第28話 条約契約1

 屋内ドームには、複数の出入口がある。そんな出入口のひとつの前で、獣人と魔人は押し問答を繰り広げている。

 猫耳のレパルドに、黒山羊頭の悪魔。俺から見ればどちらも紛れも無く、モンスターだ。


「Dr.レパルドォ! そこをどくのだぁあ!」

「わたしがここをどいたらどうするつもりだ? そこの悪魔」

「どうするも何も、俺様は血の契約の鉄の法に則ってぇ、果たすべき責務を果たすのみだぁあ!」

「ふん、法を口にするのか。では悪魔、不可侵条約を忘れたわけではないだろうな」

「不可侵条約だぁあ? そんなもの、ぬふふふぅ!」

「そんなもの?」

「確かに忘れておったわあ! しまったぁあ!」

「では帰れ」

「だが待てDr.レパルドォオ! その条約で魔界のものが追いやられるのは、アンデッドの臭気が原因だったはずだぁ。ならば偉大なる悪魔である、この俺様ならばぁ!」

「貴様ら悪魔が放つ瘴気も我々にとっては非常に居心地が悪い。あの天井から差す日光が、お前たちにとって不快なようにな。だから魔界のものは総じて出入りを禁じているのだ」

「ぬ……ぬうう! しかしレパルドォオ!」

「何だ」

「ちょこっと中に入ってすぐ出て行くだけならばぁあ!」

「帰れ」

「むうぅう」


 そんな調子で、俺がその場に駆けつけた頃には、話はもう終わっていた。

 レパルドに口先だけでやり込められた悪魔は、しぶしぶながら通路を戻っていく。

 俺の2~3倍はありそうな身の丈を縮こまらせ、背中を丸めて去って行くさまは、言い知れない哀愁を漂わせていた。まあ縮こまらないとあいつ、通路の天井に頭ぶつけそうだしな。


「なあおい、レパルド?」

「何だ」

「いやその、何か揉めてたみたいだけど、大丈夫か?」

「問題ない。今決着を見たところだ」

「それなら良かった。俺、思わず心配してさ……」

「人間に心配される筋合いなどない!!」


 すごい剣幕でレパルドは腕を振りぬき、虚空を一閃した。

 その一撃は俺の鼻先を掠める。爪がかすったのか、かまいたちでも起きたのか、頬が切れ、血がつーっと流れた。


「な、なんだよ、急にそんな怒るなよ!」

「怒ってなどいない」

「お前の爪鋭いんだからさあ、怪我したじゃねーか」

「ふん。その程度のかすり傷、冒険者なら日常茶飯事だろう」

「そりゃそうだけど。ひょっとして、まだ……」


 さっき俺が、絵が下手なのを馬鹿にしたのを、まだ怒ってるんじゃないのか、レパルドは。


「まだ、何だ」

「いや、まあそれよりもさ」


 そのことを言うと更にレパルドが怒る気がして、浮かんだ言葉を口には出さないことにした。

 その代わりに、別の気になっていたことを質問する。


「さっきのデカブツに言ってた、不可侵条約ってなんだ?」

「アンデッドどもや魔界の連中は、この屋内ドームにむやみに入るなという条約だ」

「え、ここにアンデッド連中は入っちゃダメなの?」

「ああ。あいつらが来ると、臭いし陰気だし気が滅入るからな」

「そんな些細なことで不可侵条約とか作っちゃうのか!?」

「そんな些細なことが、生きている我々と死んでいるあの連中との間では大きな争いの種になるのだ。死せるものどもと共に暮らしたくない気持ちは、お前にもわかるだろう、人間」

「でも、同じダンジョンに住むモンスター同士なんだし、多少は良いんじゃねーの……? 仲良くすればいいじゃないか」

「では同じ地上に住むもの同士、お前たち人間は争いもなく暮らせているか? 領土単位での争いは尽きないだろう。歴史書を読むと人間は、そのようなことの繰り返しばかりではないか」

「それは……そうなのかもしれないけど、俺は歴史とかはよくわかんないや」

「ふん、人間のくせに不勉強なことだ」

「はいはい、すみませんでしたよ」


 言い返しようもないし、言い返したところでまた機嫌を損ねられても困る。俺は素直にレパルドの言うことを受け止めることにした。

 しかしそれはそれとして、また別の疑問も浮かび上がる。


「ん? 待ってよレパルド、だったらゴシカとお付きの連中は? さっきまでここにいたけど、あれはいいの?」

「あれは特例だ。すべてを排斥してしまうと、余計な争いが起きるきっかけになるからな。それに死体の連中は、ゴシカだけは特別扱いしてもらわないと気が済まないらしい」

「へえ、そっか」

「まあゴシカは我々が嫌悪するほど陰気でもないしな。スナイクやゴンゴルなぞの方が、よっぽど気味が悪い」

「そりゃ確かに」


 レパルドの言うことがあまりにも的を得ているので、俺は苦笑してしまった。


「それにしてもあれだな、レパルドって常に血気盛んなのかと思ってたけど、力ずくで追い払うんじゃなくて、条約を盾にして追い返すなんてこともするんだな」

「あの悪魔は、腕利きの冒険者を何人も血祭りに上げている、厄介な相手だからな。力ずくでそう簡単に追い返せるような輩ではない。無駄な衝突を抑えるためにも、条約の存在は必要なのだ」


 話を聞いていると、ダンジョンの中での勢力関係は、本当に人間同士のいさかいに似ていると感じてしまう。

 レパルドが例に挙げたように、国や人種同士の衝突を思い起こさせるところもある。

 中に放り込まれてわかったことだが、このダンジョンは噂と違って、かなり広めで入り組んだ構造をしている。入り口付近ならどうとでもなるんだろうけど、奥に入れば入るほど、初心者向きじゃない。ダンジョンマスターのあいつらが、ややこしい拡張を続けているせいだ。

 とはいえ、せいぜい街一個にも満たないほどの広さのはずだ。そんな広さの中でも、さまざまな人間模様というか、モンスター模様があるんだな。

 条約なんてものを作ったのも、レパルドなんだろうか。

 こうやって様々なルールでモンスターたちを支配下に置くために、知識を蓄えているんだろうか……。

 獣人には到底不可能と言われるような、無理をしてまで。


 レパルドとこのダンジョンについての、俺の漠然とした思考は、予想外の出来事で遮られた。

 通路の奥から、太くて長い赤銅色の腕が、突然伸びてきたのだ。

 そしてその腕は俺の胸倉をつかんだかと思うと、この屋内ドームから通路へと、無理やりに引っ張り出そうとする。


「うええええ!? なんだこれ、腕、腕ええ!??」

「ふむ、腕だな」

「おいちょっと、通路のほうに引っ張られてるんだけど! なんだよこの腕、すごい力で!!」

「なるほど、すごい力のように見える」

「助けて! レパルドー!」

「助ける義務はない。それは人間の花嫁として必要な行為なのか?」

「そういう話じゃなくってー!!!」


 レパルドの冷静な瞳に見つめられたまま、俺は通路に引き込まれて行った。

 こうしてレパルドの前を去った俺の体は、数十メートルの通路の中を引っ張りこまれた末に、今度は天井に押し付けられていた。

 真っ赤な豪腕につかまれて、体の自由が効かない。

 この太くて伸びる腕の持ち主は、先ほど見かけた黒山羊頭の悪魔だった。人の三倍はありそうな体から生まれる剛力で、俺の体を掴み上げ、そいつは笑う。


「ぬうふふふう! ちょうどいいところにおったわ、人間よ! いや、花婿様と言った方がいいかあ!」

「なんだ、お前、さっきの……」


 胸を圧迫されていて、何か言い返そうにも、俺はうまく声が出せない状況だ。くそうこの悪魔野郎、楽しそうにしやがって。


「せっかく姫様に召喚していただいたにも関わらず、なんら契約を果たせずおめおめと帰るわけにはいかん! ならば代わりに、三つのしもべに受けていた命令の方を、早々に果たすこととしようぞお!」


 話がまったく飲み込めないが、悪魔は一人で盛り上がっている。モンスターどもにはこういう自分勝手なやつが本当に多いな。

 まあ他人を気にしすぎるモンスターと言うのも、それはそれで気持ち悪いかもしれないけど……。


「ではこの契約書にサインをしてもらおうかあ! 悪魔の契約にぃ! サインを!」

「うぐっ……」


 ずいと眼前に近づいてくる、血走った目の山羊の頭。

 奴の口元からは青黒い瘴気が漏れ出し、目はらんらんと赤黒い光を放っている。その威容は、俺の身をすくませるのに充分だった。


「おおう、ちょうど良いではないかあ! お前、顔のところに真新しい傷があるなあ? おい花婿様、この血はお前が契約のために差し出した血ということでいいよなあ?」


 肺を圧迫された状態で天井に押し付けられ、ろくに声が出ない状態の俺を、悪魔がガクンガクンと前後に揺り動かす。


「頷いたなあ? 間違いなく頷いたあ! ならばこの血で契約をさせてもらおうぞお!」


 奴は返答を待つ気など、さらさら無い。だが、返答を捏造する気は満々だ。

 先ほどレパルドにつけられた頬の傷から、血を拭い、古びた羊皮紙に塗りたくられ、勝手に契約を進められてしまう。


「……これで契約完了だあぁ!」


 高笑いをする悪魔。ようやくその腕から解放され、地上に投げ出された俺だったが、休むヒマはない。

 契約の手続きが執行されたからだ。

 俺には読めない文字がびっしりと敷き詰められたその契約書は、契約が成立すると同時に、不気味な蠕動を始めた。

 冒頭に書かれた数行の文節が契約書から飛び立ち、ぶいぶいと羽音を立てながら、俺の口の中に入ってくる。


「うおえっ! なんだこれえっ気持ち悪い!」

「ぶわっはっはっはあ! これぞ契約完了の証だあ! 契約文書の一文字一文字が、こうしてお前の体内に宿り、悪魔の契約を遂行するのだあ」

「勝手に何してくれてるんだよ……っ! 契約内容も知らないぞ俺!!」

「その辺の面倒な説明はさっくりと省略すると言う、俺様なりのサービスだあ!」

「サービスになってねーよ! ぶえっ、この虫みたいなの、不味い……」

「サービスしたつもりが、サービスになっていないだとう? むう、仕方ない。では今から契約内容を説明しようぅ」

「契約しながら内容説明してもおせーよ……」

「この契約はだなあ、あと五日以内にお前が必ずこのダンジョンで花嫁候補と結ばれねばならない、と言う契約だあ」

「……! そ、それって……がぼっ」


 それってもう逃げようがなくなるって事じゃん、と言おうとした口に、次々に契約書の文字が押し寄せる。俺はそれ以上言葉を発することが出来なくなってしまった。

 しまった、余計なツッコミなんか入れてないで、口を閉じてれば良かったんだ。

 しかしもう遅い。口の中ではインクなのか血なのか、苦くて生臭い契約文書の味が、いっぱいに立ち込めている。


「契約を守れなければ魔界からのドギツイお仕置きが待ってるぞお、花婿様? ぬふふぅ! 死だぁあ! のたうち回って苦しむ死が待っているぞぉお!!」


 ドギツイお仕置きって、現時点で既にドギツイお仕置きと言って差し支えないとは思うのだが、きっと契約を守れないとこんなものでは済まないのだろう。

 この虫みたいな文字が内臓を食い破るぐらいのことは、こいつらやりかねない。最高に嫌な死に方が待ち受けているんだろう。

 何せ相手は悪魔だ。人間が堕ちて行くさまを心底楽しみにする連中だ。

 そんなヤツと契約したんだから、ただで済むはずが……ない。


「お、いや待てよお? どうせならもう少し文章を書き足しておくかあ。何も花嫁候補の誰かと結ばれるなんて回りくどい契約にしないでも、『姫様と結ばれろ』と書いておけば良いんだあ。おお、俺様は頭がいいなあ!」


 契約してから契約書の中身を改ざんするだなんて、あまりにもひどい話だとは思うが、いまの俺はそれに言い返すことなんて出来ない有様だった。

 口の中は蠢く契約文書でいっぱいだし、心にも絶望の灯が点っている。これじゃあピットとの脱出計画も、水の泡じゃあ――。


「……何してるの?」


 意識を失いかけていた俺の耳に届いたのは、聞き慣れた女の子の声だった。

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