第6話 森と獣と女医
血塗れの道を逃げ帰り、あのジジイどもに見送られた場所へと、俺は戻ってきた。
二人のジジイはもう既にこの場にいない。
会えないとそれはそれで寂しい、なんてことはみじんもない。
とはいえ大きな問題は残る。俺はこれから、どうすりゃいいんだ。
出口を探したが当然のように出口はない。さっきと状況は同じ。道が三つ残るだけだ。
ひとつは今逃げ帰ってきた、血塗れの道。あとの二つは……どっちがいいんだ……?
ええい、悩んでても仕方ない。俺は困難を退けてダンジョンを突き進む、冒険者だぞ。心が折れるのはまだ早い!
吸血鬼の女王はさすがに相手のしようもないが、他の道になら希望が残っているかもしれない。気を引き締め直し、俺は今度は、草木に覆われた道を進むことにした。
大体ダンジョンの中といえば、むき出しの岩肌と地下の薄暗さの影響で、静かで肌寒いものなのだけれど。この道は違った。
まるで森や密林のようにニョキニョキと伸びている植物が影響しているのか、妙な暑さと、まとわりつく湿気が場を支配している。
その上、猿か何かの野生動物の咆哮まで聞こえてくるのだ。
俺はここが地下洞窟であることを、一瞬忘れてしまいそうだった。
しかしその錯覚も、すぐに終わりを告げることになる。
葉をかきわけながら道を進んでいると、ひときわ広いドーム状の場所に足を踏み入れることになった。高い天井から陽が注ぎ、手に持つランタンの明かりも必要ない。
その広い空間は、いままでの窮屈な環境に比べると、両手両足を自由に伸ばして楽に過ごせそうな場所だった。
だが、両手両足を伸ばして楽に過ごしているのは、何も俺だけじゃなかった。
身の丈数メートルもある巨大なカマキリと、同じく巨大な蜂が待ち構えていたのだ。
モンスターだ! ダンジョン恒例、出会い頭の巨大モンスターだ!
しかも相手はジャイアントモンスターの系統でも、ある意味一番タチの悪い、巨大昆虫の類だ。
その身体能力も恐ろしいが、外殻の硬さは鋼鉄の鎧並。元が虫なだけに、機械的に襲ってくるさまが何より恐ろしい。
何の準備もなく突然の巨大昆虫に遭遇した俺は、とりあえずその場から逃げようと試みた。
すると空を自由に飛ぶジャイアント・ホーネットは、羽ばたきとともにすばやく回りこんで、退路をふさいでしまう。
「わ、わわ」
どうしよう。えーっと。いや、冷静になれ!
この場で判断を誤ると、命に関わる。
強引にでもこの場を逃れるべきだと判断して、片手半剣を振りかざし、ジャイアント・ホーネットに切りかかった。
俺はろくな実戦はしてきていない。
だが、練習も欠かしていない。冒険者としての基礎はきっちり学んできている。
こいつを倒せなくても、この場から逃げるくらいなら出来るはず!
「くらえ!」
力を込めて、上段からすばやく剣を振り下ろす。
蜂の腹部を正確に捉えたはずの一撃だったが、振りかぶった剣は周囲の葉の類に邪魔されて、本来のスピードを発揮できない。
剣戟は蜂の針に器用に跳ね返され、その反動で俺はよろけてしまった。
「え、剣の一撃を受け止めた? 何だコイツ」
俺の知る限り、剣を打ち合うかのようにして針で攻撃を受け止めるジャイアント・ホーネットだなんて、聞いたことがなかった。
更に驚いたのは、よろめく俺の体を抱きとめた存在がいたことだ。
それは背後にいつの間にか忍び寄っていた、ジャイアント・マンティスだった。
カマキリの鎌状の前足に両腕を捕獲され、俺の体は身動きが取れなくなってしまう。
「ええ、こいつら連携まで取れてる? 虫のクセに? なんでだ?」
しかしやはり相手は虫、こちらの疑問に言葉で答えてくれるわけもなく、ただ距離をじりじりと詰めてくる。
カマキリに自由を奪われたまま、蜂の一刺しがついに、俺の腹めがけて、突き立てられようとしている……!
ああ、なんだかわけもわからないまま、このダンジョンの中で俺は命を失うのか?
納得はいかないけれど、せめて死ぬ覚悟だけは決めて、目をぎゅっと閉じ、その瞬間を待った。
だが、万事休すと思ったそのときだ。その場に、凛とした女性の声が響き渡った。
「やめろ! いたずらに人間との関係を悪化させるな!」
動物たちの奇妙なうめきが響く場には、あまりふさわしくない、すーっと通るような女の声。
どうしたことかと思いつつ目を開くと、ドーム内に生えた一本の巨木に女性が立ち、こちらに呼びかけているのだ。
首から下を覆い尽くす、白い豹柄のキャットスーツにぴたりとその身を包んだ女性は、樹上からすたっと地面に降り立った。
長い金髪を揺らしつつ、こちらに歩み寄ってくる。
「今はまだ、人間と揉め事を起こす時期ではない。離せ」
そう言いながら女性は、俺を捕まえていたジャイアント・マンティスの鎌を、強引に片手で振りほどいた。
ジャイアント・ホーネットに関しても、針の部分を素手で掴んで、悠々と制止する。
相手が昆虫のモンスターとは思えないほどの、淡々とした処理だった。
「すまなかったな、人間。部下のしつけがなっていなかったようだ」
口では謝ってはいるが、ほとんど謝意が感じられない高圧的な態度。
その高圧的な態度を際立てるかのような、キリリと整った顔立ち。眼鏡の奥の冷静なまなざし。厳しい口調。
真白いキャットスーツと対照的な、褐色の肌も印象的だ。
この女性、何者だ?
「お前たちには少しだけ仕置きだ」
女性は爪を立てて、巨大カマキリと巨大蜂を、ザクザクと掻き切る。
巨大昆虫たちが痛みに対して「モギュアー!!」と聞いたことのない声を上げるも、女性は眉ひとつ動かさない。
「そう叫ぶな、たいした傷ではない」
……いや、本当にこの女性、何者だよ。
「あー……ありがとう。助かりました」
「何、礼はいらん」
「そ、そうですか」
「いやしかし、せっかくだな。礼代わりと言ってはなんだが、ここ最近の外の様子を話せ、人間」
「外の……様子?」
「ああ、このダンジョンの外の様子だ。貴様のような冒険者風情であれば、外界との繋がりも多いだろう」
「ええ、まあそうですけど」
「ダンジョンの中だけで過ごす我々からすると、外の情報は大切なものなのだ。何でもいい、外の情報を教えろ、人間」
「えーっと……つかぬことをお伺いしますが」
「何だ。質問しているのはわたしの方だぞ」
「えっと、そうなんですけど、気になっていることがあって」
俺はこの女性に対してずっと疑問だったことを、ようやく口にした。
「俺のことをさっきから人間って呼んでるけど……あなたは、人間じゃ、ない?」
「ああそうだ」
女性はこともなげに断言した。更に、詳細な情報まで付け加えて。
「具体的な分類に関してはまだ研究の過程ではあるが、わたしは人間というよりは、むしろモンスターにあたる」
「ええ! モンスター!?」
「俗に言う獣人というやつだな。人間の分類に近いのか、獣の分類に近いのか、単に半獣半人のモンスターなのか。それは目下、調査分類中だ」
「調査分類中、ですか」
「研究の便宜上、ワークリーチャー属ワータイガー門と言うことになっている。名は、Dr.レパルドだ」
そうか、獣人……。それで巨大昆虫たちと意思を通じ合わせたり、爪でモンスターに傷を負わせたり出来たのか。
あ、よく見ると頭に猫みたいな耳も生えてる。
「はあ、やっとマトモな人間に出会えたかと思ったら、この人もモンスターか……」
「この『人』も、という表現はおかしいぞ。目下研究過程ではあるが、わたしは分類上は人ではない。獣人の、もしくはモンスターの、Dr.レパルドだ」
「あー、はい、そうでした。すみません」
「それで話を戻すが、外の状況を教えろ、人間。情報は人間の力のひとつだろう?」
「そっか、そうでしたね。とは言っても……俺もよくわからないでここにいるんだけど」
「よくわからないとは、どういうことだ?」
「いやね、俺は確かに冒険者なんだけど、自分の意思でこのダンジョンにやってきたわけじゃなくって……」
「ふむ、興味深いな。詳しく話せ、人間」
俺はこのDr.レパルドという獣人に向かって、ここまでの経緯を簡単に話すことにした。
「いやね、このダンジョンの近くの街に着いたら、急に勇者だなんだと祭り上げられて」
「ほう」
「ダンジョンの中にわけもわからず放り込まれちゃったんですよ」
「難儀なことだな」
「ホントですよ。しかも、変なジジイ二人がそこには待ち構えていて」
「ジジイ?」
「ああ、なんかデブチビとガリノッポのデコボココンビで、『これが人間の代表なのか』とか言われて」
「……」
「で、この先の三つの道を選ぶんだとか指示されて、ここまで歩いてきたって感じで」
「……ほう、なるほど。老人どもにそう言われたんだな?」
話を聞きながらメモを取っていたレパルドは、メモを取る手を止めて、俺の目をまっすぐと見据えた。
「ここに来るまでの間に、他の奴には会わなかったか?」
「他のやつって言うと……ああ、アンデッドの群れに出くわして、大変な目に合いそうにはなったよ」
「黒いドレスの女には会ったのか。ゴシカと言う女だ」
「あ、会いました……。でもあれってマジなのかな。ノーライフ・クイーンって言ってたけど」
「ゴシカには既に対面済みか……まあ脳が腐っている連中だ、今ならまだ間に合うかもしれんな」
話をしているさなか、俺は殺気に気づいた。Dr.レパルドの瞳に、獣の光が宿る。
「マン次郎、サス子。こいつを殺ってしまえ」
「モギュー!!」
「は?」
レパルドの指示に従って、先ほど俺を襲ってきた巨大昆虫たちが、変な叫びを上げてふたたび襲い掛かってきた。
「わー! なんだなんだ急に!」
「人間、お前が早々にこの道を選んだのは、わたしにとっては運がいい話だ」
「何の話??」
「ここで死ね」
「ええええええ!」
再度襲い掛かる、蜂の針とカマキリの腕。
とっさに剣を抜いた俺は、それを必死に振りながら相手と距離をとり、一目散にその場を逃げ出すことにした。
ドーム状の場所から抜け出し、狭い通路にさえ走りこんでしまえば、巨大生物たちは追って来れないはずだ。
唯一、獣人のレパルドだけなら後を追うことは出来るが、どうやら彼女は自分の足で追ってくるつもりはないようだ。
判断が早かったのが功を奏したようで、俺はその場からあっという間に逃げ出すことに成功したのだった。
「ふん、逃げられたか。ここで死んでおいた方が幸せだったかもしれないというのに……。まあいい、予定通り行けば後ほどわたしが、この手で決着を着けることになるのだ。人間の夫よ」
「ヂュー」
「それにしてもサス子、その動きはどうした。先の戦いでは逃げる人間に、いともたやすく回りこんでいたというのに。ふがいないぞ」
「ヂュヂュー」
「何だと? ああそうか、わたしがさっきお前を爪で切りつけたから、それでダメージが蓄積していて」
「ヂュー」
「うまく飛べなかったと」
「ヂュー……」
「そうか、治療をしてやろう。こっちへ来い」
「ヂュィー」
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