第20話 ハウスオブホラー
ブラックホークは敵に気付かれないよう目標地点の三キロ手前で悠馬と吹雪を降ろし、そのまま引き返していった。
闇夜の中、荒野に降り立った二人はそのまま走って目標の敵拠点へと向かう。
砂地を踏みしめ、三キロのランニング。先頭を吹雪が行き、その無骨な戦闘服に包まれた尻を見ながら悠馬が続く。
しばらく走ると見えてきたのは、灌木が点在する野原の、小さな丘の上に建つ一軒の家だった。
しかし、案の定その周辺には土塁や柵、塹壕の様なものが設けられており。周囲を囲んでいた。ただ、その要塞の中心にある建物が、アメリカのホームドラマで見るような、住み心地のよさそうな庭付き、ガレージあり、プールはさすがに無いが二階建ての一軒家であることだけが、極めて異様だった。
「何あれ……」
吹雪が呟いた、その視線の先。そこには塹壕の間を歩く、黒い人影がある。それも一人ではない、見えるだけで四人。それが要塞周辺の塹壕や土塁に配置されていた。
「気配が……しない」
「ハリボテ?」
「ロボットでも使ってるのか?」
一番近い敵兵との距離は百メートルほど。しかし、いくら集中しても敵の気の流れが感じられないのだ。
気配を消すことが出来る異能使いなら理解できる。だが、気配は消しているのに、目視で簡単に見ることが出来るのだから意味が分からない。だとすれば、兵士がいるように見せかけるだけの、なんらかの装置を仕掛けているとしか思えなかったが。
その兵士の影は、明らかによたよたと、有機的に動いていた。
しかし、その動きは不規則すぎるというか、普通の人間のようにスムーズな動きではなかった。
この兵士達は、実はゾンビである。
アメリカが極秘に開発した生物兵器、その奇妙な効果から「ゾンビパウダー」と名付けられたおぞましいマッドサイエンスの最低傑作である。
この生物兵器は、ネクロノフィアというアマゾンの奥地で発見された特殊な寄生虫をほとんどそのまま使うものである。
ネクロノフィアはアマゾンに棲息する哺乳類の死体に、死体を漁る虫を媒介として入り込むと、脳にたどり着き、なんとその死骸を復活させる。復活と言っても死体は死体のままであるが、ネクロノフィアは神経系を支配し、機能不全の部分は修復し、動ける状態にまで持っていくのだ。
動く死体はそのままアマゾンのジャングルをゆっくりと這っていき、腐って擦り切れた体はどんどんと欠損し、その来た道に散らばる。
落ちた死骸の破片一つ一つにはネクロノフィアの卵が植えつけられており、そこに群がる虫の体内に取り込まれていく。
その卵を取りこんだ虫が別の死骸を蝕むことにより、また増えていく。そういった非常に珍しい方法でこの脳食い虫は増えていくのだ。
ネクロノフィアを発見した生物学者はそれを何かに転用できないかと模索したが、死体を動かす虫は、それ以上の社会的平和事業に貢献することは出来なかった。
最終的に仕方なく軍に提案したのが、人間の死体をネクロノフィアで動かし、囮や肉の壁に使えないかという、吐き気のするような趣味の悪い案だった。
アメリカ陸軍はネクロノフィアを研究した。人間の死体にこの虫を埋め込んだところ、難なくゾンビが生まれた。
しかし、ゾンビは勝手に動き回り、抑えつけようとすると激しく抵抗した。ネクロノフィアは生きている生物の抗体には弱いため、映画に出てくるゾンビの様に噛みつかれても感染はしないが、彼らをコントロールすることは至難の技だった。戦地まで運び、囮として使うには面倒の方が遥かに大きかったのである。
没となった珍兵器として闇に葬り去られるはずだったこのゾンビパウダーに、デルタ1ことアレン・パークスが注目した。
彼の異能により、このどうしようもないゾンビを操作することが出来ると考えたからである。
そして、彼は今実際にそのゾンビを建物の周りに配置していたのだった。実験的な意味が強く、忍者相手に戦力になるとは思っていないが、牽制か鳴り子くらいにはなるだろうという目算だった。
そんなことを、悠馬と吹雪は知る由も無い。
「構わず突破する、悠馬はここで援護して、後から続いてくればいい」
「……了解」
吹雪の勘は、やつらは大した敵ではないと告げていた。気配は感じないが、何らかの異能で動いている人形である可能性は高い。
その決断は結果的に合っていたが、悠馬の方は少し不安だった。
とはいえ、悠馬は戦闘に際した時に吹雪の見せる、修羅のような姿を知らない。
吹雪は、隠れていた丘の窪みから体を出すと、M4カービンで一番近い敵を狙撃する。その敵が倒れるのを確認する前に素早く飛び出し、駆けだしながら顔の前に小銃を構え、さらに残りの三人も、撃ち殺す。
だが……。
「なに…?」
頭を撃ち抜いたと思った敵が、苦しみもがきつつも動いている。そして手に持った小銃を乱射した。吹雪はまた外したのか、だから銃は嫌いだと思ったが、いくら射撃下手とはいえ職業軍人以上に銃器は扱える、この距離ではさすがに外してはいない。
確実に当たっているのに、敵が活動を停止していないと言うことだった。
しかし敵の反撃の弾丸はあまりにも適当に撃たれたものであり、吹雪に当たることは無かったが、それでも驚愕には値する。
悠馬も窪みから体を出すと、M4で敵の腕を狙い、さらに連射して胸、足を撃ち抜いた。
ゾンビ兵士は持っていた小銃を落し、胸を撃たれてのけ反り、最後に足を砕かれて塹壕の中で大きくこけ、そのままぴくぴくとしか動かなくなった。
見ると吹雪も同じように対処している。ゾンビ兵は、落ち着いて攻撃すればそれほどの脅威ではないなと、そう思ったとき。
吹雪の背後の地面が何箇所か不意に盛り上がり、砂埃を上げて何かが立ちあがりつつ、パンパンと銃声がする。
新たなゾンビ兵だ、それも複数。良く見るとさっきまで塹壕に立っていたのはハダイ国軍の制服を着た死体であり、地面から出現したのはジハード戦線の服を着た死体だった。
普通であれば待ち伏せを食らっても、殺気を察知して対応できるのだが、死体の待ち伏せまでは予知できない。
しかしやはり狙いのバラバラな種まきのような銃弾の中で、吹雪は刀を抜く。神切丸ではない、無銘の忍刀のほうである。
青白い一線の後、赤い火花が弾け、敵の銃弾が弾かれたことを物語っていた。
そして吹雪は左手にM4カービン、右手に忍刀を持つと、銃を撃ちつつジャンプし、砂を巻き上げているゾンビの真っただ中に降り立つと、刀を振り回しながら駆け抜けた。
刀を持ったくノ一の敵ではなかった。
ゾンビ兵はどす黒い血を吹きあげつつ倒れていく。と、見る間にくノ一は建物の玄関にたどり着き、正面からは当然入らず、脇にある窓に閃光手榴弾、フラッシュバンを投げ込むと、そのまま続けて窓に飛び込み、二百万カンデラの猛烈な光と鼓膜を破るような爆発音と共に屋敷内に入り込んだ。
十数人のゾンビを出し抜き、一瞬で入り込んだ屋敷の中は、フラッシュで全てが照らされた後は、元の真っ暗に戻る。
窓の外からは僅かな月明かりが差し込み、家の周辺を徘徊するゾンビの影がのそりと映る。また、悠馬が自動小銃でその敵を撃つ銃声が聞こえるだけだった。
それ以外は、黒い世界。とはいえ、忍者は極めて夜目が効く。全く光の無い状態で視力7を超えるのが忍者の基本である。よって暗視ゴーグルなどは要らない。
「……」
普通の家だ。外見から予想できるくらいの、むしろ普通すぎる内装だった。
もっとトラップが隠されていたり地雷が設置されていたり、殺伐としたシンプルすぎる内装を予想していた。もしくは魔女の隠れ家の様な、魔法陣が壁や床に書かれ、マジックアイテムが雑然と並べられたような、魔術要塞だと思っていたのだがそうではなかった。
ソファ、カーペット、観葉植物におしゃれな白い棚、壁には水彩画、良く分からないロゴマークの入ったタペストリー、ガラス棚に入った食器類やスープの缶、コーンフレーク、キッチンに無造作に置かれたオレンジジュースのボトルとコップ。普通の、生活感あふれるリビングだ。
まさかこのような荒野の真ん中で、ゾンビに囲まれて誰が住んでいると言うのか。
吹雪はほとんど無意識的に持っていたアサルトライフルをベルトで背中に固定し、忍刀を左手に持ち替え、空いた右手で腰に差した柄を握り神切丸を抜いた後、忍刀を鞘におさめた。
これが、彼女の真の臨戦態勢だった。
敵の気配は感じる、殺気を隠してはいるが、この家のどこかに異能使いはいる。しかしそれ以外の仕掛けは感じられない。だというのに吹雪は勘で、この空間は何か恐ろしいもので満たされていると感じていた。
一瞬の油断も出来ないほどに。だからこそ魔剣を抜き、構えたのである。
さきほどのフラッシュバンの白い煙が消え去り、独特の臭いも薄まった。足元に転がる手榴弾のカラだけが、まだ爆発の高温を保っていた。
ゆっくりと動き出す。
吹雪にはあまり馴染みの無い世界ではあったが、アメリカのホームドラマか何かの世界に入り込んだような。現実離れした状況だった。
リビングの先に、一昔前の大きなブラウン管テレビが置いてあり、その床のカーペットには絵本やスケッチブックが散乱している。ふと横を見ると、テーブルの上に空の花瓶と、写真立て。そこに写っているのは、親子の姿だった。
普通の白人の両親が笑い、その間には二人によく似た男の子がマーブルコミックのキャプテンアメリカのプリントされたTシャツを着て野球のグラブを抱え、同様に破顔している。背景は、どこかの森の様だが、どう考えても中東の景色ではない、アメリカかどこかだと考えるのが妥当だ。
幻術の類いではない。目に見えるのは明らかに現実に今ここにあるものだ。
米軍が、ハリウッドの一流スタッフでも呼び寄せてこのセットを上手く作ったのだろう。どう考えても、アメリカ陸軍工兵の無骨な突貫工事ではない。冗談でなく、それくらいの迫真の出来だった。
階段がある、二階へと続く階段と、地下室へと続く階段の二つ。
地下室だと思った。気配は、地下から感じる。
と、吹雪がさらに足を忍ばせた時背後で。
カタッ。……と音がした。
振り向き、剣を構える。風が吹いたわけではないし何かの気配も無い、ネズミだとしても、蚊一匹だとしても察知する吹雪の感覚に反応は無かった。
異能のパスか何かの痕跡も感じない。視線の先にはキッチンがあるが、その中のどの食器か、食料品のパックか、何が動いたのかすら分からない。
さっきのフラッシュバンで傾いたものが、今更音をたてたのか、もしくは夜になって冷えた家の壁面か何かが縮んだ音か、それくらいしか考えられなかった。
なんだいったい……。
と思っていると、目の前の床を、野球の硬式ボールが転がっていく。
使い古された、土に黄ばんだボールだ。それが、家が傾いているかのように、ゆっくりと床を横切るように進んでいく。
なぜ動いたのか、吹雪には分からなかった。
窓の外では依然ゾンビが歩き回り影を落としている。悠馬の銃声も聞こえる。
しかし、さらにブンッという音がする。ちりちりする気配に背後を振り返ると、テレビが付いていた。チャンネルはソファの上、吹雪からは二メートルほど離れているし、当然そのソファには誰も座っていない。
テレビ画面の発光と共に、ビデオデッキも動き出したのが分かる、砂嵐が走るブラウン管は、極めて画質の悪い映像に切り替わった。
画面に映るもの、ブレ方から見てハンディカメラから撮ったホームビデオのようだ。
どこかの公園で走りまわる子供。雑音の中に混じる、きゃっきゃといった笑い声。
画面は切り替わり、暗い寝室、ベッドで横になって眠っている男の子の顔が、アップになったり引いたり、とりとめも無く映し出される。
「……」
なにかの罠なのだろうが、今のところ意味が分からないし、害も無いことが逆に奇妙だった。その奇妙さで恐怖心を煽るものかもしれないが、ならばこんなものには付き合ってられない。
吹雪は構わず地下室に下りようとするが。なにやら背後で動くものに気がつく。この部屋に入ってから何度目かの振り返りをして、今までで一番奇妙な光景を見た。
目の前に、ガラスのコップが浮いている。完全に宙に浮き、ふわふわと漂っていた。
そのコップが傾き、中身の牛乳らしき白い液体が床にこぼれる。
さらに、さっきまでテーブルの上に置いてあった白磁の皿も、吹雪の見ている間に重力の鎖から解き放たれたかのように浮かびだした。そして、くるくると回転しながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
これは、明らかに異能の類いだが、原理が分からない。計算された攻撃でもないように思えた。神切丸で斬ってみるか、一瞬思案した後、吹雪は一歩踏み出し、刀で皿を叩き割った。
キンと、鋭い音が部屋に響き、皿は綺麗に真っ二つに割れ、力尽きたか、もしくはようやく重力というものがあることを思い出したかのように床に落ち、床にぶつかる衝撃でさらに細かく割れた。
「……」
手ごたえはあまり感じなかったが、今の様子では何かの術を斬ったふうではあった。
二秒ほど、何も起こらなかったが、やがてカタカタという音が部屋のどこかで聞こえ始め、さらにそれが伝播するように部屋中に響きだした。地震が起きたかのように様々な家具が震えだし、音を立て、そしてまるで宇宙空間の無重力状態のように浮かび上がっていく。
だが、全ての物が浮くわけではない、いくつかの物だけが、見えない幽霊に持ち上げられたかのように動くことが奇怪な所だった。
先ほどの薄汚い硬式ボールが浮かび上がったかと思うと、突如吹雪の方向に、メジャーリーグのエースが投げたかのような剛速球となって突進してきた。
プロ野球選手ですら打ち損なう速球を、吹雪は軽く刀で撫でるように打ち払い、寸断する。さらに続くように飛んでくる部屋中のあらゆる物を、避け、斬り捨て、弾き返した。
だが、箪笥の引出しからガタガタと飛び出してきたピストルを見てさすがに吹雪も危機感を覚える。背後で銃声を聞きながら、彼女は蠢く部屋の中を飛ぶように駆け、地下室へと向かう階段を下りた。
降りきった場所にある鉄製のドアを閉める。ドアの向こう側に家具や食器がぶつかる音、さらにピストル轟音がガァンと響いたが、とりあえずこの丈夫な扉のおかげで防げたようだった。
しかし、危機が去ることは無い。むしろ増したようであった。
地下室は上の階の家庭的な雰囲気とは一変し、殺伐としていた。コンクリートがむき出しになり、ジメジメとしており辛気臭い、味気のない電灯が天井に並び、まるで監獄の様な雰囲気
の廊下だった。
それに、イメージしていたよりも広い。
まっすぐな通路の先には、十字路があり、さらに奥へと繋がっている。一般家庭にあるような物置程度の地下室とはわけが違った。この建物の正体はむしろこの地下空間にある。
吹雪は、その道の奥へと前進する。
と、廊下を十メートルほど行ったところの、十字路の左側から気配があった。
「フー……フーッ……」という息使い。だが、人間のものとは違う。ひたひたとコンクリートを打つ、四本足の音。
何らかの獣。おそらく犬、軍用犬あたりだろうと思われるものの気配だったが、不可解なのは、さらに液体の滴るような音が聞こえることだった。
吹雪は魔剣を構え、迎えようとする。
十字路の左手に、電灯の作る影が現れ、音が近づく。
ヌッと現れたのは、やはり犬。いや、狼だとでも言うのか。黒い乱れた毛の塊が、のそりと吹雪の目の前に出現し、こちらを見るでもなく、歩いている。
その体は、黒い霧の様にところどころあやふやであり、安定しない。明らかに魔術によって作られた霊体。
話に聞いただけだが、悠馬が倒したと言う魔法使いの使い魔と酷似していた。
しかし、魔法使いは死んだはずだ。新米とはいえ、悠馬がその判断を誤るほど未熟ではない。
「フーッ……ゲヘッ……ゲヘッゴフォ……」
黒い狼は、手負いだった。毛並みの乱れはともかく、首筋から血が滝の様に流れ出ている。先ほどからしていた液体の滴るの音はこれだ。さらに、首からあふれ出る黒い血は、喉を通って口からもこぼれおちていた。
ゾンビウルフと言えなくもない状態だった。
敵の異能の性質が分からないことに、吹雪は薄気味悪さを感じる。先ほどからの攻撃には、合理性と一貫性が無かった。
ゾンビを操る能力と、部屋の中の物を動かす能力。それはともかく、一番恐ろしいのはその操作をパスの痕跡無しに行うことだ。釣り糸無しで操り人形を動かすようなものであり、並の異能ではない。
「ガフッ……フーーッフー!」
ゾンビ狼が唸り、駆けだしたかと思うと飛びかかってくる。
吹雪は焦ることも無く、極めて冷静に腰を低く落とし、迎撃の態勢をとり、軽くステップを踏んだかと思うと、すれ違いざま、神切丸が上弦の孤を描き、下から斬りあげるようにその胴を薙ぎ払った。
しかし、その腹の中には、嫌な感触がして。
グレネード!?
神切丸に斬られた霊体は否応なく霧散し、消え去る。しかし、その後に残ったのは霊体ではない兵器。青リンゴのような形をした、手榴弾だった。至近距離であれば一つで十分致死量のそれが三つ。しかも、当然の如くピンは抜かれている。空中にばら撒かれたグレネードはそのまま床を転がりバウンドし。
ドン、というにぶい爆発音が地下室に響き、灰色の煙が爆風に乗って充満する。手榴弾の爆発と共に周囲に飛び散った無数の破片が、廊下のコンクリートを抉るように飛び散る。天井の電灯は砕け散り、廊下が暗くなり、生き残った電灯もチカチカと点滅を続けた。
グレネードの爆発半径三メートルほどは、鉄片が粉雪の様に舞い散り、確実に死のゾーンになっていたはずだが。煙の中からは吹雪が何事も無かったかのように躍り出てくる。
しかし、くノ一は眉をひそめて後方を振り返る。点滅する光、煙の先には鉄のドアが衝撃に歪んで半ばひしゃげていたが、依然防壁の役目をしてくれていた。
そして前方、十字路の奥からは何やら嫌な予感が漂ってきた。
薄気味が悪いが、行かざるを得ない。
吹雪はホラー映画が嫌いだった。幼いころ訓練の合間にたまに見せられたそれは、怖くて仕方が無かった。現実では無いと知っていたが、知っているからこそ怖かった。
それは闇の中に住む、理解できない事象に対する本能的な恐怖だった。
そしてその頃のトラウマは、戦士となった今でも実は残っていた。それは吹雪の少女らしい一面ではあったが、彼女が神切丸の柄を握る力を少し強めると、その恐怖もすぐに消え去っていった。
まっすぐ突き進むと、地下室の広さがさらに分かる。だが、この無愛想で味気のない内装は、まさにあれだ。
作りかけの工事現場か、地下室にはいくつもの部屋があり、部屋の仕切りには窓やドアがあるが、どれも安っぽい作りであり、人が住むようなものではない。
分かりやすく具体的に言えば、サバイバルゲームの為の屋内施設。さらに言えばその元となった、実際の軍隊、それも特殊部隊の室内戦闘訓練用に作られた施設そのものだ。
この家の主が趣味をこじらせ過ぎ、地下室でエアガン遊びをしたくてこのようなプレイルームを作ったのだとしたらまだいい。しかし、この場所はそんな無邪気な空間では無い。命のやり取りをする、本物の戦闘空間だった。
奥の部屋で不意に銃声が響き、吹雪の至近に銃弾が爆ぜる。狙い撃ちされている。
撃って来たのは、人では無かった。宙に浮かぶ、自動小銃。そしてその一丁だけでなく、複数の銃器がこの空間に浮かんでいるのが察知できた。さきほど、一階で家具が浮かび上がったのと同じ異能だろう。だが、今回は凶器だけが浮かび上がり、先ほどよりもさらに明確にこちらを殺しにきている。
簡素すぎるコンクリートを四角くしただけの一室に逃げ込み、遮蔽物を背に状況を把握しようとする吹雪に対して、ゴーストに操られているかのように飛び交う銃器が猛烈な弾幕を浴びせてくる。コンクリートが飛び散り、粉塵が舞い、砕けた欠片が彼女の戦闘服に跳ねた。
こいつ、遊んでるつもりか……。
吹雪も、このような訓練施設で演習をしたことは数えきれないほどある。それは敵も同じなのだろう。
現代の兵士というものは、訓練が九十九パーセントで実戦は一パーセントだ。最も馴染みのある空間が、このような訓練部屋だ。どう動き、どう立ちまわり、どう攻撃するか、身に染みているほど分かるこの空間を、敵は実戦の場に選んだのだ。
窓枠も硝子もない四角いだけの空虚な窓から、二個グレネードがホーミングしているかのようにこちらを追尾して飛んでくる。ピンは、誰が外したわけでもなく、目の前で抜かれ、床に落ちる。
一個は空中で斬る。神切丸の刀身に触れたグレネードは、爆発機構を切り離され、そのまま切られたリンゴのように沈黙する。
もう一個は間に合わない。吹雪はジャンプして隣の部屋へと続く窓に飛び込み、爆発をやり過ごした。ものすごい衝撃と振動、音が轟き。グレーの色をした埃臭い煙が漂う。
なんとかやり過ごしたかと思ったが、目の前に導線と、その先にスイッチの様な物があった。導線の反対側は、吹雪の背後、部屋の隅に回っており、そこには四角い平べったい物体が二つ、さらに天井にも二つ。
クレイモア地雷だった。この地雷は単純なものであり、強力なプラスチック爆弾と無数の鉄球を内包しており、爆発するとその鉄球が銃弾の嵐の如く飛び散り、全てを薙ぎ払う。それだけのものだが、シンプル所以に強力だった。
スイッチが少し床から浮いたかと思うと、かちりと言う音と共に、勝手に押しこまれる。起爆スイッチを押された四つクレイモアは、当然、爆発した。
グレネードとはまた違った巨大な衝撃が、地下室が崩れるのではないかと思えるほどの激震を起こし、さらに粉塵を室中にまき散らす。
上下二方向から、放射状に何千もの鉄球が放出される。分厚い装甲でもない限り生身の人間が生きていられる状況では無い。
しかし、吹雪はまたしてもほとんど無傷でその部屋から飛び出し、生還していた。
念力によって通常の筋力では実現できないパワーを発揮し、持ち手だけでなく、刀全体を操作し神切丸を動かす。さらに陰陽術により空気抵抗や重力、その他小さな物理法則を半ば無視し、あり得ない剣捌きを実現した。
神切丸の刀身は、高速で回転することにより面となり、あらゆる物体を消滅させる盾となる。
それによってクレイモアの鉄球を全て防いだのだ。
元々薄暗い室内。さらに煙舞うこの空間に、クレイモアを凌いだ吹雪を狙って潜むように移動する人影。
その人影は、無情にもゾンビとなったリチャード・M・ゴドフロアだった。
そして、地下室の奥にはさらにもう一人。
この異様な戦場を作り上げた男が、待ちわびるように立っていた。
血飛沫忍法帳 やまま @yamama
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