魔女の集う山
魔女の釜の底で 壱
「悪し。まったく話にならないほど悪くもないが――」
書き物の手を止め、ゴウザンゼは顔を上げた。俺の報告のうち、霧の商隊、死霊の図書館、塵を踏むもののの話などは、多少は興味を覚える内容だったらしい。
「成果は旅の土産話だけかな? 私はまだ何も受け取ってはいないよ」
奴の言うことはもっともだ。汐詠媛と引き換えに要求されたのは、同等の価値のある品物だ。奴にとっては俺が披露したのは、単なる冒険談でしかない。だがゴウザンゼなら、神性から図書館の所有権を奪い取ることも、塵を踏むものの加護の研究を進めることも可能ではないのか。
「商隊や魔術師の館へは、君たちが招かれたから辿り着けたんだよ。彼等にとって危険な存在である私が、そこへ行ける手段込みだったなら、価値のある情報だとは思うがね」
「……クァチル・ウタウスの召喚呪文はどうなんだ? お前が教えたものなら、いまさらな話だろうがな」
カイトが低い声で絡む。不死の噂のあった領主の元を去ってから、ずっとどこか思い詰めた表情をしている。
「何度も言うが、それは私ではないよ。塵を踏むものの加護は、人の生にとって誤作動のようなものだ。あれはそもそも不死を願う対象じゃあない。それに、あれでは所詮アザトースの瞬きは越えられない。あくまでも誤差でしかないよ」
姿絵でも用意すれば確認できるかもしれないが、ゴウザンゼに領主を唆したのが自分だと認めさせたところで、あの娘を救うことができるわけではない。ゴウザンゼは書状に封を捺すと、両手を広げ、大げさに嘆いて見せた。
「まったく。期待外れもいいところだよ。我々がやるような神殺しを期待していたというのにね。まさか君たちは、神を恐れて手を出せないんじゃないか?」
『……不遜な男ね』
雛神様の不興の念が伝わってくる。食って掛かろうとするカイトを、俺はそれでも抑えた。ゴウザンゼはこめかみを押さえ、考えるような仕草を見せたあと、一つ拳を叩いて俺達を指さしてみせた。
「神が怖いなら、魔女を相手にするのはどうだい?」
その山には、魔女が集うという。
魔女と言っても女ばかりではない。扱いづらく信者の少ない神の司祭や、今はもう滅びた神の習わしを引き摺る者。そういった夜を歩き闇に住む者を集め、黒い男は宴を開く。大陸ごと沈み、今は無きヒューペルボリアで崇められていた、ヘラジカの女神イホウンデー。それが再びこの地で広まっているのも、この黒い男の助力があったからだと伝えられている。
夜を待ち、俺はカイトと共に山に分け入った。山頂付近の開けた場所には、既に数人の人影が集まっていた。ローブのフードを目深に被るものや、ヴェールで顔を隠している者が多い。広場の中央には黒い石で作られた碑がそびえ立ち、篝火に照らされている。陰鬱でよそよそしい空気のなか、場違いにも明るい大声を張り上げる者がいた。
「さあーて! それじゃあそろそろ今回の魔女の釜を開くよ!」
つば広帽に黒いマント。市松模様のスカートの丈は短く脚を露わにしている。場違いだ。この少女だけは、顔を隠すつもりも他者を探る気配も微塵も持っていない。
「司会はわたくし、このジゼル! ルールは簡単、皆殺し! 生き残れば黒い男がどんな願いでも叶えてくれる! 勝者一人の総取りだよー!!」
ジゼルの不穏な言葉に場がざわめいた。だが、顔を隠しているものが多いのは、この宴のルールを知っていたからだろう。
「不安になったかな? でもでもそんなに悪い話ばかりじゃないよ! 頑張ってる子には、黒い男からのてこ入れもあるかも? パワーアップアイテムでモードチェンジは勝ちフラグだね!」
「参加者が少ないのではないか? 聞いていた限りでは、今回は十人は越えるという話だったが……」
一人の男がジゼルに問い掛けた。不信感だけでなく、参加者が減るのなら好都合だという思惑が伺える。
「大丈夫! 安心して!! この宴に参加するに値する者のところには、すでにこちらからお誘いに出向いているから!!!」
ジゼルを除けばこの場にいたのは四人。この上まだ顔も姿も分からない者が参加するのか。返答に落胆の色を見せる男に構わず、ジゼルは羊皮紙を配り始めた。
「参加の証の契約書だよ! ちょっと痛いかもだけど、指を切って血判を捺してね! 殺しあう相手は選んでも良いけど、契約した者同士は引かれ合うから! この場で逃しても、ちゃんと最後には決着は付くようになってるからね!!」
羊皮紙はカイトにも配られるが、打ち合わせ通りそのまま懐に仕舞わせる。ナイフで左手の指の腹を突き血判を捺すと、確かに何者かと誓約が交わされた感覚が浮かんだ。
一通り判が捺されるのを確認すると、ジゼルはしばしためを作り、はじける笑顔で宣言した。
「ここに来るのはルーキーばかりだね! わたしからのボーナスゲーム!! 黒い石の神・ゴル=ゴロスの顕現だ!! 退去させられれば、呪文をプレゼント!! でも早々にリタイアしたくなかったら、早く逃ーげーてー!!」
ジゼル以外の全ての者があっけにとられ、その言葉の意味を把握する前に、黒い石碑の上で闇が凝縮した。闇の中に蹲っているのは、人の背丈より大きい蟇蛙の様な姿。飛び出した左右の目がバラバラに動き、広場にいる者全ての姿を確認する。それは牙を持つ大きな口を薄く開け、どこか人間めいた笑みを浮かべると、一跳びでジゼルに質問した男の元へ跳び、蹄の付いた脚で頭を蹴り砕いた。
悲鳴を上げ逃げ出した女が、前脚代わりに生える触腕に絡め捕られる。わずかの間響いた悲鳴は、ごきりと骨の折れる音で途絶えた。巨体に似合わず敏捷で、何より殺戮に飢えている。黒い石の神を倒さない限り、この山を無事下りることはできないだろう。
「やべぇな。結局無理にでも神殺しやらされるのかよ!?」
叫びつつカトラスを抜き走るカイト。三人目を圧し潰し、頭から貪り食っていた黒い石の神に斬りかかるが、ぬめる鱗を持つ肌に弾かれ、浅手を負わせるに留まる。
『傷を付けられるってことは殺せるってことよ! アイン! あんたはあたしの鎧にして剣なんだから、これくらい軽くひねって見せなさい!!』
雛神様の叱咤に応え、ゴル=ゴロスの背中越しに振るわれた触腕を斬り飛ばす。神威は感じるが、ツァトゥグァと戦った時に感じた、身動きも取れないほどの強さはない。カイトと二人がかりで触腕を捌き、時折放たれる強烈な後ろ脚の蹴りをかわすが、卑猥な笑みを浮かべ続ける神にじりじりと押され、致命傷を与えることはできない。
俺達に掛かり切りのゴル=ゴロスの背に、炎が投げ付けられた。逃げ出さずにいた最後の一人が投げた松明かと思ったが、それは消えること無く黒い石の神の鱗を焼き続ける。痛みに耐えかねたのか、地面に転がり炎を消そうと試みる。魔術の炎だ。
「あれ? ちょっと待った、なんであんたがここにいるの?」
炎を放った男の姿を見ると、ジゼルは慌てた様子で後ずさり、闇の中へ逃げ込んだ。耳障りな狂笑を上げ続ける黒い石の神は、背を焼かれながらも俺達に向かい高く跳んだ。
「兄貴、腹だ!」
見上げる腹も鱗に覆われているが、背の物より薄く小さい。俺は駆け抜け、落下する巨体に合わせ骨剣を振り抜く。失敗すれば圧死を免れなかっただろう。ゴル=ゴロスの自重を利用した一振りはその腹を裂き、俺は腹から零れる臓物まみれになるだけで、ことなきを得た。
捌かれた黒い石の神はそれでも死ぬことなく、時折脚を痙攣させている。骨剣を杖に荒い息を吐く俺に、カイトは低い声で呟いた。
「疲れてるとこ悪ぃが、次は俺が相手だ」
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