雛神殺し

 シーリィ。この所よく耳にする名だ。


 目の前に倒れている、まだ幼さの残る騎士バドも、彼女に討たれたという。

 まだ息がある。医術の心得のある騎士が手早く傷の手当てをし、詰所へ運んでゆくのが見えた。


『姉妹の声は聞えないわね……』


 彼女と戦い敗北した者は、運良く命を繋ぎ止めたとしても、例外なく雛神様を失うことになる。


 雛神殺し。それがシーリィの二つ名だ。


 自ら望み賜った雛神様を失うことは、鋼殻の騎士にとって死に勝る屈辱。迷宮を去るか、騎士の資格を失い、雑事を賄う従者に成り下がるしかない。

 例え母神様の気まぐれで、再び雛神様を授かることがあっても、わずかな期間で主従双方死を迎えることになる。


 馴染まないのだ――いや、運命ではないと言うべきか。


 蔑まれ忌み名を受けようと、シーリィは淡々と勝利を重ねている。彼女とはいずれ剣を交わすことになるだろう。


 迷宮では深奥へ向かうほど手強い相手と戦うことになる。

 最奥には母神様の寝所がある。それを護り、同時に代替わりの戦の機を伺う姉神様達が住まうのも、その辺りになる。此界の神を目指す以上、姉妹で戦うこともまた道理ではあるのだが。



『まったくもって気に入らないわね!』


 俺の長剣を壁を蹴りかわしたシーリィは、地を這う低い姿勢から短剣を跳ね上げる。

 まだ若い。いや、幼いと言って良いほどだ。先日倒され雛神様を失ったバドとそう変わらない歳に見えるが、積んだ修練は桁違いだ。


『きゃは! 弱いところを狙うのは定石じゃあなくて? 奇襲や急所狙いが怖いのなら、上で将棋でも打ってなさいな』

『なんですって!!』


 雛神様は気が短い。脳内麻薬が過剰分泌され、雛神様の物でもある右腕の制御が怪しくなる。

 力任せに振り下ろした俺の長剣は空を切る。

 身軽に壁、天井と蹴り高く跳んだシーリィは、俺の頭上から短剣を振り下ろす。


『主であるあたし達を狙ったやり方が不遜だって言うのよ! 騎士の誇りはないの?』

『はぁん? 弱いうちに数を減らしてくれるなら御の字よ』

『誇りがないのは主も同じってわけね! そのうちあんたにも手を掛けるんじゃない?』

『承知の上よ。ギリギリまで手を出さないでしょうけど、羽化の時はこの子と勝負することになるわね』


 俺の首筋を狙う短剣はフェイク。

 後ろ手に隠していたナイフが、鎧の隙間から心臓の下、雛神様の納まる位置を狙う。


 俺は割り込ませた左腕を犠牲に、ナイフを受け止めた。

 執拗なうえ正確すぎた。騎士達の剣筋と違っていても、狙いが分かっていれば対処の仕方は幾らでもある。


「くッ!」

『余裕ぶっこいて明後日の話してんじゃないわよ!!』

『ま、待ちなさ――』


 俺の腕に刺さったナイフを残し、身を引こうと試みるシーリィ。その胸元に、回避を許さぬ速さと強さで長剣を突き入れる。

 俺の身体の負担を考えない動きに、肩の筋肉が裂け骨が外れるが、長剣はシーリィの身体を彼女の雛神様ごと岩壁に縫い付けた。



「……騎士団を抜けられるよう、僕が彼女にお願いしたんです」


 迷宮を去る日、立ち会った俺にバドはぽつりと漏らした。

 シーリィとは幼なじみだったという。戦で村を焼け出され、流れ歩いた末、この迷宮に辿り着いたのだと。

 騎士団に入れば衣食を保障され、いずれは傭兵として仕事を持つこともできる。


「僕はシーリィほど強くないし、本当は雛神様のこともずっと怖くて……」

『迷宮は、覚悟を持たない者が足を踏み入れていい場所じゃないってのよ、まったく』


 厳格な騎士が耳にしていたなら、この場で切り捨てられていたであろう台詞だ。

 雛神様の思考もささくれ立っている。それでも、一度は騎士だった者を憐れみ、俺に処罰を命じることはされない。


『ば……馬鹿ッ! そんなんじゃないわよ!! 呆れてそんな気にもならないだけよ!』


 餞別に、俺はシーリィの形見の短剣を差し出した。

 バドはしばらく無言のままそれを見詰めていたが、弱々しく首を振り受け取ろうとはしなかった。

 人としてはやり直せるのかもしれない。それでも、胸に穴を開けたまま生き続けるのは辛いだろう。

 迷宮から遠ざかる小さな背中を見送る者は、俺と雛神様の他にはなかった。

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