第2話
「はぁ、はぁ、はぁ。こんなことしても意味無い……か」
未だ薄暗い工房内で、息を切らしているのはレイルスだ。
あれから、思いつく限りの罵詈雑言を師匠であるヴァネッサにたいして叫んでいたが、本人がいないのであれば意味は無い。それでも、そこまでしないと気が済まなかった気持ちは理解できるだろう。
ヴァネッサに旅に出され、六年経ってようやく帰ってきた結果がこれなのだ。レイルスの反応はある意味、当然のものといえる。
「しかし、どうしたもんか。何かもっと状況を確認できる物があれば良いんだけど……」
レイルスは頬を困ったようにポリポリと指でかく。
とりあえず、工房がどうしてこうなったのか分からなければ、僅かな指針すら決められない。
今、手に持っているヴァネッサの手紙以外に、工房の経緯を確認出来るものが存在しないのか探すことに決め、その場に背負っている武器や鎧を置く。
一階部分は全て工房とはいえ、家の中でいつまでも着ていたのでは邪魔でしょうがない。
多少の埃がつくことは気にしない。レイルスとしては動きやすくする方が大事だった。
最悪、払えば良いと考えて。
「まずは明かりだな、といっても油も切れているな、ついでに他のも……ないと」
レイルスは記憶を頼りに、部屋のランプをともすための燃料が保管されている油壺をのぞき込むが、空であった。近くの引き出しを開け、ろうそくなど使えそうなものがないか探すがそちらも無い。
「夜までに街に行って買ってくるしかないか……今はとりあえず窓を開けて対処しよう」
明かりを探すのを諦めたレイルスは、近くの窓へと歩いて行く。
閉じていた窓を開けて、部屋に太陽光を入れようとすると、レイルスは開けた衝撃で散った窓枠に溜まっていた埃を吸い込んでしまった。
「うぇほっ、えほっ、えほっ! しまった、掃除が先立ったかな……それにしてもやっぱり酷い」
薄暗かった工房内が入り込む太陽光で照らされた。それを見たレイルスは思わず顔をしかめてしまった。
レイルスとしては先ほど薄暗い状態で見渡したときに、ある程度理解していたつもりだったが、まだ見通しが甘かったようだ。
棚には明らかに沈殿したり、濁った色合いへと変化したりしている薬剤が、所狭しと並べられており、作業台に使われている加工用の切断機は刃の一部が錆びたままだ。それ以外にも、床や壁にひびのような怪しい部分も見受けられる。
一目見て分かる範囲だけでこの有様だった。
「全部、一度確かめないとダメだな、でも今は後回しだ」
ざっと、見ただけだが状況を教えてくれそうなものは残っていなかった。
『彼女から、聞いてくれ』と手紙にあったからにはヴァネッサはそれ以外に試験内容など本当に残していないだろう。その事をレイルスはよく理解していた。
つまり試験内容を唯一知り、ヴァネッサがこの工房を任せた存在である彼女を直すことが、今レイルスが知りたいことを知る一番の近道だろうか。
「設計図でもあれば良いんだけど、あるかな」
レイルスはヴァネッサが薬品や魔導具のレシピを書いていた本棚を調べる。
レイルスも魔導人形について知識が無いわけでは無い。
だが、修理出来る程かと言われれば、そこまでの自信など無かった。
当たり前だ。そんなことが出来れば見習いの文字はとっくにとれている。
「ん? なんだこれ?」
レイルスが手に取ったのは他の本と違いまだ多少新しいものだった。さらに他の本に比べて明らかに分厚い。大体二倍から三倍ほど厚いだろうか。
「タイトルは……書いてないな」
レイルスは訝しげに本を回転させながら、背表紙、両面と見ていくが特に何も書かれていなかった。
だが、この本の感じから考えると自分が出てから書かれたものであることは間違いなかった。であるならば、自然と想像はつくだろう。
「これが、彼女の設計図かなんかだとありがたいんだが……」
そう呟いたレイルスは近くの椅子に腰掛け、この分厚い本を読み始めた。
○月 ×日
マスターが旅に出た。
お客はあまり来ないからキミでも大丈夫だ! と言っていたが私に上手く出来るだろうか。
一年前に旅に出たというマスターの弟子も、いつか帰ってくるらしいから、そこまでで良いとのことだ。
頑張ろう。
マスターに言われたこともあるが、自身の成長のためにも毎日決まった時間に書くことにする。
「日記か?」
どうにも魔導人形である彼女のもののようだ。
予想したものとは違ったし、多少悪い、と思わなくもないが、今自分に必要なのは情報だ。レイルスは気にしないことにして読み進める。
△月 □日
今日は、お客様が来た。買っていったのはマスターが作って保管して置いた錠剤だ。
マスター以外の人と話すのは初めてだったが、上手く出来ただろうか?
笑顔で帰っていったということはおそらく問題ないと思うのだが。
また、お客様が来たときのことを考えて、掃除はしっかりしておこう。
×月 ○日
マスターが出て行ってそろそろ一年経つ。
お客様もあまり来なくなってしまった。
私では簡単なレシピぐらいしか作れないが、これでいいのだろうか。
掃除は続けている。
それとマスターが残していった予備のエネルギーパックに初めて手をつけてしまった。
▽月 +日
今日も掃除をして帰宅を待つ。
お客様も来なかった、とりあえず裏の庭園の手入れでもしておこう。
*月 -日
稼働するためのエネルギーが減ってきた。
再度エネルギーパックに手をつける。
戦闘行為をしていないため、まだまだ大丈夫だがいつまで持つだろうか。
少し不安だ。
最近、家の中に風が入ってきている気がする。
応急処置をしておいた。
○月 ×日
話し相手もお客様も一向に訪れず、暇になってしまった。
暇? これが暇というものか。
たまには空を見るのも悪くない。
抜けるような青さだった。
□月 ○日
マスターが出て行って大体二年経つ。
身体の動きが悪くなってきた。
自分で修理出来るところはしているが、どこまで持つだろうか。
闇が……見える。
マスター、まだですか。
☆月 △日
とうとう、マスターが残したエネルギーパックが無くなってしまった。
マスターでも弟子でもどちらでもいいから帰ってこないだろうか。
というか、弟子など存在しているのだろうか。
△月 +日
マスターが出て行って三年?
弟子とはいない存在をさす言葉だったのだろうか。
一向にこの工房を訪れる気配がない。
客が来ていた事すら嘘だったのではないか。
いや、私のメモリーには残っている。
ああ、思い出すだけでエネルギーが無駄に減っていく。
節約しなければ。
☆月 ×日
ついに、消費エネルギーを抑える方法が分かった。
簡単な事だったのだ。
動かなければ良い。
だがそれでは、私がいる意味が無い。
掃除はしておかなければ。
ああ、帰ってこない。
□月 △日
私は何でこれを書いているのだろうか。
ああ、あれだ、成長のためだ。
成長とはなんだ?
この胸に残る気持ちの悪いもののことか?
エネルギーはもってあと七日……、それまでには帰ってこない?
○月 ×日
帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない帰ってこない――……
バタン――!
音が鳴るほど強く日記を閉じる。これ以上は見てはいけないものだ。
レイルスの旅をしてきた経験が警鐘を鳴らす。高位のモンスターとやり合ったときと遜色ない感覚を受けた。現にレイルスは両腕には鳥肌が立っている。
「師匠……アンタどういう風に彼女を造ったんだよ……」
何をどうすればこんな魔導人形ができあがるのかレイルスには全く分からなかった。
しかも途中から、性格が変わっていったように伺えた。ただそれは、一人でいるうちにあんな風になった可能性もゼロではない。
深く考えるのは止めることにして、得られた情報を少しでも整理しておく。
少なくともレイルスが旅に出て一年ほどたってから、彼女は造られた。それから三年ほど魔導人形である彼女にこの工房を任せていたということのようだ。
それだけでもマシになったとはいえる。だが、まだ根本的なものは解決していない。
それから、もう少し詳しく探してみたが、やはり設計図は残っていなかった。
とりあえずいつまでも床に放置して置くわけにもいかないので、彼女のパーツ全てを拾って作業台へと並べていく。
作業台に並べられた彼女の身体は、頭(首を含む)、胴体、右腕、左腕、右足、左足の六パーツだ。
魔導人形は一般的に
球体間接を用いることで可動域を広げ、各種パーツを分離させやすくことで修理をしやすくしているのだ。
そして、接続にはエネルギーを用いている。このため機能を停止した彼女はパーツ単位に分かれていたのだろう。
胴体部には魔力を蓄積し変換するための
レイルスとしてはただ、あの日記を思い出すと本当に直していいのか、とも思ってしまう。
「なるほど、基本的な仕組みではあるみたいだけど、どうかな? 俺に直せるだろうか」
レイルスが軽く彼女について調べてみたところ、基本的な部分は遺跡から出土した魔導人形――オーパーツと分類される特殊な魔導人形――を簡素化した造りになっているようだった。
彼女のエネルギーは普通に考えて魔力だろう。レイルスとマスターであるヴァネッサを待っていたように日記に書かれてあったのは、使用者登録されている魔力でしかエネルギーを補給出来ないからだ。
一応、ヴァネッサもそのことは考えていたのか錬金術で生み出した魔力結晶か何かを充填器として置いていたのだろう。
それならば、本人がいなくても問題ない。本人が産みだしたものではあるのだから。
今、この場には無いようだが、日記にエネルギーパックと書かれている事から間違いない。
あとは、柔軟な思考は出来ても命令に逆らうことは基本的に出来なかった彼女は、ヴァネッサが工房の管理を宜しくと言ったせいで、工房の周辺しか行動出来なかったからだと思われた。
ただ、外皮の素材や内部の、人間で言うところの骨となっている金属フレームの素材は詳しく調べないと分からなかった。
師匠が戻ってきていないこととか、現在街でこの工房の扱いがどうなっているかなど気になることはあるものの、ひとまずそれは後回しだ。
「となると、結局彼女の修理をしなきゃいけないと……」
どのみち工房の道具を直した上で、魔導人形用の材料も手に入らなければ何も出来ない。
「でも、まずは掃除からか……」
何が悲しくて魔導技師を目指すための試験を受けに帰ってきて、最初にする行動が掃除なのか。
しかも、本来であれば、魔導人形の彼女から試験内容を聞くのはスタートラインであるはずなのだ。それなのにレイルスに対するこの仕打ち、あんまりである。
先がまだまだ長い事を考えると、憂鬱な気分になりそうになるが、今はとにかく日が暮れる前には終わらせる。そうでもしないと、泊まることも出来ない。
レイルスはそう自分に言い聞かせ、掃除道具を持ち出して掃除を始めた。
少しぼろいが道具の方はしまってあったためか、それともエネルギー切れになる前の彼女が、手入れしておいたからなのかは分からないが、なんとか使えそうだった。
「でも、やっぱり面倒くさいな……」
掃除し始めて、〝家〟兼〝工房〟であるこの建物の広さを改めて知ったレイルスは、疲れたようにため息をはくのだった。
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