第3話


「よっ……とこれでいいか?」

 

 最後の薬瓶を洗い終わり、乾燥台の上に乗せたレイルスは周りを確かめるように見渡す。

 レイルスの目に映ったのは、来たときとは比べものにならないほどに綺麗になった工房内だった。

 

 さすがに、ひび割れた壁はこの短時間では直すことは出来なかったが、積もった埃と汚れが殆ど無くなっただけでも十分といえるだろう。


「井戸がダメになってなくて助かった。アレすらダメだったら本当に絶望しか無かった……」

 

 レイルスの言う井戸は工房の横手にある小屋の中にある。

 

 魔導工房はその特性上、水を大量に使うため井戸を併設している場合が多い。

 

 このクレメールにも備え付けの井戸が一つあった。

 工房がこの有様では井戸もダメではないだろうか、とレイルスは考えていたのだが、何故か奇跡的に井戸は無事であった。

 

 雨風がしのげるように、小屋で囲ったのが功を奏していたらしい。


 いや、厳密には無事とは言い難かったが、まだ使える程度には大丈夫であった。井戸に取り付けられたポンプが水をすくい上げるたびにぐらついて、軋むような嫌な音を立てていた程度、些細なことなのだ。


「でも、これだけやってもどうしようもないんだよなあ……」

 

 片付けが終わりマシになっただけで、問題は何一つ解決していない。

むしろ、本題はここからだと言っていいだろう。


 レイルスは掃除の時にある程度は確認したが、見落としがないか、使用できるのではないだろうか、と若干の願望を含ませつつ、もう一度、魔導工房内の設備を調べていた。


 願い程度でどうにかなるなら、そもそもこんな状況にはなっていない。

 結局レイルスが下した判断は使い物にならない、という先ほどと同様の結果だった。


「はあ、とりあえず、出来そうなのは《古式》の方か……。やっぱり《近代》の方は設備が完全に駄目になっているな……」


 《古式》というのは《古式錬金術》と呼ばれる調合釜もしくは調合ツボを使った錬金術の事である。

 一般的に《錬金術》として認識されているのはこちらの方だろうか。


《古式》は主に薬品や調合のための道具や材料を《錬成》するのに使われる。

 

 一方で《近代》――《近代錬金術》は遺跡からの出土品である《機械》と呼ばれる道具に対する理解が《古式錬金術》では追いつかない、として生み出された比較的新しい錬金術だ。

 

 だから《古式》では使われていない加工台や炉、溶接機などの特殊な道具が密接に関わってくる。

 

 魔導工房は《古式》、《近代》両方の錬金術を組み合わせることでその真価を発揮する。

 ただの魔道具ではなく、《魔導器マテリアメント》と呼ばれる特殊な道具を生み出すのにはどちらか片方だけではなく、どちらも必要になってくるのだ。


「《近代》が使えないとなると、このままじゃどうやっても無理だな……」

 

 起動する気配が微塵もない、バラバラの魔導人形を遠い目で見つめる。

 

 レイルスのこの言葉から分かるとおり、魔導人形は特殊な合金や動力を必要としており、《古式錬金術》と《近代錬金術》によって生まれた《魔導器》と呼ばれるものの一種。

 広義では《機械》の一種ともされている。

 

 つまり、《古式錬金術》の設備しか使えない今の状況では、レイルスの能力に関わらず絶対にこの魔導人形を修復することは不可能ということだ。


「まずは《古式》から始めて行くしかないな、先は長そうだ」

 

 掃除も終わり一歩前進したはずなのに見えるゴールがあまりにも遠く、ただただ疲れたように肩を落とすレイルスだった。




「やっぱり枯れてるか……」

 

 目の前の惨状を見たレイルスがポツリと呟く。

 レイルスが今いるのは工房の裏手にある庭のような所だ。その広さは工房の約の二倍以上とかなり広い。

 

 魔導人形である彼女の日記を見て、多分そうなっているだろう、とレイルス自身なんとなく思ってはいたが、工房の裏手にある畑は見事に全滅していた。

 

 本来ここで育てられている草や花は、ほとんどが《古代錬金術》の中で材料になるためのものだ。


 その中には《古代錬金術》の中でも一番重要と言っても過言ではない四元素を司る四色の基礎薬――《錬金水》の材料も含まれていた。


 他の材料をいくら用意しようとも、この《錬金水》がなければ《古代錬金術》ではほぼ何も作れないのと同義である。

 

 先ほどレイルスが掃除したときに見た薬棚は全滅だ。素材生成に必要な薬品どころか各色の《錬金水》すら残っていない。

 このままではレイルスが求める《近代錬金術》をするための素材どころか、《古式錬金術》さえも出来ない。


「こうなると採取からか……近場に生えているところあったけかなあ?」

 

 畑で素材が取れないならば、欲しい材料が生えている場所まで行くしかない。しかしながら、レイルスはこの近辺の採取場所が出てこなかった。

 

 王都以外の……少し前までいた帝都や皇都周辺の採取場所なら〝完璧〟といっていいほどの自信があるのに、この街近辺の採取場所が全く出てこない。

 今日この街に帰ってきたことを鑑みれば、無理も無いがこのままでは八方ふさがりになってしまう。

 

 師匠に教わったはずだ……と、レイルスは当時の記憶を思い起こそうと必死に首を捻る。


 だが、出てきたのは『うん? あー素材? 裏手に大体揃えてあるから必要ない、必要ない。本当に必要なものは頼めばいいし』という何の役にも立たない記憶だけだった。


「まてよ、たしか採取地をメモしてある本があったような……」


『まあ、どうしても自分で取りに行くなら、私が分かる範囲で採取物を記録したのがあるから後ででも見てみればいい。さあ、そんなことよりも今日の――……』

 

 結局、自分で素材を取りに行くようなこともなかったので、当時は見ないままだったが、まさかこういうときに必要になるとは思ってもみなかった。

 

 師匠であるヴァネッサのいい加減さは理解しているつもりだったが、まさか工房がボロボロだとは流石のレイルスも予想していない。

 

 ところで、あの本は、背表紙が何色だっただろうか。


 さらに、記憶を呼び起こそうとレイルスは頭を捻るが、重要な部分であるその色については思い出せなかった。

 

 仕方がないので微かに呼び起こされた記憶のみを頼りに、工房内へと戻ったレイルスは本棚から目当ての本を探そうと次々に本を取り出していく――

と、


「あった!」

 

 探し始めてから数刻、レイルスは目的の本を手にしていた。

 

 早速! とばかりに勢いよく本を開いてく。


「《錬金水》に必要な素材の在処は……」

 

 四色ある《錬金水》の色は《青》《緑》《赤》《黄》の四種類で、それぞれ四元素の《水》《風》《火》《土》と対応している。

 

 《錬金水》は錬金〝水〟と〝水〟がつくことから分かる通り、水と何かを混ぜて生み出される。

 

 その材料は草から魔物の素材、鉱石までと四元素を含むものならば何でもいい、というある種のいい加減さを含んでいる。ある意味でこのいい加減さも錬金術らしさだ。

 

 《錬金水》を作るのに最も手近なのは、四元素を色濃く含んだ植物だろうか。 《古式錬金術》の基礎の基礎であるその植物にはレイルスもよくお世話になっていた。


「ここなら、半日も掛からないで帰ってこれそうだな」

 

 レイルスが見つけた本に書かれてあった採取場所はこの街からほど近い所にある《アーレンの森》という場所。幸いなことにここで《錬金水》の材料は全て揃うようだ。

 

 ただ、森の面積はそこそこ広く、群生地がそれぞれ離れているので結構歩くはめにはなりそうだった。


「とはいえ……」

 

 今から行くのはちょっと厳しいかな、とレイルスは本を閉じて窓の外の空を見上げる。

 レイルスの目に映る空は澄んだ青ではなく、夕焼けが混じり始め、水色がかった空であった。

 

 この時間から出かければ帰ってくる頃には完全に夜になっていることだろう。

 今の工房内には灯りの元となる油すらないのだ。街外れでもあることも考えれば、暗闇で過ごすには些か不安がある。


 それに《錬金水》を作ったとしても、魔導人形である彼女がすぐに動くわけでもなし、無理をする必要性は感じられなかった。


「お腹も空いてきたし、街に買い出しに行くのが優先だな……」

 

 街に着いてから一食も食べずに掃除と本を探したせいか、レイルスのお腹が『ぎゅぐるるるる』とモンスターの唸り声のような大きな音を立てる。


 誰も聞いていないはずなのだが、妙な気恥ずかしさにレイルスはお腹をさすりながら、これからの予定を考える。


 この状況では今日は工房内で寝泊まりするための油や今日の食事――今の時間からならば夕ご飯の材料を買いに行くのが正しい選択だろう。


「でも、今から自分で作るのは面倒くさいなあ……」

 

 レイルスは一人で旅をすることも出来るので料理くらい普通に作れる。もっとも、野営時に食べるのは簡素なものだが……。

 しかし、今は予定外のことが重なって、心労も溜まっている。 必要な事なのは理解出来るが、正直面倒くさい、というのがレイルスの本心だった。


「そういえば、ティーダの家は料理屋だったな」

 

 さてどうするべきか、と悩むレイルスだったが、ふと、自分の幼なじみである金髪の少年が料理屋の息子であることを思い出した

 

 先ほど出会ったグランツが『みんなに知らせておくぜ』と言っていたからには彼も自分の帰還については知っていることだろう。

 

 ならば、久々の会話ついでに少し早めの夕ご飯を食べに行こうかな、と考えたレイルスは工房を後にするのだった。


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レイルス魔導工房の軌跡 海星めりい @raiki

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