



 爆発音が鳴ったのを麗華は聞いた。

 軽自動車の中にさえ響いたその轟音は、空で聞きなれた戦いの音だった。

(ドクターRのSG、もう降りてきたのか?!)

 確かな焦りを感じながら、緩めそうになるアクセルを踏み込み続ける。

 そうして、ようやく合流地点となるはずの場所へとたどり着いた彼女が見たのは、二丁のライフルで撃たれながらも無傷な新型マルクトだった。

 驚くべきことにそのイエローの機体の周囲は薄っすらと歪み、ライフルの弾丸を食らいながらも耐えていた。

「空間歪曲バリア……WDF機がだと? 人類は遂に手に入れたのか……」

 ドクターRのシェキナが使う、光学、対物共に効果がある防御兵装だ。

 その眼前では、無傷の相手に驚愕している同型機が居た。

 どちらも同じWDFの機体。

 その証拠に、機体のショルダーアーマーにWDFの文字がはっきりとペイントされている。車を飛び出した麗華は、すぐさま手前で倒れ伏していたパイロット服の男へと駆け寄った。

「何があった!?」

「ジャンヌが、裏……った。俺の機体を奪い……」

「分かったもういい!」

 震える手で血の止まらない腹を抑えるパイロットの男は、取り出したハンカチで止血しようとした麗華に言う。

「白い車……、救急キットが……る」

「少し待て! おい、そこの……凛麗(リンリー)だったか!?」

 麗華は、驚愕したような表情で後退してくるリンリーに頼む。

 幸い、戦っている二機はこちらに気づいた様子はない。今ならまだ、助けられるかもしれない。

「白い車の中から救急キットをとってきてくれ!」

「わ、分かたネ!」




「驚いてるってことは、知らされてない程度の奴ってことね!」

 モニター正面。

 不気味に停止した敵機に向かってソフィアは吠えた。

「NSC(ナスカ)の重力制御装置はね、ただの推進装置なんかじゃないのよっ!」

 ドクターRがシェキナに組み込んだそれは、防移一体とも言うべき性能を持つ。

 出力によって重力干渉を遮断し、更に重力方向を捻じ曲げて推進に利用するだけではない。重力によって空間を歪めて防御するバリアを形成するのにも利用していた。

 その代わりに出力は食うが、対消滅エンジンの変わりに積んだ核融合炉が完全ではないにしてもその出力を賄うことに成功している。

 実際、あのまま撃たれ続けたら危険だった。

 ソフィアは、激しく鼓動する己の心臓を前に覚悟を決める。

 模擬戦はともかく実戦経験はない。

 しかしNSCへの搭乗時間だけなら誰にも負けない自負がある。

「まだ死ねないのよ。私はぁぁぁ――」

 地球の重力が遮断され、機体が真正面へと滑るように落ちていく。

 それにバックパックのスラスター推力が加わった。

 これまでの機体では不可能な一瞬での離陸。

 対面のジャンヌ機がライフルを構えて発砲するも、再び全面に展開した歪曲バリアで弾丸を弾き飛ばしながらソフィアはただただ前へと突っ込んだ。

 ジャンヌ機が後退しようとするが遅い。

 ライフルの銃口がバリアにぶつかり、外側に弾かれながら懐へとソフィア機の侵入を許す。その後に来るのは、大質量を持つ物体同士の衝突だった。

 衝撃。機体のフレームが軋み、悲鳴を上げる。

 だがバリアで一瞬守られていたソフィアの機体は、相手よりは数段マシだ。

 相手は胸部へとモロに食らった。

 その衝撃は、コックピット回りに組み込まれているショックアブソーバーと重力制御装置の対G能力を超えて中のパイロットを苦しめたに違いない。

「こんのぉぉぉ――」

 モニターの向こう、タックルした形なったソフィア機がそのまま推力を上げた。

 木々をなぎ倒しながら新型二機がもつれあう。

 やがて下り斜面へと出た二機は、そのまま山を滑り落ちていく。

 ソフィアはその頃になって重力の向きを変更。

 補助バーニアで減速しながら斜め後ろへ浮上する。

 その機体の右手は、バックパックの右背面にマウントしてあったスナイパーライフルへと伸びている。

 感応制御システムは彼女の意思を組み、照準を直接脳裏へと送り込む。

 まるで自分が本当にライフルを構えたかのような錯覚の中、組み込まれた機体の照準システムが意思を読み取って照準を自動補正。ロックオン完了の意思をレティクルの赤で示す。瞬間、ソフィアは躊躇なく引き金を引いた。

 マズルフラッシュと共に轟く砲声。

 破壊の意思を込めた弾丸が、砲身内でライフリングを刻まれながら飛翔した。

「ッ――」

 だが、それは狙いから逸れた。

 銃口の先、薄っすらと歪んだ空間がそこにある。

 発生したバリアによって歪められた軌跡の向こう。左肩を撃ち抜かれただけで済んだジャンヌ機は、衝撃によって仰け反りながらも二発目は許さんとばかりに自らの意思で斜面を更に転がっていく。

 まるで人間のような動きだ。

 感応制御システムによる思考操作の恩恵が、ついに相手からも発揮されようとしている。

 けれどすでに高度の優位を取っているのはソフィア機だ。

「悪あがきを!」

 ソフィアは自動装填された二発目を発砲するべく虚空で照準。すぐさま撃った。

 だが当たらない。

 山すその土を着弾の衝撃でめくりあげる程度で終わる。

 そうこうしているうちに、ジャンヌ機がバックパックのスラスターを点火。残った右腕で銃身がへし折れるのも構わず山を叩き、まるで受け身のような動きで無理矢理に機体を立て直す。

(なんて無茶苦茶な姿勢制御っ!)

 マニュアル機では到底できないその挙動。明らかに相手は、新型の制御方式の利点を理解している。

 ソフィアは頬から唇に滴る汗を舐めると、自己紹介で知った相手のプロフィールを思い出して歯ぎしりした。

(何処がただの歩兵なのよ)

 年は二十代前半。

 だが、異様に年若いのが印象的だった。

 そう、まるで年齢を偽っているかのような。

 そういう意味では、逆に下のようにも見えるリンリーなどは、東洋人が若く見られる法則を考えれば納得はできた。

 しかしジャンヌは違う。

 胡散臭さとは皆無で、兵士特有の目をしていた。

 だから余計に騙された。

(でもどうしてよ。欧州……ユーロ圏の連中は強かではあってもこんな馬鹿なことは命令なんてしないでしょうに!)

 考えられるのはやはり技術の独占。

 逆に言えば、連中が考えそうなのはその程度しかない。

 しかしWDFは一応国連の管轄だ。

 昔よりも影響力は落ちてはいても、好き勝手にできるような構造などしていない。

(それに何よこいつ。どうして空に上がってこないの?)

 空へと上がる素振りが無い。

 その変わり、背面のバックパックを利用した跳躍と走行でソフィアの照準を外してくる。

「くっ、弾道が見えているとでもいうの!?」

 




「――驚いた。アレは『銃口外し』だぞ。リアルでできるなんてマジかよ」 

 N山街道の道路以前の旧街道からやや外れた斜面から、幸人はそれを見ていた。

 理由は分からないが、WDFの機体同士が仲間割れをしている。

 その理由も気にはなるが、問題は派手にやられるせいで危険であるということだった。

「どちらも月の実験機NSC(ナスカ)ですね。折原が調達したシェキナの残骸と核融合炉が使われています。劣化シェキナとでも考えればいいかと」

「なるほど。動きがマルクトらしくないわけだ」

 マニュアル操作ではできない動きがかなりあった。

 マニュアル機はある程度機体側のOSが状況に合わせた動きをするせいで、硬く見えるときがある。折原 卓也が持っていたマルクトの初期OSは各国でアップグレードされているだろうが、基本は変わらないはずで、幸人には違和感だらけだった。

「ところで『銃口外し』とはなんですか?」

「親父の世代の連中がな、面白がって言いだしたプレイヤースキルだよ。名前の通り、銃口からの射線を外す技術で、アレを使われると普通にやってもなかなか当たらないんだ」

「対策は?」

「手っ取り早いのが近接戦闘。銃口が無ければ意味がないからな」

「それは、本当に外し続けられるものなのでしょうか?」

「さぁ? 連中が言うにはどこを狙われてるかなんて銃口の向きを見れば分かるんだと。俺や親父もまぁ、何処を狙われてるかぐらいならなんとなく分かる。ただし、本物はそれがなんとなくじゃなくてはっきりと分かるらしい。で、極めると『弾丸切り』ができる」

「……補助プログラムも無しそんなことが?」

 人類が砲弾を砲弾で撃墜するという防御システムを研究していることは聞いて知ってはいても、ミコトからすれば到底信じられるものではない。

 普通の人間の反射速度は約一秒。

 プロのスポーツ選手やボクサーなどは訓練と条件反射でそれを切るが、弾丸を斬るなどと言われても想像の埒外だ。

「できる奴はできるんだ。まぁ、どっちも飛んでくる弾丸を見ているわけじゃないから理屈は単純だけどな。撃たれたときには銃口の先に居なければそれはもう避けてるってことだ。で、連中は当たるか当たらないかが分かるから、当たらないようにただ動くか弾道の先にブレイドの刃を置くだけだ。ああ、勘違いするなよ? 全部の射撃に対応できるわけじゃあない。ただ、撃つタイミングってのは撃たれ慣れると分かってくる。だからその辺りで確実に外すように動くんだ。でもこれはマニュアル操作系の機体での話だ。ゲームだと弾道が不自然に曲がるのもあるからできないのも多い」

「はぁ……」

「でも、そうなると実機でできる奴は悲惨だな」

「何故ですか?」

「どこの誰だかは知らないけど、撃たれまくるなんて経験を実際に積んで来たってことだろう? きっと碌な人生じゃあない」

 VRゲームでできるからといって、実際にできる訳でもない。

 逆に、VRゲームでできることが現実で不可能なわけでもない。

 ただ、それを習得してしまった苦労を思えば、幸人は体得したあのパイロットには素直に畏敬の念を抱かずにはいられない。

「マルクトで培ったのか、それとも体で覚えたのか。恐ろしいな。あんなのがゲームの外にも居るだなんて。是非ゲームのアリーナで対戦してみたいぜ」

「仮にやりあえば勝てますか?」

「装備と機体によるけど、あの程度なら八割がた勝つ自信はある。あくまでもゲームなら、だけどな――」




「――お前の銃には怖さが皆無だ」

 銃口は素直だ。

 ただ追って撃つ。

 教本に忠実に、最も面積がある胴体を狙ってくる。

 その、なんと読みやすいことか。

 ジャンヌはここで死ぬ気がまるでしなかった。

「運がないなソフィア」

 西日に照らされる相手の機体に、通信もせずに語り掛ける。

「私はこの方式の機体を奪い、乗りつぶしたことがある。もっとも、この機体の特殊兵装は初めてだったがな。気に入ったよ。ここまで動かしやすい機体は初めてだ。できれば持ち帰って自慢してやりたいぐらいだ」

 相手は軍人でも戦士でもないアマチュアで民間人。

 銃口を進んで向ける理由は無かったが、こうなると話は別だ。

(――だが、同時に不愉快でもある)

 ドクターRのシェキナのそれと同じものだということが気にくわない。

 救世主の先兵の模倣。

 そんなものは悪魔<ディスペア>と同じで存在してはならない。

「解析したのか、それとも独自に開発したのかは知らないが同志たちに教えてやらなければならないことができてしまった。まったく、おいそれと死ねないな」

 バックアップ要員との連絡は途切れた。

 そして既にWDFにもバレている。

 日本にそれほど詳しいわけでもない以上、楽に逃げ切れるなどと彼女は楽観していない。

 ならば、最低限己の使命を全うするのみ。

(何、左肩から先が無かろうと、そんなのはいつものことだ。孤立無援だろうが関係ない。ただ祈るように戦おう)

 彼女は正規軍ではない。

 その敵であり、むしろ現地のゲリラ屋だった。両親がどうして死んだかなどは知らない。ただ、物心ついた頃には仲間たちに訓練され銃を手にしていた。

 同時に、投入された試作型マルクトに対抗するための教練も受けさせられた。

 彼女たちに生産能力はない。

 だから正規軍から奪い取って戦った。

 当然、禄に修理などできない。

 戦って戦って戦い続けて、いつしかそれが祈りの形となった頃。

 激化した闘いに一つの終止符が付こうという時に彼の先兵が降りてきた。

 それが現れたとき、あれだけ威勢が良かった正規軍が我先にと逃げ出した。

 何故かを知らされていなかった彼女には、それが一体どういう意味を持つのか分からなかった。

 ただ、生きては帰れないだろうと言っていた指導者の男の言葉だけは今もはっきりと覚えていた。

『鋼鉄の天使か。なるほど、ならばそれを操る彼こそが救世主か――』

 装甲を夕日のように染め上げたその機体に彼は祈った。

 それからだった。

 ドクターRと、彼が使うシェキナを彼女が知ったのは。

 彼は兵器を破壊する。

 戦いの道具を破壊し、恐ろしい悪魔の兵器を排除し、そして秩序無き無法地帯にその威力と力を持って施しを与えた。

 定期的に、封鎖された街にコンテナを抱えた無人機が練り歩くことがある。

 Rの印が刻まれたそれがくれば、街に残った住人はこぞってそれに縋りついた。

 水や食料。服にテントに毛布。場所によっては粉ミルクや医薬品が詰まっていることもあり、そのオレンジ色の機体は行く当てもない者たちに無償でそれを配り歩く。

 子どもが多い場所にはお菓子に教科書やノートなどと筆記用具を。

 働ける大人の場所には、種や苗木、農具や家畜や専門書が。

 正規軍の攻撃で、それらを自らが一瞬で吹き飛ばしてしまってもそれは続く。

 延々と何度も何度も。世界中のどこでも彼は続けている。

「お前たちは彼を悪だと言う。だが、彼に救われた者たちにとっては違うぞ――」

 だから彼女たちは集った。

 それを彼が望んだことはない。

 頼んだこともない。

 ただ、これだけが祈りである彼女たちにとっては戦いしかなかった。

「消えろ。お前たちには過ぎた道具だ」





――残弾数一。

 機体の警告は無慈悲だ。

 何かの拍子に照準が狂ったのではないかとソフィアは思った。

(頭がおかしくなりそう)

 マガジン一つ使って当たらないという悪夢で、気が狂いそうだった。

 その間に、相手は遂に重力操作による移動をモノにし始めた。いや、既にしたのだろう。

 二本足の走行ではなく、まるでスケートのように地表を動く光景を見ればそれは明らかだった。

 目に見えて浮かんではいないが、地面すれすれを滑るようにして飛んでいる。

 機体各所にある姿勢制御用のバーニアを用い、スラスターと併用して更に加速する。

 それが本来のNSCの機動。

 こうなれば足などはただの飾りで、空に上がりさえすれば戦闘機さえ凌駕する機動を見せるだろう。

「回る? なんで――」

 突然、ジャンヌ機が背を向けた。かと思えば、ひしゃげて折れた銃を投げつけてきた。

 重力制御装置を利用したそれは、投擲の瞬間だけ地球の重力を遮断し機体の膂力だけで彼我の距離を埋めた。

 その予想外の攻撃を、反射的に張った歪曲バリアでソフィアは弾き飛ばす。

 その向こうでは、遊びは終わりだとばかりに左背面に手をやったジャンヌ機が、マウントされていたレーザーライフルを手に取り再び遠心力を乗せて投げ放ってくる。

 互いに空間歪曲バリアを持つため、レーザーは無効化される。

 故にデッドウェイトとなるそれを捨てたのだろう。

(身軽になった……来るの?!)

 レーザーライフルをバリアで弾き飛ばし、間髪入れずにソフィアは発砲。

 空になったマガジンをイジェクトしつつ、機体の左手で腰元の予備弾倉を抜き放って装填。更に、左背面からレーザーライフルを抜いて相手に向けた。

 確かにレーザーライフルは対マルクトR用で、歪曲バリア持ちには効果は薄い。

 しかし、長時間バリアが展開できないと知っている彼女はそれを捨てるという選択は取らない。

 対して、ジャンヌ機は腰元のラックから折り畳み式のレーザーブレードを引き抜いて接近してくる。

 その近接兵器は普段は警棒のようになっており、起動すれば自動で伸び柄から先端部にかけてレーザーブレードが展開されるようになっている。

 レーザー同士での鍔迫り合いはできないが、警棒同士なら触れ合うために弾きあうことはできる。ただし耐久力は当然悪い。それを補う溶断力はあるため、半ば使い捨ての武器として認識していた。

 相手はそれを手に、機体の前に構えるようにして突っ込んでくる。

「舐めてるの貴方っ!?」

 後退するソフィアはそれを見て吐き捨てる。

 なんという無防備さか。

 回避機動も取らずに、ジャンヌはただ突っ込んでくる。

 今度こそ外さない。

 バリアを貫通する威力はある。

 もともと、そのスナイパーライフルは長距離からシェキナのバリアを抜くことも考えられられた武装だ。現に、若干反らされはしてもNSCの出力なら貫通した。

(バリアの性能を過信したわね!)

 必殺を確信した一撃だった。

 発砲の瞬間、撃ち抜かれて崩れ落ちる敵機の幻影さえ彼女には見えた。

 なのに、どういうことだろう。

 現実のジャンヌ機は、ライフルの弾丸をレーザーブレードで斬り捨てていた。

 さすがにブレードは無傷ではなく、その一撃で折れ飛んでいたが相手の機体それ自体は無傷だ。その瞬間、ソフィアは今度こそ自分が夢を見ているのだと思った。

「――ナンセンスだわ」

 反射的に左手のレーザーライフルを発射するが遅い。

 相手の機体が作動させた空間歪曲バリアが、空間を歪めてレーザーを明後日の方向へと反射する。

 次の瞬間、空に突き上げられたかのようなショルダーチャージが迫っていた。

 明らかに意図的にコックピットが狙われて強打された。

 胸部装甲が歪む。

 そのせいで正面のモニターが破損。部品の一部がソフィアの右の眉の上を切って抜けた。

 その時だった。

 開いた接触回線からジャンヌの声がした。

『Rの敵となった報いだ。安心しろソフィア。すぐに彼も後を追わせてやる――』

 切られた眉から滴る血が、右目の視界を赤く染めた。

 衝撃で飛びかけた意識はしかし、皮肉にも敵の言葉で繋がれた。

(彼……ユキヒトの……こと?)

 その時、全ての前提が間違っていたのだと彼女は知った。

(そうか。貴女は、違うのね……)

 ディスペアを手に入れたいわけではない。

 パイロット候補である幸人を追ったのは、ただ邪魔だからなのだ。

 それは彼女にとって到底理解できるものではなく。

 そして、許せることでもなかった。

「ナスカッ! もう少しだけ。あと少しでいいから付き合って!」

 ブラックアウトするモニターの中、それでも機体は生きていた。

 まだ握りしめていた、ほとんど体を固定するためだけにある操縦桿をギュッと強く握る。

 一瞬意識が飛びかけたせいで、パイロットの意思を喪失した機体が重力制御を解放している。その最中、設定を切り替えモニターではなく自身の脳へと直接モノアイの情報を送信させる。

 元はバーチャルダイバーと同じフルダイブ方式。

 それの感度を落とし、操縦だけに利用していたのをフルダイブに切り替える。

 量産された制式仕様ではない実験機だからこそ、それができた。

 目の前の映像が瞬時に切り替わり、全身の感覚が同時に消え失せる。

 モノアイは彼女の目となって周囲を捉え、血の通わぬ冷たい装甲は彼女のアバター<偽りの体>となって起動した。

(ジャンヌ!)

 敵機は、浮力を失って落ちる彼女に向かって右背面から取り出したスナイパーライフルを構えている。

 ソフィアは重力制御装置を起動。スラスターを併せて起動し、墜落しそうな機体を強引に前へと押し出した。

 偶然か。

 ただの運か。

 咄嗟の行動が彼女の命を繋いだ。

 ジャンヌの狙撃は失敗した。

 機体の光学センサーが捉えた空を舞う空薬莢がその証拠だ。

『ソフィア! 一瞬だけ気を引くから戻って来るネ!』

(リンリー?)

 答える口はない。

 ただ、通信機が拾った言語を脳に伝えられただけ。

 ただそれだけのことだったが、彼女にはそれで充分だった。

 リロードを終えた敵が、煩わしそうに狙っている。

 散々に避けられたソフィアには、相手の苛立ちが透けて見える気がした。

 そこへ、滞空するジャンヌ機に向けて山から何かが飛翔した。

『車に残ってたミサイルアル!』

 一本は持ち出したジャンヌが使ったが、残っていたそれを救急キット取りに向かったリンリーが見つけたのだ。

 そのミサイルを、ジャンヌ機の自動迎撃レーザーが感知。着弾前に至近距離で撃ち落とすが、爆発した煙が視界を塞いだ。

 その間に、駐車場へと戻ったソフィアにリンリーが言い募る。

『レイカの機体のアサルトライフルを使うネ! 反動でブレるから切り払いなんてできないはずアル!』





「何故動ける! モニターは潰したはずだ!」

 コックピット回りはさすがに頑丈だ。

 それでも経験からどれほどの衝撃を与えればいいかをジャンヌは知っていた。

 適当にぶちかましてきたソフィアのそれとは違っていたはずだ。

(新型だからか? ちっ――)

 煙の中、バリアを張りつつ高度を上げる。

 山風は思いのほか早く煙を拡散させたが、見つけたソフィア機は左手の武装を変えていた。

――突撃銃<アサルトライフル>。

 対マルクト用の武装としてはポピュラーだが、ドクターRの機体対策としてなら自決用と言ってもいいほどに射程が足りない。ただし、その威力と連射性能は同じ地球軍機に対してなら十分に実用的だ。

 もっとも、NSC(ナスカ)のバリアの前では優位性は薄れると目の前で実証されている。ジャンヌにとっては無駄な足掻きにしか見えなかった。

「どうせならベイルアウトすればいいものをっ」

 そうすれば見逃した。

 本命が黒川 幸人である現状、それはただの蛮勇だ。

 問題があるとすれば、誰かが撃ったミサイルだけだ。

 自分が持ち込んでいた一本か、それとも新しい増援か。

 生憎とNSCは対機動兵器用のレーダーはあっても、それ以外のセンサーが無い。

 対R機用の兵器としてならともかく、対人が抜けている時点で人類の兵器としては欠陥機だ。だから自衛軍のマルクトを用意したのかと、今更になって彼女は理解した。

「お前は邪魔だ。きっちりとここで殺して彼を探すとしよう」

 ミサイル対策の装備はある。

 ならば、後は余計な敵が増えるまえに倒してしまえばいい。

 ジャンヌは空へと飛翔してくるソフィア機に向かって銃口を向けた。




「なんだ? いきなり動きがかみ合ってきたぞ」

 おかげで二機の戦いにも変化が起きていた。

 銃口外しの回避力は一級品だ。

 発砲の反動のせいで弾道がブレるそれも、上手くバリアで誤魔化してやり過ごしている。

「片腕が無い方。さっきよりも精彩に欠けていますね」

「空戦に慣れてないのか?」

 まだ地面すれすれを移動していた方がその挙動は安定していて、躍動感があった。対して相手は、開き直りでもしたのか機体性能と機動速度で食らいつこうとしている。

 それは二人の培った経験の差だった。

 月という重力の軽い場所で、重力制御システムを用いた飛行可能機体を慣らしてきたソフィアと、潤沢な装備がなく空を見上げる側だったジャンヌとの。

「それに相手がよく動くようになったせいで培ってきた技術が適応できてない感じだ。ついでに言えば腕が片腕しかないからマガジンが交換できない。結果、必殺の機会が来るまでは無駄撃ちができないから消極的になる。その間に相手は調子に乗ってテンションを上げていく。ああいうタイプは厄介だぞ。上手くいなせないと勢いで押しきってくる」

「悪循環ですね」

「今のうちに少しでも進むか。アレはもう、お互いにしか眼中にないだろ」

 降ろしていたリュックを背負いなおすと、幸人はミコトと共に奥へと向かった。

「勝敗に興味はないのね」

「大体わかったからな。多分、勝つのは――」





(勝つのは私よ――)

 夕暮れの中、機体と一体化したソフィアが加速する。

 空に限界はない。

 地面の上とは違って、三百六十度方向に広がる潤沢なスペースがある。

 右斜め下から、斜め上から、横、下、左と一定の場所に留まらずに移動を続け中距離から射撃する。

 相手は幸人の足跡があるこの場所をあまり離れたくないらしく、移動には消極的だ。

 構えたスナイパーライフルも、片手では取り回しが悪いのか積極的には使ってこない。

 その間にも、手にした左手の引き金を彼女は引いた。

 ドン、ドン、ドォン。

 温存のため、アサルトライフルでの三点射撃<スリーバースト>。

 一発目を必ずソフィア機が避けるも、ブレる砲身によって読みが外れ二発、三発目の事故を恐れてバリアを張ってくる。

 出力を食うそれを多用してくれる。

 それに対して、加速にエネルギーをつぎ込んでいるとはいえ、ソフィア機には余裕があった。彼女は誰よりもNSCのことを知っている。一番出力を食うのが、バリアの連続稼働だということも。

(使いなさい。もっと、もっともっと――)

 アサルトライフルの弾倉の中の弾薬が減っていく。

 尽きればリロードするための替えはない。

 それでもソフィアは狙い続ける。

 当然、相手もただ避け続けているわけではない。

 左側から後方に回り込む瞬間に当てられた。

(――ッ右足がっ)

 警告音。

 撃ち抜かれたことで機体に衝撃が走る。

 オートバランサーが緊急稼働。

 全身の姿勢制御用バーニアを用いて緊急修正しようとするも、思考制御でそれをカット。変わりにメインスラスターを吹かして加速させ、前に進むことで強引に安定させる。

 その間に、姿勢制御でまごついたところを撃ち抜こうとした弾丸がすり抜けた。

 相手は冷静<クレバー>だ。

 つまらないミス一つで撃墜を狙ってくるだろう。

 そう思うと、フルダイブのせいで体と切り離されているはずの心臓が、撃墜の恐怖で爆発しそうな程に脈打っている気さえしてくる。

(こんのぉぉぉ!!)

 だが、それでもソフィアは発砲を止めない。

 コックピットの中の自分がどうなっているのかなど、もはや考える余裕さえなかった。

 落とさなければ殺される。

 自分も、幸人も。

 その恐怖をねじ伏せるにはもう、止まることが許されないのだ。





 視線の先で空を舞うソフィアの新型は、彼女の知る地球側のSGとは比べものにならない機動性を発揮していた。

 さながら、敵のSGシェキナのようだ。

 グライダー装備のマルクトの機動が戦闘機の延長のような機動であるのと比べれば、重力制御だけでなく慣性さえも無視し始めているあの機動はもはや別次元であると言ってもいい。

 対SGミサイルを発射して駐車場に戻ってきた麗華は、ただ純粋に驚いていた。

「滅茶苦茶だ。中のパイロットが何故持つんだ」

 機動兵器が発達すればするほどに、中のパイロットの能力がネックになる。

 対G性能、反射神経、対振動性能、適正、空間把握能力etc。結局は乗り込むパイロットが扱える範疇を超えれば、その機体は高価なだけのジャンクに成り下がるのだ。

 しかしソフィア機はまるでそれを無視したかのように体を動かしている。

 それが可能なシステムを積んでいるということなのだろう。だがそれが、何故仲間割れのようなことになっているのかが分からない。

 負傷したパイロットを乗せた軽自動車へと向かい、リンリーと合流する。

「なんとかなりそうか?」

「貴女のおかげで良い勝負になったアルよ。こっちも、一応はなんとかなったネ」

「まだ、決定的……ない……うだがな」

 止血剤と包帯で処置されたパイロットが、助手席で呻く。

 痛みを堪えるその男は、自分の傷よりも空が気になるようだった。

「弾は?」

「貫通してたアル。急いで病院に行けば間に合うはずネ」

「問題は、さっさとドンパチを止めさえないとヘリも来れないということか」

 車を使うよりも船から来させた方が早い。

 なんとかヘリを到着させられる場所ではあるが、あの二機が邪魔だ。

「裏切り者は回避が上手い。落とせるか?」

「でもそれだけよ。ソフィアとは決定的に違うアルね」

「ほう?」

「ジャンヌのアレは空を知らないパイロットの動きネ。加えて、シェキナ系の特殊機動に対応できていないアル。なら全力で空を飛び続ける限りソフィアは簡単には落ちないネ」

 確信したような言葉だった。

 ティーンエイジャーにしか見えない少女の言葉とも思えず、麗華は問い返していた。

「よく言い切れるものだ」

「軌道迎撃シミュレーター。それのシェキナの回避機動に似てるヨ。アレは、命中させるのに普通のとは違うコツが居るヨ」

「まさか経験者か?」

 軌道防衛は正規のSGパイロットが真っ先に訓練を課せられる。そのことに思い至っての問いだったが、リンリーは否定した。

「違うヨ。さすがに宇宙に上がったことはまだないネ。――っと、おお? ジャンヌ機が失速したアルよ?」




「出力不足だとぉぉぉっ!?」

 バリアを張った瞬間、重力制御システムがいきなり落ちた。

 歪曲バリアが消え、地球の重力がジャンヌ機を捕縛する。

 その後に来るのは、真下からの重力の洗礼ではない。

 三転射撃の三発目が、唯一の遠距離武装であるスナイパーライフルに命中。

 容赦なく銃身を撃ち抜いて破壊した。

 機体内に走るアラート。

 幸い、機体がいきなり停止することはなかったが、もはやジャンヌ機は翼を奪われた鳥にも等しい。

 背面のバックパックでメインスラスターがフル点火。機体各所の姿勢制御バーニアと連動して安全確保のために強制的に姿勢制御に入る。

 そこに、ジャンヌの意思は介在できなかった。

 一介のテロリストでは、その機体のシステム回りなど知るはずもない。

 ましてやそれは実験機。

 通常のマルクトのそれとはまったく違う。

 不幸だったのは、彼女が銃口外しの力があったことだろうか。

「――」

 眼前、突撃銃と同時に向けられ続けていたスナイパーライフルがしっかりと彼女の居るコックピットに向けられているのをジャンヌは感じ取った。

 過去何度も味わった恐怖が脳髄を突き抜ける。

(神よ――)

 次の瞬間、銃口の先に見えたマズルフラッシュが彼女の見た最後の光景となった。




(――やった?)

 スナイパーライフルの銃弾はコックピットを撃ち抜き、同時にフルオートで射撃したアサルトライフルがジャンヌ機をズタズタに引き裂いた。

 その瞬間は、確かに無我夢中だった。

 アラートの音が脳裏に響く。

 アサルトライフルの残弾はゼロ。

 撃墜が信じられず、気づかずに弾倉全てを叩き込んでいたようだった。

 爆発四散した敵機は、無残なジャンクとなって山中に降り注ぐ。

(私が撃墜した。私が、殺した……)

 ただの民間人だった自分が。

 込み上げてくる奇妙な達成感。自身の命を守り切ったという安堵感が殺人という行為の不快感を相殺して凌駕した。

 警告のアラートが成り続ける中、数秒程ぼんやりとした頭で次のことをソフィアは考える。

(とにかく一旦リンリーと合流。それから幸人を捜索して――) 

 警告音、警告音、警告音。

 アラートが鳴りやまない。

 残弾ゼロのそれではないと気づいた頃にはもう、それはすぐ傍まで迫っていた。

『逃げるか今すぐベイルアウトするアルっ!!』

(リンリー? ――えっ?)

 それは、まず西東から来た。

 シェキナやマルクトなどの量産機とは違う、完全なるワンオフ機。

 赤い機体だ。

 特徴的な頭部のリング状のアンテナに、大型のスラスター翼。

 それはまるで甲冑を来た断罪の天使のような優美なシルエットをしている。

――SG-06<ティファレト>。

 無作為に放たれている機体識別信号を機体が拾いレーダーに出力。パイロットであるソフィアに警告し続けていたのだ。

『麗華が言うにはディスペアを落とした特機アルよっ!!』

 その警告は遅すぎた。

(大きい。ディスペアみたいにっ!!)

 全高約十五メートルサイズのマルクト。

 その延長線上にあるシェキナやマルクトNSCよりも更に大きい。

 達成感に火照っていた心が、いきなり冷水を浴びせられたかのように凍えた。

 更にダメ押しのような別の警告音が発生。

 レーダーに光点が増える。

 増え続ける。

 茫然と空を見上げたソフィア機の目には、降下してきているオレンジ色の機体がズームされていた。

(ドクターRのシェキナ――)

 迫る特機。

 降下してくる大量のシェキナ。

 もはや、ソフィアの心はそれだけでへし折られた。

(――無理。フルダイブ緊急解除!)

 一瞬の浮遊感。

 フルダイブ状態を解除した彼女の意識が、自分の体へと帰還する。

「うぷっ。気持ち悪っ――」

 シートベルトで体を固定していたとはいえ、意識が無い体は相当にダメージを追っていた。無茶な機動の代償でふらつきながらも、どうにか機体を自動制御で後退させる。

 切った瞼の治療も後回しにしてすぐさまコックピットを開けると、備え付けられていたパラシュートを引っ掴んで彼女は空に躍り出た。

 次の瞬間、ティファレトの翼から放たれた十二本の高収束レーザーが、自身の歪曲バリアに反射され、彼女の機体を撃ち抜いた。

 レーザーの着弾点は当然のように熱量で溶解し、まるで光に貫かれたかのような光景を振り仰いだ彼女の裸眼に焼き付ける。

「多重バリアによる……反射射撃? まさか、全方向に撃てるっていうの?」

 空間歪曲バリアがない通常のマルクトにとって、それは悪夢のような装備だった。

 相手は、対消滅エンジンの莫大な出力を余すことなく攻防移に使えるのだ。

(せめて同じ所まで、ううん。それを凌駕しないと勝機さえないんだわ)

 シェキナにNSCで対抗できると楽観して考えても、今度はパイロットと機体の数が足りない。結局のところ、無尽蔵に戦力を出してくる相手に性能が格段に劣る有人機で挑み続ける限り勝利の芽などないのだ。

「くっ――」

 パラシュートを開き、ソフィアは山へと降下する。

 その間、ティファレトがソフィアを狙うことはない。ただただその赤い天使は見下ろすだけで見逃した。

「本当なのね。人間を直接攻撃しないのは」

 攻撃されない限りは反撃しないのは周知の事実だ。それが特機にも有効かどうかは賭けでしかなかったが、ひとまずSGに生身の体で襲われるという危険はなさそうだった。

(でもこれ、着地どうしよう)

 なんとか駐車場へと戻ろうと申し訳程度にパラシュートを繰るが叶わない。

 そのままソフィアの体は木々へと突っ込んでいった。

 思わず目を閉じた彼女の体は、枝をへし折りながらも途中で止まる。

「痛たたた。もう、最悪!」

 悪態をついた彼女は、体に絡まったパラシュートのロープを外そうとして、ふと二対の視線に気づいた。

「なんでだよ」

「……え?」

 木々に引っかかったせいで宙づりにされた彼女のすぐ傍には、幸人と自動小銃を構えたミコトが居た。

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