第5話 死臭と酒と女王様

 結局俺は、血塗れの道を進んでいた。

 見た感じ、三つの道で一番デンジャラスな雰囲気が漂ってはいるものの、どの道だって一癖も二癖もありそうなのは同じこと。

 なあに、こういった恐ろしげな装飾はたいていこけおどしで、実は別に何もないもんなんだよ。見た目が毒々しいけど無害な虫とか、いるじゃないか。案外この道が一番安全かもしれないぞ?

 そういうふうに自分を鼓舞して先に進んだが、どうにもなんというか、道の先から……。

 瘴気、としか言いようのない空気が、悶々と立ち込めてきている気がする。


 道を進めば進むほど、気のせいは確信に変わっていき、感情のメーターも恐怖や後悔の方向にガクンと傾いていた。

 なんだか悲鳴が聞こえるし、ところどころに骨とかが散乱しているし。

 ていうかこの骨は何の骨だ。足がいっぱい生えてるんですけど。

 どんな生き物のモノかわからない骨が、その辺に散らばってるの、怖いんですけど。

 恐怖に抗いながら一本道を進んで行くと、やがて行き止まりになる。

 そこには大きな扉があった。


「えっとー……なにこれ?」


 俺はその扉を見て、思わず疑問を口にしてしまった。

 扉はこれまでの洞窟の雰囲気とはまるで違った、ファンシーでピンクでかわいらしい、少女趣味の扉だった。

 全体に丸みを帯びたフォルム、かわいい字体で書かれた『ごしかのおへや』と言う文字、飾り付けられたリボン。

 ところどころに貼り付けられた、干したヤモリ。コウモリの羽。割れた鏡。血塗れの本。

 あれ?

 よく見るとこれ、ファンシーか? 全体的に別にファンシーじゃなくない?

 なんかこの飾り付けられたリボンも、変に赤々と脈打ってるし……。


 そんなことを気にしていたら、扉が「ギィイイィーッ……」と嫌な音できしみながら、ゆっくり開いた。

 部屋の中は豪奢な飾りや調度品で満たされているようだが、スモークが焚かれていて良く見えない。

 道はここで行き止まりだし……この中に入るしかないのだろうか。

 地雷臭しかしてないんだけど、入るしかないのだろうか。

 悩みつつもほんの少しその部屋に足を踏み入れると、今度は扉が勢いよく閉まった。

 危うくドアに挟まれそうだったが、俺はその場からジャンプして逃げ出し、怪しい部屋の中に飛び込むようにして難を逃れる。


「チッ……もう少しでペシャンコに出来たものを」

「い、今、扉の向こうで、何か声しなかったか? ペシャンコに出来たとかなんとか! しかもこれ、スモークだと思ってたのは蜘蛛の巣じゃないか……ぺっ、ぺっ! 口に入った!」

「あれ、大丈夫? 取るの手伝ってあげよっか?」


 話しかけてきたのは、全身黒のミニドレスに身を包んだ、女の子だった。


「え……え?」

「なに? びっくりした顔して?」

「えーっと……? ど、どちらさまでしょうか……?」

「あたし? あたしの名前はゴシカ。ねえねえ、あなたは?」

「え? 俺は、グルームだけど」

「そっかー、グルームね。どうぞよろしくー」

「あ、えっと、どうぞよろしく」


 部屋の中に飛び込んだ俺は、古めかしい真っ赤なソファーの上に乗っていた。

 そしてそのソファーで隣に座っていたのが、ゴシカと名乗る女の子だ。

 透き通るような白い肌と、それを際立たせるつややかな漆黒の髪。綺麗な長い睫毛の瞳。

 シックなロンググローブとタイツに覆われた、華奢な腕と脚は、俺のような冒険者とは程遠い生活を送っているであろうことを連想させる。

 び、美人だ。何でダンジョンの奥に美人が。

 しかもこんな物騒な道の先に美人が。場違いすぎる。

 いや待てよ……。これはあれだな。

 大体こういうときは、幻術とかの類だよな。俺は何かにだまくらかされているに違いない!

 冒険者として旅立つ前に勉強して、それぐらいなら知ってるぞ。


「もー、一回顔にくっつくと取りにくいんだよね、蜘蛛の巣って」

「は、はあ」


 俺の顔の蜘蛛の巣を取ろうとしている彼女は、自分の顔がどんどんこちらに接近していることに気づいていない。

 急に整った顔立ちの女の子が近づいてきて、なんだかドキドキしてしまった……。

 いかんいかん! 完全に術中じゃないか!

 「正体はわかってるんだぞ!」とか相手に強く言うべきところだここは!


「あ、あの……」

「ん、なにー?」

「そのー。えっと。顔が、近いかな……と」

「あっ」

「う、うん」

「……!」


 俺の指摘で、互いの顔が妙に近いことに気づいた彼女は、うつむきつつ距離を離した。


「ご……ごめんね! 蜘蛛の巣取るのに夢中になってたから、気づかなくて!」

「え、あー、いや、いいんだよ、アハハハハ」

「そ、それなら良かった。あは、あははは」

「アハハハハ」


 アハハハハじゃねーよ。何で向い合って笑い合ってちょっと楽しくなってるんだよ俺。全然ガツンと強く言えてない。


「ところでグルーム。ブラッディ・メアリー作ったんだけど、飲む?」

「あー、ちょうどいいや、ノド乾いてたから」

「じゃあ、あたしの分もあるから、一緒に飲もうか」

「飲む飲む」

「どう、おいしいかな?」

「いやーおいしいねー、アハハハ」

「アハハハハ」


 ダンジョンの中で、急にかわいい女の子にお酒を勧められて、おいしいとか言いつつも、実は味も良くわかってないんですけどね。

 でも楽しいからいいですけどね。あはははは。

 ……い、いやいや、いいかげんにしよう。異様な状況を楽しんでいる場合でもないだろ。

 この酒に毒でも入ってたらどうするんだ!

 俺は心の中で自分に喝を入れ、少しだけ冷静になった。

 お酒を飲みすぎて酔いが回る前に、冷静になれてよかった。

 でもこれが毒だったら、もう手遅れかもしれない。飲んじゃったし。

 今のところ体に不調はないから、多分大丈夫だと思うけど。そう思いたい。


 確かにこの子が屈託なく笑う様子はかわいらしいが、いくらなんでもさっきまでの状況から一変しすぎで、あまりに場違いだよな。

 なんでこの子は、こんなところにいるんだ? 不自然にも程がある。

 悪意のある幻術とかじゃないとしても……どっちにしろ、これは真実を知るべきだろう。

 一度ちゃんと質問をしておこう。


「あ、あのさ」

「アハハハハー。ん? 何?」

「君はそのー、何者?」

「何者って?」

「いやその、君も俺と同じように捕らえられて、このダンジョンに放り込まれた、とかなのかなと」

「違うよー。さっきも言ったけど、あたしはゴシカ。この部屋はあたしの部屋だよ。ドアに書いてあったでしょ?」


 彼女は扉の方を指差した。


「あ。そういえば、『ごしかのおへや』って……」

「そうそう。あなたが来ると思って今日は部屋を綺麗に飾ってたんだけど、ちょっと蜘蛛の巣が多かったかなー」

「え? なに、どういうこと? 俺が来ると思って?」

「蜘蛛の巣の余計な分は、あなたが食べちゃって」


 そう言いながら彼女は、俺の体から取った蜘蛛の巣を両手でぐるぐる丸めて、ポシェットに押し込んだ。

 いや、違う。この子が身につけているのは、よく見るとポシェットじゃない。

 それは一つ目の生首だ!


「不要物をわたしに食わせて処理させるのは、やめてもらえませんか姫様」


 そしてその生首は、丸めた蜘蛛の巣をむしゃむしゃと食べ、あまつさえ女の子と会話をしているのだ。


「いいじゃない、ワタアメみたいなものでしょ!」

「それにしては甘味が足りませんのう……」

「しゃしゃしゃ、喋った!」

「え、どーしたのグルーム?」

「喋った! 死体が喋った!」

「ああ、うん。これね、水死体の生首から作られた、アンデッドなんだ!」

「アンデッド!? そうか、この道にずっと感じていた奇妙な違和感は、こいつのせいか!」


 一つ目の不気味な生首を指差すと、今度は別の声が女の子の横から聞こえた。


「何もそいつだけがアンデッドなわけでもないニャー」

「あら」

「うわあ! 一つ目の黒猫! しかも当たり前のように喋りながら登場した!」

「まだいるザマスよ」

「あらあら」

「今度は一つ目のコウモリ!」


 俺は開いた口がふさがらない状態だった。やばい、この部屋アンデッドだらけだ。どうしよう。戦うか? 勝てるか?

 さほど戦闘力が有りそうなやつらじゃない。とはいえ、これじゃあ女の子を人質に取られているようなもんだし……。


「それにしても姫様、この男はだいぶ頼りない感じがしますのう」

「そういうことを言わないの! まだこの人もダンジョンに慣れてないんだから!」

「はあ、そういうものですかねえ」


 ……なんでだ? この女の子はどうして、全く動じないんだろう。アンデッドたちに操られているのか?

 半ばパニックになって状況を理解できていなかった俺は、それでも剣の柄に手を置いて、冒険者らしい一声を発した。


「そ、その女の子から離れろ! 化け物たち!」

「はあ? なんですと?」

「それは無理だニャー」

「我ら姫様の大事なお供ザマスから」

「う、うるさい! 死体が俺と会話をするな! このアンデッドめ!」

「いやその、死体が会話と言うことなら、姫様だって死体ではあるわけですが」

「なんだと!! ……え? なんだと? 今なんて言った?」


 死体が会話をするなと自分で言っておきながら、俺は思わず尋ねてしまった。


「そうニャ、姫様は偉大なアンデッドニャ。その偉大な方とさんざん会話しているのはお前じゃニャいか」

「姫様特製のカクテルまでご馳走になってからに。人間には身分不相応なことですぞ」

「姫様は我らアンデッドの上に君臨する、ノーライフ・クイーンザマスよ」

「んもー! みんなあんまり姫様姫様って言わないで! そんなに偉いわけじゃないんだから!」

「偉いですぞ! それとも女王様とお呼びした方がいいですかな?」

「そうニャそうニャ偉いニャ」

「いかにもザマス」

「んもー! うるさいー!」


 剣の柄に手をかけたまま、血の気が引いていくのを感じていた。


「姫様……? アンデッドの?」

「う、うん……そうなの」


 彼女は少し恥ずかしそうに身をよじらせて、一つ目の黒猫をわしわし撫でている。

 そして、もじもじしながら、こう俺に告げてきた。


「そんなわけで、そのう……身分の差がどうこうとか、周りはうるさいかもしれないけれど」


 ゴシカと名乗る女の子は、俺の目を見つめて言葉を続けた。


「結婚を前提に……お、おつ、お付き合いをお願いします!」


 は?

 ……?

 疑問を感じつつも、その照れた姿、かわいらしい声、小さく震える肩。

 しぐさの全てが、俺の心を一瞬掴んだ。

 それと同時に、口の中に、奇妙な味が広がる。

 酒と混ざった鉄の味。さっきのブラッディ・メアリーだ。

 この味は、血?

 この子は、ノーライフ・クイーン?

 つまり、吸血鬼?

 吸血鬼からの、求婚??


「さっき、あたしの作ったお酒をおいしいって言ってくれたし、身分や生まれの違いはあっても、味覚が合うのは大切というか……ね? だからその、まず最初の一歩はうまく行っているんじゃないかなーと、あたしは思うんだけど」

「姫様、もうあいついないニャ」

「え?」

「すごい勢いで部屋を出て行きましたぞ」

「ええー?? あたし何か悪かったかなあ? ねえ何か失敗した?? 服とか部屋とか、かわいくなかったかなあ……?」


 本能が全ての思考を支配して、俺の足を部屋の外へと向かわせた。

 ここは俺のいて良い場所じゃない!

 そそくさと走って、その場を退散する。

 アンデッドに取って食われたら死ぬだけじゃ済まない、死後俺まで、アンデッドだ!


「なんでえ逃げてきやがった」

「うわあ! ここにもアンデッドの群れが!」


 腐乱死体や、骨や、ボロ布の人影や、幽霊たちが、俺の周りを取り囲む。


「やっぱりさっき扉で挟んで殺しておけば良かったんじゃないかなー」

「ミンチにしちまえば、このツラもちょいとはハンサムになるだろ」

「このアンデッドども……! 部屋に入ろうとした時の、扉のアレは、お前らか!」

「そーだよー」

「ポルターガイストのお迎えとは粋でしょう?」

「うるさい、とにかくあっち行け! 行け!」

「うぇー」


 アンデッドたちを牽制すると、連中はやる気なく、その場をのそのそ離れていく。

 俺はその間をかいくぐって、ジジイたちに出会った場所に戻って行った。

 それにしてもノーライフ・クイーンだなんて、ノーライフ・キングの女版だろ? 最上位の吸血鬼、アンデッドを統べる存在じゃないのか。どうりで姫だの女王だの呼ばれてたはずだ。

 そんなやつがここにいるのか? ここって、街外れの小さなダンジョンじゃなかったのかよ!

 もしかすると俺が放り込まれたこの場所は、とんでもないところなんじゃないだろうか……。

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