夏の目覚め作戦 Ⅳ
思いの外、日本橋内に侵入することは容易かった。
……とは言うものの、『お義兄ちゃんと思っていたらお兄ちゃんだったけど、気づかないフリしとけば問題ないよねっ!』を囮にして警備の目を欺き、正面突破したことは実質的に愛すべき妹モノを生贄にしたに他ならず、酷い罪悪感を覚えてしまう。
だが、ここまで来た以上、何があっても彼女の本性を突き止めなければならない。
現世に突如として舞い降りた二次元ヒロインと言っても過言ではない、そんな少女長峡影子は何が目的でこの世紀末日本橋へと潜入したのか。
「…………」
最早浮気がどうこうなどと疑っている場合ではないことだけは確か。
何よりも長峡影子という僕の好奇心を擽って止まない、二次元と三次元の境界を超越せし存在に、不覚にも興奮を抑え切れずにいることも、また事実であった。
「さて、跳んでいった方角を考えればこっち合っていると思うのだが……」
日本橋はかつて僕の庭と言っても過言ではなかったので、最初の入り口さえ突破してしまえば警備の目を欺きながら行動するのは実に容易ではある。
しかし徐々に中心部へと足を踏み入れ始めると政府の監視する領域からレジスタンスが占拠している領域となったのか、これまた高々と、頑丈に設えられたバリケードがあり、それをなんとか抜けると人の気配が全くない場所へと出てくる。
……そのあまりに異様な雰囲気に、僕の身体に僅かながら緊張が走る。
「変だな……ここまでくればレジスタンスが一人や二人見えてもおかしくないというのに……いくらなんでも静か過ぎる」
日本橋や秋葉原が完全封鎖される以前は、両地域共に歩道者天国と化した道路に何千何万ものオタクが集結し、デモや警官との衝突する様子をテレビで見たのは記憶に新しい。
だが封鎖されて以降はメディアも中々立ち入ることが出来なくなり、フリージャーナリストが潜入取材を試みたこともあったそうだが、結果として情報は政府を通してしでしか分からないような偏ったモノばかりとなり、それが次第に世論のレジスタンス批判へと傾いていったのだった。
その情報を、僕は全面的に信用していた訳ではなかったが、しかしネットでも深くていな情報ばかりが氾濫していたせいもあり、てっきり政府が着実に包囲網を構築し、徐々に追い詰めていたのだとばかり思っていた。
「今でも数百人以上の人間がいることを鑑みれば、明らかにおかしい」
まさか全員捕まったとでも言うのか? いやそれなら公式に発表すればいい話だし、何よりそんな大人数を捕まえるなんて話不可能に近いと言ってもいい、第一SNSが広く普及した時代、誰かが連行する様子を上げているに決まって――
そうやって、現状に疑問を呈していた瞬間だった。
自分の正面約十時の方向から、はっきりと何かが破裂したと分かる音がしたかと思うと、それに続くようにして激しい地響きが僕の身体を揺らす。
政府側とレジスタンスが衝突したのか!? 普通なら思う所かもしれないが、僕は直感的にあの音の場所に長峡がいるのではないかと、そう思った。
うん? 何でそう思ったのか、だって?
「女騎士に模した女が闘わないなどあり得ないからに決まってんだろうが!」
僕はそう言いのけると自分の足をその方角へと向け、そのまま一気に走り出す。
廃墟と化したでんでんタウンを駆け抜けるのは中々爽快であり、道路の真ん中にでも寝転んで『来やがったか……』とでも言ってみたい気分に駆られそうになるが、一心に足を動かし続け、その音の主へと向かっていく。
「あの位置からすると……オタロードか」
まさに良くも悪くも変わらぬオタク文化が根付く場所、それがオタロード。
秋葉原と比べれば遙かに狭く、貧相に見えるだろうが、その貧相さもまた妙に気分を高揚させてくれる良き場所なのである。
まあ、今となっては貧相を通り越してただの廃墟なのだが。
そんな事を思いながら走ること数分、馴染み深いアニメ、漫画、同人販売ショップの看板が見えてきた所で音が更に大きく、そして別の何かが壊れるような、唸るような声も聞こえてきた為、ゆっくりと速度を落とし、そっと物陰に隠れる。
「ようやくここまで来たか」
……恐らく、この先に長峡と日本橋の真実があるに違いない。
不思議と緊張はしていなかった、きっとそれは好奇心が圧倒的に勝っていたからであろう。
何一つ夢を見せてくれぬ、穢れしか無いリアルには飽々としていた。
だからこそ夢も希望も溢れる二次元に僕は魅せられたのである。
「……ふっ、何度現実には失望させられたことか、いい加減にして欲しい――」
だから……今度こそ僕を失望させないでくれ給えよ!
「! こっ、これは……」
これだけ大層な口ぶりでありながら、路地の隙間からこっそり覗いてみたことに関してはご愛嬌を願いたいばかりであるが、少なくともその視界に飛び込んできた風景は、僕を驚愕させてしまったことだけは確かであろう。
というか、ものっすごいバイオハザードだった。
通常の人間の二倍ぐらいのサイズだろうか、血色も全体的に悪いというか青白く、爛れた皮膚を見ても完全に腐敗しきっており、動き方のそれに至っては誰がどう見てもゾンビそのものであった。
――だが、腐敗しきった身体に着こなされている服はどいつもこいつもパンツにインされたチェック柄のシャツか黒のダウンばかりであり、その多くが眼鏡を着用していることからも、それがレジスタンスだということに間違いなさそうであった。
唸り声みたいなのも、よくよく聞くと『萌え』とか『ブヒィ』とかだし。
「……どうやらこの状況を推察する限りは、日本橋に拠点に置いていた関西最大のレジスタンスは殆ど全員ゾンビにされたと考えてよさそうだな……」
最初こそこの光景に驚かされてしまったものであったが、しかし同士がゾンビというのは、悲しいものであまり恐怖感を抱かせてはくれない。
多分、見た目の問題だろうな、というかほぼ全部見た目の問題だな、うん。
「とは言っても看過出来ないではあるが、肝心の長峡は――」
ゾンビの数はざっと見ても数十はいるだろうか、視界の定まっていないうつろな目から見ても統率が取れていないが、大凡何処に向かっているのかは想像出来る。
僕は物陰からもう少しだけ身を乗り出してみせると、先程の位置からは死角気味なっていた場所へとそっと目をやってみる。
するとそこには案の定、ゾンビ化したオタクと闘う長峡影子の姿があるのだった。
日本橋へと辿り着いた時点で薄々感づいてはいたが、どうやら僕とは真反対に生きる存在だと思っていたガールフレンドは、謎のウイルスによって汚染された都市で戦士としてゾンビと闘うかなり無理のある設定をお持ちの子のようだな。
「……はてさて、どうしたものか」
実際求めていた展開であることは事実、何せ現実世界で非現実的な展開が起こっているなど普通ではあり得ようのない話、そんな展開に二次元を愛する僕が飛び込まず逃げるというのはあまりに愚行と言っても過言ではない。
だが、僕に何が出来るというのか。
こんなことを言ったら矛盾になるかもしれないが、いくら(僕も含めて)非力が取り柄のオタクとはいえ、生身の僕が変貌してしまったゾンビの前に対峙しても一撃でめでたくゾンビの仲間入りとなるのは考えるまでもないこと。
何よりも、そもそもゾンビを倒すこと自体に意味があるのだろうか?
彼らレジスタンスは曲がりなりにも二次元世界を取り戻す為に戦っているのだ、逆を言えば長峡に加勢することは結果二次元の消滅に拍車を掛けることを意味する。
それ以前に、長峡は政府の人間に肩入れしている可能性もあるのだ、だとすれば下手にいい格好を見せると却って逆効果となり兼ねない。
「…………でもなぁ……」
さっきから彼女を見ていると、どうもそんな風には思えないんだよな……。
確かに格好こそは様になってはいる、迫り来るゾンビ達に対し、近未来的な剣から魔法を繰り出してはゾンビを退ける、それ自体には文句の欠片もない。
……だが、その魔法の威力も大して強いようには見えなければ、高い身体能力を駆使して戦っているようにも見えない。
要するに動きが素人同然なのである。
これならまだ特殊部隊に闘わせた方が実のある戦果をもたらすことであろう――それ程までに彼女の戦いは中途半端だとしか言い様がなかった。
……そうなれば、僕は一つの可能性を提示せざるを得なくなる。
「きゃっ!」
そんな風にして思考を張り巡らせていると、長峡はゾンビの腕から飛び出した触手攻撃を防ぎきれず、そのまま真後ろへと弾き飛ばされてしまう。
倒壊した瓦礫の中で剣を杖のようにしてよろよろと立ち上がるその姿は、今にも『くっ、殺せ!』とか言い出しそうで、目も当てられない有様。
「…………全く」
これではもう選択の余地は無さそうだな。
果たして僕は主人公となれるのか、はたまた瞬殺のモブとなるか。
恐らく主人公となれれば、これから夢のような可能性が待ち受けることとなる。
ならば、僕が愛する世界を、胸に一杯に秘めて、行くとしようか。
「ふっ、待っていたまえよ、僕の子猫ちゃん」
最高どころか存分にキモかった気がするが、それを無視すると僕はクラウチングスタートを取り、一気に彼女の元へと走り出す。
距離は約数十メートル、この速度ならゾンビに襲われる前に間に合う……!
「そおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!」
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