夏の目覚め作戦 Ⅲ
それから暫く歩くこと十数分。
学校から一定ある程度離れたことを見計らったのか、長峡は鞄からおもむろにスマートフォンを取り出すと、今度は電話を始めるのであった。
ふむ……あれだけ僕の折り返し電話やメールの返事は華麗にスルーするというのに、随分と長い間話し込んでいるな……。
「信じ難いが、やはり男の影をチラついているようにしか……」
……って、これでは完全にストーカー思考ではないか。
「いかんいかん! 嫉妬など美少女ヒロイン以外がやっても微塵の得もないというのに……全く、恋愛ってのは麻薬並の依存性があるんじゃないのか――――って」
そんな邪念と闘いながら彼女を追いかけた先あったもの。
それは駅であった。
「なんだ……? 一体何処に行くつもりなんだ……?」
いや、別に電車に乗ることは自体は不思議ではないが、近場ではなく、電車を使って遠出していたのだとすれば、少し違和感を覚えざるを得ない。
無論今日だけたまたまという可能性も十二分にあるが、もし毎日電車を利用しているのだとしたら、遊んでいるにしてはあまりに頻度が高過ぎないか……?
「――何れにしても、この電車を降りた先に答えがあると見てよさそうだな」
こうなれば最後まで見届けてやるとしよう、ええいままよという奴だ。
そうやって僕は、彼女にバレぬよう細心の注意を払って電車に乗り込もうとしたのだったが、あまりに慎重過ぎたせいで危うく電車に乗り遅れそうになり――
無様にも、扉に身体を挟むのであった。
◯
「ここは……」
辿り着いた終着点は、想定していたものとはあまり違っていたものであった。
それは何故なのか、理由は簡単である、長峡影子という人間がこの場所とは全く無縁の世界で生きていると思っていたからである。
そうは言っても素性を隠していた、と考えれば驚きはすれど別段おかしなことでもない。
この世界に生きているのであれば確かにそれを隠すということは大して不思議ではないからだ、それどころか今の時代隠しておいた方が身の為とさえ言える。
だが、僕という人間を前にして、それでも尚隠す、というのは少し奇妙と言えるだろう。
だからこそ、僕は気付かなかったのだし、検討さえしなかったのだから。
「まさか……日本橋を訪れるとはな……」
日本橋。
『にほんばし』ではない『にっぽんばし』である。
一言で表わすとしたら『関西オタクの聖地』というのが一番しっくり来るだろう。
誰もが知るオタクの聖地といえば秋葉原ではあるが、関西のオタク達にどちらの方が馴染み深いと問われれば迷わず日本橋と答えることであろう。
秋葉原と同じく電気街をルーツとした町、通称でんでんタウンと呼ばれる道を中心として両サイドの歩道には見覚えのあるお店からマニアックなお店が軒を連ねており、右を見ても左を見ても同士達が似たような衣服に眼鏡を掛けているその光景は、安心感さえ与えてくれる。
僕も大変お世話になったものである、ここに来るのは何ヶ月ぶりだろうか――
「……こんなにも物々しい日本橋を見る日が来るとは、思いもしなかった」
そう。
『THE・不潔法』が施行されて以来、日本橋は大きく変わってしまった。
いや、日本橋だけではない、秋葉原も含め東西のオタクの聖地は政府に対抗するレジスタンス達の一大拠点となり、聖戦とも呼ばれたその闘争は今現在も続いているのである。
その結果周辺住民に危害が及ばぬようにと、派遣された特殊部隊により日本橋は事実上の封鎖を余儀なくされ、日本橋にはレジスタンス以外の人間は殆どいない状況。
加えて日本橋周囲一帯にはちょっとやそっとでは入れない程の、高い鉄柵が作られるという有り様となっており、ここは本当に日本なのかと疑ってしまいたくなるぐらいである。
東西南北四カ所のみに設置された入り口には全て特殊部隊が常駐しており、監視の目を掻い潜って侵入することはまず不可能と言える状況。
言論弾圧はされていないとはいえ、そんなものは建前に過ぎない。
事実上、関西最大のレジスタンスの拠点は包囲、いや隔離されたも同然なのであった。
「……出来島(できしま)の奴、元気にしているのだろうか」
法案が施行される以前、僕に嘲笑しながら煽ってくるリアル共に対し、声高に二次元愛を語っていた時代、同族のオタクでさえ僕には嫌悪感を示していた者もいたというのに、出来島という男だけはそんな僕に同調せし、唯一の人間であった。
僕は仲間という安っぽい言葉を使うのは好きではないのだが、しかし彼という人間だけは、仲間か敵という二択で分類するのであれば、唯一仲間と言えた男であっただろう。
アニメや漫画、ゲームの批評、筆舌では尽くせぬ程の二次元愛を語り合ったものであった。
「……まあ、ヒロインの嗜好に関しては徹底的に反りが合わなかったが」
そんな彼もまた、徹底的な二次元弾圧の現状に耐え切れず、事実上学校を休学し、レジスタンスへと参加してしまった男の一人のであった。
実はその時僕もレジスタンスへと参加するよう説得をされたのだが、僕は固辞した。
だからと言って彼にレジスタンスへの参加を止めるように言った訳でもない。
やりたければ自由にすればいい、ただ僕は参加しない、それだけであった。
力で訴えるやり方は最大の方法ではあるが、決して最善とは言えない。
何よりそんなやり方で解決した二次元世界に未来があるとも思えない。
「――っと、感傷に浸っている場合では無かった、一体長峡は何処に――」
我に帰った僕は慌てて周囲を見渡すと、ただでさえ人気の少ないこの場所から更に人の気配がない路地へと入っていく彼女の姿が一瞬垣間見える。
見失ってはなるまいとその後を追いかけると、長峡は路地の真ん中辺りに立っていた。
かなり人目を警戒しているのか、何度も周囲に人がいないかどうか注意深く確認をするので、僕もそっと物陰から覗いていたが――やがてその場にゆっくりと座り込む。
「……まさかとは思うが、尿意を催したとかそんな展開じゃないだろうな」
アニメではゲロインなんて言葉もあるぐらい無くはない展開ではあるが……流石に尿意的なモノに関しては色々と問題が生じてしまい兼ねないというかだな――
「コード・インバート、シャドウ・チャイルド」
『Anerkennung』
「え?」
そんなくだらぬ危惧を勝手に抱いていたその時、長峡は小さな声で何かを呟いたかと思うと、それに続くようにして機械音声のようなものが耳へと流れこんでくる――
次の瞬間。
彼女の身体から強烈な光が四方へと放たれ、その光は僕の目を貫いたのであった。
「うおっ!? ぐ、くっ……」
眩しい光が目に刺さっというのだから、どうせなら物真似でもするのが一興だろうと言いたくなるものなのであったが、悲しいもので人間は全く想定していなかった出来事に見舞われてしまうと、そんな笑いを見せる余裕など全くないのである。
故に、こんな言葉ですらない声しか出せないのであった。
「っ…………、一体何が起きたんだ……って、え……?」
長峡から放たれた光がようやく収まり、僕はゆっくりと目を開けながらもう一度彼女へと目を送る。
するとその眼前には、先程まで制服であった長峡が、いかにも近未来的な、しかしどことなく女戦士とも言えるような風貌となって、そこに佇んでいるのであった。
「な、何だ……? まさか一瞬にして変身したとでもいうのか……?」
だとすれば……僕は彼女の全裸変身シーン見逃してしまったことに……な、何ということだ……あんな二次元を愛する僕でさえも惑わす豊満ボディをガン見出来る貴重な全裸シーンを僕は見れなかったというのか……! あんな古典的な目眩ましのせいで……!
「ち、ちくしょう……僕の映像記憶力であれば永久に劣化することなくフルハイビジョン動画で録画出来たというのに……数少ない今晩のおかずを撮り逃すなど愚の骨頂ではないか!」
無論法律が施行される前であれば、いくらでも二次元世界のエロスを堪能することが出来たのだから、たかが現実の女の裸を見逃したぐらいで悔やむことなどまるでなかった。
だが今は数少ないおかずをルーティーンのように使う毎日、気がつけばアダルトビデオにまで手を出す始末――
だが、それでは物足りない……物足りないのだ! 非常に大きな割合で設定やシチュエーションを大事にする僕からすればリアルのエロスはあまりに安っぽい! 到底二次元のエロスには及ぶことはないのだ!
だからこそ、現実世界にこんなファンタジーが、しかもこんなエロい展開が起きているというのにそれを見逃すなどあってはならないというのに……!
「――って、ちょっと待て、長峡が現実世界で変身をした……だと?」
貴重な全裸変身シーンを逃したことで頭が一杯になってしまっていたが、冷静になってみればそんなことあり得る筈がないではないか、二次元世界への移住を憧れて止まない僕がこんなことを言っては身も蓋もないかもしれないが、一瞬周りが光り輝いただけのことで、つい数秒前まで制服を着ていた彼女が瞬時にあんな近未来的な装備を身に付けた戦士へと様変わりしてしまう訳がないではないか。
「……だが、現実問題彼女は変身している――どうなればこんな超常現象が……」
そんな急展開とも言える状況に、思考が整理しきれずにいてしまっていると、長峡は再度周囲を確認する素振りを見せ、ゆっくりと深呼吸したかと思うと――
アメコミヒーロー顔負けの跳躍力でその場から飛び出し、鉄柵を越え、そのまま日本橋へと消えていってしまったのであった。
「…………どうやら四の五の考えている場合では無さそうだな」
……せやかて、どないして追いかけろっちゅーねん。
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