第二話「転校生」




『ダメだな。今日のお前はなんかおかしいぞ』

「ちょっとムシャクシャしててな」

『美夏ちゃんと喧嘩でもしたのか?』

「するかよ。偶にしか合わないのに」

『ふぅん。まぁ、そういう日もあるか』

 日課である父親との朝の勝負を終え、VRでの訓練へと入る。

 そうして、マルクトを操縦しているとパンドラが声をかけてきた。

『気を付けなさい幸人。下の二人が起きだしてきたわ』

「ご苦労なことだな」

『今、バーチャルダイバーに外部出力ケーブルを接続しようとしてるわ』

 目覚ましの音にでも反応したのだろう。

 バーチャルダイバーを使用中は、脳は外界を認識できない。

 今の幸人は無防備だ。

 小学生でも簡単に殺せる。

 故に、使用中は戸締りをちゃんとしていることが推奨されているが、内部からの犯行ではさすがに防ぐことはできない。

「ストーカーより性質が悪いな。この分だとゲームも一時的に辞めるべきか。で、お前はどこに居るんだよ」

『貴方の机の上よ。光学迷彩みたいなものだと考えてくれればいいわ』

「そいつは結構。連絡はこれ経由でいいか?」

『構わないわ。それと今はダミー映像を流してるけど、さっさと起きた方がいいわよ』

「ちなみにその映像は?」

『ダンジョンギアーズ。さっき貴方がやってた対戦シーンよ』

「いい仕事だぜパンドラ」

 礼を言い、幸人は意識をリアルボディへと戻す。

「――」

 ゆっくりと目を開けると、すでに二人は部屋にいなかった。

 ログアウトプロセスの処理時間を利用して逃げたのだろう。

「猫とゲームで対戦してるとでも思ったのかねぇ。まぁ、詰めは甘いみたいだけど」

 隠す時間がなかったのか、床にはケーブルが落ちていた。




 監視生活二日目。

 夜の残りのカレーで腹を満たすと、幸人はさっさと学校へと向かった。

 その間、不思議な事に姉妹が付いてくるようなことはなかった。

(泳がせる作戦に切り替えたのか? それとも、監視体制を整えた?)

 こうなると、登校途中で見かける大人たち全てが自衛軍のように見えてくる。

 犬の散歩をしている老人、車ではなくスーツ姿でこんな田舎を歩いているサラリーマン、

園児の送り迎えをしている主婦。

 さすがに子連れの主婦はないだろうと思ったが、幸人は辟易した。

 いつまで猫探しをするのかを結局彼は聞いていない。

 さすがに長期に渡っての監視はないだろうとは思いたいが、ディスペアの価値を考えればそうもいかなかった。

 結果として幸人は、たかだが学校に登校するだけの時間で神経をすり減らされることになってしまった。クラスに到着した頃には、机に突っ伏して寝る体制に入ってしまう。

 実際、彼は寝ていた。

 そのせいでホームルームも夢の中だ。

 けれど、今日に限ってはそのままでいることはできなかった。

「グッモーニン」

「……んあ?」

 誰かが肩を揺さぶっている。

 それも流暢な英語付きで。

 一限目は英語ではなく国語だった気がしたが、目覚めた幸人が顔を起こせば見知らぬ少女がそこに居た。

 クラスメイトではない。

 その証拠に、こんな田舎に外国人の生徒などいるはずがない。

 しかしそのハーフアップの金髪少女は、ブレザーを着てにっこりと微笑んだ。

「よろしくユキヒト。私、貴方に興味があるの。これから仲良くしてね」

「……誰だ?」

 寝ぼけ頭で見渡せば、黒板にソフィア・ライトという文字がある。

 そうして、クラスメイトたちが何故か自分を注視しているという状況も理解した。

「ああ、転校生なのか。よろしくよろしく」

「黒川、お前手を挙げて返事までした癖に寝てたのか」

「いやぁ、習慣ってのは怖いもんですね先生」

 飽きれる担任を他所に、幸人は転校生が窓際の端に歩いていくのを見た。

 廊下側の席に居る幸人とはまるで反対の位置が転校生の席らしい。

 おかげでなんで起こされたのかがよく分からない。

「お前、転校生と知り合いだったのか?」

「記憶にないけどあれじゃないか。同性同名の誰かと勘違いしてる奴。欧米人だとアジア人の顔の違いが分かりにくいんだろ。俺たちが向こうの顔を判別しにくいみたいに」

「ふーん。まぁ、そういう偶然もある……のか?」

 隣の席のクラスメイトは、そういうと一応は納得した素振りを見せる。

 聞き耳を立てていた周囲もそれで興味を無くした。

 その時だけは。




「お前、もう転校生とのこと噂になってるぞ」

「マジかよ。――ったく、勘弁してくれ」

 屋上で友人と昼食を食べる時間が、こんなにも待ち遠しいことだったとは幸人は今日まで知らなかった。

 教室に残れば、また何かしらクラスメイトやらが話かけてくるに違いない。

 それぐらい、ソフィア・ライトという転校生は休み時間に幸人に話しかけてきた。

 その度にクラスメイトの好奇の視線に晒されるのはまったく面白くなかった。

「ハーフとはいえ、アメリカ人の知り合いが居るなんて聞いたことなかったから驚いたけどよ。実際どうなんだ?」

「生憎と今日が初対面だ。ついでに皆が想像してるような興味が俺に向いてるとも思えない感じだったがなぁ」

 ガブリとツナサンドを齧ると、幸人はカフェオレで流し込む。

 ソフィアは学食の方に、好奇心旺盛なクラスメイトたちによって連行された。

 女性陣が連れて行ったので、一緒に男性陣の一部もついていった。

 あの包囲網ならしばらくは動けまい。

「なんか、ものすごく興味持たれてるって噂だぜ」

「実際向こうに何かあっても俺には美夏が居るしなぁ」

「あー、折原なぁ。あいつ、もう大丈夫なのか?」

「少しぐらいなら、な」

「そうか。まぁ、それならそれで妙な噂を流されないようにしてやれよ」

 友人は言うと、すぐに弁当の飯をかきこんだ。

 彼も昔のクラスメイトとして少しだけは知っていた。

 知っていたからこそ、それ以上は言わない。

 不登校生徒への対応の仕方は二つだ。

 気にせずに関わるか、距離を取るか。

 友人は距離を取ったが、幸人は未だに昔のままだった。

「なぁ、お前はその、アレだ。辛くないのか?」

「別にスマホで話せるし、メールもできるからなぁ」

 遠距離恋愛をしているわけでもない。

 会おうと思えばすぐに会える。

 ただ、絶望的に触れ合うのが難しいだけのことでしかない。

「いや、そういうんじゃなくてな。こう、もっとスキンシップをだなぁ」

「言うな。男としての俺が泣く」

「わ、悪い……」

 手を握ることさえ満足にはできなくなった。

 それぐらい、拒絶反応が出る。

 父親もそうで、おかげで一定距離内に異性は近寄れない。

 そして何より救えないのが、一番苦しんでいるのは幸人ではないということだ。

 本人が誰よりも苦しいのだ。

 それを思えば、少々近寄れない程度のことを問題になどしていられない。

「まぁ、アレだ。愛想が尽きるか尽かされるかするまでは頑張るさ」





「日本の学生は自分で教室を掃除するって聞いてはいたけど、本当だったのね」

 それは、さぞ物珍しい光景だったのだろう。

 価値観の違いで、自分たちが掃除をするという意識は低いらしい。

 その変わり、それは清掃業者の仕事だという意識が強い国があるとも幸人は聞いたことがあった。 

 ただ、分からないこともある。

 隣を歩く転校生ソフィアのことだ。

「なんで付いてくるんだ」

「日本の学生って、気になる人と一緒に帰るものなんでしょ?」

「そんな強制的な風習はない。個人の好きにする自由がある国だぞ日本は」

「じゃ、別に問題はないわね」

 自転車に乗らずに押す幸人には、この押しの強さが向こう側の価値観なのかが分からずに困惑するしかない。はっきりモノを言う文化と、オブラートに包んだ言い回しを多様する日本人の文化は対照的だ。そのせいで互いに勘違いしてひどい目にあった歴史というのもあるとテレビで見たことがある。

 そう考えると、彼にはやはり何か根本的な勘違いがあるように思えてならなかった。

「あ、そこね」

「ん?」

「あの河原でしょう。ディスペアが墜落したのは」

 幸人は一瞬、眉根を寄せた。

 運が良かった。

 その程度の変化しか顔に出なかったのだから。

「ディスなんたら……は知らないが、なんかロボットが落ちてきたみたいだな」

「私ね、ディスペアのパイロットに興味があるの」

(こいつ――)

 自衛軍はありえない。

 だとしたら答えは少ないだろう。

 ハリウッドのスパイ映画を思い出した幸人は、アメリカのCIAか、はたまたイギリスのMI6か、それとも他の諜報員か? などと冷や汗を浮かべた。

 墜落現場に視線を向けたままのソフィアから視線を外し、幸人は回りを確認する。

 周囲にはあまり人影はない。

 いつかの野球少年たちが遠目に見えるが、無関係な子どもを巻き込むわけにもいかない。

 そしてこれが一番重要だったが、怪しい車が止まっているということもない。

「彼ね、月に来ていたの」

「月?」

「ええ。空にある月よ。私はだからここに来たの」

 月。

 地球の衛星。

 そして、ドクターRの先遣隊が来る前には、旅行ができる程度には設備が整っていた天体。今では少数の研究者や技術者ぐらいしかいないという。

 現状、月と地球の往復は可能である。

 シャトルや輸送船に武装さえ施していなければドクターRは撃墜しない。

 そのおかげで自ら残ったという彼らは、月での研究に勤しんでいるという。

 一番有名なのは核融合炉だ。

 月で取れるヘリウム3を利用した研究で、かなり良いところまで進んでいるらしいとは聞いたことがある。

 だが、そんなことよりも彼にとっては聞き捨てならない言葉があった。

 月に来ていたという彼とは、いったい『誰』なのかということだ。

 訪ねたい。

 訪ねて、はっきりとさせてしまいたい。

 しかし、恍けるという選択をした幸人にはそれができなかった。

「よく分からないけど、パイロットなら軍で探してもらえば見つかるんじゃないのか?」

「無理よ。最初の彼以外、誰も月まで来た事がないもの」

 ディスペアと月。

 最初のパイロット。

(ああ、そうか)

 最初ならば、正統なる持ち主である彼以外にはありえない。

 折原 卓也。

 美夏の祖父にして、一人でドクターRと戦っていた男。

 代替わり後は誰も関連などない。

 そもそも、月に機動兵器で赴くという発想が出てこないだろう。

 ディスペアの性能テストか、それとも別の理由だったかは知らない。

 ただ、月にもまだ人が住んでいるという話には聞き覚えがあった。

「だからね、知りたいのよ私は」 

 振り返ったソフィアは、だから貴方に会いに来たとでも言うかのように視線に意味を込めていた。だが、幸人は取り合わない。

「良く分からないけど、ロボットのパイロットなら軍に聞いて探してもらえばいいんじゃないか?」

「あんな機体は軍にもないわ! 数世代、ううん。数百世代は先を行ってると言っても過言じゃあないの! でも彼なら知っているはずなのよ。ディスペアの秘密を、この世界のどこかに隠されたオーバーテクノロジーへの手がかりを!」

 それは、つまり。

 結局は、ドクターRへの対抗手段としての情報が欲しいということではないのか?

 もはやどこの国でも関係はなかった。

 自称アメリカ人の少女は、幸人の中で完全に危険人物へとカテゴリーされたのだ。

「……訳の分からないことを喚かれても困るよ」

 止めていた歩みを再開し、幸人はソフィアを放置して先へと進む。

「お願い答えて! 世界のためなの!」

「世界……ね。そのパイロットは、本当にそんなもののために戦ったのかな」

「えっ?」

 言わなくても良いことだったと、後から思った。

 だが幸人は足を止めてでもそう言わずにはいられなかった。

 彼は、そんな大仰な言葉を一度たりとも幸人に言ったことはなかったのである。

「良く分からないけど、行方を探したいならやっぱり軍の交戦記録を追うしかないだろ。死んだなら落ちてきた奴みたいに記録が残ってるはずだ。そうでなければおかしい。だって空の上には対マルクト用って名目で、どれだけ当時に監視衛星やらが打ち上げられたんだよ。見つからない方が間違ってるさ。意図的に隠蔽でもしない限りはきっとどこかに記録があるはずだ」

 それだけ言うと、今度こそ幸人は帰路を急いだ。

 ソフィアはもう、ついてこなかった。

「む? 今日は帰りが遅かったな」

「猫探しの次は人探しに会ってね」

 既に昨日と同じ迷彩柄の装備に身を包んだ麗華に、幸人は嫌味を一つプレゼントする。何のことか分からない麗華は、人探しなら警察に届けるべきだと正論を言う。

「それには俺も同意見だけど、多分警察じゃあ見つけられないんじゃないかな」

「それは何故だ?」

「いや、だって名前も知らないっぽいから」

「なんだそれは。そんなのでどうやって探すんだ」

「俺に聞かれても困るよ」

 肩をすくめてランニングの準備をする幸人だった。




 監視三日目の朝が来た。

 いつものように目覚ましを止めた幸人は、そのままの姿勢で硬直した。

 いきなり、背中に奇妙な温かさを感じたのだ。

『そのまま喋らず、動かないで聞きなさい』

 パンドラだった。

 幸人の寝ぼけた頭は、それによって一瞬で覚醒する。

 声は頭に直接響くように聞こえてくる。

『昨日のうちに監視カメラと盗聴器が仕込まれてたわ。それと昨晩、嫌に眠かったでしょう? おそらくは睡眠薬ね。その間に貴方の制服のブレザーに細工がされてたわ。勿論、バーチャルダイバーも。昼間には色々と家探しもしてた』

(大人しくしていると思ったらやってくれるな自衛軍! 何が肉じゃがを作ってみただ)

『それと、もう気づいていると思うけど一応忠告。貴方の付近に妙なのがずっと張り付いているわ。これも多分監視で、美夏の方にも居るわ』

 ギリリと、幸人は奥歯を噛みしめた。

 何故、誰も彼もがこんなにも馬鹿なのか?

 拡声器でも手元にあれば、大声で邪魔をするなと怒鳴りつけてやりたかった。

 それぐらいに内心では頭に来ていた。

『落ち着きなさい。報復がしたいならディスペアを手に入れてからにしなさいな』

 今は所詮、普通の高校生に過ぎない。

 ただの無力な、一般人でしかないのだ。

 そのことの苦しさと悔しさを、幸人は久しぶりに思い出した。

『落ち着いたわね? あとは……スマホもダメよ。メールセンターの分は貴方が消していたからしばらくは大丈夫だろうけど、本体にどんなアプリを仕込まれているかは分からないから会話は危険よ。特に美夏とのはね。うっかり向こうが話したら終わりだもの』

 一時期、恋人や結婚相手を監視するために監視用のアプリをインストールして監視するソフトが出回った。それの亜種か、監視対象のそれに細工をして監視するという手口もまた生まれた。

 酷いやり方になると、出荷時のハードそれ自体に監視システムを組み込んであるというから、この手の通信機器は信頼性こそが重要だ。

 前世期に、政府や警察が発売会社にパスワードロックを外すソフトの開発をメーカーに依頼し、そのことで対立したことがあったが結局は開発された。そして、当然のようにそれは流出した。今ではパソコンのウィルスと同じで、対策ソフトとのイタチゴッコが続いている。

 完全な防御策はない。

 パスワードを突破したというならメーカーから提供を受けているのだろう。軍なら監視アプリを仕込めると考える方が妥当だ。

 もはや買い替えるしかないが、すぐに変えては余計に怪しまれもする。つくづく余計なことをしないなと、幸人はもう怒りを通り越して怒る気すら失せてしまった。

 そのまま気づいたといういくつかの報告を聞き、幸人は二度寝した体を装いながら起き上がる。

 父親との勝負は、結局やることにした。

 負けるとストレスはたまるが、それまでの間の勝負は全てを忘れさせてくれる程に熱中させてくれる。だから思いっきり吐き出しにかかることにしたのだ。

『お、今日はやけに元気じゃないか。そら、もっと動け馬鹿息子。でないと俺の銃口から逃れられんぞ』

「その前にライフルをメインカメラにぶち込んでやるさっ!」

 そして今日も、幸人は綺麗に負けた。




 スマホの電源を落とし、充電器に突っ込んだまま替えの制服で登校した幸人はその日、地獄を見た。

 別のクラスにも三人程転校生が来たのだ。

 それも全員が外国人。

 さすがにこれはおかしいだろうと幸人は思うが、他の学生――主に男子――が無駄に話題にしているのを見て察するしかなかった。

「世界の法則が乱れている! どうなっているんだ!」

「乱れているのは風紀だ馬鹿」

「そして何故、皆がお前に会いに行ったのか?」

「知らん。ついでにもう名前も忘れたぞ俺は」

 ことごとくどうでもよかった幸人は、適当に挨拶してすぐに机で寝た。

 その間、ソフィアは何もしなかった。

 割って入るでもなく、挨拶を交わすでもない。

 昨日とは打って変わって何かをずっと考えているようだった。

 ただ、今回のことで分かったこともあった。

(あいつら、全員がけん制しあってたな。連携が取れてないということは、同じ組織じゃあないってことだよな。別々に送り込まれたのか? ディスペア絡みだとして……ああ、要するに独り占めしたいのか)

 ディスペアを手に入れ、その技術を独占する。

 軍事技術の向上は、その国の発言力と影響力に直結する。

 事実、核保有国とそれ以外では声の大きさが違う。

 核兵器級の破壊力の直撃にさえ耐えきるディスペアなら、その価値は計り知れない。

(この絵図を書いた奴にもきっと、これは誤算だっただろうな)

 でなければ足を引っ張り合うようなことはしない。

 そのおかげで昼休みの安息を得たことだけが救いだ。

 けれど、彼の日常が大いに破壊されようとしているのもまた事実だった。それに対して、恍けるという手段しか持ちえない幸人は今、圧倒的に劣勢である。

(不味いぞ。選択を間違えちまった。包囲網が完成する前に逃げるべきだったんだ)

 単純な話、今更になって身の危険を幸人は感じていた。

 相手は軍や諜報員らしき人員だ。

 銃刀法違反のある日本であったとしても、そんなものは気休めにもならない。

 転校生もそうだった。

 篭絡するためかいざという時に捕縛するためだかは知らないが、女の子を使うというのはある意味では理に適っている。

 特にスカートが危険だった。

 学生規定のひざ下を全員律儀に守っていたということは、その中にどんな武器を隠し持っているか知れたものではない。

 男のズボンは論外だ。せいぜいナイフか拳銃を仕込む程度で、ブレザーの上にしても良く見れば違和感で分かる。南国とも呼ばれる温暖な気候のせいもある。男子などは上着を脱いでカッターシャツ姿の者も多い。

 だがスカートは武器を隠せる余裕がある。

 ましてや、日本男子は女子に対して実力行使には出にくい性格を養っている。

 昨今の男女平等の流れの後押しもあってか、亭主関白など死に絶えて久しい上に警戒心がどうしても緩くなる。事実幸人は、今の今まで直接彼女たちに危害を加えられるという想像を放棄していた。

(いや、でも少年兵とかは禁止されてるんじゃないか? ダメだ、分からん。ただ童顔なだけの人なのかもしれないし、見た目通りの年齢かどうかなんてそれこそ分からないぞ)

 一人中国人が居たが、それこそカンフーの達人ですと言われたらそれが既に武器になりうる。ふと、少林寺拳法を習っているという昔のクラスメイトが、肘鉄で簡単に人のあばらは折れると言っていたのを思い出す。

 冗談だろ、などと笑い飛ばせるような余裕はもうなかった。

 マーシャルアーツだって怖いし、CQCだって恐ろしい。そもそも訓練された兵士ならナイフ一本所持していなくても十分に危険である。

 そこまで思い至った幸人は、背中にこれまで以上の冷や汗をかいた。

「どうした黒川? なんかお前、やけに顔色が悪いぞ」

「だ、大丈夫だ。ちょっと慣れないことばかりで疲れてるだけだ」

 幸人は舐めていた。

 楽観していたと言ってもいい。

 立花姉妹は日本人で、一応は自衛軍で、それなりにまだ同族意識は働く。

 睡眠薬は盛ったらしいが、力ずくに監禁して尋問してきたこともまだない。

 だが、他国の軍人はどうなのか?

 人権やら人道主義とやらが、いったいどれだけ自分の身を守るための抑止力として機能するのだろうか? 

 すでにそんな理想はただの幻想であると彼は知っている。

 だからこそだった。

 尚さらに恐れてしまうのは。

(ヤバイ、とてつもなくヤバイ。明日は絶対にヤバイぞ。最悪あいつらが本契約のことまで掴んでたとしたら、パンドラを抑えるために何をしてくるか分かったもんじゃない)

 青ざめた顔に無理やり笑顔を貼り付け、幸人は嫌に冷たく感じるカフェオレを飲み干した。

 きっと相手は世界の安寧というお題目を掲げて挑んでくる。

 八十億を超えた人類のそれを誇らしげに掲げて、それが当然という顔で踏みつぶしに来るだろう。

 それは周囲に頼れる味方のいない彼にとって、とてもとても恐ろしいことだった。





「なんだと!?」

 麗華は携帯電話の相手に怒鳴ると、軽自動車のアクセルをさらに踏み込んだ。

 WDFからの情報で、彼女は半日遅れで転校生ラッシュを知った。他クラスの三人は、ソフィア・ライトとは違ってどこの手の者かはまだ判明していない。

 ソフィアの居た月は、国連との繋がりも深いせいでWDFと距離が近いのだ。

 彼女自身は民間の出向者で、対人用の護衛としては使えない。

『現在、降りてきたWDFのパイロットがいつでも動けるようにスクランブル体制に入っています。また、ロシア・中国方面から戦闘機の不審な発進も確認されたそうです』

「くそっ、いったいどうなっている!」

 現在転校生の入国記録を調べているが、三人も同時に外国人転校生が来て、全員が接触してくるなどどう考えてもありえない。

 まるでいきなり爆弾の導火線に火が付いたようで、麗華たちはピリピリしていた。

『知りませんよ! 日本は第二次大戦以来伝統的にスパイ天国とか言われてるぐらいですから!』 

「そんな糞みたいな伝統、なんでいつまでも捨てられないんだ!」

 前世期より前から言われてきたことだが、まさかここまで杜撰だったとは麗華は知らなかった。

 情報の流出経路は現在不明。

 自衛軍からか、WDFからか、それとも政府からかさえ定かではない。

「姉さん……立花 凛華少尉の方は大丈夫か?」 

『そちらは大丈夫です。不審者は増えていますが、こちらでなんとか抑えました。折原 美夏も含めて接触はありません』

「父親の方はどうだ」

『向こうの護衛からは不審者一人見ないと』

「そうか」

 安堵のため息を零す麗華だったが、携帯を切ろうとした瞬間に彼女の耳にとんでもない言葉が飛び込んで来た。

『――所属不明の潜水艦が沖合に浮上?! マルクトが発進したって……おい! 進路は!!』

 別の通信士の声だった。

 よほど切羽詰まっているのか、聞こえた怒鳴り声はかなり大きい。

 それに数秒遅れてアラートの音が鳴り響くのを麗華は聞いた。




 五限目は体育だった。

 学校指定の体操服と青のハーフパンツの上に、青ジャージを穿いた幸人は上のジャージを放り投げて屋上の友と一緒に小さなホールでピンポン玉をはじいていた。

「見るか、我が必殺のハリケーンサーブを!」

 ラケットではじかれた白い玉が、小気味よい音を立てて台を跳ぶ。

 バウンドしたピン球はしかし、幸人の予想を超えて跳ね上がり天井に命中。

 そのままやはり反射して台の上に戻ってくる。

「どこにハリケーンな要素があった!」

 再び跳ね上がるだろうピン球の動きを予測して後退していた幸人は、打ちやすいところまで落ちてきたところでバックハンドでそれを打ち返す。

 放物線を描いたピン球は、それでかろうじて相手側のコートへと侵入。お返しとばかりに跳ね上がる。

「チェストォォ!!」

 それを、豪快なだけのスイングで屋上の友は打ち返す。

 またも天井に向かって。

「お前はまずルールを覚えろ」

「嫌だめんどい」

 クラス合同で、それぞれ好きな種目を自主的にやる授業である。

 生徒の自主性を尊重した授業らしいが、ただ単に面倒くさいだけなんじゃあないかと大抵の生徒は思っている。

 人気のスポーツは人が多く、マイナーなスポーツは人が少ない。

 だが、卓球という競技は二人いれば成り立つものだ。少数でも問題はなかった。

 巡回の先生が居ないということもあってか、他のクラスメイトたちも適当に流しているが、幸人たちはまだマシな方だ。

 そもそもやらないという猛者は、窓際に座り込んで仲間内で駄弁っている。

 と、多目的ホールのやけに大きなドアが開かれ、ちょこんと金髪少女が顔を出した。

 ソフィアだ。

 巡回の体育教師かと思ったホールの一同は、途端に空気を弛緩させた。

「ユキヒト、ティーチャーが呼んでたわ」

「先生が? 悪い、ちょっと行ってくるわ」

「その間に俺は、このトルネードサーブを極めるぜ」

 放っておいたジャージの上を羽織った幸人は、ソフィアに連れられてホールを出た。

 ホールの前には武道場への入り口があり、右手に行けば校舎の二階へと続く渡り廊下がある。左手には一階へと続く階段があり、食堂や体育館へと繋がっていた。

「ったく、今度は誰だよ」

 しかめっ面で歩く幸人は、職員室のある右に向かおうとするが、その腕をとったソフィアによって左へと進路を取らされた。

「おいソフィア? 職員室は逆だぞ」

 昼に芽生えた警戒心は、当然のように彼女にも適応されていた。出方を探るようなその言葉に、帰ってきたのは謝罪の言葉だった。

「ソーリー。さっきのは嘘よ」

「……なんだって?」

 足を止め身構えかけた幸人に、ソフィアは言った。

「今、所属不明のマルクトがこちら向かって飛んで来てるそうなの」

「まさか、この学校に直接SGが来るってのか?」

「ええ。そのまさかなのよ」

「……はは。まるで戦争でも始まるみたいな話だ」

「始まる……いや、始まっているのよ。もう」

 笑い飛ばそうとする幸人に、ソフィアは真顔で言い募る。

「一番近くの自衛軍は今、港で足止めされてるわ。距離的に考えれば空自でも間に合わない。だから早く逃げましょ」

「――」

 愕然とした幸人に、その言葉の真偽を確かめる術はない。

 正直、彼は正気とは思えなかった。

 幸人一人のために、人型機動兵器まで動かすなんて馬鹿なことをする軍隊があるのか、と。

「ユキヒト、お願いだから今は言うことを聞いて。時間が本当にないの!」

 彼女の焦りは本当のようだった。

 それがことさらに、彼から現実感を希薄化させる。

「待てよ、そもそも逃げるってどこにだ?」

「それは、自衛軍の基地よ」

「冗談じゃない!」

 何故、自ら監禁されに行かなければならないのか? 

 咄嗟に湧き上がる反発心は、掴まれた左腕を反射的に振り払っていた。

「ユキヒト!?」

 幸人は駆け出した。

 授業中の廊下を全力で走り、自分のクラスへと取って返すと教材やら制服やらの着替えをリュックサックに詰め込んだ。

 やや遅れてやってきたソフィアが何かを言う前に教室を飛び出すと、返事もせずに今度は下駄箱へとひた走る。

(ちくしょう、どいつもこいつも邪魔しかしねぇのかっ! そんなに唯一の勝機を台無しにしたいのかよ! なんで誰も疑問にさえ思わない!)

 幸人には理解できない。

 したくもない。

 けれど、もはやそういうものだという諦観だけははっきりと感じていた。

(これが二人が感じただろう理不尽か!)

 悔しくて堪らない。

 こんなおぞましいものに、彼が殺されたことが。

 こんなおぞましいものに、彼女が傷つけられたことが。




「待つアルよ」

 靴を履き、今にも走り出そうというとき、声に振り返った幸人が見たのはお団子ヘアを二つ頭に乗せた少女だった。

「転校生!?」

 確か中国人という話だったが、そんな少女が黒光りする拳銃を幸人に向けて立っていた。

 左手に持っているスマホは、上司への捕獲作戦の報告用か。よほど急いでいるようにも幸人には感じられる。おかげでソフィアの話に余計に信憑性が出てきた。

「名前ぐらい覚えておいてもらいたいアルね」

「悪いな、生憎とどうでもいい奴の名前は憶えない主義でね」

「悲しいアル。これでも故郷では人気だたアルよ」

 その自己申告は本当かもしれない。

 スラリとした体形と整った顔立ちは、そうと言わせるだけの説得力が備わっている。ただ、その故郷とやらが本当に中国かどうかは謎なままだった。

「逃げるということは、やっぱりディスペアのパイロット候補アルね?」

「ディスなんたらは知らないが、親父が過労で倒れたって聞いたら早退するさ」

「下手な嘘アル。貴方の父親は今、会社で新作ゲームのバグチェックをしてるアルよ」

「……え、新作が出るのか?」

「出るみたいアルね。宇宙からの侵略者に対抗するロボットモノらしいアル」

「フロッグソフトめ! 宣伝に手を抜きやがったな!」

 ちくしょう、とばかりに着替えの入ったカバンを地面に叩きつける幸人。

 彼はその間に、脳をフル回転させて現状を打破する方法を考える。

 が、さすがに素手で拳銃を持つ相手をどうこうするような力は、普通の高校生である彼にはない。

「……で、中国人もどきの転校生が銃なんて突き付けてきて俺になんの用なんだ?」

「もどきとは酷いアル。これでも生粋の――」

「中国人が学食のキムチラーメンなんか食う訳ないだろ。あいつらならマーボー定食か中華丼辺りを頼むはずだ」

「ひ、酷い偏見アルよ!」

「それに、本物は語尾にアルなんて絶対につけない」

「……え?」

 名推理だった。

「いやでも、大体日本のアニメだとこういう話し方ヨ」

「アニメを言語学習の参考にするな」

「いやいや、それが意外と学習には最適な教材アルね」

「ユキヒト!」

 と、そうこうしている間にソフィアが追い付いてきた。

「そのまま撃てソファイア!」

「ッ――」

 咄嗟に転がるようにして身を引いた自称中国人が、下駄箱に身を隠しながら銃口をソフィアへと向けて発砲する。

 動きに迷いはなく、やはり訓練されているかのように堂に入っている。

 タァンと廊下に響く銃声。

 ガラスが遠くで割れるような音が混ざったのを耳にしながら、幸人は反射的に床に叩きつけたばかりの鞄を投げつけていた。

 銃口が向けられていない銃など怖くはない。

 ゲームの訓練によって聞きなれた銃声だったのも功をそうした。

「あだッ――」

 秀麗な横顔にキレイに入った鞄。

 睨み付けてくるお団子少女のその傍で、盾にした木製の下駄箱の破片が飛び散った。

 ソフィアが撃った弾丸なのは明白だ。

「ッ――」

 身を潜めた彼女が舌打ち。

 そうやって相手がソフィアに気を取られている間に、幸人は手近に備え付けられていた消火器を引っ掴んでホースを向ける。ピンを外す音で振り返った中国人もどきは、その迷いのなさに驚いていた。

「ちょっ!?」

「食らえっ似非中華!!」

 安全ピンが抜けられた消火器が、中の消火剤を一気に放出する。

 消火剤は周囲に白い霧となって飛散しながら容赦なく吐き出され、咄嗟に目を庇った彼女へと降り注ぐ。

 白に染まる玄関口。

 黒い団子ヘアーが無残にも真っ白に染まる中、感を頼りに銃口が幸人へと向けられる。 

 だが、幸人はジリジリと左斜め後ろに微妙に位置をずらしながらさがっていた。

 そうして、数秒の噴射の後で反転。

 消火器を投げ捨てて一目散に外へと逃げた。 

(やっててよかった防災訓練!)

 消火器役を経験していたことが、こんなところで役に立つとは幸人は知らなかった。

 その間、ソフィアと似非中華人が互いにけん制して動けなくなるのを利用し、自転車小屋へとひた走る。

 学生用の玄関口から一分もかからないその場所は、それなりに見晴らしの良い中庭にある。特別棟と本校舎を繋ぐ渡り廊下を抜ければ、ようやく学校の外へと続く出入り口が見えてくる立地だ。

「鍵、鍵……ああもう!」

 焦りながら取り出し、自転車のロックを外す。

 そうして、サドルにまたがってこぎ出した次の瞬間、いきなり新たな銃声とともに目の前の地面が爆ぜた。

「ッ――」

 幸人はすぐさま自転車から飛び降り、背後の自転車小屋へと転がって身を潜める。

(ふざけんな! なんで学校で狙撃されなきゃいけないんだ!)

 ふつふつとこみあげてくる怒りで、どうにかなりそうだった。

 恐怖心はある。

 だが、冷静な部分が少なくともまだ即死するような部位は狙ってこないだろうと推察させた。

 それは決して楽観論ではない。

 パンドラが接触してくると思わしき幸人を、相手は殺せない。

 これは絶対条件だ。

 だから逆に、恐れるのは即死狙いではなく致命傷にならない程度の攻撃。

 例えば足だ。

 左でも右でも、撃たれた時点で幸人は逃げられなくなる。

(焦るな、冷静になれ。落ち着いて考えるんだ)

 身を縮こませ、バクバクとうるさい心臓の鼓動を感じながら、幸人は背中のリュックを地面に下ろす。そして中から万年筆とボールペンと、よくまとまる消しゴムを一つずつ適当に掴んでジャージへと忍ばせる。

 おそらくは、投げつけても一瞬注意を引く程度の効果しか期待できない。

 だが、非武装な今、そんな程度が学生である彼に許された武器だった。

(今のは拳銃か? それともライフルか?)

 拳銃の有効射程距離は意外と短い。

 訓練をしても、その命中距離に限界はある。故に拳銃ならば射手は近くに居たはずで、気づかない道理はない。少なくとも一階の校舎内ではないと思われた。

(窓の割れる音はしなかった。きっと開けてから発砲してるか窓なんかない場所。ついでに、二年生の居る二階は半分は体育のせいで空き教室だが、今は銃声のせいで騒ぎになってる。学生に見つからずに撃てるとなると……屋上?)

 特別校舎の屋上はないだろう。

 自転車小屋が近すぎてほぼ真下に撃つことになるし、今なら幸人が見えているはず。

 なのにアクションがないとなれば――。

(向かいの本校舎……か? フェンスはあるけど、金網だから銃口突っ込めば不可能じゃない。自転車小屋に隠れてからは撃ってきてない。屋根が邪魔で狙えないのだとすると可能性は高い……か?)

 隠れている間は狙えないので撃たない。

 だが、それが狙いだとしたら動かなければ状況は悪化するだけだ。

 相手にはマルクトがある。

 ソフィア・ライトはマルクトが飛んで来ていると言っていた。

 だったら、長く自転車小屋に拘束される現状は不味いのだ。

「くそったれ!」

 もはや運を天に任せて走るしかないのだろうか。

 上から狙えるスナイパーを相手に、無防備にも中庭を一直線に走りぬける。

 そんなことが果たして可能なのか?

 分からない。

 分からない。

 分からない。

 ソフィアと似非中国人の決着も急がないとつくだろう。

 そして極めつけは、もう一人の転校生だ。

 今、撃った相手の他にもう一人いるはずなのだ。

 三人がすでに現状に気づいている。

 なら、四人目もきっと介入してくる。

 待てば待つだけ不利になるこの状況。

 ただの高校生として取り得る最善は、いったいなんだ?

「落ち着け、四人目が連中の仲間じゃないなら連携はとらずに潰しあうだろ」 

 一瞬、屋根に隠れて下駄箱の方へと戻ることも幸人は考えた。

 戻れば特別棟への入り口がある。

 それさえ超えて、反対側へと抜けられれば狙撃を回避できる。

 だが、下駄箱から聞こえてくる銃声がそれを押しとどめた。

 本校舎の下駄箱から、特別棟へと続く短い渡り廊下があるのだ。

 普段は閉まっているが、窓はあり鍵もかかっていない。

 そこを通れば銃撃戦の最中である彼女たちに見つけられる可能性が浮上する。

(どうする。どうすればいい!)

 時間がすり減り、状況は悪化し続けている。

 その重圧に、幸人の心は段々と我慢ができなくなってきていた。

(何を戸惑っているんだ俺は)

 若く、毎日走りこんでいるせいで体力もまだ余裕はある。

 手錠で拘束されたわけでも、薬物を投与されたわけでもない。

 まだ五体満足であり、誰も味方が居ない程度の苦境だ。

 それはきっと、ディスペアを手に入れてからも続くことだった。

 なら、こんなところで走りを止める訳にはいかない。

 ゲームならいくらでも負けていい。だが、このディスペアをめぐる戦いにだけは一度だって負けることが許されないのだ。

「行くか」

 財布だけを抜き取り、リュックを捨てて身軽になる。

 目算で百メートルもないはずの中庭の出口が、やけに遠い。

「いえ、それはダメです」

 声は、彼の後ろから聞こえた。

 反射的にバッと振り返った彼の目の前。

 四人目の転校生が、まるで空気から溶け出すかのようにして現れた。

 相手は自称ロシア人。アッシュブランドの短いツインテールに、作り物の人形のような美しさを持つ背が低い少女だ。案の定、幸人は名前を覚えていない。

「光学迷彩ッ――」

 幸人は咄嗟に立ち上がろうとしたが、それよりも先に胸元を掴んで止められてしまう。

 恐ろしい程の力だった。

 反射的に振り払おうとした幸人が指を外そうともがくが、少女の細腕はビクともしない。

 その見た目の華奢さとは裏腹に、それなりに鍛えられた男子生徒さえ凌ぐ力強さ。

 無我夢中の幸人は、相手が少女であるという認識を完全に捨てた。

 ポケットに手を伸ばし、万年筆を右手で引っ掴むと拘束する腕に向かってそれを振り上げようとする。

――カツッ。

 が、そこで奥の特別棟から奇妙な音が成った。

「グレネード――」

 少女が反応。視線をそれに向けるや、幸人ごと跳躍した。

 瞬間、幸人の足が地面を離れた。

 そうと理解した頃には、気が付けば地面を少女と一緒に十メートルは転がっていた。

「伏せて!」

 その上に少女が覆いかぶさった次の瞬間、背後で何かが爆発した。

「うぉぉっ!?」

 耳をつんざくその音が、一瞬全ての音を奪い去った。

 破片か何かが飛び散ったのか、特別棟のガラスの割れる音が混じる。

 通り抜ける爆風の余波が頬を撫で、広がった火薬の匂いが無理矢理にも鼻を刺激する。

 もはや、幸人は生きた心地がしなかった。

「次が来るわ」

「次って……そんな馬鹿な! さすがに今のはただじゃ……」

 青ざめたまま、しばらく動けなかった彼の上で無感情に少女が言う。

「この相手の目的は貴方の命」

 幸人の信じていた大前提は、その一言であっけなく崩壊した。

 離さずに手にしていた万年筆が手から零れ落ちる。

 黒瞳を見開いた幸人は、訳が分からないという顔をした。

「ドクターRは世界を敵に回した。しかしその全てが彼の敵となったわけではない。信奉者もまた、同時に生まれた」

 世界を敵に回した男。

 いうなればそれは、現在の秩序に反抗する者でもある。

 彼の独善的な行動はしかし、確実に社会に影響を与えていた。

「彼の行いによって、週末の時計の猶予は確実に伸びたと言う者が少なからずいる」

「核兵器の、強制投棄計画……」

 制限だの削減だなどと、無駄に大仰に話しあわれながらも結局は消えることがなかったそれが、ドクターRによって処理された。

 あの特徴的な赤いマークの刻まれたコンテナが、大量に宇宙船に乗せられて太陽に向けて発進した動画映像は、口だけだと言われていたドクターRの行いにある主の真実性を世に与えた。

 ただのパフォーマンスで、実際の中身は偽物だと言われもしたが、真実は誰にも分からない。

 だが、確かにアレが事実だったとしたら、物理的に地球から抹消してのけたのはドクターRが初めてだった。

「アレで、彼は狂人でありながら一部では救世主だと呼ばれた。そんな彼らにとって、ディスペアという存在は彼を脅かす可能性であり怨敵なの」

「だから俺、なのか」

 ディスペアのパイロット候補として捕捉された幸人を、脅威になる前に始末しようという話なのだ。

「本当ならパンドラごと始末したかったはず。でも時間がないので貴方を、というところだと思う。けど動揺していたとはいえ今のは減点ね。黒川 幸人――」

「――っ!?」

 後ろに回された少女の手が、スカートの中から自動式拳銃を抜き出して見せる。

「恍ける方針であれば、私と話を合わせるべきではなかった」

 当然のように銃口が、幸人の額に押し当てられる。

「お前っ――」

「セーフティがかかっているので大丈夫。でもしばしそのままでいて。私は、貴方が勝利した後に景品を渡すように言われていたただの保険。貴方に危害を加えるつもりはない」

「てことはお前、御久﨑の?」

「そういうことです」

 言うなり、少女はゆっくりと幸人を立たせながらその背に回る。

 その時、ようやく幸人は気づいた。

 玄関と特別棟を繋ぐ短い渡り廊下から、こちらの様子を伺っている少女が二人いたことに。ソフィアと顔を真っ白に染めた自称中国人の少女だ。何故か二人は争うことなく幸人たちを見ている。

「あの二人はグル」

「グル?」

「目的は微妙に違いますが、WDFから正規のルートで派遣されています。先程の銃撃戦も、恐らく実弾ではないでしょう。貴方はWDFの作戦に嵌められたの」

「つまり、逃げようとした俺は――」

「もはや黒で確定」

 限りなく怪しい灰色から黒へ。

 その属性の変異によって、当然のように相手の行動も切り替わるだろうことは幸人にも容易に推察できた。思わず顔を顰めた少年は、自分の浅はかさを呪った。

「貴方は存外、騙しやすい人ね」

「素直だと言ってくれ。心がピュアなんだ」

「それに早とちり。騙される方が悪いのではない。騙す者が屑で汚い外道なのよ。警戒心が薄いのはアレだけど、そこは間違ってはいけない」

「……お前、褒めてるのか貶したいのかどっちだ」

「無論、今のは褒めたつもりよ」

 少女の親指がセーフティを解除し、二人の方へ向けて発砲する。

「おいっ!?」

 いきなり至近距離での銃声に、幸人の心臓が跳ねる。

 彼女が撃ったのは、様子をうかがっている二人に近い特別棟の窓ガラスだった。

「ちょっ、撃ってきたアルよソフィア!?」

「やっぱりあの子、CVR<ロシア対外情報庁>辺りの娘なのよっ!」

「だから本物にしておこうって言ったアルっ!」

「馬鹿、私の腕だと誤射するわよ!」

 姦しい叫びが聞こえるなか、幸人はジリジリと後ろに下がる。

「これで、テロ屋と入れ替わった三人目が二人に気づいたはず」

「でも、それでどうやって逃げるんだ? もう包囲されてるんだろう?」

 そのままジリジリと後ろに下がりながら問う。

「包囲者たちは別の組織の諜報員の捕縛で余裕がない。今のうちに三人目が用意した逃走用の車を奪う」

「それはどこにある?」

「本校舎裏の駐車場です」

「おい、それってつまり」

「あの二人とテロ屋が邪魔ですが時間がありません。少し派手にやりますよ」

 再びスカートに手をやった四人目は、言うなりプラスチック爆弾を取り出した。




 三人目の転校生は、自称フランス人の少女であった。

 日本人離れしたその身長は、所謂モデル体型と言っても差し支えない。

 快活そうなソフィアとは違ってフィッシュボーンに編み込まれた金髪は、大人しい魅力を周囲に与えていた。

 だが、今の銃を構えた彼女はどうか。

 銃を構える少女は、まるで猛犬のような強さを目に秘めている。

 けれど今、その青い瞳には困惑があった。

 本校舎の屋上から自動小銃で狙いを付ける彼女は、必殺を確信した狙撃が失敗したことに混乱していた。

(何故、アレは生きている?)

 確実に仕留めるため、頭部など狙わずに胴を狙った。

 しかし現実に弾丸はその少年には命中せず、地面のアスファルトを砕いただけで終わった。ならばと、燻り出すために手榴弾を投げたが出てこない。

 それで仕留めたか、傷を負ったなら下駄箱でやりあっていた二人が出てくるはずだった。

 しかし現実はどうだ。

「スモークグレネードッ!」

 眼下で、何かが二つほど炸裂したかと思えば一気に煙が広がった。

 フェンス越しに自動小銃を構えながら、憎々し気に広がる煙幕の煙を睨み付ける。

(出てこい。次こそ確実に仕留めてやる)

 逃げる方向は推察できている。

 WDFの二人が都合が良く二つある逃げ道の一つを塞いでくれているからだ。

 自転車小屋は東西に延びている。

 自称フランス人の少女は西方向に銃口を構え、スモークが拡散するのを待った。

 だが、しばらくしても動きはない。

 痺れを切らして手榴弾を投げ込もうかと考えたその時、今までよりも更に大きな爆音が自転車小屋の中央で発生した。

「ちぃっ!?」

 スモークグレネードの煙が、爆発の衝撃で更に拡散する。

 もはや彼女の中で幸人はただの高校生ではなくなっていた。

 ただの高校生如きならば、この平和の国で爆弾など所持できない。

「やはりお前は悪魔の御使いか!」

 相手が人間ではなく神の敵なら、これは聖戦である。

 あの意味不明な機動兵器に乗られる前に確実に殺さなければならない。

 少女はしかし、そこでもう一度舌打ちした。

 薄っすらと晴れてきた煙幕の向こう。

 特別棟の中を疾走する影が二つある。

 一人は幸人。

 もう一人はロシアから来たという転校生だった。

 WDFの所属ではないため、警戒するようにと言われていたがここで絡んでくるとはさすがに彼女も思わない。

(悪魔の仲間も全て敵だっ――)

 少女が小銃を向け、スコープをのぞき込む。

 だが狙いが付けられない。

 窓ガラスと窓ガラスの間の壁に隠れられるせいで、数秒もしないうちに二人の姿が視界から消えてしまうのだ。

 セミオートからフルオート射撃に切り替えて対応しようとするも、二人の姿が特別棟の端へと消える方が早い。

 少女は射撃を諦めると避難用のシューターへと走った。

 シューターはもしもの時のために中庭と駐車場へと通じているのが二つあり、彼女は中庭へと続くシューターを使用。一気に中庭へと降りて西側1Fの渡り廊下から特別棟への侵入をと考える。

 だが、そこに到達する前にその上の2Fの渡り廊下を走って本校舎に向かう二人を見た。

(何故そこを通る?)

 教室なりなんなりを通り抜け、特別棟の奥へと抜けてしまえばいいはずだ。

 一瞬の疑念。

 しかし、考えるよりも先に追うことを選んだ彼女は、1Fの渡り廊下から本校舎へと侵入。二階へと駆け上がった。





「やりすぎよあのロシア人!」

「普通、爆弾で校舎の壁を破壊して逃げるアルか? てかなんで無事アルかねぇ」

 煙幕が収まった後の光景は、改造ガス銃で銃撃戦をやっていた二人のそれなど比べものにならない被害を出していた。

「貴方の提案も随分とアレだったけどね。おかげでユキヒトに嫌われたわチャイニーズ」

「今更そう言われても困るアルよ」

 銃声はスマホに直結した小型スピーカーで偽装し、それらしい闘いを演じたが四人目のせいで全ては台無しだ。

「でもなんで三人目はライフルなんて持って追いかけてる訳? てか、あいつが投げたグレネードってあれ、本物だったんじゃない?」

「私は知らないアルよ。手筈だとスタングレネードだったはずアル。手違いアルか?」

「とにかく追うわよ」 

「ちょ、正気あるか!? 武器はどうするアルよ!?」

「ガス銃でも飛ばすのは鉛玉よ。とにかく、ユキヒトをあのロシア人から助けないと!」

「ああもう、外の監視員に突入するように連絡するアルよ!」




 本校舎3F。

 一年生のクラスと、コンピュータ室などを含む廊下を幸人たちは駆け抜ける。

「本当に屋上でいいんだな!?」

「ええ」

 全力疾走だというのに、四人目は涼しい顔で答える。

 本校舎の屋上への入り口は一つしかない。

 東側の階段しか屋上へと繋がっていないため、西側に居た幸人たちは3Fを横切るしかなかった。一応は授業中でもあるため、まだ生徒は誰も出てはいない。銃声はもとより、中庭での爆発に多くの生徒が窓際を注目していたせいも当然ある。教師を含めて、とにかく落ち着かせて校内放送を待っていた。

「先に行って駐車場側のシューターを下ろして」

 廊下を半分以上走り去ったとき、四人目が後ろに向かって発砲する。

 響き渡る銃声。

 ざわめきの中でもよく通るその音の中を、幸人は我武者羅に駆け抜ける。

 屋上への階段へとたどり着いた頃には、銃撃の数がやけに増えていた。

「シューター、シューターは……アレかっ!」

 普段気にもしていないそれに飛びつき、なんとかシューターを下に降ろす。

 その間にも銃声は轟いている。

 と、階段からようやく追いついてきた四人目が、中に向かって何かを投げた。

 破裂音から察するに手榴弾だろう。

 涼しい顔でとんでないことをやった少女に幸人は問う。

「いったいどれだけスカートの中に隠してるんだ?」

「気になるなら確認する?」

「悪い、聞かなかったことにしてくれ」

 チョコンとスカートをたくし上げ掛けた少女に背を向け、幸人はシューターに飛び込む。

 垂直式のシューターの中は白く捻じれ、さながら螺旋階段のようになっている。

 階段と違うのは中が滑り台のようになっていて、スピードを殺しながら安全に降下できるという所だろう。

 消火器はともかく、シューターは初めてだった幸人は視界が回転する光景に戸惑った。

 だが、その時間は三十秒もない。

 着地してすぐにシューターを出た幸人に、遅れて降りてきた四人目が言う。

「その車よ。助手席へ急いで」

 それは、シューターの降下口のすぐそばにある白い車だった。

 鍵はかけられておらず、そのままキーが差し込まれている。

 怪しまれないためか日本車で、CMにも出てくる普通の乗用車だった。

「不用心……ってわけでもないのか」

 むしろ素早く逃走するための処置だろう。

 窓ガラスには黒いシートが張られており中が見えなくなっている。防弾性能は分からないが、ジャージ姿と制服姿の少女の組み合わせを考えれば見とがめられ辛い方がありがたい。助手席に乗った幸人の隣で、少女が手慣れた手つきでエンジンを点ける。

「行くわよ」

 言うなり窓ガラスを下ろした少女は、やはりスカートの中から取り出したスモークグレネードをシューターに投げ捨てた。

「グレネード!?」

 ちょうど降りてきた三人目が、その煙に咽ている間に車はすぐに発進する。

「よし。これならさすがに――」

 けれど、安堵したのもつかの間。すぐに幸人は自分の発言を呪った。

 その時、幸人は前方から駐車場に走って着た青い軽自動車の運転手と目が合っていた。

「げっ、自衛軍の抑え役の方!」

 スーツ姿の立花 麗華だった。

 向こうも気づいたらしく、眉根を寄せて睨んでいる。

 すれ違う車。

 しかし、すぐに麗華の車はUターン。すぐさま二人の車を追ってくる。

「やっぱり追って来るかっ!」

「まぁ、所詮は軽自動車ですが」

 そう鼻で笑う少女は、グッとアクセルを踏み込んだ。

 ちょうど飛び込んできていた応援もつっきり、車は道路へと飛び込む。その進路の先には、山を抜けるためのトンネルに続く上り坂があった。




「……少年の奴、誘拐されたようだぞ」

「そう。貴方達ってやっぱり使えないのね」

 辛辣に言い放った美夏は、シャーペンを置いて立ち上がる。

「それで誘拐犯はどこに逃げたの?」

「海沿いを東に向かって車で爆走中だそうだ。T県方面だそうだが……何、直ぐに捕まるだろう」

「貴方達の仕事なんて信用できるわけないじゃない」

 そう言って彼女が棚から取り出してきたのは、周辺の地図だった。

「ねぇ、その誘拐犯はどこの誰?」

「分からん。少なくともWDFや自衛軍の兵士ではないが」

「そう。貴方達が知らない相手なのね。となると……ああ、そうだわ。あいつが居たわね。じゃあ、逃げ込むのはあそこかしら」

 折原 美夏は凄絶に笑った。

 それには、今までの彼女が見せてきたどす黒さを、更に超越したような底知れない憎悪が混じっていた。

「心当たりが?」

「誘拐犯が予測通りの相手なら向かう先は分かるわ」

「それは教えてもらえるのか」

「いいわよ? でもそれなら私の言う通りにして。それができるなら教えてあげる」


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