少女格闘伝説

坂崎文明

第一章 異形の少女

第1話 異形の少女1

 神沢勇かみさわゆうはシューズのひもを何度も結び直していた。


 いつもの彼女ならそんなことはしない。


 今日は特別な試合を控えていた。


 だからといって、動揺しているわけでもなかった。


 逆なのだ。


 神沢勇がそんなことを繰り返す時は、いつも決まって、集中力を極限まで高めている時なのだ。


 彼女は時計を見ながら、そろそろ第一試合が終わる頃だと考えていた。




秋月玲奈あきずきれなのステージが始まりますね。神沢先輩は知り合いなんでしよう?」


 後輩の付き人の風森怜かざもりれいが尋ねてきた。

 

 彼女はエンジェル・プロレスの新人プロレスラーであった。

 プロレスの世界では上下関係が厳しく、新人が先輩レスラーそれぞれ付いて、世話をするのが慣わしになっていた。

 

 彼女は今年で十四歳のはずで、十七歳の勇よりもずっと小柄なため、プロレスラーとしてはまだまだで、まずは身体作りからはじめる必要があった。


 性格的におっとりしていて、そのためか試合では悪役ヒールの標的として、ことあるごとに凶器の竹刀や一斗缶の攻撃にさらされ、額ばかり割られていた。


 そして、ついた不名誉な仇名が『トマ子』。


 トマトケチャップのように頭から血ばかり流している、そういう意味合いがその呼び名に込められていた。




「昔ね。中学校で同級生だったの。でも、すぐに転校しちゃったわ」


 勇は素気ない言葉を返した。


 九州、秋月流柔術の宗家に生まれた玲奈は、歌手になるのが夢だとよく勇に語っていた。


 風森怜は知らなかったが、秋月玲奈は勇にとって心の友であった。


 友達というのはいいものだと、つくづく思う。


 そして、夢をかなえられて良かったね、と勇は心の底から言ってやりたかった。




「それにしても、今日の勇先輩の相手は誰なんでしょうね?いくら仕掛けだと言っても当日になっても知らせないなんて、やりすぎだと思います。」


 風森怜は、神沢勇の足をほぐしながらそんなことを言った。


「フロントのやることにいちいち文句つけてたらきりがないでしょう。あなたが気にすることじゃないわよ。」


 神沢勇は怜を諭すような言い方をした。


「勇先輩がいいっていうんなら、もう文句はいいませんけど。でも、勇先輩は会社のやり方というか、評価の仕方がおかしいと思ったことはないんですか?」


 神沢勇は珍しく躊躇ちゅうちょした。


 確かに、芸能色の強いこの会社では、神沢勇の地味な試合はあまり良い評価を受けてはいなかった。


 実力的にはセミファイナルの試合を任されてもおかしくはなかった。


 だが、実際は前座の第三試合が彼女の定位置になりつつあった。




「選手の評価とか試合のカードはフロントが決めることよ。私たち選手は一生懸命、いい試合をやることだけ考えていればいいのよ。怜は気にしすぎよ」


 風森怜は、なおも不満げな表情でくいさがってきた。


「だけど、私、悔しいんです。勇先輩がどんなにすごいプロレスラーか知ってるから。今メイン張っているレスラーなんてみんな見かけだけだし、実力は勇先輩の方が完全に勝っているのに、なんかそれっておかしいと思うんです」


 神沢勇にしても、怜の言うことは分からなくもなかった。


 が、本当の原因が自分自身の心の中にある、こだわりのせいだということもよく心得ていた。



「怜、あなたが私のことを心配してくれるのはうれしいわ。でもね、あなたは自分のことだけ考えていればいいのよ」


 神沢勇は怜をたしなめるように言った。


「はいはい、わかりました。がんばります」


 怜は少しすねたように、マッサージしていた手に急に力を込めた。


 しかし、神沢勇は涼しい顔をしている。


「ねえ、第二試合、あなた、セコンドにつくんじゃなかったの?」


  急に思い出したように、神沢勇は言った。


「いけない!忘れてた。早く行かないと試合が始まっちゃうわ。あ、それから、先輩もがんばってくださいね」


 そう言い終わらないうちに、風森怜はあわてて、転がるように控室から出ていった。


「まったく、あの子は…」


 怜の後ろ姿が消えた扉を眺めながら、神沢勇はひとりつぶやいていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます