森林
イホウンデーの戦巫女
『アイン、あんたもそろそろ外回りに出てみない?』
神ならざる人が生きるには金が要る。迷宮に籠って修練を重ねるだけでは、やがて皆が飢え渇き干からびてしまう。
鋼殻騎士団には壮麗な寺院もなく、喜捨をなす信徒もいない。騎士の半数以上が、傭兵として戦場を駆け回る理由の半分が、騎士団維持の資金稼ぎのためだ。
迷宮の中にはイザークのように、何度も剣を交え、その全ての技を受け継ぐに値する騎士も存在する。
だが、夜戦に雨中の進軍、城攻めなど、俺が経験したことのない戦場は幾らでもあり、そこにはまた俺が見たことのない技を使う強者も、無数に存在する。
それらと出会うための修練の機会というのが、傭兵として過ごすもう半分の理由ということになる。
雛神様の提案は、今朝がた迷宮を訪ねて来た客人を踏まえてのことだろう。
鋼殻の騎士の武勇を聞き及び、遥々東方から仕事を頼みに来たのだという。金の髪に尖った耳。小柄な体躯に簡易な皮鎧を纏った女だ。
『ヒューペルボリアの民ね』
雛神様の渋い声。目の前では鋼殻の騎士・ヘッケンが無様に転がされ、喉元に剣を突き付けられている。
「んんー、この程度じゃお話にならないかな? しょせん異教徒、噂倒れだったってことなのかな?」
女の挑発に、その場にいた騎士達が気色ばむ。
ヘッケンを圧倒しただけでなく、この人数を相手に切り抜ける自信もあるらしい。俺は剣の柄に手を掛けた仲間を制し、一歩前に出た。
「んー? 今度はあなたがお相手してくれるの?」
そうだ。ただしここじゃあない。
俺は顎で上を――迷宮の外を指す。
舐められたままで帰す訳にはいかない。相手の得意な戦場でねじ伏せ力を認めさせる。それが鋼殻の騎士の在り方だ。
女が選んだのは迷宮にほど近い森だった。手に持つのは長弓、腰には短剣。野伏のようなものか。
だが俺もここには狩りで何度も足を運び、地形を把握している。女にとってばかり有利な場所とは限らない。
「あはははははははは!」
辺りを見回していた女が、哄笑を上げいきなり矢を放ってきた。
俺が長剣で斬り落とすのを確認もせず、そのまま木立ちへと駆け込む。
『距離を取られたら面倒よ!』
笑いながら駆ける女は、振り返っては矢を射かけてくる。
舞うような動作でスピードは落とさない。
矢をかわしながらでは、木立ちを小鹿のように掛ける女との距離を詰めることも適わない。
三本目の矢を払い落とした俺は、少し開けた場所の手前で足を止めた。
『何してんのアイン、逃げられるわよ! 茂みに紛れ込まれたらいい的じゃない!』
「……へぇ」
女もそのまま立ち止まり、興味深げな声を上げる。
油断なく剣を構えた俺に、小首を傾げ問い掛けた。
「どうして分かったの?」
引き離すつもりにしては、俺がたいして苦労せず駆けられるルートを選んでいる。
その気になれば小柄な身体を生かし、早々に木立に溶け込むこともできたはず。
腕を見るため剣を振るわせるつもりだったなら、そもそも逃げる必要はない。
『ここに誘き寄せられてたってこと?』
「そこそこ使えるみたいだね。わたしはエゼリカ。イホウンデー様の戦巫女――ッ!?」
ほほ笑みながら歩み寄るエゼリカの姿が、悲鳴を残し視界から消えた。
「……そう、この吊り上げ罠に気付くくらい目端が利けば、雇うだけの価値はあるかな」
『ヘラジカの女神の徒か。こんな所まで版図を広げるとは生意気ね』
戦巫女はさかしまのまま、尊大に俺を値踏みして見せた。
しかし、どうしてこいつは自分の仕掛けた罠に掛かって見せたんだろう。
「それじゃあ最初の仕事だよ。とりあえず下ろしてくれるかな」
どうやら俺を雇うことに決めたらしい。
困惑の表情を浮かべる俺に、エゼリカは雇い主としての威厳を保ちつつ、頭上から指示を下して見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます