桜威
トリムが指を鳴らし、エンダーを呼び寄せた頃。
桃子は避難所の人々をなだめるのに尽くしていた。だが、人々はおののくのを止めず、混乱は大きくなるばかりだった。鳴き声嘆き叫び声が避難所内に充満していた。
だが、桃子は恐怖を感じることもなく苛立ちの音が鳴ることもなく、意外にも冷静だった。
(あっちゃー。しばらく泣き止まないね。これは)
なぜなら、桃子は2度も死にかけているからだ。再び、死に直面しない限りはパニックに陥ることはないだろう。
ただし、死に直面した時には——桃子は二度も死ぬほどの痛みを味わっている。
避難所から鳴り響く絶望の協奏曲は、思わぬものを呼び起こしてしまう。
トリムたちを取り囲んでいた奈落獣のうち、最も小さな一匹が、避難所に
対してトリムたちは巨大奈落獣をどうしてしまうか考えていた頃だ。奈落獣が自分たちから離れていくことを喜びもすれば、その先に生身の人間たちがいるとは考えもしなかった。
奈落獣を呼び寄せた声は、奈落獣が避難所へ顔を潜り込ませたことで、本日最大の、花火のような悲鳴に変わっていった。
「トリム! 鬼電! そっちばっか見てないで!」
桃子も、恐怖自体は感じていなかったが、さすがに叫んだ。その声は、奈落獣の顔に栓をされ、トリムたちに届くことはなかった。
「お客様の中に、レイピアを持った方はいらっしゃる……わけないよね……」
「キャー!」
はあ。桃子は花火が割れる音のなか、小さく溜息をついた。さてこれからどうしようかと思案にふける。
(さすがに殴ってどうこうなる相手でもないし……)
いい案は浮かばなかった。一番、入り口側で奈落獣と対峙していた桃子は後ろを振り向いてみた。
人々は全てを絶望した顔をしていたり、いるかもしれない神様に救いを求めていたりと、多種多様だった。しかし、奈落獣と戦おうという無謀なガッツを持った人は誰一人としていなかった。
(うーん。一斉に攻撃してみるのはダメだなあ。生き残ろうと思ったら、私だけでなんとかするしかないみたい)
桃子も、少しずつ、奈落獣に食べられてレムリア王国に飛ばされるのかと思い込んできた。
(食べられるのって、どんな痛みなんだろう……?)
そう思った瞬間、桃子の全身に、ある種のスイッチが入った。奈落獣は口を開け、鉄と消化液の臭いが混じった息を吐いてきた。桃子の破れかぶれの服がパタパタと桃子の肌を叩く。
奈落獣を目の前にして、桃子はゆっくりと目を閉じる。自然に、桃子の両腕が前に出てきて、祈るように手を合わせた。桃子はゆっくりと屈む。
「人は命の喪失を恐れている」
「力を持たぬ者が弱肉強食の原理に抗うことは困難、それでも……」
「奈落獣の死を持ってして、私達の生を要求する!」
「次元を超えてこの声が届くのなら……」
桃子は開いた目に力を込める。
「——我が
一瞬だけ、桃子の体からピンク色の蒸気のようなものが放出された。
その場にいた全員は、トリムや鬼電を含めて、甲高い音が空の向こうで鳴っているのが聞こえた。大声を出していた人々も、喉が潰れたかのように、口を開けたまま静かになった。
臭い息を吐いていた奈落獣が突然、地面に埋まった。その上には、ピンク色のガーディアン——
桜威はピンク色を主体としたスマートなボディで、腰の部分はうっすらとくびれるように、柔らかい曲線を描いている。特徴的なのは、ピンク色の上に青色や黄色、黒色の斑点模様が浮かび上がっている、蝶の羽根のような装甲である。
「まさか、本当に飛んで来るとはね……!」
桜威は手を下ろし、桃子はそれに乗る。すると、桜威は桃子をコックピットまで運んだ。桃子がコックピットに座ると、ブゥーンと音を鳴らしてシステムが起動した。
生きているような動きを見せる桜威だが、もちろん生きているわけではない。しかし、桜威に乗っている時の桃子は、コックピットを通じずとも、まるで自分が桜威そのものになっているように、桜威の視界や痛みが桃子の体へダイレクトに伝わる。桃子は桜威に乗って初めて、ガーディアンと自分の体との一体感を感じるのだ。
桃子は早速、桜威の不調を感じた。というより、桃子の四肢に激痛が走った。
「やばい、せっかくカッコよく決めれたのに意識飛びそう」
桜威の手足は、半分ちぎれていた。レムリア王国での戦闘のダメージが残っているようだった。
唐突な謎の機体の出現に言葉を失うトリムと鬼電だったが、その女性的なフォルムを見て、暗黙に了解した。
「あの機体の損傷率……おそらく、70%くらいでス」
桜威の手足がちぎれかけているのは外から見ても明らかだった。
「やばい、せっかくカッコよく決めれたのに意識飛びそう」
桃子の声だった。桜威は何もやってないのに四つん這いになる。その姿は満身創痍そのものだった。
「何やってんだアイツ」
「絶対マイク切り忘れてるよ」
桜威は避難所に近寄っていた奈落獣を軽く蹴とばす。
「うーん。動くだけで痛い」
「桃子も
「色んな事情でね。話すと1ヶ月はかかるけど」
「とりあえず、僕たちは巨大奈落獣を叩くことにしたんだけど?」
「私は避難所に奈落獣を近づけさせないようにする!」
「よし決まりだ。桃子はできれば陽動を頼む!」
「了解!」
トリムの機体・エンダーは巨大奈落獣へ高速で接近する。
「一気に勝負を決めてやる!」
ブースターを激しく鳴らし、咆哮と共に攻撃をする。巨大奈落獣はエンダーに対して防御の姿勢をとるが、それはエンダーの残像だった。エンダーは後ろに回り込んで巨大奈落獣を全力で殴り飛ばす。岩のような堅い部分は巨大奈落獣の体から完全にはがれ落ちた。
「あと一撃で沈められそうでス!」
「あ、そうだ! もしかしたら……!」
桃子が突然、大声を上げるので、トリムたちは振り向いた。
「どうした?」
「私、もしかしたら遠距離攻撃で巨大なやつを仕留められる!」
「プラズミが攻撃するにはもう少し時間がかかるから、できたらここで決めてくれたほうがありがたいなあ」
「よっし! 任せといて!」
桃子は深呼吸して、息を整える。
「我が血肉を贄に捧げ、天と地と海を分けよ! フォトン・シューター!」
桜威は弓を構えるポーズを取った。しかし何も起こらなかった。
「……あれ?」
フォトン・シューター! ビシッと構えるも、何の変化もなかった。桃子の頬がじっくりピンク色に染まっていく。
「諦めよう」
「ハイ」
桜威はレイピアをわなわなと構えた。その腕は少し震えている。
「よくも……私に恥をかかせてくれたね……!」
「自業自得でス」
桜威は敗戦でのダメージにより、桃子がレムリア王国にいた頃に使えた装備の一部が使用不能になっているのだが、巻き込まれて強制的に我流で戦わされていた桃子には知る由もなかった。
「そうでもあるけどぉぉぉ!」
桜威は奈落獣に背負い投げを決め、無防備になった奈落獣の腹部にレイピアを突き刺した。奈落獣は抵抗する間もなく消滅した。
「お前。気をつけろよ……いろいろ」
トリムは頭を掻いた。
登場してからずっと騒ぎっぱなしの桃子は、当然ながら、不可抗力的に奈落獣の注意を引き付けてしまった。
「うわ……めっちゃ見られてる」
桃子は奈落獣の突進を華麗な身の捌きで次々とかわしていく。
「ほう。なかなか、やるじゃねえか」
「僕の方が上手だけどね」
「避けないと死ぬんだもん!」
「頑張ってくだサイ」
プラズミは桜威にギコギコと手を降った。桜威は手の人指し指をプラズミに強く二度振りながら向けた。ああ、と言って、鬼電は巨大奈落獣にロックを合わせる。
「僕の番だね。サンダーボルトの準備はできてる?」
「もちろんでス」
「よし。発射!」
プラズミから放たれた雷撃は、盾を失った巨大奈落獣へ直撃した。そのまま、爆発を巻き起こした。
煙が晴れると、巨大奈落獣は粉となり、消えていった。それを見た奈落獣も、我よ我よと退却していった。
戦いは終わった。かのように思われた。
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