第三話「ボーダーライン」



 一台の白い乗用車が薄暗がりを抜けた。

 その車は山をくり抜いて作られたトンネルを抜けるや、すぐさまライトを消灯。迫る急カーブを前にブレーキランプを点灯する。

 そのまま車は申し訳程度に減速しながら左コーナーへ突入。

 コーナーの向こうから現れた黒い軽自動車とギリギリですれ違う。

 容赦なく襲ってくる横Gの中、短めのストレートで運転手がギアを一段落として再加速。

 すぐに次の曲がりがあるというのにそのあまりの糞度胸。左手を上部の支えから離せなくなった幸人は思わず叫ぶ。

「いったいどこに行く気だ!? てか、すぐにまたカーブが――」

 窓の向こうから聞こえてくる、喧しいエンジン音に負けないような大声はしかし、すぐに止んだ。

 迫る右コーナー。

 懲りずに申し訳程度の減速のまま車は突入。

「ぬぐっ――」

 幸人の体が遠心力によって左側へと傾きそうになる。

 さらにそこから続く下りのT字路さえ抜ければ、しばらくは海岸沿いの国道を進むだけの道が続く。続くが、その前にどうにかなりそうだった。

「問題ない。このままT県方面へ向かう」

 思い出したような返答が運転席から発せられ、ほぼ同時にギアが落ちた。

 エンジンブレーキによる減速かと思えば、それはやはり再加速のためのギアチェンジ。

 四人目の少女は、そうしてほとんど最小限の減速だけで下りきるとT字路終点の赤信号を無視。ハンドルを切って無理矢理に車を左に曲げる。

 車体が滑る。

「■■■ァァ!?」

 中の幸人の体が、横Gを感じ取り反射的に絶叫を上げた。生まれて初めてのドリフトは、それほどの恐怖を心身へと刻み込む。

 その時、確かに幸人は寿命が五日は縮まったと思った。

「大丈夫。対向車が無いことは分かっていた」

「そういう、問題じゃ、ねぇだろうがよぉ」

 コーナーを抜けた車が再加速。

 踏み込まれたアクセルに従って幸人の体を今度は座席へと押し付ける。

 その間にも、少女はギアを上げて五速へとシフトアップ。法定速度を当たり前のように無視して車を疾走させる。

 ここからは比較的直線が多い。

 カーブが無いわけではないが、それでも長い直線の方が多い。

 そのせいで時折スピード違反の検査のためにパトカーが待機したり巡回もしているが、少女はそんなことは知らないとばかりにアクセルを緩めなかった。

 買い物のための主婦の乗る普通車を抜き、運送会社の長距離トラックを抜き去って公道の覇者となる。

 気持ち良いぐらいに唸るエンジンは、貪欲に燃料を燃焼させながら回転のエネルギーをタイヤへと伝え続ける。その健気な全力疾走には幸人も頭が下がる思いだ。

 逃亡のためか、ガソリンも十分に用意されている。

 今時ガソリン車なのはともかく、フロントガラス越しに置き去りにされていく周囲の光景が幸人にとてつもないスピードを感じさせてくる。

 バイクでは絶対に出したくない速度。

 スピードメーターを覗くのが怖くて、慣れるまでは前以外を見たくない程だった。

「今のうちに後ろの荷物を確認して」

「に、荷物を?」

「トランクがあるでしょ。それと座席の後ろも見て。何か武器があるはずだから」

 恐る恐るシートベルトを外し、シートを倒して後部座席へ向かう幸人。

 すると、後部座席には確かに大きめのトランクがあった。

 さらに足元には青いシートに包まった細長い何かと、鞄が置かれている。

「リュックは着替えと水と食料……それに現金とパスポートか」

 シートに包まっていたのは、銃身が切り詰められた自動小銃<ライフル>だ。

 既にマガジン装填されていて、セーフティを解除すればすぐにでも撃てそうだ。

「トランクはどう?」

「今開けてるよ。……げっ。こっちも銃だ」

 サブマシンガンと、拳銃、ナイフに後は予備弾倉とハンドグレネードが数個収まっている。更に後部座席の後ろをのぞき込めば、防弾チョッキとまたも銃器の入ったトランク。さらに一枚の毛布と救急キットなどが見つかった。

「ダッシュボードの中にも拳銃があるわね。後部座席は開けられる?」

「これ、開けられるのか?」

「挙動が妙に重いからあると思うけど」

「ん……げっ、ロケットランチャーが二本とダイナマイトがあるぞ」

 いったい、三人目の転校生は何と戦うつもりだったのだろうか。

 幸人は過剰過ぎる武装に引いた。

「どうやってこんなに持ち込んだんだ? ここは平和大国日本だぞ?」

「相手はテロ屋だもの。方法なんていくらでもあるわ」

「そういや、かなり前に中国の船が麻薬を漁港に持ち込んだとかあったな」

 不審な船だったらしく、付近の漁師が気づいて警察に110番して発覚した事件だ。

 麻薬の密売ルートだったらしく、それ以来海岸線のパトロールが一時期強化されていた。

「そういうのは昔よりはかなり減ったみたいだけどね」

「監視衛星の恩恵、か」

「おかげで宇宙はもう渋滞よ。ドクターRのマルクトが何機か無駄に事故ってる」

 各国が打ち上げまくったおかげでもあるが、飽和しすぎて最近では問題になっていた。

「迎撃用のミサイル衛星にレーザー衛星。監視衛星に気象衛星……もう二万超えてたんだっけか?」

「特に高速ネット通信網の整備のせいで軒並み増えたみたいね」

「後は、パッと思いつくのはムーン・ライト計画の送受信衛星か」

 月にソーラーパネルを設置し、空気が無いことを利用して高効率で電力へと変換するプロジェクトだ。貯めこまれた電力はマイクロウェーブにして受信衛星に送信し、さらにそれを電力に変換して受信衛星からまた照射。地表の受信施設へと送電。そうして各世帯へと分配する。そのための衛星があるはずだった。

「世界的に電気代が少し安くなったんだっけか」

 おかげで、エネルギー事情からも月を完全に手放すという選択肢を人類は取れなかった。

「アレ、月の送信設備の方は残った人が維持しているのか?」

「一部はね。それ以外はドクターRのロボットが整備してるわ」

「律儀な奴だ」

 狂気の科学者のはずなのに、そういうところは細かくケアしている。

 望むのは混乱ではない、ということだろうか。

 そのスタンスは、馬鹿正直なまでに崩さない。

 まるで中途半端な良識を残したままで狂ったようなその男が、幸人には哀れだった。

「まだ完全に狂ってしまえば楽になれるだろうに」

「ありえません。彼が完全に狂うことはない。アレはただ、憎んだだけ」

「……世界を?」

「いいえ。自分とは違う人間を認められない人の弱さを」

 少女はそう言うと、ちらりとバックミラーを見た。

「トランクから武器を取り出して助手席へ。立花 麗華と三人目が追って来ている」

「まさか」

 振り返っても姿はない。トンネルに入る前の上り坂で、車のパワー差で振り切ったはずだった。

 しかし。

 彼方の山すそから、カーブを超えて軽自動車が一台追ってきているのが見えた。

 色は青。見覚えのありすぎる色だった。

「急いで。T県とK県の県境で警察が封鎖に動いている。それと、テロ屋の仲間が三十分もしないうちに前から来る。防弾チョッキを付けて、そのまま後ろで身を低くしていて」

「そ、それはいいけど、どうして前のことが分かるんだ」

「それぐらいできなければ彼のサポートなんてできない」

 そっけなく言った彼女は、いつの間にか耳元にインカムを付けていた。

 それは、これから始まる物騒な六限目を暗示しているかのようだった。






 警察といえど、田舎の警察がテロ屋と遭遇したことはない。

 せいぜいが年明けの暴走族かヤクザの発砲事件程度で、それ以上など経験はなかった。

 急遽駆り出された巡査たちは、状況も禄に分からないままに道路の封鎖に向かう。

 サイレンを鳴らし、法定速度を超えた速度で封鎖箇所へと向かう。

 もとよりほとんど一本道。

 どこを封鎖すればいいかなど、地元である彼らにとってはすぐに検討が付いた。

「せ、先輩……」

 車を降りて、予定場所で封鎖の準備に入っていた時だった。

 年若い巡査は作業の手を止めて、何事かを呟いている。

 新卒のせいでまだ慣れていないのだろうと、そう思って彼は声をかける。

「どうした。バリケードの組み立て方でも忘れたのか?」

「あ、あれ。アレを!」

「ああん?」

 振り返った巡査部長が目を見開く。

「……は?」

 背後の上り坂から、黒塗りのワゴン車が三台走ってきている。だが、問題なのはそれではない。問題はサンルーフからそれらがロケットランチャーを構えた人員を乗せているということだった。

 自衛軍ではないと咄嗟に思ったのは、その装備だ。

 装甲車でもなければ偶に見かける軍用のジープでもないし、その外国人の男は迷彩服などは着ていない。

 強いて言えば、その出で立ちはニュースに出てくるゲリラ兵に似ていた。

 特に被っている目出し帽が、強烈な現実味の無さを巡査部長に与えた。

 構えられたランチャーから、発射音が鳴り煙が見える。

「た、待避ひぃぃぃ!!」

 巡査の声は早い。

 仲間の警官たちが一斉に作業を止めて道路の脇を転がる。

 着弾。

 鼓膜が破裂するような轟音とともに、彼らの乗っていたパトカーが容赦なく吹き飛んだ。

 一台が海を越えてガードレールの向こうへと消える。

 響く落下音と爆発音。炎上した海岸からは煙が立ち上り、誰しもが困惑した。

「ど、どうなってやがる! なんで日本にゲリラ兵が?!」

 転がった警官隊のその横を、二台の車が抜けていく。

 設置途中だったバリケードが、引き飛ばされて道路の端に吹っ飛んだ。

 そのついでに、発射した男たちは道端にロケットランチャーの砲身を投げ捨てていく。

 数秒の沈黙。

 誰もが声を出すことさえ忘れた中で、いち早く思考を取り戻した巡査部長はすぐに無線機に手をやった。

「ほ、本部! 武装した黒いワゴン車が三台、T県方面から目標の方向へと逃走! し、至急増援を! 相手は重火器で武装している!」




「――伏せていてください。テロ屋の仲間が来ます」

 幸人にできることはない。

 ジャージの上に纏った防弾チョッキに違和感があるが、無いよりはマシだと割り切って後部座席で身を倒す。

 その間に、少女は右手のドアのスイッチを繰って両側の窓ガラスを降ろす。

 吹き込む風と同時に、窓ガラスで遮断されていたエンジン音がさらに糞喧しく聞こえ出す。そんな中、何故ガラスを開けるのかと疑問視した幸人は、すぐに理由を察した。

 少女は、左の座席に置かれたサブマシンガンを右手に持ち、窓の外へと突き出して容赦なく発砲したのだ。

 軽快な音が連続して鳴った。

 同時に、二人の乗った乗用車のフロントガラスが盛大に割れた。

 打ち返されたのだと理解した頃には、前からも吹き込むようになった風で車内が一段と涼しくなった。どうやらガラスは防弾仕様ではなかったらしい。

 その背後でスリップ音。

 ガードレールを突き破るような音がしたかと思えば、何かが落ちるような盛大な音が一つ鳴った。

「やった……のか?」

 恐る恐る顔を上げようとした幸人に少女は言う。

「一台は。もう二台は仕留め損ねた」

 四人目の少女は外に突き出していた右手を引っ込め、穴の開いたフロントガラスを銃で思い切り殴りつける。

 身が竦むようなガラスの割れる音も、もはや銃撃音と比べれば可愛いものだった。

 少女は視界をふさぐガラスを処理し終えると、マシンガンを一旦置いてダッシュボードからスモークグレネードを引っ掴む。

 そうして、口でピンを開けて窓から後方へと投げ捨てるやブレーキを踏んで減速。

 左カーブへと侵入する。

 背後でカーブに炊かれるスモーク。

 間抜けにもUターンしてきた一台がガードレールを突き破って海岸線へと消えるが、最後の一台が残っている。

 少女がちらりとバックミラー越しに背後を見れば、サンルーフの上から自動小銃を構える男が見えていた。

「何かに掴まってて」

 返事は聞かない。

 右手でハンドルを操作し、対向車線を踏み越えて左右に揺らす。

 いきなりジグザグに揺れ出したその機動のせいで、後部のドアに頭をぶつけた幸人が呻くが無視。

 左手で助手席のサブマシンガンを取ると、リアガラス越しに車内から発砲する。

「っ――」

 割れたガラスと一緒に、虚空へと吐き出される空薬莢がいくつも車内に落ちていく。

 もはや車内は戦場だ。

 当然のように相手も負けじと打ち返してくる。

 銃撃音は止むことなくひっきりなしに轟き、ここが平和の国だったということさえも幸人から忘れさせた。

「しつこいっ!」

「いてっ!?」

 弾切れになったそれが幸人の背中に落下。硝煙の匂いをまき散らす。

「マガジンを変えて」

 予備のサブマシンガンを座席から取り出し、少女は再び発砲。

「でも貴方は何もしないで。人殺しになる必要はないから」

「お前……」

「お願い。貴方は、ディスペアを手に入れるまでは普通の高校生のままでいて」

 願うような、そんな声色だった。

「――」

 銃声よりもなお重く響いたソプラノを前に、幸人は足元のシートに包まれていたライフルを抱え上げるのを止めた。

 その変わり、まごつきながらもサブマシンガンに予備弾倉を突っ込んで助手席へと回す。

「なぁ、一つ頼みがある」

「なに?」

「ひと段落ついたら名前を教えてくれ」

「――ええ。それぐらいなら構わないわ」

 返事は、サブマシンガンの咆哮と一緒に振ってきた。





「くそっ。もっと早く走れないのか!」

 青い軽自動車のアクセルをべた踏みした麗華は苛立たし気に吐き捨てる。

 距離は近づいてきている。

 幸人たちの乗る車が、速度を落としているためだ。

 何故か銃撃戦が発生しているらしいと、監視衛星から情報を告げられた麗華としては気が気ではない。

 一応拳銃程度なら携行してはいるが、本格的な装備など今は持っていないのだ。

『少尉、最悪な情報です』

「またスパイを炙り出すための狂言じゃないんだろうな?」

 左手で握る携帯電話から、騙してくれた通信士へと抗議。

 相手もまだ冗談を言うような余裕があることに安堵したのか、一言謝罪してから伝える。

『ドクターRが動き出しました』

「まさかT県に降下してくるなんてことは……」

『そのまさかです。たった今、役所に律儀にもメールを送ってきたと』

「なんだと!?」

『向こうとしてもディスペアというイレギュラーを排除したいのではないか、というのがこちら側の見立てです。タイミング的に軌道迎撃は迎撃衛星以外は不可能なので、高高度迎撃に動いているようです。ですが、それにどれだけの効果があるかは……』

「船は今どこだ?」

『港のままです。今、WDFのテスト部隊が三名、少尉の機体と一緒にそちらへ向かっていますので合流してください。――なに? 追跡目標が動きを変えただと?』

「どうした!?」

『少尉、次の大橋を超えたすぐ先の道を左へ! 相手の狙いはT県ではありません! K県の、ドクターRの特機が数日前に降下した封鎖領域です!! その先の旧街道から山を西に抜けるルートに入っています!』

「誘拐犯は正気なのかっ!?」

 そこに飛び込まれたら最後、武装した核ミサイルの傍を非武装で捜索しなければならなくなる。まともな神経ならそんな場所へと突っ込みはしない。

『逃げ込まれると簡単には手が出せませんから……くっ、追加報告です! 付近の山にもドクターRの降下予告が!! 目標の周辺地域全域に予告が出されている模様! 広域に避難警報が発令されました!』

 人命優先は当然だが、もし、この避難に紛れての脱出に切り替えられたら面倒になる。

 避難の妨害になるようなことは極力避けなければならないが、しかしそれをした場合の混乱は避けられない。

 いや、すでに混乱していた。

 ここまで同時に周辺地域への避難勧告が出た例はない。

 自治体もどこに逃がすかで騒然としている頃だろう。 

 特に田舎の山間部は人口が少ないとはいえ高齢者の割合が多い。

 中には、住んでいる土地から離れたくないと避難を渋る人もいて、軍の活動に支障をきたすこともあるとよく聞く。それらの説得もとなると、避難の時間は伸びに延びてしまう。

 頭を抱える麗華だったが、カーブで速度を落とした。

 たったそれだけのことでも、これでまた数秒の遅れが出ると思うと苛立ちが募る。

 その、次の瞬間だった。背後から迫っていた真っ赤な車が、対向車線を出て猛全と彼女の車を抜き去った。

「な、に?」 

 外国製の派手なスポーツカーらしく、運転席は左だ。

 その運転席に座っていたのは学生だった。

 三人目の転校生。

 顔写真は協力者として資料で見たが、しかし。

 彼女は他二人とともに今頃は港の船へと戻ったのだろうと思っていた。

「……おい。WDFの転校生の一人が私を追い抜いて行ったがアレはなんだ」

『か、確認します。……はぁ? 命令を無視して追跡中だぁ?!』

「独断専行というわけか? WDFの規律はどうなっているんだ!」

 とにかく今は追跡しかできない。

 追って指示があるまではと、麗華はアクセルを踏み込んだ。





 舗装された山道を乗用車が走っていた。

 ここはN山街道。

 古くから利用され、江戸時代には参勤交代のために大名も利用したという旧街道の傍を通る山道である。

 丁度T県手前からK県の山を中央方向に向かって突っ切るそれは、海岸線からのルートと比べれば当然のように時間の短縮になったことだろう。

 ただし、山道であるという事実さえ無視すれば、であるが。

「随分と涼しくなったな」

「車が動けば問題ない」

 もはや前後の窓ガラスが風を防ぐ役割を果たしていない。

 道路の脇に生い茂る森林も日よけとなって、西日を遮断。日も落ち始めたせいか、山風のせいでジャージでは少し肌寒くなってきた。

「結局、最後の奴はなんで突然爆発したんだ?」

「ミサイルランチャーを持ち出したから、発射前の弾頭にぶち込んでやったの」

「……良く当てたな」

「射撃の腕は悪くないから」

「ふぅん」

「それよりも今のうちに予備の武器を」

「お、おう」

 サブマシンガンの予備弾倉も弾切れだ。

 最後の方は拳銃で応戦していたが、それにしても後ろを取られていてよくやったものだ。

 今なら、四人目が未来から来たターミネーターだと言われても幸人は信じられる確信がある。

「げっ、しこたま当たってるぞ」

 後ろのボディを貫通した弾丸がトランクに命中している。盾にもできる防弾仕様だったらしく、中の武器は無事だ。これのおかげで助かったのかと、幸人は勝手に納得した。

 急いで武器を取り出し、助手席とダッシュボードに補充する。その間に少女は車内ラジオを弄って周波数を合わせ始める。

「なぁ、そろそろ名前を教えてくれないか」

「ミコト」

「ん? 自己紹介のときは見た目相応の名前じゃなかったか?」

「そっちは適当な偽名。こっちは親の趣味の本名よ」

『――在、R警報が発令中です。K県東の山間部周辺から広域にドクターRから降下メッセージが届いており、すでにマルクトが降下を開始しています。これから言う付近の住民の方は、急ぎ自治体の指示に従って避難してください。繰り返します。現在、R警報が――』

「……おい。思いっきり近辺なんだが?」

 アナウンサーの他人事のような淡々さが酷く恨めしい。

「大丈夫。私たちは彼の支配地に向かうから渋滞には掴まらない」

「……そういう問題か?」

「明日が誕生日でしょ。それまで貴方が逃げ切れればこっちの勝ちよ」

「パンドラはどうするんだ」

「彼女ならちゃんと追いついてくるわ。そのための目印が私」

「なるほどな」

 頷き、今後の予定を話し合う。

「聞いてはいたが、本当にこの道が隣町に繋がってるのか」

 人口の減少により、市町村の合併を繰り返した結果人口の割には土地が広い歪な田舎町ができあがった。それが彼が住むM市の実態である。おかげで地図だけで見れば田舎にしては馬鹿に広く、中央の比較的隆盛な市内と比べると不便な田舎となってしまった。

 この山道がアスファルトで覆われて維持されているのは、半ば奇跡であるほどだ。

「手前に封鎖領域への侵入を防ぐためのバリケードはあるけど、申し訳程度よ。車があれば十分に突き破れる。軍も避難民の誘導で手は回らないはず。よしんばヘリやマルクトを出してきたとしても、そろそろR側のSGも降りてくるから簡単には手出しができなくなるわ。何事もなければ逃げ切れる」

「でも空の上から監視されてるはずだぜ。連中が先に道を塞いで来たらどうするよ」

「その時は車を捨てるわ。これからは時間との闘いね」

 幸人が捕まるか捕まらないか。

 それが、この逃避行の最低限の勝利条件。

 最悪、それさえどうにかなれば勝利の目はある。自衛軍とWDFにはディスペアは止められない。その大前提が覆らない限り足掻く意味はあるのだ。

「もう一つ問題があるわ。日付が変わったからといって、それでパンドラがすぐには貴方と契約しないだろうということよ」

「どういうことだ? 誕生日がくればって話だったはずだ」

「貴方が産み落とされたのは正午過ぎでしょ?」

「そこまで厳密なのか」

「本当なら二十は超えて欲しかったと聞いたわ。十七はぎりぎりパンドラが妥協した数字だったはず。それが無ければ、貴方はもうディスペアに乗っていたはずよ」

 そんな自分などもはや想像もできない。

 幸人にはどちらが良かったのかなんてわからない。ただ、そのために準備をする猶予ができたことに意味があるはずだと信じるしかなかった。

「ん? ちょっと待て。乗るのに副作用でもあるのか?」

「性能が落ちると聞いたわ。それ以外なら、貴方が人類社会でまともに生きられなく程度の問題。正直、貴方個人の得るものはあまりにも小さいと思うけど?」

「そこは関係ないね。欲しいものがあるから乗る。それだけの話だし、そっちはもう織り込み済みだ。それで後悔しても納得はしてやるさ」

「……驚いた。本当にドクターRの野望は関係がないのね」

「ないね。皮肉なことに、奴さんが出てきてから人類同士で戦争する余裕がなくなって平和になったってもっぱらの噂だ。大量破壊兵器保有国の声は小さくなって、名ばかりの国連も昔よりマシになったんだろ? ドクターRは間違いなく悪だけど、アレはもう本当に人類社会の外側に居る分まだマシさ。なら、後は終わった後に歴史家がどういう風に記すか程度の問題だよ」

 争う指標がまるで違っていた。

 貧困も、金銭も、資源も、食料問題や宗教問題さえも介在していない。

 結局のところ、常人の欲望とはかけ離れている場所に彼は居て、人々の直接支配などに毛ほどの興味も示していない。

 まるでシステムのように、決めた指標のために動いている。それはまさに彼が信奉するというロボットのような生き方だ。

 きっと、彼は人類を見限ったのだろうと幸人は思う。

 信じられなくなったのだろうと言っても良い。

(そうか、だからか)

 ふと、軍事評論家がテロ屋は他人が信じられない性格が多いと言っていたのを思い出す。

 だから戦うのだと言っていたが、今なら少しわかるような気がした。

 軍隊もそれに近い性質がある。

 新兵器ではなくて、信頼性の高い旧来の兵器を兵士は好むという。

 それは、あやふやでまだはっきりとしていない物が信用に値しないからだ。命を懸けるからこそ当然とも言えるが、だとしたら現状は滑稽である。訳の分からない、あやふやな兵器であるディスペアのどこに信頼性などあるのだろうか。

 つい先日、偶然に選ばれただろうパイロットが死んだだろうに。

「でも彼、民主主義の敵らしいけど?」

「多数決主義の敵の間違いだろ」

 斜に構えたようなことを言う幸人は、面白くなさそうにふんっと鼻を鳴らした。

「民主主義の国の人がそんなことを言っていいの?」

「日本は思想信条の自由がある国だからな。俺みたいな捻くれた考えの奴が居ても許される素晴らしい国さ。まぁ、そう言う奴に行き過ぎたレッテルを張って許さないのが多数決主義なんだが。右翼だの左翼だの、古い連中程そういう言葉で括りたがるから余計に過去に縛られるんだよ。少しは未来に目を向けろっての」

「……貴方、マイノリティの才能があるわね」

「どんな才能だよ」

 やはりというべきか、ミコトに褒められても褒められている気がまるでしない。

 ただ、馬鹿にしているという風ではないことだけは幸人にも分かる。

「だからあの人間嫌いが認めたのかもね」

「パンドラのことか?」

「いいえ。御久﨑の方よ」

 御久﨑 海斗(みくざき かいと)。

 直接顔を合わせたこともない、折原 卓也の昔の友人だと名乗る男。

「貴方の感性はきっと折原に近いわ。だから代理として彼は認めたのかもしれない。貴方は外側に出てしまった人とも付き合える人みたいだから」

「人間は皆、一皮むければマイノリティだろ」

 個人単位での主義主張は微妙に違う。

 それを常識とルールで制限して集団行動をするのが人間だ。それは、そうでなければ自分がつまはじきにされて不利益を被ると知っているからだ。

 そしてルールとは相互に監視されて初めて効力を発揮する。

 常識は明確にルール化されずとも、行動を抑制する安全弁となる。

 だがその解釈は個人の価値観に左右されるという欠陥を持つ。

 だから、なのだろう。

 外れ過ぎてしまえば孤独に落ちる。

 理解できない奴と付き合える人はいない。

 理解したくない奴になど近づきたくもない。

 自身の安全のためには、そういう選択肢も当然あるのだ。

 しかし、外れてしまった者にとってその仕打ちはどう映っただろうか。

 触れ合う痛みと苦しみを経ずに、ただ先に距離を取られていくだけになってしまっていたら。

「……あのネットワークについては聞いている?」

「聞いたことはある。ドリーム・メイク・プロジェクト……だったか」

 どこかの誰かが作った、夢の実現のために延々と仲間たち同士で情報とリソースを提供しあうプロジェクト。それは確かにこの世のどこかにあり、選ばれたマイノリティの脳をとあるデータベースにリンク。使用するためのアカウントを発行するという。

 それは、良識も常識もなく、時間や空間、世界さえ超越しているという趣味人の巣窟。

 そこにあるのは使用ルールと夢と情報だけで、倫理と道徳は彼岸へと追いやられる。

 未来の知識が集い、失われたはずの知識が眠り、今これから日の目が出るだろう新技術や理論が延々と蓄えられていく。

――全てはただ、マイノリティの夢のため。

 現実に与えられなかった者たちのためのそれは、人知れずリアルを上書きする隙を伺って今もある。

 夢は現実を犯す。

 それは夢から生まれた発明、そして科学が証明している。

 誰かが不可能だといい、そんなものは知るかとばかりに誰かが形にし続けてきたことで人類の今がある。

 飛行機の無い時代に、いったい誰が人間が空を飛べるようになると思うだろうか。

 きっと鳥のように自由に空を飛びたいと思うことはあっても、空を飛ぶためにどうすればいいかを延々と考え、研究し続ける大衆はいない。

 けれど彼らは違った。

 ナンセンスだと笑われながら生活を切り詰め、不可能に挑み、それを可能にしてきた。

 中には完成にたどり着けずに半ばで散った多くの夢もあっただろう。

 けれど、ひと握りの夢は確かに花開いて現実を変えてきた。

 そういう意味で言えば、人類史とは夢との闘いの歴史でもあるのかもしれない。

「あのネットワークは現実を犯す禁断のツールよ。御久﨑はそれに幼少期から選ばれた人。選ばれたからきっと、余計に外れてしまった。でもそんな彼が唯一ゲストアカウントを発行したのが折原 卓也だった」

「爺さんは不思議と馬が合ったって言ってたっけな」

 大学で出会い、そうして切磋琢磨したという。

 御久﨑は天才だった。

 ネットワークに集積されていた叡智があるから、だけではない。

 彼はそれを使いこなせるほどに優秀な頭脳を持っていたのだ。

 けれどネットワークは、幸せだけを彼に与えはしなかった。

 行き過ぎた理論と技術を持つ彼にとって、周囲の人間は皆周回遅れの鈍亀レーサー。

 それだけならまだしも、彼の理論が有用だからと知ると手のひらを返して利用しようとしてくる。大学教授でさえ、彼の先進的な理論を盗用したという。

 夢を追いたいだけの彼にとっては、それらはもはや我慢できない醜悪なものだっただろう。

 周囲との乖離と摩擦。

 当然のように興味も関心も死に絶え、しかも理解さえもほど遠い冷めた人間関係に彼は苦悩した。それは卒業してからも続き、ナンセンスだと誰もが彼の作り上げようとするものを否定してより悪化した。

 天才故に孤独で、だからこそ彼の才能に魅せられていた折原は、孤立しがちな彼に何かと構っていたと幸人は聞いた。

「ああ、だからだったっけな。自分が地球最後の理解者になったとき、最後の最後で見捨ててしまったことを悔いているって」


『――だから私は、今度こそこの手で止めてやらないといけないと思ったんだ。友達だったからね。ドクターRが――御久﨑の奴が悪いことをしていたら、そりゃ止めてやらないといけない。止めてやらないと、いけなかったんだ……』


 世界などそこに入る隙間などなかった。

 強いて言えばそれはついでで、折原は情報を世界にリークし、マルクトの情報を流し、そうして手に入れたディスペアにも老齢の身で乗り込んだ。

 そうと幸人が知ったのは、及第点を超えたことを知られたからだ。

『この子凄いわ。最初から及第点を軽く突破してる。尋常な才能じゃないわ』

『パンドラ、それは本当なのかい?』

 彼は自分のトレーニング用にと作っていたVRゲームを、孫の友達に玩具代わりに遊ばせていた。折原は、幸人がそこまで適正があるなんてことを、パンドラに言われるまでは知らなかったのだ。

 それからしばらくしたある日、幸人は問いかけたことがある。

『どうして軍と一緒に戦わないんだ? 戦いは数だぜ爺さん』

『ディスペアが強すぎるんだよ。連携など最終的には無意味になるようにできているんだ。それに、アレを軍に渡してはならない理由もある』

 どうせ量産などできないしね、と彼は断定口調で言っていた。

 ゲストアカウントがそのころにはもう破棄されていたこともあったのだろう。

 もはや、対抗できる力はディスペアしか彼の手元には残されていなかった。




「そういえば、昔の仲間にも協力を依頼して調べたけど、ディスペアがいったい何なのかなんて分からなかったんだっけか」

「今の科学力では動力一つとっても解析などできないわ」

「そもそも爺さん、どこに動力炉があるのかも分からないって言ってたぞ」

 解析は、当然といえば当然の試みだっただろう。

 誰だって一人で孤独に戦いたくなんてないから調べて量産をと考える。

 なのに、それが分からずに足を引っ張るだけの連中が全てを台無しにして今がある。

 地球人類は当の昔に、自らの手で最大の情報源を捨てたのだ。

「アンタは、ミコトはなんで奴に手を貸す?」

「私はパンドラとは違う。彼の敵になるなんて考えたこともないわ」

「そうか」

 しばらく会話が途切れた。

 数分無言で風を受けていると、ミコトが言った。

「リュックを準備しておいて。後、水を今のうちに少し飲んでおいて」

「水を?」

「テロ屋の三人目が追いついて来たわ」

「そんな馬鹿な!」

「体育の沼田の車を盗んだみたい。相当に馬力があるわね」

「あの目立ちたがり屋のか!」

 派手な車と腕時計で学生たちの間では有名だ。

 本人は派手好きらしく、体育祭の組体操では高さを競おうとして校長から注意を受けたと幸人も聞いた。他にも何かにつけて自分の武勇伝を語り出す三十代独身である。

「車が趣味なのは本当みたい。走り屋って現実に居るのね」

「車と結婚したとか言ってたけど本気だったのかよ。まったく、いい迷惑だ」

「迷惑なのはその奥さんを授業中に寝取られた彼だと思うけど?」

「そりゃそうだ」

 想像するとあまりにも気の毒だった幸人は、思わず両手を合せて合掌した。

 借金して買ったとも言っていたはずなのだ。保険に入っていたとしても、嫁さんが無事に帰ってくる保障などない。

「だがどうする? 足が向こうの方が早いならまた銃撃戦か?」

「止めておきましょう。車ごと突っ込まれて一緒に崖下なんて目も当てられないわ」

 少し考え込むミコトだったが、バックミラー越しに見えるその眉が顰められるのを幸人は見逃さなかった。

「まだ何かあったのか?」

「……自衛軍に勘が良い奴が居る。予測より数段早く封鎖領域の手前のバリケードが強化され始めた。どういうわけか北に抜けるルートは手付かずで、ね」

「マジかよ。それじゃあどうするんだ」

「車を捨てましょう。もう少しだけ進んで、後は時間まで山に隠れればいい。問題は監視衛星だけど、山の中に入ってしまえば夜が全てを覆い隠してくれるわ」

「オーケイ。どうせ俺に打つ手はないんだ。アンタに任せるよ」

「覚悟だけはしておいて。最悪の場合、今夜は寝かさないから」

「……はぁ。いつかそんな色気のあるセリフをあいつの口から聞いてみたいもんだ」

 脳裏に思い浮かべた幼馴染の少女は、そんな幸人を鼻で笑っていた。






 全高約十五メートル。

 鋼鉄の巨人とも言うべきその兵器の中に、ソフィアはいた。

 低空を飛ぶそのイエローの機体は、自衛軍の青いマルクトを前から抱いて飛んでいる。その後ろには、同じ色の機体が一機完全武装で追従していた。

「――ああもう、いったいどこに居るのよレイカは!」

 禄に着陸する場所もない山に向かったパイロットに、機体を届けろという無茶を仰せつかった彼女は毒づいた。

「リンリー。本当にこの近くなんでしょうね?」

「勿論アル」

 後ろの座席に座った自称中国人の少女が頷く。

 申し訳程度にはシャワーを浴びた彼女の頭は、もはや白くはない。

「私は誰かさんみたいに訓練を受けてないわけじゃないアルよ。その証拠に一人でマルクトだって動かせるネ。この機体以外なら、アルけどね」

「どうだか。あんたみたいな胡散臭いのは情報部って相場は決まってるわ。だったら、感応制御システムを応用した機体の練習もしてるんじゃないの?」

「いやいやいや。実機はほとんどないアルよ?」

 次期改修計画に盛り込まれた新しい操作システムで、シミュレーターの数も少ない代物だ。実機ともなれば、それこそエース部隊の要る箇所か実験部隊ぐらいしかない。

「あと、みんな私に冷たくないアルか?」

「だってあなた、出会いがしらに名前は偽名だってぶっちゃけたじゃない」

「誠意が裏目ったアルか!?」

 泣きわめくような素振りを見せる彼女の、そのわざとらしさがソフィアは苦手だ。

「着いて来たのだって、この機体のことが知りたいからなんでしょ」

「心外ネ。ソフィアの身が危ないからアルよ。さすがに機動兵器で幸人を人質にしているSVRとやりあう訳にはいかないアル。それに相手は実銃持ちアルよ」

「貴方が後ろに居ることの方が私は怖いの」

 宇宙服を兼用しているパイロットスーツのヘルメットを脱ぐと、ラックにひっかける。そうして襟を緩めたソフィアは、眼下に広がる山へと目を凝らした。

 道路はある。

 あるが、所々森林の木々に埋もれていて上からだ見え難い。

 一応は何かあったときのため、ドクターヘリが降りられるように整備されている箇所はある。街道の付近には旧街道があり、その街道を目当てに山歩きに来る観光客も僅かながらに居るからだ。だがこれでは見失ってもおかしくはない。

「ああもうっ。いつか京都の紅葉を見ようって楽しみにしてたのに嫌いになりそう!」

「……京都と山は違うんじゃないかネ」

「月の山には砂しかないから楽しみだったのよ。私、物心ついた頃にはもう月に居たから。綺麗だっていう桜と紅葉が見たかったのにぃぃぃ」

 生憎とそのどちらも時期が外れていたことが少女には残念だった。

「観光はこの作戦が終わったら好きなだけ行くアルよ。でもこの機体は凄いアルね。Gをや振動をほとんど感じないヨ」

「そりゃあねぇ」

――SG-10NSC。

 核融合炉と感応制御システムなどを搭載した月の実験機。

 名目上は新型機となっているが、実際は部分的に鹵獲された敵SGシェキナのパーツを組み込んだ量産不可能な機体だ。

「早く量産体制に乗せて欲しいアルよ」

「それができれば苦労しないわよ」

 だから、月側の人間としてのソフィアは、最初のディスペアのパイロットに会う必要があった。

 或いは、彼でなくてもいい。

 ディスペアに使われているオーバーテクノロジーの理論さえ手に入れば。

 元々月にシェキナのパーツを持ち込んだのは最初のディスペアのパイロットだ。変声機<ボイスチェンジャー>を用いた拙い英語で、彼は月の科学者にジャンクを持ってくるから解析して人類の役に立てて欲しいと言ったのだ。

 そうして、彼は宇宙での戦闘をこなす度に月に残骸を持ってきた。

 撃墜と同時に爆破するせいで、禄にサンプルを集められなかった敵のそれを。

 右手、左足、右足、左腕、頭部、背面ユニット。

 生憎と反物質エンジンが仕込まれた部位の持ち込みだけはできなかったようだが、各所に仕込まれていた重力制御システムの理想的なサンプルがようやく手に入った。

 月の幸運は続く。

 シェキナに使われていた技術の中に、核融合炉開発に役立つ画期的な素材があったのだ。ガスタービンエンジンの限界を感じ、完成をせっつかれていた彼らは沸いた。

 ただ、結局重力制御システムのブラックボックスの謎だけは解明ができなかった。

「この機体、もしかして量産できないアルか?」

「私たちの出した結論はこうよ。ドクターRは悪魔と取引をした。どうにかしたければジーザスでも呼んで来いってね」

「……笑えないジョークネ」

「核融合炉量産の目途はたったわ。でも、それだけじゃ対抗できない現実は変わらない。だったらもう、同じようなモノを作った人に縋るしかないでしょ」

「結局そこに行き着くアルか」

「自衛軍の解析データと、ディスペアのあの重力を無視するような戦闘映像を見たときに直感したわ。ああ、もうアレしかないって。だからWDFの誘いに乗ったの。でもまさか、この機体で大気圏突破をやる羽目になるとは思ってなかったわ。おまけに短期間の教官役まで押し付けられるなんて冗談も良いところよ。おかげで教導用に改造されてコックピットが狭くなったし」

 サンプルとして研究用の物を残し、残りのパーツはWDFに接収されたが、その際に新型の制御方式の教官を宇宙ステーションで各国のエース相手にさせられた。

 月での起動実験で散々乗り回していたソフィアとしても、それには神経を使ったものだった。

「――で、これぐらいでいい?」

「良いも悪いもないネ。つまるところそれは、彼の価値を上げただけヨ」

「そうよ。だから余計なことはしないでってこと」

「当然アル。彼の価値は現状では計り知れないネ」

「貴方に言ったんじゃないわよリンリー」

「ああ、護衛しながら盗み聞きしてる困ったちゃんアルか。大変アルねぇ。高々ぬいぐるみ一つで監視が着くなんて」

『――』

 通信で聞こえているはずだが、後方のパイロットは何も言わない。

 だから、基本的には居ないものとしてソフィアは扱う。

「それだけ切羽詰まってるってことなんでしょ。彼に会いたいのは私も同じよ。まさか、月でクリスマスプレゼントを貰うなんて思わなかったもの」

 ジャンク以外に、ディスペアのパイロットが月に持ち込んだものがあった。

 一つは、マルクトに応用できる制御方式のデータ。

 バーチャルダイバーのそれを応用したらしいそれは、アナログな操作だったマルクトに恐るべき即応性を与えた。

 二つ目は保存食や嗜好品で、最後がゲームや玩具だった。

 意図はわからない。

 激励のためか、それとも敵対せずに月が見逃してきたことへの礼のつもりか。

 いつしか一つの物資搬入口は、彼のためだけの秘密の専用口になっていた。

 その人物が機体から降りて姿を見せたことはない。

 けれど、あの漆黒の機体のモニターから見えていたのだろう。

 管制塔から自分を見る、小さな宇宙服を着た少女の姿が。

「だからそのときに私は思ったのよ。彼はね、空軍やNASA(アメリカ航空宇宙局)のレーダーでも捉え切れない、世界最強のサンタさんだったんじゃないかって」

「トナカイはディスペアだたアルね」

「ええ。本当、物騒なトナカイがいたものよ」

「なら私たちの今乗っているトナカイはどうアルか? プレゼントを抱えたまま降りられる程度には賢いアルか?」

「ちゃんと下ろせる場所さえあれば余裕よ。操作の自由度と即応性は桁違いよこれ」

 感応制御システムにより、ダイレクトにパイロットの意思を機体に反映させることが可能になった恩恵だ。操縦桿やペダル、その他スイッチで操作するマニュアル機とは比べ物にならない半面、通常のマニュアル機に乗った者には違和感がある。

 現にエースたちは触った後に渋い顔をしたものだった。

 いっそのこと新兵に使わせた方が、機種転換訓練の必要ないためにコストが浮くだろうとも言われた。彼らの場合、体で覚えた物が出た。具体的には避けるための操作入力を機体が取るのだ。あたかも操縦桿を握ったパイロットのように。

 シミュレーターでそれだからこそ、使いこなせる彼女が教官を頼まれた側面もあった。

「フィードバックを適正値にできれば簡単よ。要は車と同じで慣れよ慣れ」

「身も蓋もない話ネ」

「テクノロジーの進歩に人間が追い付けない事例と言って頂戴」

『――無駄話はそろそろ止めろ。予定ポイントだ』

 黙っていた男が通信機越しに発言する。

 そのお堅さに辟易しながら、ソフィアは後部のサブシートを睨み付けた。

「リンリー?」

「土地勘の無い私にナビを任せたソフィアも同罪ネ」

『先導してやるから付いてこい』

 背後の機体が前に出る。

 男にもプライドがあるのだろう。

 文句を言いながらもしっかりと新型を使いこなして見せている。

「彼、上手いアルね」

「ついでに強いわよ。降下妨害を三度経験して生き延びてるんだって」

『四度だ』

「……だってさ」

 肩を竦めるソフィアは、休憩用に設けられたらしい小さな駐車場を見つけた。

 その真ん中には白線で数字が書かれていて、ドクターヘリの降下ポイントの一つとして機能していることがわかった。

 先行する男の機体は、真上につけるように減速。そのまま垂直に高度を下げて両足で着地する。

 通常のマルクトだとこうはいかない。

 基本的に追加装備によって戦場に対応するのが仕様なせいだ。

 空を飛ぶなら飛行用のジェットエンジンを内包したグライダーと、着地用のローラーを足に装備し、飛行機のように離陸と着陸を行う。それにはそれなりの距離が必要だ。

 しかしこのマルクトNSCは重力制御で空を飛ぶ――というよりは進行方向に落ちるようにして飛ぶ――ためグライダー装備など必要なく、減速するだけで静止が可能だ。

 事実上、陸海空と宇宙。ほぼ全てに対応している万能機である。

「恐ろしく快適な着地だったたネ」

「当然よ」

 麗華の機体がきちんと直立しているのを確認しながら、ソフィアは駐車場へと視線を向ける。モニターの向こうには自販機と屑籠とトイレ、そして駐車している車が二台見えた。

 一台はガラスが割れ、銃弾の痕が生々しく残っている白い乗用車。

 二台目は赤いスポーツカーだ。

「アレ、もしかして誘拐犯の車?」

『都合がいい。こちらWDF3。『清流』聞こえるか?』

『こちら海上自衛軍輸送艦『清流』。どうした、何かトラブルか?』

『合流地点で誘拐犯の乗り捨てたらしい車を見つけた。おそらくこの近くに居る。付近に逃げ込めるような場所はあるか?』

『確認する。少し待て』

『WDF4。今のうちに降りて車を調べる。それとチャイニーズ。時間が惜しい。今のうちに自衛軍の機体を温めておけ』

「わ、私がアルか?」

『動かせるんだろう? 急がないと上から奴らが降ってくるぞ』

「りょ、了解アル」

 男の機体が片膝を着き、胸部装甲を展開する。

 コックピットから昇降用のワイヤーで駐車場に降り立った男は、拳銃を手に車へと近づいていった。




『災難ね』

「まったくヨ」

 やや遅れて機体を降りたリンリーは、機体の足元にある開閉スイッチを探す。

 各国で改修や改造がされているものの、基本は同じだ。

 日本製と言えどそこだけが改変されているということはなかった。

「あった、これアルね」

 脚部装甲にある取っ手を捻り、装甲の中に隠されているスイッチを押し込む。

 するとすぐさま自動でコックピットが展開され始めた。

 後は昇降用のワイヤーを下ろして中に入るだけだ。

「はぁ。ワイヤーがすぐに降りてこない所も共通アルか」

 急いでいるときにはこのラグが鬱陶しい。

 頭上を見上げて待つリンリー。

 その間にもWDFのエースパイロットが報告した。

『こちらWDF3。車内に人影はない。捨てていった武器があるだけだ。後部座席に折り畳み式のミサイルランチャーが一本ある。他は……弾切れか。シートがまだ少し温かい。間違いなく近くに居るな』

「ホントアルか?」

『可能性の話だがな。ちっ。捜索用の対人装備が機体からオミットされてなければすぐに見つけてやったものを』

『余計なものは外さないと色々と入らないんだからしょうがないじゃない』

『元になったマルクトの拡張性はぴか一だったはずだが?』

『それだけ相手の技術が先を行ってるってことよ』

 男の疑問に憤慨してソフィアが説明する。

『だいたい、敵のシェキナってマルクトRと違ってもう完全に再設計したってレベルよ? それに合わせてギリギリまで詰め込んで見せた私たちの努力を褒めて欲しいわ』

『――こちら清流。今、新しいマップ情報を送信した。確認してくれ』

『WDF4、褒めるのは後回しだ。清流、WDF3了解。すぐに確認する。それと、車を少し調べたが足を捨てたのはついさっきのようだ。武装は不明。最悪は携行用のミサイルランチャーを持っていると仮定して対処する』

『了解。くれぐれも慎重に捜索してくれ。それと、上の戦況が芳しくないようだ。いつ撤退命令が来るかは分からない。それだけは留意しておいてくれ』

『了解』

(まぁ、捜索時間は二時間もないアルね)

 上の状況は知らないが、確実に敵は降りてくる。この予測は外れることはないだろう。

「お、やっとアルね」

 降りてきたワイヤーに右足をひっかけ、丁度電車のつり革のような位置にあるそれを掴む。同時に、左手で昇降スイッチに手を伸ばしたその時だった。

 銃声よりも重苦しい音が耳に飛び込んできた。

「ッ――」

 その時、リンリーは見た。

 彼女が乗り込もうとしている機体の背面から、白煙を棚引かせて高速の何かが飛来するのを。その遥か向こうの草むらには、三人目の転校生がミサイルランチャーを構えていた。

(け、携行用の対SGミサイ――)

 彼女の思考は、着弾の衝撃で粉々に吹き飛んだ。

 背面部のバックパック被弾したそれは、狙いすましたかのようにスラスターユニットに直撃。その向こうにある推進燃料に起爆して火を噴いた。

 ワイヤーから咄嗟に飛びのいたリンリーは、無我夢中で機体の足元を走った。

 その後ろで、衝撃で倒れるマルクトが片膝を着いていたソフィア機に向かって倒れこむ。

『敵!? 一体どこから――』

 ヘルメットに仕込まれた通信機から、ソフィアの叫びが聞こえるのと同時に炎上するマルクトの倒壊音が木霊する。

 更に状況は推移する。

『ぐっ――』

 甲高い銃声。それに混じって耳元から響いたWDF3のくぐもった声。

 撃たれたのだとリンリーが理解した頃には、草むらの陰から男の機体へと走る三人目の姿が目に入った。

 自動小銃で武装した彼女は、起き上がりかけていたリンリーに向かって銃口を向ける。

「ジャンヌ! どうしてアル!?」

 叫びながら、リンリーはそのまま転がった。

 容赦なく発射された弾雨が空を切る。

 殺意の乗った弾丸は、獲物に食らいつけずにアスファルトをただ砕く。

 そのまま数メートル転がったリンリーは、銃声が止んだ瞬間に飛び起きる。

 その頃には、三人目の転校生ジャンヌはWDF3の機体の昇降ワイヤーに取ついていた。

「早く機体を起き上がらせるアル! ジャンヌが裏切ったアルよ!」

 叫びながら、リンリーは腰元のホルスターから取り出した拳銃を構える。

 発砲。

 迷いなくコックピットへと上がっていくジャンヌを銃撃する。

 だが遠い。

 数発撃ち込んでなお当たらず、ジャンヌがコックピットへと消えるのを許してしまう。

「WDF3の機体を破壊するアル! ソフィア!」

『痛ぅぅ。いったい何がどうなったのよ』

「知らないネ! 分かってるのはジャンヌが機体を奪ったことぐらいアル!」

 背中が炎上する麗華の機体をどかし、起き上がろうとするソフィア機。

 その眼前で、WDF3の機体のコックピットが閉じた。

「まさか動かせるなんてことはないアルよ……ね?」

 新型の操作方式だ。

 テストパイロットか、最前線のエース辺りでもない限りはシミュレーターの経験さえないはずだ。

 その願いはしかし、容易く裏切られた。

「ソフィア逃げるアル!」

 WDF3の機体が、両手に持っていた突撃銃アサルトライフルをソフィア機に向けた。

 ようやく身を起こしたところのソフィア機は、無防備に過ぎた。

『ッ――』

 息を飲むような掠れた声が、通信機越しにリンリーの耳に届く。

 だが彼女にはもう、どうすることもできない。

 次の瞬間、拳銃などとはくらべものにならない発砲音が山中に木霊した。

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