第2話 異形の少女2

 神沢勇がはすでにリングに上がっていた。


 いつものように、ウォーミングアップは控え室での待ち時間での間に済ませていた。


 額にうっすらと汗をかいている。


 軽く手足の屈伸をしてから、ロープをつかんで何度も飛び上がる仕草をしている。


 関節の動きと柔軟性を確かめるためであった。


 いつもそうやって自分の体がどこまで動くか、どれぐらいの衝撃に耐えられるか、それを知ることによって、その日のファイトスタイルをつくりあげていく。


 悪いなら悪いなりに、その日、自分のベストの動きと技を駆使して試合を組み立てる。


 それがプロであると信じていたし、いついかなる時もプロレスラーは勝たなければならない、というのが父である神沢勇吾の口癖でもあったからだ。




 入場してくる選手を見て、観客たちが騒ぎ出した。


 その波紋が会場に広がるにつれて、ざわめきとどよめきが観客の間から上がってゆく。


 それが頂点に達した時、驚きは歓声に変った。


 一斉にコールが巻き起こった。


「秋月玲奈!」


 神沢勇も思わず声を上げていた。


 人気アイドル歌手、秋月玲奈の姿がそこにあった。


 彼女は歌手として一年前にデビューしたばかりである。


 すでにその世界では熱狂的ファンの支持でその年の新人賞を総ナメにするほどの実力を持っていた。


 そして、玲奈が九州、秋月流柔術あきづきりゅうじゅうじゅつの伝承者であることは、ファンの間でも多少知られている事実である。


 しかし、勇は彼女の誰も知らないもうひとつの顔を知っていた。 





 三年前、彼女がまだ十四歳であった頃のことである。


 彼女は勇のパートナーとして神沢勇吾かみさわゆうごと二対一の変則マッチを行った。


 その時、彼女は神沢勇吾の左腕を関節技で極め、何のためらいもなく折ったのだ。


 わずか十四歳の少女になかなかできることではなかった。


 おそらく、幼少の頃から鍛錬を積んでいたに違いなかった。


 それを見た時、勇の心には不思議と憎しみの感情は浮かばなかった。


 むしろ、自分と同じ種類の人間に出会えて喜んだことを覚えている。



 その日の秋月玲奈の装いは、白い長袖の胴着と真紅のはかまがあざやかな対比をつくりだして、見るものにひときわ鮮烈なイメージを与えていた。


 何とも華のあるいでたちである。


 拍手と歓声につつまれながら、秋月玲奈はリングサイドで立ち止まった 


 その瞬間、観客は一瞬、息を飲んだ。

 

 まるで身体にバネが仕込まれてるかのように、秋月玲奈の体はトップロープをはるかに飛び越え、きれいな弧をえがいて、回転しながらマットにふわりと、舞い降りていた。


 着地と同時に、人を引き込むような微笑をみせる。


 そういう所はやはり、天性の魅力のなせる技であろう。

 


 その時、勇は彼女の全身のバネと絶妙の膝の使い方をみて、戦慄を覚えていた。


 同時に、身体の奥底から湧きあがってくる悦びが、自分の内部を凄い勢いで駆けめぐってゆくのを強烈に感じていた。


 秋月玲奈は『遠い約束』を覚えていてくれたのだ。


 三年前、彼女は勇に言った。



「いつか、あなたがプロレスラーになった時、闘いましょう」


  

 十四歳の玲奈はそんな言葉を残して勇の元を去っていった。

 

 勇は今まで練習だけはサボらなかった。


 秋月玲奈のあの柔軟でパワーを秘めた身体もまた、たやすく出来るものではなかった。


 彼女も毎日のように鍛錬を積んでいたはずだ。


 そうでなくてはあのような芸当はできるはずもない。




 ボディチェックのためにふたりはリングの中央で向かい合った。


 レフリーはふたりの体に凶器などがないかどうか、丹念に調べる。


 選手の危険防止のためにいつも行われることである。

  

 お互いのコーナーに別れていく時、玲奈はふとつぶやいた。



「手加減はしないでね。私もしないから」



 玲奈の双眸は自信にあふれた強い光を放っていた。


 何故か勇は身体の震えを止めることができなかった。


 その予感はまもなく現実のものになった。


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