斬奸探偵

藤村灯

第1話

 13本目のナイフを突き立てる寸前、そいつは現れた。


 高いレンガ壁で囲われた廃墟の街並み。地下空間なのだろう。空は見えず薄暗いが、充分な視界は確保できる。


 その一角に設けられた石畳の広場。わたしがいつも刑を執行する神聖なその場所に、男は無遠慮に踏み込んできた。


「ありえない、ってぇ顔に書いてありますねぇ。無理もない」


 見覚えのある顔だ。確か妹の事件の時に、銀蠅のようにしつこく付き纏ってきた三流紙の記者――巳村みむらとかいったか――だ。


「『正義は壁の内側に』――確か、そんな決めゼリフでしたっけ?」


 斬奸探偵と呼ばれた男の言葉。こいつは元々あの人を嗅ぎ回っていたはず。まさか、この男は真相に辿り着いたのか?

 巳村がコートの内側から取り出したのは、紛れもなくわたしが隠し持つ物と同じ――


「『斬奸状ざんかんじょう』。まさかこんな代物が存在するなんてねぇ。どれだけ調べても足が付かない訳ですよ。殺し専門の場所を用意出来る魔法の状なんてねぇ」


「違う! 殺すんじゃない、裁くんだ!」


 思わず反駁が口を突いて出た。

 わたしは巳村に視線を定めたまま、緩く巻いた真紅のマフラーに顎をうずめ、表情を隠す。


「『斬奸探偵』縣真紅郎あがた しんくろう。関わった4つの事件は全て解決済み。もちろん、逮捕権を持たない一般人の身ゆえ、公式には捜査に助言・協力しただけの存在――」


 巳村は気取った仕草で眼鏡の縁を押し上げた。


「現代に生きる名探偵。それはそれで面白い記事になりますがぁ……4つの事件の被疑者・被告人が揃って姿を消しているのは不可解です。そのうち一件は、なんと収監先からねぇ。そっちのほうがよほど興味深い」


 左手を腰に、右手を額に。わざとらしく首を傾げてみせる。


「おまけに当人の最期は華々しい割腹自殺! スキャンダラスな罪過の臭いがプンプンする。追わない訳はないでしょうよ。祭り上げたヒーローは引き摺り下ろしてこそ、より激しい熱狂の渦を起こせるってぇもんです。えぇ、調べましたとも!」


 にやりと。巳村は下卑た笑みを浮かべてみせた。


「生前の縣と最後に接触したのは、4番目の事件の関係者の貴女。気になりますねぇ。いったい、何があったんでしょうねぇ」


 わたしは目の前の男に突き立てるはずだったナイフを、巳村の顔を狙い予備動作無しで放った。


 予想していたらしい巳村は、ナイフをコートの中に隠し持っていたバールで弾き、返す刀でわたしに振り下ろす。


 バールは飛び退いたわたしをかすめ、血塗れで転がっている男の額にめり込んだ。


 振り下ろされるバールを、石畳を転がりながら必死でかわし続ける。覆い被さってきた巳村はわたしを組み伏せると、バールでぎりぎりと喉元を圧迫し始める。


 喉を潰されないよう両手で抗うわたしには、衣服のそこかしこに仕込んだナイフの一本さえ、取り出す余裕はない。


「貴女の持つ斬奸状を渡してくださいよぉ。そうすれば、死ぬ前にせめていい目を見させて上げますよ!」


 息を荒げる顔が近付き頬を舐められる。巳村の首元には黒い痣が浮かんでいる。

 ひとつ……ふたつ……みっつ……


「……何人……殺した……」


 苦しい息で発した、わたしの質問の意図を理解し、巳村は喉の奥で小さく笑った。


「殺す? 裁いたんですよぅ、私の正義で! あの斬奸状ってぇのは、そのための代物でしょう? いけ好かない同業者に、腐れ縁の商売女。無駄に金を溜め込んだ、業突く張りの兄夫婦。裁いたヤツの名が自然に記されるのは気味が悪いが、あと一人分余白がある。女だてらに正義の味方を気取る、快楽殺人者の貴女が最後の一人。だが、貴女が持ってる斬奸状を奪えば、さらに――」


「いや……さっきので終わりだ……」


 声を絞り出す、わたしの視線に気付いた巳村は、己の首元に手をやった。力が緩んだ隙に巳村を跳ね除けたわたしは、咳き込みながら距離を取る。


「……ちがう……あれは貴女が殺したはず……私じゃあない……」


 呆然と呟きを洩らす巳村が見詰める先には、わたしが裁くはずだった男が顔を潰され転がっている。


 最期まで死なせず痛みを与えられるよう、薬で身体の自由を奪ったうえ、慎重に急所を避け12本のナイフを突き立てた。血溜まりのなか呻き声さえ上げないそれを、巳村が死体だと判断したのは無理もない。


 未成年であるとはいえ、13人もの少女を欲望のままに犯し殺した男だ。ナイフとバールの違いはあれど、犠牲者の痛みと苦しみに比べれば、この程度で楽になれるのならお釣りが来るくらいだ。残りは堕ちた先で償えばいい。


「依頼人はわたしと同じ。被害者の妹だ。自分で始末出来なかったのは残念だけど、礼を言っておくべきかな?」


 よっつ……いつつ。

 揉み合っている際には確認出来なかったが、巳村の首元の痣は、明らかに一つ増えている。


 焦りの表情を浮かべた巳村は、震える手で胸ポケットから取り出した斬奸状を広げた。


『斬奸状を使えるのは一人5回まで。でも、最後の一回を使い切ってしまったら、死よりもおぞましい代償を支払うことになるんだよ』


 真紅郎さんの言い残した代償の内容をわたしはまだ知らない。巳村はそれを知ったのだろうか。泣き笑いのような表情を浮かべわたしに向けられた巳村の顔は、虚空に現れた見えない咢に飲み込まれたかの様に掻き消えた。


 ばりばりと頭蓋を噛み砕く咀嚼音が響き、血と脳漿が虚空からこぼれ落ちる。頭を失った巳村の身体は、噴水のように血を噴き上げながらもゆらゆら立ち尽くしていたが、やがて内部から肥大し始めた。


 膨れ上がり、衣服を裂いて白熱する肌を晒し現れたのは、頭を持たない歪な巨人の姿。その両の掌には乱杭歯を持つ巨大な口が開き、唾液と共にあさましい舌鼓が漏れ出している。


 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。

 ああ。つまりそれはこの場所の真の主が、斬奸状の使用者を捕まえるのに必要な回数だったのか。


 虚空から現れ、巳村の頭蓋をもぎ取ったのはこの巨人の掌だと、わたしは薄れ行く意識の中で理解した。


            §


 目覚めたのはアンモニアと吐瀉物の臭いの立ち込める、繁華街の路地裏だった。絡んでくる酔漢やホームレスの卑猥なはやし声をかわし、よろめきながら表通りに出る。


 わたしがあの場所で最後に目にしたのは、レンガ壁を壊し廃墟の外へ出る巨人の姿だった。わたしを認識しながら襲わなかったのは、まだ僅かな猶予があるからか。あるいはいつかその掌で捕らえる確信があるからだろう。


 真紅郎さんが自刃した理由も、最期に残した言葉の意味も。今では理解できる。


『人は正義の名の下にこそ、たやすく悪に堕ちてゆく。それは高く堅い壁の内側でしか存在を許されないものだ。キミは決して外に出しちゃいけないよ』


 法では裁くことの出来なかった妹の無念を、晴らして貰った恩に報いるため。そんなもっともらしい言い訳で、当の恩人の言葉に逆らい、斬奸探偵の名を継いだわたしの正義の薄っぺらさは、壁の中で恐怖と共に強く深く思い知らされた。


 震えの止まらない肩を強く抱きながら、わたしは始発までの時間を潰す場所を探しさ迷い歩いた。野良猫の影に怯え、吹き付けるビル風の冷たさに身が竦んでも、真紅郎さんの形見の紅いマフラーに深く顎を埋めやり過ごした。


 一度手にした斬奸状は手放す事は出来ない。首元に刻まれた痣はまだふたつ。このさき最後の一回まで、斬奸状を使わずにいられる確信を持てぬまま。わたしはわたしの信じる正義の壁を積み直すように、夜明け前の街をただ歩き続けた。



                         ep.Myth Executioner END

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斬奸探偵 藤村灯 @fujimura

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