第三日目

第19話 再出撃

 





 背後にある水平線には、燃えるような夕日が沈んでいく。



 あかぎの飛行甲板に一機のヘリコプターがあり、その横、照りつける赤い夕日の影に、二人の人物が座っていた。

 悠馬と、吹雪である。

 つい四十八時間前も、このように夕日の中キプロスのアフロデテ飛行場で待機していたのが、大昔の出来事のように思える。

 その間に悠馬は戦場に降下し、人を殺し、夜未はともかく空厳は死んだ。

 作戦としては危機的状況にある。しかし、もう一度出撃しなければいけない。自衛隊員を解放する、これだけはやり遂げなければいけなかった。

 そして、夕霧を闇に葬る。

 裏切り者の抜け忍は、絶対抹殺がN機関の掟だった。夕霧の件も例外ではない。彼女がなぜ裏切ったのか詳しいことは不明だが、機関の忍者に敵対した以上、それは必ず遂行されなければいけないことだった。

 悠馬にとって夕霧は忍術の師匠であるだけに、それは辛いことだった。


 今朝、まだ夜が開ける前にこのあかぎに乗りこんだ悠馬達は、しばらくの間艦内で休養していたが、午後になって真田に集められブリーフィングを受けた。

 夜を待ってからもう一度出撃し、敵が潜伏する拠点に乗りこみ、三人いる自衛隊員の人質を全員解放し、夕霧も殺害する。大まかに言えばそういうことである。

「敵は二か所の拠点に分かれて待ち構えている。これがその場所を示した地図だ」

 午後三時。あかぎ艦内の小さな会議室に真田と悠馬と吹雪が詰めかけている。

 真田が二人の方に向けたノートパソコンには、目標のポイントがされた、ハダイの地図が表示されていた。

 一つのポイントはアンテオンの西、森林地帯と砂漠の間の、地図的にも町などは何も無い場所だ。多国籍軍の支配領域ではあったが、敵はもはやハダイのアサシンだけではない。むしろ多国籍軍の中の異能使いこそが真の敵なのだ。

 そのような所に敵が待機しているというのはむしろ自然なことだった。

 もう一つのポイントは、吹雪からすれば見慣れた地点。クルムのアサシン寺院のあった場所だ。

 寺院は燃えているはずだが、建物は残っているのだろう、そこに敵がいるということだった。

 この二つの地点のどちらか、あるいは両方に三人の人質がいるらしく。同じように敵の異能使いも待機している。二つの地点は距離にして百五十キロ離れており同時に攻めることは出来ない。つまり敵が拠点を分けた狙いはこちらの戦力の分散にある。

 ということだった。

「なぜ、この二つの地点に敵がいると分かったんです?」

 悠馬が真田に対して当然の質問をする。異能使いの隠れ場所など、簡単に見つけ出せるものではない。

「……もっとよく考えろ悠馬。今、敵さんが隠れる意味があるか?誘拐犯がそのまま行方をくらませるか?」

 真田は口髭を撫でたと思うと、スチールカップに入ったコーヒーをちびちびと飲む。

「……それは」


 敵の目的は……悠馬を捕獲することだ。自分のことであり、客観性を欠いてあまりにも抜けていたが、そういうことだ。

 だとすれば敵はこちらを誘い込み、最も迎撃しやすい場所で待つ。その場所に人質を匿えば、放っておいても敵はのこのこやってくる。

 つまり敵からすれば隠れるよりも、むしろ居場所を明かしたほうが事が速く進むということだ。下手に潜伏して持久戦に持ち込めば、それだけ日本本国からN機関の増援の忍者も来かねない。最悪なのはせっかくハダイにおびき寄せた悠馬を、前線から引かせるということだ。

 だからこそ、敵は居場所をわざわざこちらに教えてくるということだ。


「敵が知らせてきた、ということですか」

 悠馬の答えに、真田は頷く。

「間接的にな……、昼過ぎごろに、我らの親愛なる友人である米軍から情報が入った。あくまでも『わが軍の情報網により敵の居場所と、人質の処遇に対する要求が判明した』という前書きありの情報提供だったがな」

「米軍は、アメリカはどういうつもりなんですか?明らかに敵側に加担しているのに。映像証拠だってある」

 悠馬は空厳が撮影した映像。アサシンの拠点にアメリカの軍人が入り込んでいる様子を捉えた、あの映像のことを言った。

 味方だと思っていたアメリカに裏切られたのだ。映像を証拠に、それを糾弾したいと思うことは自然なことだが。N機関にはその常識は許されない。

「私達は存在しない存在だ。私達が得た情報は私達が使う為だけにある、対外的には存在しない情報だ。あの映像は、犯罪を暴く証拠にはならない。あくまでも我が機関が、あの場所に米軍人と、裏切った夕霧がいたということを把握するためだけのものだ」

 N機関は情報をあらゆる手段を使って収集するが、逆に仕入れた情報を外に出すことは、ほとんどの場合しないということだ。

「……」

 真田の明確な回答に、悠馬は何も言えない。

「それに、誰かがあの映像を見たらどう思う?誰がどうやってこんなものを撮影したと疑問に思うだろ?空厳の様な極めて特殊な術を使える者以外にあの映像は撮れない。この映像を証拠として米軍に提出することは、空厳の忍法を外に公開することに繋がる。絶対極秘を旨とするN機関にとってそれはありえないことだ」

 今度は薄い顎髭を撫でながら真田は気だるげにそう言った。まるで悠馬を教育しているような、親切な説明だ。

 なんであれ、悠馬は空厳の隠密術を受け継いでいるのである、その自覚を呼び醒ます意味もあるのだろう。

「とにかく、普通の人質誘拐事件と同じだ。何時何分までにどこに何を持って来いという要求を、敵はしてきた。金持ちの家のぼっちゃんが連れ去られたのと一緒で、不思議なことではない。敵は居場所を教えてきたが、同時に新たな要求も出してきた。今日中に高坂悠馬を差しださなければ人質は三人とも殺すと言っているらしい」

「俺を……」

「米軍からの情報では、敵の要求は本日中までに十億円を用意しこの場所に持ってこないと人質を殺すというものだったが。深夜零時までに十億円を用意することなど物理的に不可能だ、無理難題だよ」

 あかぎ艦内に十億円の札束が保管されているわけでもない。口座番号を教えてもらっていない以上銀行振り込みも出来ない。十億円は冗談か何かであり敵も本気で欲しがっているわけではない。その要求の裏には、やはり悠馬がいるのだった。

「敵の要求は明らかにお前だ。だからお前には出撃してもらわなければいけない」

「はい……」

 真田は悠馬を見据え、悠馬はゆっくりと頷く。

「悠馬を出すことはリスクだけど、出さないと敵さんは人質を殺して逃げ去るだけだって認識?」

 パソコンのディスプレイを眺めていた吹雪が、そう呟く。

「そういうことだ、もちろん大人しく悠馬を差しだす訳にはいかない。だが、悠馬が人質解放のために出撃すれば、敵はそれに対応せざるを得ない。人質を無事に解放しつつ敵を殺害するにはそれしかない」

 こちらが困るのは、人質を殺害されるという状況であり、敵が困るのは悠馬が出てこないという状況だ。それを両立して最善の結果を求めるには、悠馬が出撃するしかない。

「で?私はどっちにいけばいいんですか」

「吹雪と悠馬にはこっちの敵拠点を襲撃してもらう」

 吹雪の問いに答えながら、真田はディスプレイの地図を指差した。アンテオンの西にあるポイント、クルムの寺院とは違う方だった。

「地図では良くわからんだろうが、衛星写真ではここに建物がある。大したものではない、普通の家、いや、不自然なまでに普通の家と言ったところか。アメリカ・ヴィクトリア様式の一般家庭レベル、二階建て地下室ありの一軒家だ。だが、一週間前の衛星写真にはこの施設は映っていない」

 真田はマウスを動かすと、広域地図を小さいウインドウに押しやり、代わりに明細な衛星写真を表示させた。それは確かにアメリカによくあるような、広めの一軒家を真上から映したものだった。

 だが、中東のこのような無人地帯になぜこのようなアメリカ風の場違いな建築物があるのか。

「これを建てたのはおそらく米軍だろう。空厳の映像に映っていたあの軍人が作らせたものだと思っていいと思う。この家は、やつの待ち受ける要塞だと判断した方が良い」

 真田の分析に、二人も理解した。

 異能使い同士の戦いは、極端に言えばじゃんけんのようなものであり、能力の相性や運の要素が多く絡んでくる場合が多い。兵吾が、まだ少女であるガブリエルに負けたのもそれと同じようなことだ。

 だからこそ、その理不尽な要素をなるべく排除する為に異能使いが行うのが、籠城作戦である。自分の能力と合致したトラップ等を仕掛けた要塞を作り上げ、そこに敵を誘い込み、畳みかけて倒す。これにより実力が上であったり、能力の相性が悪い敵にも勝利することが出来るのだ。

 この籠城作戦、もしくは待ち伏せ攻撃などは、忍者の中でも基本の戦法だった。

「その要塞への攻め方は後で打ち合わせるとして。もう一つの、クルムのアサシン寺院跡には誰が行くんですか」

 吹雪は小さいウインドウに縮小された地図の方を見て言う。

「そっちには、夜未が行く」

「夜未さんが!?」

 悠馬が声を上げる。

 空厳からも聞いていた、真田も口には出さずともそういった雰囲気を醸し出してはいたが、目の前で切り裂かれた夜未が生きているというのは、悠馬には信じがたいことだった。

「夜未は大抵のことでは死なない、それがやつの忍法だ。米軍には察知されない方法で連絡もあった、彼女にはクルムのほうに行ってもらう」

 悠馬は、何も言えなかった。それには構わず、真田は続ける。

 夜未がどのような忍法であの惨殺状態を切り抜けたのかという説明は、敢えてしないようだった。忍法は、仲間の間でも秘密にされる事はままあることだった。

「吹雪と悠馬の二人でこちらのポイントを攻めてもらい、クルムの方には夜未が行く。では詳細についてだが」

 真田はそのように簡単にまとめるが、その作戦概要に、吹雪が口をはさんだ。

「質問」

「なんだ?」

 氷の球体で出来ているような少女の目が、真田を見つめる。

「あんたは出撃しないのか?」

 N機関の忍者にとって家の中での上下関係は大きなものがあるが、それ以外では基本的にはそれほど厳しい階級はない。実力主義はそれなりに浸透している。とはいえ上官に対する発言として、今のは少し不謹慎な言葉遣いだったし、内容も挑発的なものには違いなかった。

 吹雪の戦闘力の高さが言わせたことであろうが、それが能力相応のものなのか、それとも彼女が天狗になってのものなのかは、微妙なところだ。

「……これは人質交渉だ。情報収集、分析の為に後方で待機しておく要員は絶対に必要だ。今回の作戦に当たって、後方に必ず一人置いておくようにというふうに機関で決めている。それは最重要事項だ」

「……」

「吹雪、俺と交代してお前が後方待機でもいいぞ。そういうことであれば、計画変更の余地はある」

 吹雪の眼光以上に強い気迫で、真田は睨み返した。

「……そういうこと」

「そういうことだ」

 無駄な時間だと思ったのか、吹雪は目を伏せて、呟く。

「……作戦はそのままでいい」




 それから三時間後、悠馬と吹雪は出撃の為に甲板に出ていたのだった。

「悠馬、お前は、自分の力が怖くないか?」

 整備の終わったM4カービン銃を摩りながら、吹雪が夕日を眩しそうに眺めつつ訊く。

「力が……?」

「私は、元々術の素養が弱かったから。ずっと強くなりたいと思ってた。力は憧れだった。でも結局こいつを受け取ったとき、むしろ怖くなった」

 吹雪は語りながら、M4から腰の神切丸へと手を移していく。

「……なに語りだしてんだよ」

 悠馬は、いつになく感傷的な彼女に、少し鼻で笑う。

「語らせろ……。兵吾を失って、落ち込んでいた私に、機関はこの最高の刀を与えた」

 神切丸がどれほどの刀なのか、悠馬は知らなかったが、黙って聞くことにした。

「この刀を受け継いだ時に、厳しく言われたのは、力に溺れるなということ。力に使われるのではなく、力を制御するのだって」

 よくある話だと思った。人間は、強い武器を持つからこそ、それを使ってしまう。戦争が起きる。兵器を持ちながら、それを使わないでいることは難しいことだ。

「正直この刀は私には過ぎたもの。もちろん、機関の中では私が一番うまく使えるという自信はある。けど、私は今でもこいつが少し怖い」

 そこまでいって、吹雪は言葉を止めた。

「……なにが言いたいんだ」

 何を言えばいいのか分からなくて、悠馬はそんなことを言ってしまう。

「お前……馬鹿だな。もうちょっと考えてしゃべらないと女にモテない」

 吹雪がこちらを睨む。だが、その目は先ほどのように冷たいものではなかった。

「分かってるよ、俺は自分の力が怖くないのかってことだろ?」

「……」

「でも、俺の忍法はそれほど強力なものじゃない、お前の剣のほうが遥かに強い」

「はぁ……お前はやっぱり馬鹿。だから夕霧に裏切られる」

「なっ!おまっ!」


 吹雪は軽く笑っていた。いつもの彼女からすれば柔らかい表情だった。吹雪がこんな顔をするのは今では悠馬相手の時だけだということを、悠馬本人は知らない。

 しかし、その笑顔は、同じ年代の女子が学校や家庭で友人や親に対して向けるような無垢な、天真爛漫なものとは違った。忍びという闇の世界に生き、人を斬ってきた彼女に、そのような無邪気な笑顔は作れない。


「血脈伝法は、この世で一番恐ろしい忍法。その自覚を持て、この年上好き」

 かつて吹雪がこのような冗談を言えたのは。亡き母と、兵吾だけだった。

「最後の一言は余計だろお!」

「お前は怖い物を知らないから、年上だって好きになる。歳を食った女より怖いものはこの世にない」

 良く分からない理論だが、一瞬妙に納得してしまう自分がいた。

「お前だって、年上好きじゃねえか」

「女は年上の男でも御することが出来る力を、本能的に持ってる」

 また、良く分からない理論だが、確かに現実的に実証されていることではあった。

 これ以上言いあってもしょうがないということは分かった。

「……自分の忍法がどれだけ怖いかなんて……元々忍者じゃない俺からしたらよく分からないことだ」

「……正直だな」

「嘘ついてどうする……ただ、そうだな。人を殺すことは……怖いと思った」

 それは、真に正直な悠馬の心情の吐露だった。

「私は、人を殺すことに抵抗を感じないように育てられてきた。が、人を斬る怖さというものは、分かるつもりだ」

「……」

 悠馬は、元々普通の人間であり、普通の日本人だった。そんな少年が、吹雪の様な忍者とこのように親しく話すなど、おそらくかなり奇跡的なことなのだろう。人を殺すことは絶対にいけないことだと教えられ、生きてきた悠馬と。人を殺す為に生まれてきたような吹雪なのだ。

 ただ、二人の間に煩わしい固定観念が無いからこそ、むしろこうやって話し合えるのかもしれない。

 出撃を前にして、話の主題は漂い、次第に何について話していたのか分からなくなった。この甲板から見える海のように、会話は緩やかに流れた後。二人はしばらく黙った。

「真田隊長を……あまり信用するな」

 唐突に、吹雪はそう呟く。

「……え?」

「いや、真田だけじゃない、私のことも。悠馬自身がどうありたいのか、それを強く持てばいい」

「……」

「この作戦は……思っている以上に恐ろしいものなのかもしれない」

「……?」

 どういうことなのか分からなかったが、何度も問いかけるのも癪なので、悠馬は何も言わなかった。

「とにかく、お前のその力は恐ろしいものだから、それが敵に渡れば、世界のバランスが崩れる、戦争の一つくらい起こる可能性があると思えばいい」

「……」

 それは一応、分かっていることだった。実感は無かったが、そういうことらしい。

「でも、それを決めるのはお前だ」


 日は地平線に半分沈みこみ、最後の猛烈な赤い色を放射していた。その日光とは反対の方向。もはや黒い闇に包まれているハダイへと再び旅立つ為に、二人はヘリに乗りこんだ。

 UH60J、いわゆるブラックホークという名前で有名なアメリカの軍用ヘリコプターの自衛隊仕様の物だ。

 本来は災害救助用に主に使われるものだが、今回のハダイ派遣に向けて多目的輸送ヘリとして使えるように大幅に改造されている。機体は黒一色に塗られ、まさにブラックホークと言う名前にふさわしい身なりをしていた。

 今回の作戦は敵の占領地への突入ではない。戦闘空域を越えることも無いのでヘリコプターを使用することが出来る。前回のアンテオン降下のようにわざわざ高い高度まで登ってHALO降下しなくてもいい。

 二人の忍者を乗せたヘリはあかぎの甲板からふわりと浮かびあがると、前方、ハダイの丘へと飛び立っていった。










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