第2章
ラインのお守作戦 Ⅰ
「コンフィーネだって?」
結論から言えば、僕と長峡は、生野に助けられる形で日本橋から脱出し、学校へと戻ってきたのだった。
追手を撒く為なのかかなり複雑なルートを経由したようなので、そのドライブは相当な時間がかかった上に、時には車を乗り換えもしたので、捕まることもなく帰還出来たのは幸いではあるが、彼女荒々しい運転に身体がボロボロなのは否めない。
まあ、その痛みはあの死闘を繰り広げたのも原因かもしれないが、ともかく。
僕の疑問に対して、足を組んで悠々と座っていた生野が口を開く。
「そ、それが私達組織の名前、政府側にもレジスタンス側にも属さない――まぁ強いて言えば敵対しているのは政府だけれど、レジスタンスとは一線を画しているのは事実ね」
「ふうん……だから境界線、か」
「因みに政府に反発するオタク集団は自分達のことを『ツヴァイヴェルター』と名乗っているわ、一般にも浸透しているから殊更いうことでもないけれど」
「何度聞いても厨二病を拗らせたとしか思えない名称だ、気持ちは分からんでもないが」
「そしてツヴァイヴェルターの二大勢力と言われているのが日本橋を拠点とする『グローセンハンク』と秋葉原を拠点とする『オストハウプトシュタット』どちらかといえば略称で『オスト』と呼んでいる人が殆どかしら」
「ただの地名をにそこまでドイツ感丸出しにするのもどうかと思うがな」
正直レジスタンスの通称は、誰もが知りうる情報なので今更目新しいというものでもない、ただ僕が取り立ててその名称を使おうとしないのは、その言葉を当然のように使ってしまえば彼らに乗せられているような気がして癪だっただけの話である。
「それで、そのグローセンハンクがあられもない姿に変わり果ててしまっていた訳だが――それを政府が隠している事実やら、そのゾンビ化したオタクと闘う長峡についても、生野は洗い浚い教えてくれるのか? いや――」
僕はわざと間を置いて空気を張り詰めさせると、こう言った。
「弥刀(みと)総理大臣の側近、大桐(だいどう)元副総理大臣さん」
「あらら、もうそこまで分かってしまっていたのね」
「分かるも何も、名前が違うだけで顔は同じなのに気づかない奴の方がどうかしているだろう、結構な歳がいっているにも関わらず不老不死の如く二十代後半の若さを保っているっていうのはお前が政府にいた時からの有名な話だ」
専ら国民の税金で顔面改革してるって噂だったぜ、と皮肉を付け加える。
「失礼ね、これでも最近は老いが進行してて、小皺一つ取っても入念なケアを怠っていないからこの美貌を保てているのよ、整形を一切せずここまで努力を積み重ねてきたのだから寧ろ褒め称えて欲しいぐらいだわ」
そう言ってぷりぷりと怒る大桐、普通四十過ぎたオバサンがこんなことをしようものなら違う意味で壁ドンしてやる所なのだが、腹の立つことに顔が顔ゆえにほんの少し可愛いと思えてしまうのが悔やまれる所である。
「まあそんな話はどうでもいいのだが――」
「どうでもいいって、自分から振っといて酷い言い草ね……」
「何れにせよ、そのコンフィーネとやらの親玉がお前という認識でいいんだな? だが元政府の人間ということなら政策――つまるところTHE・不潔法に反発する為に生まれた組織ということになるが――」
「蔑称にしてももう少しまともな言い方ないのかしらねそれ……まあ公晴君は私が表向きでは別の問題で退陣になったから疑問を感じているんでしょう?」
「それもあるが、お前は首相の側近中の側近として有名だった人間だ、それが己の失態で失脚したのであればまだ問題はない、だが首相と反りが合わずに退いたという噂が事実であれば話は別だ」
「大人の世界っていうのはそういうものよ? 都合の良い事は徹底的に晒して都合の悪い事は徹底的に隠す、何処にいようがそれは変わらないわ」
「御託はいい、僕が聞きたいのは貴様が首相と対立した結果コンフィーネという組織を立ち上げたのか、そしてその首相が行ってきた内容が、あのゾンビと化したレジスタンスと関係しているのか、重要なのはそこだ」
大方大桐の在任期間中にTHE・不潔法の草案は決まっていたのだから、彼女は法案に多少なりとも不服があった――いや、法案には賛成だったが議論を進めていく内に承服し兼ねる事態が発生した、だから去った、そう考えるのが妥当だろう。
「……半分、いえ、ほぼ正解と言って過言ではないわね、それにしても一から説明する必要がないことほど助かるというものもないわねえ」
「外面をなぞって一定の推論を下しただけの話だろう、大事なのはその内面だ、政府によってレジスタンスゾンビ化計画が断行されたのだとしたら大問題で済む話じゃあない国際的な問題になるレベルだ――」
「そう言われてしまうと返す言葉もないわ」
「それにしても政府は化学兵器でも開発でもしたのか? たかだかオタクの反発を制圧するのにそこまでやるなんて流石にやり過ぎじゃないか?」
「それについてはあなたが一番分かっているんじゃないかしら、大人しいオタクを怒らせたら、手がつけられなくなることぐらい、百も承知でしょう?」
「だったら尚更のことだ、やり方にしてももっと穏便にやれただろう、犯罪抑止の為に抑圧するにしても全てを敵に回す必要などない――その結果がこれだ、日本全国で法案撤回の運動が高まり、企業までがレジスタンスの味方につき、今や一歩間違えばテロが起きてもおかしくない一触即発状態」
「そうね……だから私は極度な締め付けはするべきではないと、何度も訴えてきたのよ、でもあなた達が思っている以上に政府の人間にオタク文化は受け入れられていない、考えてもみなさい、オタク以外の国民は法案を良しとしている現状を」
「…………」
確かにこの法案が今も生き続けている、どころか規制が強化されているのは何よりその法案施行が間違っていなかったということを証明してしまっている、一部の過激な反対活動が国民の反感を買ってしまっているのも紛れもない事実。
「だが、それでも腑に落ちない、これではまるで炙り出しだ、それに異形のオタクを醜形にまでしたあの日本橋はなんだ? 無力化することが狙いなのか?」
「そこについてはさっきも言ったけれど私達コンフィーネに繋がってくる話ではあるの、まず一つ訂正しておくとオタクを無力化する為にゾンビ化させたのではなく、オタクを無力化することを考案した結果、ゾンビ化させてしまったのよ」
「何だその嫌な予感しかせん言い方は……」
「……私達は非実在不健全創作物規制法を推し進めていく過程で必ず大きな反乱分子が産まれることは承知していたの、そこをどう上手く抑えこむかが重要な課題ではあった……ただそこで産まれたのが薬を使った手段だったのよ――」
「だがこの惨状を見る限り、失敗したということか」
大桐は小さく頷き話を続ける。
「オタクに限った話ではないけれど、人には興味、関心を生み出すものが大脳辺縁系にあって、それを一時的に麻痺させる薬を開発していたの、通称『アパシー』、ただこの時点で私は弥刀のやり方に不満があったのは事実だわ」
「国家レベルが本気を出せばそんなフィクションめいたものが開発出来るっていうのか……? にわかには信じ難い話だな」
しかしそうは言っても長峡をあんなスーパーウーマンに変身させてしまう技術力があることを考えると、有り得ない話ではないのか……。
そう思いずっと放置プレイをしてしまっていた長峡の方へとふとと目をやってみると、彼女は明らかに暇だと言わんばかりにベッドの上で仰向けになって、人外プレイヤー共が織り成すテニス漫画を読んでいるのだった。
こいつ緊張感なさ過ぎだろ。
「言う通り現代ではあまりに過ぎた技術であるのは否定しないわ、ただそうは言っても入念な実験を繰り返す予定ではあったの、けれど弥刀はそれを強行した」
「リスクが高い段階で撒いてしまったってことか、確かに法律施行後のレジスタンスの活動の広がりはかなりのものだったからな、焦る気持ちも分からんでもないが――しかしどうやってその薬をオタク共に仕込んだんだ?」
「グローセンハンクが情報共有の場に使っていたメイドカフェでね――」
「……成程、実に合理的な手段だ」
「けれど、その数日後にスパイから送られてきた情報は――ご想像の通りよ」
「オタクゾンビ化の始まりという訳か……そこから特殊部隊が日本橋を完全に封鎖、元からレジスタンスの拠点となっていたのだから、一般人の数も非常に少なかった筈、事実を明るみにさせずに封殺するのは実に容易かっただろうな」
「より正確に言うとSTDTと呼ばれるツヴァイヴェルター相手に組織された政府直属の特殊部隊なのだけれどね」
「なんだその最初の二文字を入れ替えたら特殊ジャンルみたいになる名前は」
「特殊三次元保護部隊の略称よ! ……まあ実は情報を外部に漏らさない為に、日本橋がバイオハザード化する前からあった組織なのだけど」
「お前の話が事実だとすれば、いや、あの変わり果てたオタク共を見れば言うまでもないが、とんでもない事態になっていることには間違いは無さそうだな……」
「大筋これが今起こっている物事の背景になるわ」
「ところで――」
僕は相変わらず暇そうに漫画を読む長峡を半分睨みつけるかのようにして見ると、もう一つの重要な話について、踏み込んでいく。
「あの女とは形式上恋人なのだが――――もしやお前が仕向けたのか」
「……それに関しては私達コンフィーネの活動に大きく関係してくるのだけれど……間接的とはいえ、私が関与したのは事実……ね」
「プシュウウウウウウウウゥゥゥゥ…………」
「公晴君!?」
ふっ、ふふふ……分かっていたことではあるが、やはりあれだな、リアルっていうのは何処までも僕を馬鹿にし、傷つけ、そして切り刻むのだな……。
日本全土を混沌の闇へ誘われつつある状況で、この僕が利用されていたという事実に憤慨するつもりはない、ましてや今となってはそのお陰で現実に僅かばかりの光明が見えたのだ、これぞ海老で鯛を釣る、結果オーライというものではないか。
釣ったのではなく、釣られたのだという皮肉は聞かんぞ。
だが……この柴島公晴……いくら精神の揺らぎがあったとはいえ、リアルに不覚を取ってしまうなど、一生の恥ッ……!
「長峡影子……次は無いと思えよ……」
「え? 何が?」
「と、兎に角! 今から公晴君には私達の活動について詳細な説明をするわ」
「膨大な潜在能力を保有しているこの僕を買っているというのなら当然長峡の存在や、エスカピスモスとやらについても教えてくれるのだろうな」
「いえ、どちらかと言えば公晴君は思わぬ収穫という感じなのだけれど」
「は? 今なんて――」
無視不可能な発言に軽く動揺する僕を尻目に大桐は徐ろに椅子から立ち上がると、机の引き出しのロックを解錠し、手を掛けると、それをゆっくりと引っ張りだす。
すると――
「こっ、これは……」
「これが私達『コンフィーネ』の秘密基地へと繋がる入り口よ』
まるで異次元空間へと繋がっていると言わんばかりの長い階段が、そこにはあるのだった。
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