第30話 気になって

「ねえねえ! そういえばさ、聞いてよー!」

「……え? 何?」


 そんな満面の笑みで話しかけられても、俺はそれに応えられるような晴れ晴れしい顔も返事も、出来ない心境だ。

 物理的になのか精神的になのか、キリキリと胃が痛む。

 俺は腹を押さえながら、気のない相槌を打ち、とりあえずゴシカの話を聞いていた。


「あのね、エ・メスと一緒に酒場にテーブル持って行ったんだよ。そうしたら板長さんがね、あなたのことすっごく感心してたよ!」

「へえ……そりゃ良かった」

「テーブルだなんてあんな役に立つモノ! 家具なんてさ! そうそう作れるものじゃないよね? ホントにすごいなー!」

「……そうは言うけど、ゴシカだって魔法とか使えばあれこれ作れるんじゃないの? 俺からすれば、魔法でいろんなこと出来る方がすごいよ」

「えー、でもあたしが魔法で作れるのは、髑髏の戦士とか、死体を集めて作った馬車とか、そういう普段の生活には役立たないのばっかりだもん」

「そ、そうか……。それはそれでこういう生活には役立ちそうな気がするけど、まあ確かに汎用性は……あまりないのかな」


 死体らしくもない、丸く大きな目を爛々と輝かせて、ゴシカは話を続ける。


「あたしに比べるとみんなはすごいよ。エ・メスなんかさ、家事は一通りできるし、力もあるからあたしよりも楽々テーブル運んでて。さっきだってこう、手の先を別の道具に切り替えて、さくさく木を切っちゃうし!」

「んー。確かに今回のテーブル作り、あの子にはだいぶ助けられた……なあ。エ・メスがいなかったら、あんな立派な物は作れなかっただろうし」

「それにレパルドが、すごい良い木を見つけてくれたってのも重要じゃない? 足りない材料があったら、新しい手頃な木とかも手配してくれたしさ!」

「それもそうかなー」

「レパルドもホントすごいよねー。研究熱心で勉強家! その上美人!」

「あいつの場合、性格に大きな問題があるけどな」

「えー、でもあの決断力はうらやましいよー! 何でもテキパキこなしちゃうし。あたしなんか、いっつもくよくよしてばかりだもん」


 レパルドやエ・メスについて語るゴシカの顔と声は、実に活き活きしていた。

 俺がこのダンジョンに来てから何度か目にすることになった、モンスター同士の確執なんかは、微塵も感じさせない。他の花嫁候補を心から褒めているように見える。

 なんでこの子は、こういう表情が出来るんだろう。


「あのね、エ・メスは自分では言わないけどね、グルームのために今日はすっごくがんばったんだと思う。いつもより無理してる感じがする」

「え? 何それ、どういうこと?」

「ほら、酒場のテーブル壊しちゃってしょげてたエ・メスをさ、あなたが助けてあげたわけでしょ? 新しいテーブルを作ろうって言ってさ!」

「それはその……結果的にはそんな感じになったけど」

「エ・メスはきっと、グルームの優しさがうれしかったんだと思うよ? 自分のミスをかばってくれて。だから、全力でお手伝いしたんだよ!」

「うーん、あの子はあんまり感情が表に出ないタイプだからなあ。全力だったって言われても、いまいちピンと来ないよ」

「倒れる木をつかんだ時の声、すごかったでしょ? エ・メスのあんな声、あたし今まで聞いたことなかったよ。フルパワー全・開! だよ!」

「あー、あの時は確かにすごかったな。手がミシミシ大木に食い込んでて。そうか、あれって……無理してたのかな」

「秘めた想いを口には出さないけど、がんばってお手伝いをする! かいがいしいよねー、エ・メスは。うん、いいお嫁さんだー」

「なんだかゴシカ、エ・メスの世話役みたいになってない??」

「エ・メスだけじゃないよ? レパルドの事だって推薦するよ? 自分の住処を守るために、強い態度と冷静な判断で動く、したたかな女性! 仲間たちからの人望も厚い!」

「いやその、そうじゃなくてさ」

「何? 何か間違ってる?」


 きょとんとした顔で見つめ返されて、こちらもきょとんとしてしまった。

 この子、一体何なんだ。


「間違ってるとかそういうことじゃなくて……ゴシカはなんでそんなに、エ・メスやレパルドを後押しするようなことを言うの? あの子たちはライバルみたいなもんなんじゃないの?」

「だってー、レパルドもエ・メスも、二人ともすごく素敵な子なんだよ! こんな素敵な二人からお嫁さんを選べるなんて、ニクイねこいつーう」


 おどけた様子で、俺の胸をひじで小突いてくるゴシカ。


「あなたも優しい人だし。あと五日の間に、レパルドやエ・メスもきっとあなたのことを気に入ってくれるよ! いいカップルになれるんじゃないかなあ?」

「え、でも、ゴシカは……? ゴシカも花嫁候補の一人なんじゃないの?」

「えへへ……あたしはなんて言うか、二人に比べてホントダメだよね。何か手伝っても足引っ張っちゃうし、悪魔を呼び出したらトラブルの種になっちゃうし……。うん、みんなを尊敬するよ!」


 自分のことを話し出したとき、ゴシカの顔に、一瞬暗い影が落ちそうになった。

 しかしその兆候は一瞬で消え去り、ゴシカは「みんなみたいになれるようにがんばる、おー!」と、腕を上げて元気よく宣言をしている。


 俺は、あの気持ち悪い契約書の文字を飲み込んだこと。

 悪魔の契約のことが頭を占めていて、気が気じゃなかったこと。

 腹がシクシクと痛んでいたこと。

 その全てがいつのまにか忘れ去られていたことに、ふと気づいた。

 あの不気味な感触が、何故こうも忘れられていたのかといえば、それはゴシカの話を聞いていたからだった。

 はじめは「今それどころじゃない」って気持ちで、しぶしぶ話を聞いていただけなのに。

 競い合うはずの花嫁候補のことを、楽しそうに褒めてばかりのこの子を見ていたら……自分の辛さを忘れてしまっていた。


 俺はゴシカに向かって、口を開いた。

 彼女に伝えたいことがあったのだ。


「ゴシカ、あのさ……」

「ん? なにー、グルーム?」

「姫様ぁああああああああああ!!」

「わ、わああああ!!」


 轟く声と恐ろしい形相で言葉を遮ったのは、さっき追い出された山羊頭の悪魔だった。驚きのあまり俺は、通路内に響き渡るような大声を発してしまう。


「な、なんだよお前!? さっきゴシカに、百年でも二百年でも反省終わるまで帰ってくるなって言われ……」


 その言葉の続きは、「ズズン」という大きな音と、その後に来る地響きにかき消された。

 俺たちの目の前で、巨躯の悪魔が倒れたのだ。


「……ちょっと、どうしたの?」


 深刻な表情で、ゴシカが近寄る。


「姫様ぁあ。逃げてくださいぃ……」


 すると今度は、倒れた悪魔の背後から、ひとでなしの叫びを上げつつアンデッドの群れが走り込んでくる。

 奴らは何かに恐れをなして、逃げ惑っているように見えた。

 倒れた悪魔を踏みしだいて、俺たちの横もすり抜けて、どこかダンジョンの奥へと去っていく。

 女王であるゴシカにぶつかることも厭わずに、だ。

 僅かな正気すら失うほどの、懸命な逃亡を行っているようだった。


「おい悪魔、なんだよこれは? なんかとんでもない事態なんじゃないのか、一体何があった?」

「お前、姫様を連れて、逃げろぉおお……」

「どういうことなの、説明して。みんなは何で逃げてるの? あなたは誰にやられたの?」

「……冒険者が、攻め込んできましてぇ……」

「冒険者……? ダンジョンに冒険者が攻め込んできたのか?」

「俺様は戦ったのだが、この有様だぁあ……ぐふぅ」


 よく見ると悪魔の背には、大きな切り傷があった。

 ついさっき俺を掴み上げ、レパルドにも厄介な相手と言わしめた、剛の悪魔が。こうも容易く倒されるだなんて。

 相当な手練の仕業か……?


「逃げてきたのはあなただけ? デスポセイドンたちはどうしたの?」

「三つのしもべは、女ゴーレムと共にまだ、交戦中かとぉ」

「女ゴーレム? おい、エ・メスのことか?」

「……そういえば、エ・メス……。さっき酒場にテーブルを運んだ帰り、おじいさんたちに呼ばれたから出かけてくる、って言ってたけど……」

「そのままどっかで冒険者と出くわして、戦い始めたってことか……?」


 状況を推測しあう俺とゴシカに、悪魔が新たな情報を追加する。


「冒険者と最初戦ってたのは……女ゴーレムだったぁ。俺様も戦ったが、どうにもかなわんので、深手を追いつつここまで逃げてきたのだあ……。最後に女ゴーレムが倒れる姿は見たが、あれからどうなったか……」

「え!?? エ・メスが倒されたのか!? お前だけじゃなくて!?? おいおいどんな連中だよ!」

「相手は人間二人だぁあ」

「人間二人……? たった二人!?」

「ねえ、場所はどこ? どこで戦ってるの?」

「魔窟の、宝物庫の辺りぃ……がふっ」


 悪魔は暗灰色の血を吐いて、動かなくなった。


 ――この悪魔を倒すのは、かなりの実力者でないと難しいだろう。

 だが、それだけじゃない。あの化物じみた怪力と頑丈さの、エ・メスすらも倒しただって?

 そんなとんでもないやつが、このダンジョンに……?

 いや、この国中を探しても、たった二人であのエ・メスを倒すなんて人間が、存在するんだろうか?

 まだ見ぬその冒険者のことを想像すると、先程のアンデッドどもの取り乱しぶりも、理解出来るような気がする。

 どんな化け物が殴りこんできたんだ……。そんな奴がアタックするようなレベルのダンジョンじゃないはずだぞ。

 いや、中で住んでみたところ、ゴシカやエ・メスといったとんでもないバケモノはいたわけだけど。でもそんな情報、世間には出回ってないと思うんだ。


「グルーム、あたし行ってくる!」

「え? で、でも今、この悪魔に『逃げろ』って言われて……」

「逃げるわけに行かないよ! エ・メスが大変な事になってるんだもん! それにあたし、一応この子たちの上に立つ立場なわけだし!」


 ゴシカの表情には緊迫したものはあまり感じられず、いつものように笑ってこっちを見つめていた。


「グルームは、どこかに隠れてて。あたしがどうにかしてくるから」

「えっ……」


 反射的に「何を言ってるんだよ!」と言い返そうとしたが、俺はその言葉を飲み込んだ。

 そうだ、思わずゴシカについて行く気でいたが、冷静に考えればついて行く必要はないんだ。

 「何を言ってるんだよ」と言うのであれば、それはむしろ、俺の思考の方だ。なんでそんな言葉を言おうとしたんだ、俺は。


 そもそも俺はついて行って、何をどうするつもりなんだ。

 これはダンジョンのモンスターと、どこかの知らない冒険者の争いだぞ。俺には関係の無いことなんだよ。

 状況は気になるし、ゴシカのことも気にはなるけれど、だからと言って俺に出来ることなんてないだろう。

 戦闘力で言えば、俺はゴシカやエ・メスに遥かに劣っている。しかも相手は、そんなエ・メスを倒したと言うんだから、出る幕は全くないじゃないか。

 あれ、でもそこまでの実力者がやってきてくれたなら、ひょっとして俺はこのダンジョンから救い出されることになるんじゃないだろうか。

 モンスターが退治されてダンジョンもなくなれば、悩みの種はきれいさっぱり消えてしまうわけだし。

 だけど例の悪魔の契約があるから、ダンジョンからモンスターが駆逐されただけじゃ、俺の体はまだ自由にはならないのかもしれないな。

 うーん、そうだな……けどなあ……。

 ああ、そうだな……。

 うーん……。

 うん。


「あれ? グルーム? こっちの方に逃げて来ると、危ないかもよ?」


 冒険者がいるという方角に、走っていくゴシカ。

 その隣を並走する俺。


「いや、そのさ。逃げるんじゃなくて、俺もゴシカに、ついて行こうかなと思って」

「えー? やめたほうがいいと思うよー?」

「そうかもしれないけどさ、なんかそのー、気になって」

「気になって?」

「そう、いろいろと……気になって」

「そっかー……。まあ、そうだよね。気になっちゃうよね?」

「うん、気になっちゃうよ。気になるんだから、しょうがないよな」

「グルームったら、変なの! あはははは!」

「ま、まあいいじゃん。はは、あははははは」


 突如現れた謎の冒険者も気になった。

 倒れたというエ・メスのことも、もちろん気になった。

 そんな危険な場所に足を踏み入れようとしている、ゴシカのことも。


 冒険者とモンスターのいざこざに俺が首をつっこむことになったとして、俺が一体どういう立場でそこにいればいいのか、何をするのか、何を話せばいいのか。

 頭の中では、それらの答えなんかちっとも出ないままだ。

 それでも俺は、ゴシカと共にその場に足を運ぶ道を、選択したのだった。

 ここでの選択が、その後の運命を決めかねないかもしれない。そう思いながら。

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結婚騒ダンジョン! 一石楠耳 @isikusu

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