心外
そこに立っていたのは。
尾田だった。
「…尾田?」
呟いた連城を、尾田は無表情で見る。
そこから視線は、ついに膝をついた木森。
そして尾田の足元に転がる金属バットへ。
「ちょうどよかった。」
なんで尾田がいるのかわからないが。
他の誰かが、しかも友達の尾田が来てくれたことに安心して、身体に入っていた力が抜ける。
連城はホッとして笑った。
「尾田。今、隣のマンションに俺の親が居るから、すぐに呼んできてくれ。あと、警察も。事情は後で説明する。さあ、早く……。」
「僕に命令するな。」
空気が張りつめる。
あの、いつも気弱な尾田の。
冷たい視線が連城に突き刺さる。
その声は、普段の甲高い声からは想像できないほど。
低く、暗いものだった。
呆然とする連城を睨み付ける尾田の顔は。
連城が見たことのないような、憎悪に満ちた表情だった。
足元に転がる金属バットを尾田は拾いあげる。
そしてゆっくりと、連城のほうに歩いてくる。
「あーあ、まったく……台無しだよ。」
尾田は金属バットを振り上げて。
しゃがんでいた木森の頭に、勢いよく叩きつけた。
「がぁあぁっ!」
苦しげな声を上げた木森は、頭を抱えて倒れこむ。
そんな木森に尾田は何度もバットを降り下ろす。
「この役立たず。まったく使えないな。」
金属音と木森の呻き声が響く。
状況が理解できない連城は、ただただ、その場に立っていることしかできなかった。
だんだん動かなくなっていく木森に。
僕は内心、興奮していた。
バットを伝ってくる衝撃が愛おしい。
ああ、いつかこいつの頭を。
こうやって殴ってやりたかったんだ。
人から構われることもない弱者のくせに。
まるで僕が弱いかのように扱いやがって。
汚い、汚い、血が流れる。
バットの縁は既にデコボコになっている。
あいつら四人だってそうだ。
まるで僕が何も出来ないみたいに。
群れることでしか自分を維持できない弱者のくせに。
そして何より。
誰よりも。
連城。
僕はお前が憎い。
何が。
「尾田は俺が守る」だ。
何が。
「困ったことがあれば俺がなんとかしてやる」だ。
何が。
「これからもずっと一緒にいようぜ」だ。
僕はお前なんかいなくてもやっていける。
お前が僕を弱虫みたいに扱うから。
他の奴らが僕を弱者のように扱うんだ。
僕は弱者じゃない。
僕は弱くない。
僕は弱くない。
弱くない。弱くない。弱くない。弱くない。弱くない。
木森の頭から血が流れだす。
いつの間にか木森は倒れたまま動かなくなっていた。
呻き声が、次第に小さくなっていく。
友達のはずの尾田が恐ろしく感じた。
嘘であってほしいと願う。
信じられない。
信じたくない。
上手く呼吸ができなくなって、噎せる。
臭気が鼻をつく。
……待てよ、これは何の臭いだ?
血の臭いではない。
ガスでもない。
これは……。
連城は顔を上げる。
臭いは玄関の廊下のほうからだ。
なんで気がつかなかった。
光景にばかり気を取られていた。
連城は背後を振り返る。
このアパートは、木造。
壁、ふすま、ああ、ふすまは紙だ。
まずい。
もし、尾田が……。
ゴッ、と鈍い音がした。
連城は衝撃で膝から崩れ落ちる。
「余所見するとか……本当に僕のこと軽く見てるんだね。腹が立つ。」
倒れた連城の頭上で。
バットを降り下ろした尾田は憎々しげに、呟いた。
連城は一発殴っただけで床に倒れた。
僕は廊下に置いてきた灯油を持ち上げる。
逃げ道を塞ぐよう、廊下にはしっかりこぼしてきた。
同じように、居間の窓の前にもしっかりと流す。
倒れる二人の周囲を、灯油を流しながら、ぐるぐると回る。
さて……。
まずは木森だ。
コイツが実行犯なのは紛れもない事実だ。
コイツが口にしなければ、計画した僕の存在が露見することはない。
まあ、コイツは計画したのが僕とは知らないわけだが。
匿名の紙切れ1つでここまで動くとは。
なんてバカなんだろう。
ああ、その点については、僕も何も言えないか。
木森の身体全体に、灯油をかける。
あ、しまった。
勢いあまって、残った全ての灯油を使ってしまった。
連城にかける分がない。
連城は、いまだに状況がわかってないが、僕の関与を知っている。
人を疑えない、疑うことすら知らない、どうしようもないバカだが。
この状況を見てしまえば、きっと僕を……。
床にうつ伏せに倒れる連城をチラリと見て、それから周囲を見回す。
逃げ道となるようなところには、全部灯油を撒いている。
それに、先程くわえた一撃には、僕自身の、可能な限りの力を込めたはずだ。
起きる頃には、周囲は火の海だろう。
頭部にあれほどの打撃を食らえば、まともに逃げることも、まともな判断も、きっと困難なはずだ。
まあ、とにかく。
この二人が死ねば、それで完成だ。
本当は、最初は。
五十嵐さんも殺す予定だったんだけれども。
というか、最初は。
操り人形が木森で、標的は、あの四人と五十嵐さんのはずだったけれども。
けれど、僕は、それをやめた。
口汚く人に当たる五十嵐さんも、前から嫌いだったけれど。
ヘラヘラしながら僕より優位に立とうとする、連城のほうがよっぽど憎い。
この方法だと、僕も巻き込まれるかもしれないと思ったけれど。
連城の家は予想以上に簡単な作りだ。
急いで玄関を出れば、間に合う。
そして、それで終わりだ。
ここは連城の家なのだから、疑われるのは恐らく、木森。
連城は正当防衛か……。
それはそれで少し癪だけれども。
木森の、灯油に濡れた背中に、火を点けたマッチを落とす。
聞こえた呻き声は無視して。
僕は玄関に向かった。
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