日常と非日常

日常と美少女たち

 鏡のように真っ白な鉄に囲まれた部屋。

 塵一つなく、たくさんの書物や家財道具が整頓されているこの部屋の中、椅子に座って何者かに電話をかけているオーロラの姿があった。

「やはり、彼女がそちらに居たというのは間違いないという事ですか」

『おそらく』

電話の相手は、凛とした声で返事をした。全てを悟っているかの如き、しっとりと落ち着いた声色は、どこか神秘性すら感じさせられる。

「彼女は、レムリア王国軍の機体を取って行ってしまったようなのですか?」

『こちらには、そのような報告は上がってきてないようです。ただ……』

「ただ?」

これから言うことが重大だと言わんばかりに、オーロラを焦らす。

『今だかつて乗れた者がいないというガーディアンが、盗まれたまま行方不明になっているのです』

「……」

オーロラは黙って続きの言葉を待った。とんでもない少女を引き入れてしまった、とも思った。盗んでいたとしたら、事情はどうあれ外交問題に発展しかねないからだ。

『博物館に保管しておいたそのガーディアンが窃盗団によって強奪され、その後窃盗団は確保したのですが、彼らはいつの間にか無くなっていた、との一点張りで』

「あっ。彼女が直接、博物館から盗んだわけではないと」

オーロラは胸をなでおろす。

『はい。実物を見ないと判断しかねますので、近いうちにレムリア王国まで来ていただければと思います』

「わかりました」

『……』

今度は電話相手が声を止めた。オーロラには、彼女が何かを考えているように感じた。

「? どうなされました?」

『できれば、桃子という方だけではなく、その部隊の方にも来ていただきたいです』

「こちらとしては構わないですが……?」

『パスター、でしたか? 彼らも、何らかの因果に導かれて……』

「何か感じましたか」

『では、拝見するのを楽しみに待っております。では、また、来るべき時節に』

「失礼します」

彼女が電話を意地でも後に切るタイプなのはわかっていたので、失礼ではあったが、オーロラが先に電話を切った。

 オーロラは、その手を机と脚の間に引っ込めて、1分間ほど、虚無を見つめて思考を巡らせた。

(トラックに轢かれてレムリア王国に辿り着き、爆死という形で戻ってきた)

(レムリア王国の人々ですら乗れなかったというファンタズム型ガーディアンを軽々と乗りこなす)

(私の未熟な経験では、これしか導きだせない。桃子さんは——)


 「——私、やっぱり天才だった!」

桃子は1ヶ月ぶりに会ったクラスメートと下校をしていた。

 桃子はフォーチュンに入隊した後、学校に呼ばれて、先生たちと失われた1ヶ月についての口裏合わせと学業の補償について話し合った。

 そうして決まったのが——

「それにしても、1か月間レムリア王国にいたなんて。アタシはよく知らないけど、あそこって結界を張って他国を近づけさせないようにしてるんだろ? よくもまあ生きて帰ってこれたな」

桃子の隣にいる、ボーイッシュな髪型をした女学生が呆れた顔をする。その手に持たれた鞄には、白色のペンでしゅうと書かれていた。

 結局、桃子は信じてもらえるかもらえないかは別として、この1ヶ月のことを洗いざらいクラスメートに全てをぶちまけることにした。

 クラスメートからの反応は当然ながら微妙なものだった。体力測定でシャトルランをする日に早退する人を見るような、怪訝な目で見られた。とはいうものの、桃子がフォーチュンに入隊したということもあり、本当であれ嘘であれ並々ならぬ事情があったことは察したのか、深く追求されることはなかった。

「まあね。ずっと逃げ回ってたし、最終的には負けちゃったみたいだけどね」

桃子はシュッシュッと言いながら、シャドーボクシングをする。桃子はレムリア王国で桜威に乗り込むまでは、拳ではなく、そこらの兵士から引っぺがしたレイピアを使って逃げたり動物の丸焼きを作ったりしていたので、ボクシングは一切関係ない。

「……じゃなくて! 私が天才っていう話だったでしょ今!」

「はいはい。そーでしたね」

 桃子がレムリア王国で逃げ回っていた1ヶ月の補償については、テストを受け、予習復習を毎日欠かさず行い、範囲が追い付くまで先生に合格を貰うというかたちで決着がついた。

 そして、桃子が久しく学校に来て初日に早速、全教科分のテストを受けさせられていた。そして、即日、結果が返ってきた。

 そもそも桃子は翌日に控えたテスト勉強のし過ぎが原因でトラックに轢かれ、レムリア王国まで飛んで行くハメにあったのだ。桃子が飛ばされた日がちょうどテスト当日だった。

 テキトーに返事をする柊に、桃子は頬を膨らませる。

「信じてないでしょ」

「まだ1か月間こもりきりでテスト勉強してたって言ったほうが信じられる」

「マジだって」

「——だって信じられるか? 全教科90点超えだぞ? 鬼電センセーの鬼科学まで?」

「本当だよ。なんかさぁ……頭の中で声が聞こえる、って言うのかな?」

「1ヶ月前の桃子はどこ行ったんだ。『テスト勉強やばー!』……って言ってたころの桃子は」

「これレムリア王国に飛ばされなきゃ絶対全教科満点取れたよねえ」

「図に乗りすぎだ!」

柊が桃子に左手で軽くチョップしようとしたのを、桃子は軽々と避ける。避けられた左手をちらっと見た柊は、続けざまに何度もチョップをしようとするが、あえなく桃子に避けられてしまう。肩を上下させる柊に対して、柊より激しい動きをした桃子は息一つ切らしていなかった。

「避けるな!」

「無意識に避けちゃうんだって」

「これじゃボケとツッコミが成り立たないだろーが!」

 実際、桃子は一撃食らえば即死に近い世界を過ごしたせいで、格闘の経験もなく素人同然のオーバーな回避しかできなかった桃子も、攻撃を避けるたびにその技術が無駄に洗練されてきてしまったのだ。

 二人は交差点の信号機に足止めを食らった。歩行者用信号機が赤く点灯する時間は、いつか通った時より長く感じた。

 一瞬だけ物憂げな表情をする柊だが、すぐに元の顔に切り替えた。赤色の信号は青色へと切り替わった。

 この交差点で、二人は別れる。家までの最寄りの道は、柊は真っすぐの道、桃子は右に曲がった先の道なのだ。

「じゃ、授業でわかんないところがあったら聞いてくれよ。これでも、ちゃんとノートだけは取ってるから」

「はぁーい。グッバイ柊!」

「はいよ。ハロー桃子」

桃子は右折の信号機が点滅しているので走ってその横断歩道を渡った。柊は、そんな桃子の後ろ姿を横目でぼんやりと見ていた。

 柊は、再び、物憂げな表情をする。しおれた花のように、その顔を俯ける。

「変わっちまったな、桃子……」

 柊はゆっくりと歩き始める。その身体を、一台のトラックが追い抜いていった。

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