第29話 条約契約2

「ひ、姫様!」


 悪魔がその声を聞いて、ひざを折ってかしこまる。

 そう、悪魔との契約に翻弄されていた俺のもとに現れたのは、アンデッドの姫君。ゴシカ・ロイヤルだった。


「あなた……グルームに無理やり、何してるの? また何か勝手に契約してるでしょ! ねえそうでしょ!」

「そ、それはですな姫様あ! 姫様のためを思っての契約でしてえ! そちらの三つのしもべに頼まれていたことを、もののついでに行ったのでございますがあ!」

「そうですぞ姫様、これは話を有利に進めるための策略、いわば政治的判断と言うものでして」

「デスポセイドンの言うとおりニャ。多くのものの上に立つ立場としては、時としてこう言った強引な策も必要なのニャ」

「それで、契約はうまく進んだザマスか」

「はい、とどこおりなくぅ! もう少しで、姫様の願いが確実に果たされると言う契約も、結ばれるところですぞお! 姫様、お喜びくださいませえ!」

「……煩い。下がれ……」

「ひっ……!?」


 俺に無理やり契約を結ばせていた悪魔と、ゴシカの三つのしもべたちは、彼女の一喝で押し黙った。

 その声には、俺だってぞっとした。殺気、覇気、怒気、そういったものがふんだんに込められた、実に恐ろしい声だったからだ。


「……もー! なんでそういうことするのー! バカー! 本当にバカー!」

「うわっ、そのっ、姫様っ」

「もうあっち行って! バカじゃないのこのバカー!」


 今度は突然、子供のような口調になって、連中をとがめだすゴシカ。


「あんたたちもバカー! 三バカのしもべー! 悪魔も全員あわせて四バカー!」

「うわっ何するザマス!」

「我らを投げつけないで欲しいニャ姫様」

「我らは姫様のお供でございますので、おそばを離れるわけには……」

「うるさいのー! もー!」


 悪魔はさきほどレパルドにやり込められた時のように、その体躯を申し訳なさそうに丸めている。

 ぽいぽいと投げつけられた三つのしもべが、悪魔の背中に当たっては、跳ね返った。


「あっち行きなさい! 反省し終わるまで百年でも二百年でも帰ってきちゃダメ!」

「そんなー姫様ー」

「うーるーさーい! 口答えすると、この世からもあの世からもその存在を消すよ!?」

「す、すみませぬ……反省してきますー!」


 ゴシカの恫喝に追い立てられ、ほうほうのていで逃げ出すしもべたち。

 なにげにだいぶ恐ろしいことを言っていた気もするが、とりあえずそんなことはどうでも良かった。

 なによりも、自分の身が解放されたことの方が、俺にとっては重要だったからだ。


「ねえ大丈夫? ごめんね、あたしの下僕たちが……おかしなことして……」


 喉や胸や腹の痛みを引きずったままの俺のもとに、ゴシカが駆け寄り、心配の声をかける。


「いやもう、ずいぶんヒドイ目にあったよ……。ゴシカのおかげで助かったけどさ。ううう、口の中気持ち悪い」

「あたしがうっかりしたせいで、こんなことになるなんて……ホントにごめんね。荷物持ちに悪魔なんか召喚しなきゃ良かった」

「荷物持ち?」

「うん、あたしとエ・メスだけだと、酒場までの往復に時間かかるから」

「え。あの悪魔ってひょっとして、テーブル運ぶために召喚されたのか?」

「そうだよ。人手が足りなかったから、力持ちの下僕が必要だと思って。普通のアンデッドが重たいテーブル持ったら、折れたり潰れたりしちゃうし」

「アンデッドって割りと腐ってるもんな……。それにしても、そんな引越屋みたいな用件で召喚される悪魔って言うのもすごいな」

「基本的に悪魔の召喚は命と引き換えなんだけど、あたし死んでるからね。定額制でひと月に何回でも呼べるんだ」

「そんな制度なのか悪魔召喚って」

「でも、よく考えたら屋内ドームには悪魔もアンデッドも入れないんだよね。それを忘れちゃってて……ああー、失敗したなー」

「そうなんだよ。なんか不可侵条約がどうとかで、あの悪魔がレパルドに追い返されてさ。その腹いせと言うか代わりと言うかで、俺をとっ捕まえて、変な契約を結ばせたみたいで……」

「やっぱり? うう……レパルド怒ってるかなあ。変な争いごとの種、増やしちゃったかなあ」


 レパルドの話を聞いてゴシカは狼狽しているが、俺にはそれよりも重要な事がある。

 さっきの契約のことだ。


「あのさあ、考え込んでいるところに悪いんだけど。俺が結ばされた契約って、ゴシカの力でこう、なんとかナシに出来るよね?」

「契約の破棄ね? うん、それは無理だよ?」

「ああ、なら良かった。じゃあその調子でちょちょいっとナシにしてもらって……えっ!? 無理なの?! 今、無理って言った?」

「うん、あたしにはどうにもならないよ。無理」

「え、でも、あの悪魔ってゴシカが召喚した下僕なんでしょ? ゴシカの権力で、なんとかなったりしないの? じょ、女王さまなわけだし?」

「悪魔はあたしが召喚したけど、悪魔の契約って魔界の法に縛られた絶対的なものだから、あたしにはどうにも出来ないんだー」

「えええええー! じゃ、じゃあすげー困るじゃん! うおお俺、ど、ど、どうしたらいいんだ!?」

「ごめんねー……」

「なんかニュルニュルした悪魔の文字飲んじゃったよお!」

「あ、契約の途中であたしが割り込んだから、最後まで契約は出来てないはずだよ」

「えっ、そうなの? な、なーんだ、それを早く言ってよ! 焦っちゃったじゃないか! あはははは!」

「あはははは、ごめんごめん! えーっとね、契約書を見ると、最後に書き足された分は成立しないで破棄されてるね。その前のところまでは成立してるみたい!」


 安堵した俺に走る、一瞬の戦慄。


「……その前のところまでは成立? してるの?」

「うん!」

「具体的に、どの辺までが契約成立して、どの辺からが契約成立しなかった……のかな……?」

「えーっと、『グルーム・ルームはゴシカ・ロイヤルと結婚しない場合、この契約により最も酷たらしい死を迎えることになるであろう』っていう文章は、まだ契約されないで残ってるよ。だからこの文章の、前の部分までだね」

「ちょっとおお! じゃあ大変なことになってるのは変りないじゃん!!」

「ホント、ヒドイよ。なんでこういう事するのかなみんな……。でも契約が最後まで行われなくて良かった。こんな形で結ばれることになるなんて、あたし嫌だもの」

「って言ってもその前の文は飲み込んじゃってるから、俺としてはとにかくすげー大問題なんですけど、どうすればいいんだこれ!」

「ここの前の文には、どんなことが書いてあったの?」

「『花嫁候補の誰かと五日後には結婚しないといけない』……って内容だったと思うよ? あの悪魔がそう言ってたから」

「なーんだ、それだったら別に契約とか関係なく、今までといっしょじゃない! 良かったー、なら安心だー」

「あ……そ、そうか、そうだね。それなら気にしなくていいねー」

「もー、グルームったら焦りすぎなんだからー! どんなヒドイ契約交わしたのかと思って、あたしまで焦っちゃったよ」

「はははは、ゴメンゴメン……ははは……」


 俺は引きつった笑いを浮かべた。

 確かにゴシカからすれば状況は変わっていない。そうかもしれない。

 しかし、隙を見てこの無茶苦茶な結婚騒動から逃げ出そうと思っていた俺からすると、悪魔の契約と言う強制力が働くことになったのは、とても大きな枷だ。

 『最も酷たらしい死を迎える』って言う部分は契約されてなかったみたいだから、まだマシなのかもしれないけど……。

 仮に今、ここから逃げ出そうとすると、俺は一体どんな目にあわされるんだろうか……。

 先程飲み込まされた、虫のようにうごめく文字たちが、腹の中でもぞもぞと這いずっているような気がしはじめた。

 正直泣き出したい気分だ。

 だが、そんな俺の気持ちをよそに、ゴシカは元気に話しかけてくる。

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