湖の屍兵団

 エゼリカと共にイホウンデーの神殿へ向かう鋼殻の騎士は、迷宮からは俺とクラム、それに道中で合流したユザノフの三人。七日の道のりの間で、エゼリカから大まかな話は聞き出せた。


 森の恵みを与えるヘラジカの女神・イホウンデーの教団は、東から大森林沿いの村々を中心に布教を続けている。エゼリカが赴任した教区の森の中には、大きな湖があり、そこに近付き帰る者はないと恐れられていた。


「夢の中で招くらしいの。水底に潜む神が、己の従者とするためにね」


 囚われれば動く屍として、その身が朽ち果てるまで使役される。

 夜になると湖底から這い出して来る屍者の群れを、エゼリカも何度か相手にしたことがあるのだという。


『神殺しとはずいぶん高く買われたものね。まあ、あたしの騎士ならこの程度、余裕でこなして貰わないと困るのだけど』

「おいおい、マジかよ。それに見合った報酬は出るんだろうな?」


 雛神様は俺を買い被りすぎだ。

 クラムのぼやき交じりの問いかけに、エゼリカは首を振って見せた。


「あなた達に神殺しまでは望まない。頼むのは屍人の殲滅だよ。湖底のものは、夢引きする程度の力しかないみたいだから、封じて見張りを立てておこうかなって」


 エゼリカ達が“神”と判断した代物だ。その正体は知れないが、追い詰めれば思いもよらぬ災厄を呼ぶやも知れない。確かに藪をつついて蛇を出す必要は無い。


『まあ、それもそうね』

「いざとなったら、イホウンデー様のご加護を、願うこともできるしね」


 焚火に照らされるエゼリカの瞳には、呑気な口調とは裏腹に、何処か不安めいた物が浮かんでいた。



 村に着き、イホウンデーの神殿で荷を解くと、俺達は夜を待ち森の奥の湖に向かった。


 見られている。

 森に分け入ってすぐ、何者かの気配を感じた。茂みの中を音も立てず、俺達に並んで進むものがいる。

 剣の柄に手を掛けると、先導するエゼリカが止まるよう合図した。


『強い神気ね。何かの眷属かしら』


 エゼリカが闇へ向かい、鹿の鳴き声を模した声を上げ、手で合図を送る。ほどなく気配は闇に溶けた。


「大丈夫。木立を駆けるものが見回りをしてるだけ。イホウンデー様の従者。味方だよ」

「俺達に同行しないのか? 相当な力を感じたが」

「木立を駆けるものは森の見張りだもの。わたしたち信者じゃなく、イホウンデー様の御心に従うもの」


 ユザノフの問いに、エゼリカは否やを返しほほ笑んで見せた。


「戦うのはあくまでわたし。戦巫女の役目だよ」



 俺達の接近を悟ったのか、湖から次々と屍人が這い上がってくる。

 剣を振るって初めて、エゼリカが鋼殻の騎士を雇った理由が理解できた。何度切り伏せても立ち向かってくる。頭を割り手足を飛ばし、解体しない限り動きを止めない。弓と短剣を得意とするイホウンデーの徒には、相性の悪い相手だ。


 戦斧を振るう剛力のユザノフがいて助かった。エゼリカは弓は使わず、短剣を手にしている。素早さが持ち味のクラムは、ぼやきながらも一瞬たりと足を止めず、双剣を振るい続ける。


 何人切り伏せただろう。一段落したかと思われた頃、湖から新たな屍人の群れが這い上がってきた。半月の光に照らされるその姿を目にし、仲間に緊張が走る。


『農夫や旅人だけじゃなく、こんなにたくさんの戦士を従者にしていたの?』


 鎧をまとう屍兵の群れ。水に浸かっていたというのに、剣も鎧も錆びることなく月光に輝いている。


 おかしい。何か嫌な予感がする。


「エゼリカ様! 村に屍人の兵が!」


 村から駆け通しで来たらしい少年が、戦巫女に呼び掛ける。

 エゼリカはほんの刹那躊躇し、俺と視線を絡めると、村へ向かって駆け出した。


『こっちの考えが読まれてる。屍人だけでなく、頭を使う人間の信者もいたのね』

「アイン! ここは任せてお前も行け!」


 戦斧を振るいつつ叫ぶユザノフ。だがすでに屍兵は俺達を取り囲んでいる。

 動きこそ緩慢だが、鎧に護られた屍兵の群れを切り抜けるのは、容易ではない。


 不意に、先ほど森で覚えた強い神気を感じたかと思うと、目の前の屍兵の頭が兜ごと吹き飛んだ。


 射撃……なのか?


 茂みの暗がりから放たれる神速の矢は、鎧を易々と貫き、その衝撃で屍兵の手足を引き千切る。

 刺さった矢自体は木製で、エゼリカの使うものと変わりはないのに、破城槌の強さで屍兵を吹き飛ばしてゆく。


『ようやく見張りの目に触れたってわけね。勿体付けずに、最初から手を貸せばいいものを』


 崩れた囲いを抜け、エゼリカの後を追う。

 だが俺が村に着いたのは、全てが終わった後だった。


 引き千切られた屍兵の手や足。

 矢衾にされた鎧。

 撒き散らかされた屍兵の残骸の中、戦巫女だったものは月の光を浴び、一人佇んでいた。

 茂みの中の存在と、同じ強い神気を放っている。


「エゼリカが捧げた身体を、イホウンデー様が受け取られたのじゃ」


 白い髭をたくわえた、イホウンデーの老司祭が呟いた。


『へえ。ヘラジカの女神も人身御供を要求するの?』

「勘違いせんで欲しい。我々はツァトゥグァあたりの邪教とは違う。戦巫女として立派に鍛え上げたからこそ、イホウンデー様の分身となれたのじゃ。エゼリカの魂は今は女神と共にある」

『魂を喰らうのも同じでしょ? 血肉を魂ごと喰らうまどろむ怠惰なるものと、そう変わらないじゃない』


 エゼリカだったものが俺に目を向けた。

 横長の瞳孔を持つ鹿の瞳が俺を映す。


『アイン、剣を合わせてみないの? さっきより段違いに強くなってるみたいだけど』


 エゼリカと、一度全力で手合わせしてみたかったのは事実だ。だが、今のあれが見せるのは、人として鍛え上げたエゼリカの強さではない。

 新たに生まれた木立を駆けるものは、立ち尽くす俺を残し、ゆっくりと森の闇に溶け去った。

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