第1章

夏の目覚め作戦 Ⅰ

「私と、付き合ってくれないかしら」


 まず、この女は罰ゲームをしているのかと思った。

 理由は簡単だ、僕はモテないからである。

 モテないと言っても顔が残念とかそういう話ではない、単に僕は三次元という煩わしく、一寸の輝きをも感じさせない現世を素晴らしいと思っていないのだ。

 より端的に言えば、二次元世界を愛するが故にそしてそんなことをさも当然のように言い巻いていたら人がどんどん離れていったというだけの話である。

 まあ、離れていった所で産まれた時点から既に魂を二次元世界に置いていった僕からすれば、さして問題のない話なのだが。

 何せアクアでウンディーネとキャッキャウフフするのが僕の最終到達地点だからな、寧ろ一刻も早く火星のテラフォーミングが進んで欲しいぐらいである、ゴキブリ的な意味でなく。

 だからこそ、僕は至極冷静に罰ゲームなのだと判断したつもりであった。


 ――――しかし、そこでふと疑問が浮かぶ。


 というのも、その目線の先にいたのが、長峡影子(ながおえいこ)だったのだ。

「…………はて」

 どういうことだ……? これでは罰ゲームと判断し難くなったではないか。

 何故なら長峡影子は同じクラスに属する、俗にいう才女なのだが、性格は僕のような自発的な行動によって発症した孤高ではなく、天性の生まれ持った才能によってナチュラルで孤高となっている女なのである。

 身長も平均的な女子高校生と比べれば高く、身体もスラっとしており、それでいながら出る所はしっかりと出ているバランス具合、切り揃えられたショートボブからは今にもフローラルの香りが漂ってきそうなまでの艶やかさ。

 だが、対象的に周囲を氷結させん鋭い眼光は、決してマゾヒスト以外の他者を寄せ付けず、それ故いつも席で読書を嗜むというのが彼女のライフスタイルであった。

 もし彼女を二次元世界に嵌め込むことが出来るのであれば、きっと僕はトゥルーエンドへ誘おうと意気込んでいたことだろう――

 しかし、それが出来れば誰も苦労はしない、元も子もないことを言っているのは分かってはいるが、所詮選択機能付きで彼女達を攻略するのと、生い茂った雑草を一本一本抜き取るかの如く彼女を攻略するのとではまるで話が違うのだ。

 イレギュラー塗れのこの世界では、真の桃源郷などありはしない……。

 だからこそ。

 対極の存在とも言えるこの僕に告白して来たことに疑問を禁じ得なかった。

「…………人違い、じゃないのか?」

 こんなことを言うのはちゃんちゃら可笑しいのは百も千も承知だが、あまりに想定の範疇を超えたこの展開に、僕はそんな返しをするしかなかった。

「……? いいえ、あなたの名は柴島公晴(くにじまきみはる)でしょう? 学校中から無類の変人として有名なあの柴島君で間違いないと思うのだけれど」

 え? ちょっと待て、どうやったらその認識から告白に直結出来るんですかね。

「え、いや……まあ……そうであることに違いはないが……」

 どうにも腑に落ちないが間違ってはいないようなので渋々返答する。

「そう、なら安心したわ。で、改めて言うけれど、私と付き合ってくれないかしら」

 いや、何でやねん。

 どう考えてもお前の見地だと僕はただの変人でしかないんだが? それともあれなの? そういう変人な所が好きとか、そういう癖をお持ちの方なの?

「…………ううむ」

 僕は悩むフリをしながらちらりと周囲を見渡してみる。

 彼女に呼び止められたのは生徒の往来が激しい階段とは真逆に位置する、人気のない階段の踊り場、悪くはないが告白の絶好ポイントとは正直言いにくい。

 ……しかし、僕を晒し者にするにも微妙な場所と言えるだろう。

「…………」

 仲間がこっそり見ている様子もない……か、いやそもそも彼女の性格を鑑みれば意地の悪い友人がいるというのはあり得ないのだが……三次元を基本無関心に生きている僕でさえその知名度は耳に入るのだ、主に悪い意味でだが。

 無論、このやり取りを録音されているという可能性は捨てきれないが――

「やはり遊ばれていると考えるのは無理があるか……?」

「何をぶつぶつ言っているのかしら」

 ……仕方あるまい。

 僕はリスクがあるのは承知の上で、彼女に一歩踏み込むことにする。

「おい」

「はい」

「一つ訊きたいのだが、僕と恋仲になりたい理由な何なんだ?」

「理由? そこら辺にいる男子よりはマシだと思ったから、かしら?」

「……は?」

 えぇ……?

 想定外の返答過ぎてそろそろ頭が痛くなってきたんですけど?

 え? もしやこれがあの噂のあのクールなデレこと『クーデレ』という奴なのですか? い、いやしかし僕のサンドの飯より愛して止まぬクーデレヒロインはこんな突拍子さを売りにはしていない筈だが……。

 いや待て待て落ち着け、ここは現実なのだ、二次元の理想が三次元に当てはまるなど断じて無いに決まっているではないか。

 だからこそ、我らは現世を捨て二次元に想いを馳せるのだから……。

 ふう……危うくこの女に僕のアイデンティティを木っ端微塵にされる所だった。

「いやしかし……そうなるとこの言葉の真意は一体――」

「柴島君、そんなに悩むことだったかしら?」

「イベントをこなす上で多少の推察は必須だからな、リアルなら尚更の話だ」

「言ってる意味が全然分からないのだけど」

 はっきり言って長峡の言動は悪ふざけ以外の何者でもない。

 だが、それだというのに言葉の節々からまるで悪意のようなものが感じられないはどういうことなのか……まさか本気で告白なのか?

 けれどどうにも納得いかない、本気、遊びを除外しても、この状況に全く裏がないと信じるなんて無理がある、悪いが丸見えの罠を踏み抜くほど僕も馬鹿ではない。

 それともアレか? 実は裏で散々男を弄んでいるが故に、遊び感覚で告白しちゃえるアレな人だったりするのか?

 僕らの時代は無欲なさとり世代とだと聞いていたがとんでもねえな……ただの生臭坊主世代じゃねえか……。

「ふううむ……」

 両手を頭に置いて抱えてしまいたくなるのを必死に堪えながら、僕は思考を続ける。

「……柴島君、そのナルシスト極まりないポーズはどういう意味があるのかしら」

「慌てるな、もうすぐ結論を出すから」

「はぁ」

 ……彼女のことはとりあえず置くとして、己について考えるとしよう。

 まず、仮に本当の告白だとして、果たしてそれは僕にとって良い事なのだろうか。

 確かに長峡はこの僕でさえ良いと思える美貌の持ち主ではある、二次元には遠く及ばないにしても、現世でそんな女とお付き合い出来るなど未来永劫ないだろう、何せ∨Rシステムが確立した世界で妥協しようと思っていたぐらいなのだから――

「全く……僕も堕ちたものだな……」

 こんな風にほんの僅かでもリアルに対し揺らぎが生じているのは、数年前の僕では考えられなかったであっただろう、もし数年前に全く同じ状況が僕の前に現れていたら、迷いなく『悪いけど、好きな人がいるから』と言っていた確信がある。

 だが。


『非実在不健全創作物規制法』が日本を、オタクの人権を掌握した今、我らのような人種は堂々と外を闊歩することも、どころか家内でさえも平穏に生きることを良しとされなくなってしまった。


 変人奇人と言われるぐらい気にはしない、だがこの法律が施行されてからはまるで犯罪者の如き扱いを受け、虐めが正義にすり替えられるなど日常茶飯事の日々。

 同胞達の中には学校を休みがちになる者もいれば、抑圧に耐え切れずレジスタンスに加わり、学校にも来なくなる者もザラにいる事態にまで陥っていた。


 根底が犯罪抑止の為と生まれた法律だと言うのに、差別の助長を生み出し、果ては破壊行為にまで及ぶレジスタンスを生み出してしまうなど、最早皮肉でしかない。


 ただ、僕にとってそれはさした問題ではない、所詮群れることでしか他者を中傷出来ない人間に屈する程、僕は現実世界に愛着など持ってはいない。

 そんなことはどうでもいい、果てしなくどうでもいいのだ……。

「えっ、柴島君、もしかして泣いているの?」


 しかしっ……僕の、いや違う、全世界のオタク達の魂を、人生を支え、守り続けた二次元文化が葬り去られてしまった事態だけは……例え罵られ、市中引き回しにされようとも、辛く、辛酸を嘗めるが如くの想いなのだっ……!


 くそ……感情が昂ぶって視界がぼやけて――

「はっ……!」

「?」

 きっとそれは。

 様々な想いが僕の身体を駆け巡ってしまっていたからなのだろう。

 ほんの一瞬だが、長峡がある少女に見えてしまったのだった。


 そう――僕が愛して、愛して愛し過ぎて止まぬゲーム、『ドールズマイスター』の『木更津千春(きさらづちはる)』にっ……!


 分かっている……これは幻想だということぐらい言うまでもないこと――

 だって千春はこんなおっぱいでかくないし。

 だが、僕がこの世で、全宇宙で一番愛していると言っても過言ではない少女が僕を心配(どん引き)した目で見つめているように見えてしまったのだ……!

 いくら幻覚であったとはいえ、心が唯一つも揺るがなかったなど、口が裂けても言えまい……!

「あの柴島君、そろそろ――」

「これはっ!」

「は、はい」

 僕は自分に言い聞かせるつもりで、声を振り絞る。

「これは断じて妥協したのではない! 屈したわけではないのだ!」

「はあ」

「心が人恋しさを求めていたわけでもない! 分かるな!?」

「分からないけれど」

「くっ……」

 千春……暫しのお別れだ……だが、必ず戻ってくる、必ずだ!

 これは言わば試練のようなもの、ハードルが高ければ高い程愛は燃え上がる。

 だからこそッ……! 敢えて僕はこの道を突き進むのだッ……!

「……」

「柴島君、告白されたことがそんな嬉しかったのかしら?」


「――――受け入れよう」


「はい?」

「長峡影子、お前の告白を受け入れようと言っているのだ……」

 その僕の決意表明とも言える言葉に、長峡は顔色を変えることはなかったが。

 ほんの数秒してから。


「……そう、その言葉聞いて安心したわ、これから宜しくお願いね、柴島君」


 そう言って到底笑顔とは言えない口角を上げた顔を、僕に見せるのであった。


 ――こうして僕は苦渋の決断と共に。


 長峡影子と恋仲になったのである。

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